105, 琴野辺先輩の空間跳躍能力
とりあえず、どこかにアテがあるわけでもなかったけれど、僕は適当に部屋のなかの怪しげな場所をチェックしてみた。もっとも、怪しげといっても僕の部屋は奇矯な趣味のアイテムで溢れているわけじゃない。
本棚には小説のたぐいや参考書、これまでの学校生活の積み重ねで集まった様々な記念の品や卒業アルバムが詰まっている。でも、卒業アルバムのどの写真を見ても琴野辺先輩の姿はなかったし、琴野辺先輩の制服もまるで見当たらなかった。
本棚と学習机の隙間や、デッドスペースも調べてみた。でも、もちろんそこに正体不明の呪符が増えていたり、ヘンな魔法陣が描かれていたなんてこともなかった。
そういえば、琴野辺先輩はそれほど長い時間、この部屋にいたわけではなかった。だから、僕はあまり詳細に身なりや背格好のことを記憶できたわけじゃない。つまり、琴野辺先輩は僕のことをよく知っているみたいだったんだ。
ひょっとしたら、僕はなにか重要なことを見落としているのかもしれないけれど、この短い時間で先輩のことを調べ上げることはできなかった。
***
翌日はすこしだけ秋めいた雲が出ていたけれど、相変わらず真夏のような暑い日になりそうだった。授業のない土曜日の午前中なので、この日に僕が自転車置き場に向かったのは登校するためではなかったんだ。
けれども、僕が自転車の鍵を開けるつもりでかがみ込むと、急に背中を叩かれた。振り返ってみたらそれが琴野辺先輩だった。またしても気配を感じないような登場の仕方だった。
「おはよう!」
先輩にしては声量が2割増しになったみたいな挨拶だけれど、相変わらず琴野辺先輩はか細い声だった。太陽の下にいると日に焼けてしまわないか心配してしまうくらい、肌の白さが強調される。でも、装いはモノトーンで派手さは感じられなかった。
「琴野辺先輩、なにやっているんですか!」
「聡太さんと一緒にお出かけするのもいいかなと思いまして」
先輩は両手を体の前で組んで、優しげな笑顔で言った。細身で、自己主張のない慎ましやかなからだつき。でも外出すると言った先輩の手にあったのは、小さな巾着だけだった。古風なところがあるのは先輩らしかったけれど、これだけを持って僕の家に来たんだろうか。
「先輩の家はここから遠いんですよね」
「そうですね」
ひょっとしたら、先輩はストーカーなのかもしれないとも思った。まさか先輩は僕が自宅から出てくるまでずっと待っていたんだろうか。
でも、そのわりには先輩は汗をかいているようには見えなかった。けもしも先輩がストーカーだとしたら、この真夏の時期に自転車置き場の見える位置で待ち伏せていることになって、かなり無理をしているはずだ。まだ朝だとはいえ、9月上旬のこの時期は蝉がよく鳴くくらいの暑さだった。
「図書館に行かれるのでしょう?」
「そうですけど」
僕は、どうして先輩は僕の行き先が分かったんだろうと思った。もちろん、僕は休日にいつも図書館に行くわけじゃない。夏休みにだって、図書館に足を伸ばしたのは数回だけだった。それは、僕が自転車に乗って図書館に行かなければならないくらい、自宅から図書館までは距離があるからだった。
「先輩も図書館によく行くんですか」
「ええ」
「じゃあ、ひょっとして先輩とは図書館で会ったことがあるんですか」
琴野辺先輩は「うーん」と言って、首を傾げた。なんとなく、昔なじみのお姉さんとちょっとした謎かけをして遊んでいるみたいな雰囲気になった。
「惜しいです」
その口ぶりで、たぶん琴野辺先輩と僕は図書館で出会っているんだろうなとは思った。ひょっとしたら、図書館でたまに僕のことを見つけていたのかもしれない。そうだとしたら、僕が今日図書館に行くことを、何らかの行動パターンから割り出したのかもしれない。
ただ、僕が外出する日というのは一定のパターンがあるとは思えなかった。特に、夏休みのあいだは祖母の家にいたわけだし、七倉さんと旅行に出た時期もあったから、琴野辺先輩がそれを予測できたとも思えなかった。
先輩がついてくると言うので、僕は先輩と一緒に近くのバス停まで歩いた。なにしろ「やめてください!」とも言いにくいし、琴野辺先輩を放っておいて僕だけが自転車に乗ってしまうのも良心が痛んだ。べつに、僕は琴野辺先輩のことが嫌いなわけでもないし。
「先輩はどんな本を読みますか?」
「読書は幅広く。でも、聡太さんの趣味に近いかもしれないです。聡太さんは今日、どのような本を読むつもりで図書館に行くのでしょう?」
「久良川町の歴史を調べるつもりです」
「それ以外には?」
「うーん、あんまり考えていなかったです」
先輩は僕が久良川町の歴史を――特に能力者のことを調べていることを知っているみたいだった。実を言うと、僕は図書館でいくつかの資料を読むほかは、なにも考えていなかったんだ。
「先輩はどこか行きたいところがあったんですか」
「いいえ、一緒に図書館に行こうと思っただけです」
バスが来たので、僕たちはそれに乗り込んだ。先輩はその後もあまり自己主張せずに図書館の閲覧室で本を読んでいて、僕が資料を集めてしまうと先輩のほうから「暑いですし、帰りましょうか」と提案してきた。とても不思議なひとだった。
***
月曜日も先輩は朝から僕を待ち構えていた。この日は平日だったから、僕は制服を着ていて登校するところだった。先輩は巾着ではなく学生鞄を持っていて、間違いなく高校生に見えた。
僕はいちいち驚くことはせずに尋ねた。
「先輩はうちの高校の生徒なんですか?」
「久良川高校の制服に見えますか」
先輩は臙脂色のセーラー服と僕の制服を見比べた。僕も同じように見る。もちろん、ぜんぜん違っていた。
「久良川は新しくて、とても綺麗な制服ですね。私の通っている高校は古くて、制服も昔のデザインとほとんど変わっていないみたいなんです。でも、私の高校もけっこう好きなんですけれど」
「じゃあ、先輩も登校しないといけないんじゃないですか」
「そうですね、聡太さんにきちんとご挨拶したし、そろそろ私も行かないと」
でも、僕の通っている久良川高校の近くには他の高校はなかった。だから先輩は僕を待ち伏せていると遅刻する危険があるんじゃないだろうか。それに、先輩はこのあたりの地理に詳しくないと言っていた。
「先輩の高校はどこなんですか、バスに乗れば今からでも……」
僕は自転車だから、いくらか寄り道をしても間に合う。そう思って僕は琴野辺先輩をなるべく便利のいい場所まで見送るつもりだった。
けれども、先輩はいつの間にか姿を消していた。
「先輩?」
結局、先輩は忽然と姿を消すことができるみたいだった。遅刻する心配は無さそうだし、能力の特徴は分かった。先輩はテレポーテーションを使うことができるみたいだった。急に僕の側に現れたり、いなくなったりするのはそのせいみたいだ。
ただ、先輩の能力の秘密が空間移動能力だけだ思えなかった。そんなに簡単なら、先輩はもうとっくに僕にネタばらしをしていてもおかしくないくらいだ。
この日の午前中の授業は、先輩の能力のことをぼんやりと考えることに費やした。正体は分からないけれど、先輩がどこからともなく姿を現すことができるなら、この久良川高校にも姿を現しそうな気がした。
なにせこの久良川高校は、能力者たちの集まるメッカみたいな場所なんだから。
ところで、七倉さんや相坂さんは、僕が琴野辺先輩と関わり合いになっているこの数日間に、琴野辺先輩のことに気づく様子はないみたいだった。もし、僕が能力の影響下にあるのならどちらかは気づきそうなものなんだけれど……、空間を跳躍してしまうという強力な能力に直面しているにもかかわらず、案外、琴野辺先輩との出来事は僕ひとりが知るだけだった。
放課後、僕は周囲に誰もいないのを確認してから、空に向かって話しかけた。
「先輩、お聞きしたいことがあります」
それは無駄で、とても他人には見せられない行動だった。
ところが、僕の部屋のなかで同じことをすると、先輩はいつの間にか僕の部屋の隅っこで座っていたんだ。
「お邪魔しています、聡太さん」




