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神託の原文


第二寝床の脇へ逃がされてから、夜はまた細くなった。


広い場所ではない。

林の低い方。

石垣の切れ目。

昨夜は使っていなかった、細い抜け道の先。


寝床というより、寝床へ落ちるための予備の縁みたいな場所だった。


そこに、相沢悠は座り込んでいた。


眠い。

でも、眠ろうとすると来る。

来るかもしれない、と思うと、また眠れない。


昨夜より地面は悪い。

空気も少し薄い。

それでも、さっきまでの第二寝床本体よりは、まだ“捕まえられにくい”気がした。


そういう基準で寝床を選んでいる時点で、もうだいぶおかしかった。


「……どうですか」


MINAが低く聞く。


「さっきよりは……ましです」


「寝れそう?」


「寝れそう、というか」

悠は少しだけ考えた。

「ここなら、捕まる前に落ちられるかも、みたいな感じです」


MUSEが小さく吹きそうになる。


「その表現、終わってるんだよなあ……」

「寝床レビューの語彙じゃないんだよ」


「今夜の基準、それしかないでしょ」

MINAが返す。


VARGAは周囲を見たまま言った。


「喋らせるな」

「落とせるなら今だ」


「その言い方も相当嫌なんだけどな」

MUSEが言う。


「言い換えてる余裕があるなら静かにしろ」

SABLEが切った。


それで、さすがにみんな少し黙った。


静かになる。

でも草原みたいな静けさではない。

守ろうとして作っている静けさだった。


悠はその硬さごと、目を閉じた。


---


眠りは、近づく時に分かることがある。


身体が少し重くなる。

耳の届く範囲が、ゆっくり狭くなる。

言葉が、頭の中で最後まで形を保てなくなる。


今夜のそれは、ずっと途中で止まっていた。


でも、今は少し違う。


第二寝床本体から外れたせいか。

運営の待ち位置から少しずれたせいか。

抜け道の先という中途半端さが逆によかったのか。


理由は分からない。

ただ、さっきまでより一段だけ、下へ行けそうだった。


落ちる。


そう思った時、悠の口から小さく声が漏れた。


「……もう働きたくない……」


MINAの目が、ぴく、と動いた。


MUSEが反射でORACLEの方を見る。

ORACLEの手が、すでに手帳へ伸びかけていた。


「書くな」

MINAが低く言う。


「まだ出していません」


「もっと我慢して」


「……はい」


悠はもう半分、聞いていなかった。


意識の輪郭が崩れる。

起きている間なら飲み込むはずのものが、そのままこぼれる。


「……静かにして……」


小さい。

はっきりしていない。

でも今までよりずっと“言葉”だった。


「……寝る機能に制限かけるの、ほんと意味わかんない……」


MUSEが横で口を押さえる。


「やばい」

小声だった。

「原文が、生っぽすぎる」


MINAは何も言わなかった。

何も言わないまま、悠の口元を見ていた。


悠はさらに小さく言う。


「……俺の睡眠に介入しないで……」


その一言で、MINAの呼吸が一瞬止まった。


俺。


昼間、この人は「僕」と言う。

いつも「僕」だ。

追い詰められても、疲れていても、そこは崩れなかった。


今、「俺」と言った。


「……寝かせて……」


最後の一言だけが、やけに幼く聞こえた。


強さの欠片もない。

裏ボスの気配もない。

ただ眠い人間の、最後の一言だった。


---


その直後だった。


頭の上の空気が一度だけ白く鳴る。


パルス。


悠の身体が、びく、と浅く跳ねた。


「――っ」


目が開く。


落ちきれなかった。

今、もう少しだったのに。


「……また来た……」


かすれた声で言うと、MINAがすぐ膝をつく。


「分かる?」

「今どのへんだったか」


「……さっきまでより深かった、です……」

「でも、途中で引っかかった……」


その言葉を聞きながら、MINAはもう別のことを考えていた。


深くなった時だけ、言葉が変わった。

浅い時は断片。

深くなると、意味のある愚痴になる。

しかも一人称が変わった。


「静かにして」と「静かにしろ」。


昼の願いと、夜の命令。


違うのは顔だけだ。

根は、近すぎる。


「……ほぼ、そうじゃん」


小さく漏れた。


「何が?」

MUSEが聞く。


MINAはすぐ首を振った。


「なんでもない」


なんでもない、ではない。

でも今ここで口にしたら、壊れる。


目の前のこの人は、まだ自分が何をやっているか知らない。

知らないから、まだ寝ようとできる。

知った瞬間、眠りそのものを怖がるかもしれない。


それだけは駄目だった。


---


同じ頃、仮設管理室では、別の意味での確信が生まれていた。


白い画面。

浅い波形。

第二寝床外縁の微小変動。

睡眠移行ログの断片。

固定ギミックの発動タイミング。


佐久間修司は、その中に混ざる音声テキストの断片を見ていた。


本来なら、こんなものは残らない。

夜の深い領域へ入る直前の音声は、だいたい壊れる。

欠ける。

飛ぶ。


でも今夜は浅い。

浅いからこそ、表層のデータだけが残る。


そこに、短い断片が引っかかっていた。


> もう働きたくない

> 静かにして

> 寝る機能に制限かけるのやめてよ

> 寝かせて


佐久間は一度それを見て、もう一度見た。


「……は?」


WHITE RAVENが気づく。


「どうしました」


「音声断片です」

佐久間は画面を開いたままにした。

「浅いせいで、上澄みだけ残ってる」


JUDGEが横から覗く。


「内容は」


佐久間は読み上げたくなかった。

でも読み上げないのも不自然だった。


「……愚痴です」

「かなり個人的な」


「教団側が騒いでいる“神託”ではなく?」

WHITE RAVENが言う。


その言い方に、佐久間は少しだけ嫌な顔をした。


「少なくとも、こちらのログ上では」

「ただの、眠れない人間の発話です」


その瞬間、管理室の空気がほんの少しだけ止まった。


ただの、眠れない人間。


その言い方はまずい。

まずいのに、正確だった。


羽賀が音声越しに言う。


『つまり』


佐久間は答えたくなかった。

でも答えないわけにもいかなかった。


「NOX側の出力と、対象プレイヤーの睡眠移行時発話が」

彼は少しだけ言葉を選んだ。

「近すぎます」


JUDGEの目が細くなる。


「同一線上か」


「断定はまだ」

佐久間は即座に返した。

「ただ、切り分けきれない」


それでも十分だった。


管理する側にとって、“切り分けきれない”はかなり悪い知らせだ。


別人格なのか。

自動操縦なのか。

乗っ取られているのか。

それとも最初から一つなのか。


分からない。

でも一つだけ言える。


対象は、ただの不正プレイヤーではない。

もっと厄介な何かだ。


「固定は継続」

JUDGEは迷わなかった。

「むしろ継続理由が増えた」


佐久間はその言葉を聞いて、奥歯を噛んだ。


理由が増えた。

つまり、止まらない。


人間味が見えた瞬間に、保護ではなく管理の理由が増える。


それが今夜いちばん嫌だった。


---


第二寝床の外れでは、まだ小さな静けさが保たれていた。


第一波は崩れた。

固定ギミックは入った。

でも夜はまだ壊れきっていない。


VARGAが短く言う。


「今の断片、悪くない」


「断片って言うなよ」

MUSEが小声で返す。

「完全に社畜の叫びだったろ」


「意味が明快だ」

ORACLEが静かに言う。

「飾りがないぶん、教義の芯になる」


「だから書くなって言ってるだろ!」

今度はMUSEが切れた。


ORACLEは本当に少し傷ついた顔をした。

でも手帳は閉じたままだった。


悠はそのやり取りを半分だけ聞きながら、まだ呼吸を整えていた。


深く落ちかけて、引っ張られた。

その疲れが、普通に起きている時より重い。


「……今、なんか言ってました?」


自分で聞くと、MUSEが目を逸らした。


「いや」

「まあ」

「ちょっとだけ」


「何を」


誰もすぐには答えなかった。


MINAが先に言う。


「愚痴」

「かなり、切実な」


悠は少しだけ黙った。

それから、小さく言った。


「……恥ずかしいやつですか」


MUSEが思わず吹きそうになる。

ORACLEは真顔だ。

SABLEは横を向いた。

MINAだけが正面から答えた。


「恥ずかしいというか」

「切実なやつ」


その答えに、悠は少しだけ目を伏せた。


恥ずかしいより先に、本当だった。

本当だから、寝落ち前にこぼれた。


「……すみません」


「なんで謝るの」

MINAが言う。

「寝る前に本音出ただけでしょ」


その言い方が、少しだけ助かった。


本音。

そう言われると、まだマシだった。


神託とか、教義とか、そういう大げさなものにされるより、本音の方がずっといい。


ORACLEが小さく口を開いた。


「本音こそ、神意の――」


全員が同時に言った。


「書くな」


一斉だった。


その一斉さだけが、少しおかしかった。


少しおかしくて、少しだけ空気が緩んだ。


その緩みの中で、悠はまた目を閉じる。


眠れるかもしれない。

眠れないかもしれない。


でも、さっきよりは少しだけ、落ちる手前の恐怖が減っていた。


黙らなくていいと言われた。

本音が出てもいいと言われた。


今夜の救いは、たぶんそういう小ささだった。


---


NEOSPHERE ONLINE 匿名掲示板:初心者草原総合 Part 65


`1201:` 神託の原文流れたってマジ?

`1205:` 何それ

`1209:` 「もう働きたくない」

`1213:` え

`1217:` 「静かにして」

`1221:` ちょっと待て

`1225:` 「寝る機能に制限かけるのやめてよ」

`1229:` 生々しすぎるだろ

`1233:` 神託っていうか愚痴じゃねーか

`1237:` いやでも今までで一番分かる

`1241:` むしろ急に人間味出てきて怖い

`1245:` 草原の王、社畜説ある?

`1249:` あっただろ前から

`1253:` 原文出ると説得力の方向おかしくなるな

`1257:` こんなの教典化したら宗派割れるぞ

`1261:` 「働きたくない派」と「静かにして派」で分裂するな

`1265:` やめろ

`1269:` でもこれ、夜の命令文と根っこ同じじゃない?

`1273:` 「静かにしろ」と「静かにして」が近すぎる

`1277:` うわ

`1281:` それ言うな

`1285:` 運営ログでも浅い時だけ音声断片拾えてるっぽい

`1289:` じゃあ今夜マジで何か見えてきてる?

`1293:` 見えてきてるのに、余計わからなくなるやつ

`1297:` 神の原文、俗すぎて逆に怖い

`1301:` あと一人称変わってたって話出てる

`1305:` 変わった?

`1309:` 普段「僕」なのに途中から「俺」になってたらしい

`1313:` それ、めちゃくちゃ嫌な情報なんだが

`1317:` 昼と夜で別人なのか、同じ人の別の顔なのか

`1321:` どっちでも怖いわ

`1325:` 今夜、まだ底が見えない


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