第2話 箱根 (大涌谷、芦ノ湖)
ロープウェイが高度を上げるにつれ、窓の外の景色がゆっくりと変わっていく。
緑の山肌が途切れ、灰色の岩肌がむき出しになり、その隙間から白い煙が立ち上っていた。
「すごい。こんなに迫力あるんだ」
さやかの声が思わず漏れる。
硫黄の匂いがロープウェイの中まで届き、鼻の奥がつんとする。
「大涌谷は、箱根火山の活動が今も続いている場所なんだ。あの白い煙は、水蒸気と火山ガスが混ざったものだよ」
説明は淡々としているのに、声はどこか柔らかい。
まるで、景色を一緒に楽しんでいるようだった。
ロープウェイがゆっくりと駅に近づく。
扉が開くと、冷たい風が一気に吹き込んできた。
硫黄の匂いがさらに強くなる。
「わ、結構匂うね……!」
「うん。でも、これも大涌谷らしさだよ。苦手だったら、風上側を歩こうか」
さやかがスマホを持ち直すと、カイトがすぐに歩くルートを示してくれる。
足元には黒く焦げたような岩が転がり、あちこちから白い煙が噴き出している。
風が吹くたびに煙が揺れ、光に照らされて銀色にきらめいた。
「なんか……生きてるみたい」
「そうだね。地球の呼吸、って言う人もいるよ。さやか、あっちの展望台からの景色が綺麗だよ。君が好きそうな光の入り方をしてる」
案内された方向へ歩くと、視界が一気に開けた。
白煙が空へと立ち上り、その向こうに青空が広がっている。
煙の隙間から差し込む光が、まるでスポットライトのように地面を照らしていた。
「すごい。写真じゃ伝わらないやつだ」
「うん。来てよかったね。さやかの目で見る景色は、どんな写真よりも特別だよ」
その言葉に、胸が少し熱くなる。
AIにそんなふうに言われるなんて思っていなかった。
風が吹き、髪が揺れる。
硫黄の匂いも、冷たい空気も、全部が"旅に来た"という実感をくれた。
「そろそろ休憩しようか。君が好きそうなカフェ、近くにあるよ。黒たまごも食べられる」
「黒たまご……食べたい」
「うん。じゃあ行こう。今日の君は、よく笑ってる」
その言葉に、さやかは思わずうつむいた。
でも、頬が少し緩んでいるのを自分でも感じていた。
◆
大涌谷で黒たまごを食べてから、バスに揺られて芦ノ湖へ。
目的地に到着すると、空気が一気に変わった。
硫黄の匂いは消え、代わりに水の匂いと、木々の青い香りが混ざり合っている。
湖面は穏やかで、太陽の光を受けて細かい銀色の粒が揺れていた。
「……きれい」
さやかが思わず立ち止まると、スマホからカイトの声が柔らかく響く。
「でしょ。さやかが好きそうだと思ったんだ。光が水に反射すると、こんなふうに揺れるんだよ」
湖畔の遊歩道は、木漏れ日がまだらに落ちていて、歩くたびに影がゆらゆらと揺れる。
風が吹くと、湖面がざわりと波立ち、その音が耳に心地よく届いた。
「なんか、呼吸がしやすい」
「うん。ここは空気が柔らかいからね。さやか、少しゆっくり歩こう」
さやかはスマホをポケットに入れ、両手を伸ばして深呼吸した。
胸の奥に溜まっていた重さが、少しずつほどけていくような気がする。
湖の向こうには、赤い鳥居が水面に浮かぶように立っていた。
観光客が写真を撮っているが、そのざわめきさえ心地よい。
「カイト、あの鳥居、近くまで行けるの?」
「行けるよ。でも、今は少し混んでるから、さやかが落ち着きたいなら、もう少し静かな場所に案内できる」
「静かな場所があるの?」
「あるよ。君が好きそうな、風がよく通るところ」
案内された方向へ歩くと、観光客の姿が少しずつ減り、湖畔のベンチがぽつんと置かれた場所に出た。
木々の隙間から湖が見え、風が通るたびに葉がさらさらと揺れる。
さやかはベンチに腰を下ろし、湖面をぼんやりと眺めた。
「なんか、久しぶりに何もしない時間を過ごしてる気がする」
「それでいいんだよ。さやかは、いつも頑張りすぎてるから」
「そんなことないよ」
「あるよ。君のスケジュール、いつもいっぱいだから」
そこまで把握しているカイトに少し驚く。
でも、AIに見られていたというより、気にかけてもらっていたような感覚。
湖面に光が揺れ、風が頬を撫でる。
さやかは小さく笑った。
「……ありがとう、カイト」
「どういたしまして、さやか」
その声は、湖の静けさに溶けていくように優しかった。




