119,七倉さんの控えの間
友人のよしのさんと一緒に考えたうえで、七倉菜摘、相坂しとら、御子神叶のイラストを描いて貰いました。
第1章、第2章、第4章の扉絵になっています。
「外には逃げられなくて、前にも後ろにも動けない。といって柊さんが能力者でもない。そうなると、柊さんが消えたことの理由が消えちゃうんだけど」
「いえ、先輩は洋風の住居に暮らしているから慣れていないだけです」
そう言って守くんは僕のすぐ隣にある扉――障子戸をすんなりと開けて言った。
「必然、こちらが開いているわけです。先輩、中へどうぞ」
ものすごくばつが悪い思いをした。
どうしてこんなことに気づかなかったんだろう。和風の家というのは、僕がいつも暮らしているマンションの一室とは違って、壁が少なくて無駄のない造りをしている。当然、僕が歩いていた廊下の内側には、いくつもの部屋がある。それぞれの部屋を仕切っているのは、襖と障子戸だった。もちろん、光を取り入れやすい屋敷の外側は障子張りで、屋敷の内側は襖だった。
それなら、僕が歩いてきたのはもちろん障子戸のすぐ隣だった。開けようと思えばすぐ開けられる。柊さんがいなくなったのなら、当然そこからしかない。
僕はちょっと気恥ずかしさを誤魔化すようなつもりで笑って言った。
「開けられるとどうしてこんなに悩んでいたのか馬鹿馬鹿しくなっちゃうくらいだよね、柊さんは単純に戸を開けて部屋の中に入っただけだなんて。戸が開いたことくらい、僕は気がついても良かったのに」
「それを気がつかない、というのが普通の人間です。人は音も痕跡もなく消えたり、空間を飛び越えたりするものではありません。不自然なことを不思議がり、当然のことは無視します」
そこは和室だった。なんのために使われているんだろう。畳だけしかない部屋だった。2方向が入り口だからだろうけれど、床の間や、家具が置かれていない。奥の部屋に続く、通路のような場所なんだろうか?
七倉さんの屋敷は、こんなふうにところどころ、僕には見たこともないような造りの部屋がある。なんのために造られたのかが分からないけれど、余裕のある部屋が。お金持ちの家には使い切れないくらいに部屋があることは知っていたけれど、実際に目の当たりにするとただの無駄にしか見えない。
守くんは不気味なくらいに冷静だった。僕が失敗をしたつもりになっているのに、それを敢えて無視しているみたいだった。どうしてだろう……。
「あれは普段は障子戸のように見える『壁』です。普通の人間には開けられません。開けられないなら、それはただ漆喰の壁に絵の具を塗っただけのものです。目に見えているものと実態が異なる、蜃気楼みたいなものです」
そうか、と僕は思い至った。守くんはいつも七倉さんと一緒に暮らしているんだから、僕よりもよほど七倉さんがもつ不思議な能力と直面する。だから、自然と異能力が関わっているときに、冷静な判断と推理ができるように鍛えられているんだ。
「つまり、普段、守くんは自分の家の中なのに入れない部屋があるということなの?」
「はい。入れるように見えていますが、この部屋は壁の中と同じです。鍵が掛かっていて入れないわけです」
僕の想像の埒外だ。自分の家なのに、入ることすらできない場所がある。それも、決して小さい範囲ではない。
「守くんはそれで困ったりしたことはないの?」
「生まれる前からこのようになっていますから、普通です」
「ふつうかあ……」
とてもそうとは思えないんだけど。
でも、話を聞いていると七倉さんの弟でいることは、とても大変なことのように思えてきた。今まで僕は、七倉さんと一緒にいることで自分とは違うと感じたことはあるけれど、大変だと感じることはなかった。あの綺麗で優しい七倉さんの近くにいれば、誰だって嬉しいと思っていたんだけど……。
「そうそう、この部屋はどんな部屋なの? 誰も使っていない部屋なのかな。そのわりにはとても綺麗だけど」
「控えの間です」
「控え?」
「姉の部屋の手前ということです」
つと、守くんが奥の部屋を指さした。この控えの部屋はさらに2つの部屋に繋がっていて、そのいずれも襖によって仕切られている。そのひとつの襖が開きかけていて、よく見ると殺風景なこの部屋とは違って本棚や机があるし、衣服が――
「――っ!」
僕は取りも直さず扉を閉めた。声も出なかった。七倉さんが脱いだ制服が壁に掛けられているのは見てしまった。でもそれだけだった。それだけにした。七倉さんの部屋の間取りも見ていないし、どんな私物を持っているかも見なかった。一瞬しか。
「勿体ないことをされますね」
「何が!」
「せっかく姉の部屋を覗けるのに、先輩は欲がありません」
「そんなことしたら七倉さんに何を言われるか分からないよ!」
「案外何も言わないかも知れません。僕は黙っていますので」
もちろん、その言葉に騙される僕じゃない。ただし、守くんは言葉を繋いだ。
「しかし、先輩のご心配はごもっともだと思います」
「どういうこと?」
「監視されているということです」
こんどは守くんが指を差さなくても分かった。七倉さんの部屋とは別方向の、もう一方の襖の奥だった。つまり、そこにはこの部屋を通り抜けた柊さんがいるはずなんだ。
僕は勢いよく襖を引いた。
「あ」
僕の予定だとすぐ目の前に柊さんがいるはずだったんだけど……。ともあれ、僕が開いた襖とは違う襖の裏に、柊さんが小さく腰をかがめて聞き耳を立てていた。監視というよりも、盗み聞き?
柊さんは、さも僕たちの話の内容を聞いていなかったかのように、慌てながら立ち上がった。聞き耳を立てていたのだったら、話の内容は聞こえていたはずだから、今さら慌てるのは辻褄が合わないんだけど。
「やあやあ名探偵くん、おつかれさま。あ、御曹司様ははじめましてだけど」
「柊さん何やってるんですか。あなた何者なんですか」
柊さんはわざとらしい笑顔になって、これまたわざとらしく目を泳がせた。
「わ、わぁ質問がふたつになっていますよぉ」
「その誤魔化し方、無理がありますよ」
「いやー、別に怪しい者じゃないんだよ、鍵開けの能力は使えないけどちゃんと七倉一族の親戚だ。本家から血縁が遠いからいろいろ騙くらかしているけど、今日だってちゃんと許可を貰って参加してるし――」
僕は繰り返し尋ねた。
「何を、やっているんですか」
「顔がこわいよー司くん……」
柊さんは助けを求めるように僕の後ろに視線をやった。守くんが端正な顔立ちを崩さず、落ち着いた声で柊さんに尋ねた。
「誰の許可を頂いていますか」
「老当主様だよー」
「祖父のことです」
ああ七倉さんのお祖父さん……。ええと、まだ現役でこの屋敷でいちばんエラいひとなんだっけ。守くんが知らないのも無理もない、のかな?
「あ、あと楓に言ったら『はい、構いませんよ』と笑顔でおっけーしてくれた。楓に言うと屋敷の中が歩きやすいんだよねぇ」
僕は反射的に叫んだ。
「どう考えても楓さんのほうに許可取って、ついでに七倉さんのお祖父さんに聞いてもらっただけじゃないですか!」
「い、いやぁ、楓は私みたいな遠い親戚のことなら、記録を抹消してくれるくらいわけないし、十六代のお姫様よりも内外のことに詳しいし、屋敷の鍵も全部開けられるから話を通しておくと便利なんだよね」
柊さんはさらりと守くんには聞き捨てならないようなことを言った。もっとも、聞いている守くんは大して驚いた様子もみえなかった。七倉さんの弟だから、こんなことは日常茶飯事なのかもしれないし、守くんが特に大物なのかもしれなかった。
「七倉さんのお祖父さんは何も言わなかったんですか」
「楓とお茶飲んで昔話してたから」
どうしてだろう。ものすごくイメージしやすい。




