108, 弓月先輩と小さな鍵
僕たちはいつも授業を行っている棟とは離れた、特別教室が並ぶ別棟に足を運んだ。そこには、前にいちど行ったことのある占い研究会の部室があった。それは、能力者が集まる、この久良川高校のなかにあるひとつの異世界のような部屋だった。本当のところを言えば、御子神さんは陸上部よりも占い研究会のほうがくつろげるから好きなのかもしれなかった。その部屋は、相変わらず女の子の私物で満ちていたから。
そういえば、その部屋には水晶玉がひとつ置いてあった。それは、高校生が持つには悪趣味な代物だったけれど、この占い研究会という名称と、僕の知る能力者たちの実像を思い起こしてみれば、むしろ逆に彼女こそが持つべきもののような気もした。
「弓月先輩」
御子神さんが呼びかけたのは、部室のなかでいちばん大きな机に腰掛ける女のひとだった。深い漆黒の髪が印象的だった。それは天鵞絨のようにつややかなんだ。
先輩は僕たちと同じような白いブラウスではなくて、黒の上着をまとっていた。二重の瞳は冷めたように水晶玉を見つめていて、僕たちが先輩の言葉を待って、ようやく僕に一瞥をくれた。
先輩はきっと、ふだんの教室では目立たないだろうと思う。目つきは意図的にそうしているのではなく眠たげで、笑顔も想像することができなかった。なんだか陰のあるひと。
でも、それはきっと僕の目から見えるだけで、その本当の姿は相坂さんと同じように、僕たちのようなごく平凡な人とは異なる、強力な異能の力を隠すための振る舞いのように思えた。
ただ、先輩の容貌は僕がテレビで見る、どの評判のいい占い師よりも、遙かに信頼できるように思えた。むしろ、いにしえの時代の占い師は、先輩のような姿をしていたのかもしれなかったんだ。
「はじめまして、司聡太君」
「は、はじめまして」
はっきり態度に出てしまうほど、僕はこの先輩に畏怖のような第一印象を抱いた。前に、楓さんと出会ったときにも感じたけれど、この先輩は楓さんとはまるで逆方向の印象を抱いた。
「3年の弓月香子よ。占い研究会の会長。もっとも、御子神さんと知己があるということは、貴方もよく知っている一面の顔を持つということでもあるわ」
「弓月先輩は占いの能力を持っているのですか」
先輩は首肯することもなしに肯定した。
「ええ……、過去を見つめることができる……だから、香子。けれども、占い研究会という、如何にもという名前を戴いていることからも理解できるでしょうけれど、占うことをできるというわけ、過去をね」
「過去を……ですか?」
「ええ、未来を占える者もいるけれど」
過去を占うことができるって、どういう能力なんだろう。
「貴方は最近、過去に関わる能力者に出会ったでしょう」
「琴野辺先輩のことですか?」
「ええ、貴方が彼女をどう呼ぶかを私は関知しないけれど、貴方は出会った。もっとも、それは必ずしも今に始まったことではないですから、それだけで私が貴方を呼び出す理由というわけにはならないけれど」
僕はどう答えていいのか分からなかったので、先輩の言葉を待った。
「志野原美涼、彼女も過去に関わる力の持ち主」
「先輩は志野原さんのことを知っているんですか」
尋ねて、けれども僕は思い直した。先輩が過去を占うということは、その意味は分からないとしても、志野原さんのことを知っていてもおかしくはないのかもしれない。ひょっとすると、あの先輩の目の前にある、拳よりも大きな水晶玉に、僕の過去が映っているのかもしれないし。
それは、琴野辺先輩のことも同じかもしれない。ふたりとも、過去に関係する能力を持っているひとだし。
「貴方を呼び出した理由も過去に関することよ。ひとつ、貴方はしなければならないことを残しているの。それは、始まりの謎についての話のこと。貴方はそれを解かなければならないし、それに合理的な答えを充てなければならない」
「あの、やり残していることがある……って意味ですか?」
「ええ……」
先輩は小さく頷くと、その手をすうっと僕の目の前に差し出して、開いた。
「これに見覚えはないかしら」
僕は先輩の手からそれを受け取った。
御子神さんが僕の手の中を覗き込むように見た。金属質な感触は、僕が思っていたよりも遙かに小さいものだった。僅かに先輩の体温で温まっている。
「鍵?」
御子神さんが先輩に尋ねた。でも、僕にはその鍵に見覚えがあった。
それは、僕が春先に失くした鍵だった。
「これは紛れもなく貴方が4月に失くした自転車の鍵よ。複製でも、類似の形状の者を用意したわけでもない。もし必要なら、後で貴方の自転車の鍵を開けるために使ってみるといいでしょう」
「たしかに本物だと思います。春先に紛失したはずなのに、どうして先輩が……」
「貴方が言ったとおり、過去を占う力で。いま、貴方をこちらに呼んだこととも関係することです」
「ちょっとずるい質問かもしれませんけれど、御子神さんは先輩の能力のことを知っているんですか?」
御子神さんが首をぶんぶん横に振った。そんなに全力で否定しなくても……、そういうところが御子神さんの人気のあるゆえんなんだろうけれど。
「叶なら直感的には理解しているかもしれないけれど、答えに直接辿り着くのは無理でしょう」
それから、弓月先輩はわずかに口元を綻ばせて、
「ただ、叶が言っていたとおりで面白いです。ふたりで、その鍵の謎を解いていただきましょう」




