寝る機能に制限かけるのやめてよ……
第一波が崩れても、夜は静かにならなかった。
むしろ静かにしようとする人間が増えたせいで、周囲の気配だけが余計にはっきりした。
第二寝床の窪地。
低い石垣。
林の縁。
相沢悠は、まだ横になったまま、眠りの手前で止まっていた。
外の危機が一つ減っても、頭の奥を細く引っかくあの感覚は残っている。
来るかもしれない、と思うと落ちられない。
落ちられないままだと、また来る気がする。
その循環だけが、ずっと身体の内側で回っていた。
「……まだですか」
小さく聞くと、MINAがしゃがんで答えた。
「まだ、って何に対して」
「眠れる方に、です……」
その返しに、MUSEが小さく吹きそうになる。
「この人、会話の主語がずっと睡眠なんだよな」
「そこが本題だろ」
MINAが切った。
悠は目を閉じ直した。
眠い。
ちゃんと眠い。
でも、深く落ちる手前で止まる。
階段を降りようとしているのに、毎回同じ段で足を取られる感じだった。
しかも、その段がどこにあるのかも分からない。
ただ、同じ場所で止まる。
それだけが分かる。
その時だった。
視界の端に、今までと違う通知が開いた。
白い。
細い枠。
いつもの公式通知の色だった。
でも文面が嫌だった。
```text
Sleep Mode System Update Applied
Restricted Area Safeguard Added
During sleep transition, operation authority may be temporarily fixed by server control.
Please use official safe lodging.
```
悠は一度それを見て、二度見した。
「……何ですかこれ」
声に出した瞬間、喉の奥が冷えた。
MINAがすぐ横へ来る。
VARGAも一歩寄る。
SABLEがその画面を見て、目を細めた。
「来た」
MINAが低く言う。
「第二段」
「第二段って何ですか」
「昨日までは浅くするだけだった」
MINAは画面を睨んだまま答えた。
「今日は、寝る瞬間の主導権そのものに触ろうとしてる」
悠は意味を理解しきれなかった。
しきれなかったが、嫌さだけは分かった。
睡眠移行時。
操作権限。
サーバ制御。
言葉が全部、眠る側ではなく管理する側の言葉だった。
「……寝る機能に制限かけるのやめてよ……」
思わず出た。
怒鳴るほどの元気はなかった。
でも嫌だった。
嫌すぎて、言葉だけがそのまま出た。
MUSEが顔をしかめる。
「うわ、原文きた」
「絶対あとで教典になるやつじゃん」
ORACLEの手帳が半分だけ開いたところで、MINAが言う。
「書くな」
「……はい」
今夜のORACLEは素直だった。
SABLEが低く続ける。
「固定するつもりね」
「浅いだけじゃ止まらないと分かったから、入眠そのものを掴みに来た」
「押さえられるんですか、そんなの」
「本来なら、できる」
MINAが言う。
「でも“本来なら”で済まなくなってるのが、今までの夜」
完全に終わったわけじゃない。
でも、終わっていないことが頼りになるほど、今夜はやさしくなかった。
悠はもう一度、通知を見た。
Please use official safe lodging.
その一文が一番嫌だった。
指定された場所で寝ろ。
指定されない場所では寝るな。
寝た瞬間の主導権は、向こうが持つかもしれない。
そこまで来ると、もう寝ることが休息ではなく手続きになる。
「……公式の寝床って、寝床じゃないですよね」
ぽつりと出た言葉に、MINAが視線だけ落とした。
「うん」
「もうそういう話じゃない」
それは、静かな肯定だった。
---
同じ頃、仮設管理室では、白い画面がまた一枚増えていた。
草原本体。
第二寝床。
封鎖線。
観測層。
深度抑制。
そして新しく追加された、睡眠移行時の権限制御画面。
佐久間修司は、胃のあたりを押さえたままその画面を見ていた。
WHITE RAVENが淡々と読み上げる。
「封印ギミック、第二段階へ移行」
「睡眠移行時操作権固定プロセス、起動可能状態です」
JUDGEが聞く。
「反応遅延は」
「あります」
佐久間が答えた。
「ただし短い。移行直後に噛ませれば割り込める」
「十分だ」
羽賀の音声が入る。
「完全制御は要らない。最大出力に届かなければいい」
その言い方が、やっぱり嫌だった。
ASTERが低く言う。
「今夜で、眠りそのものを檻に入れる」
比喩としては正確すぎた。
佐久間はモニター右下の文言を見た。
```text
Sleep Transition Seal
Server-side authority lock: Ready
Condition: target begins descent
Priority: High
```
target begins descent
降り始めたら、捕まえる。
そう書いてあるようにしか見えなかった。
「パッチノートには何と出す」
羽賀が聞く。
佐久間は短く答えた。
「安全性向上、で」
「睡眠モード利用時の安定化処理強化。そのあたりが無難かと」
「それでいい」
羽賀は即答した。
無難。
その言葉に、佐久間は本気で吐きそうになった。
---
第二寝床では、まだ夜が持ちこたえていた。
第一波が崩れたあとの静けさは、勝利の静けさじゃない。
次の一手を考えるための静けさだった。
VARGAは地図を見たまま短く指示を飛ばす。
「第二線を一歩引く」
「第三線を開けろ」
「固定が来るなら、細道一本では足りない」
「寝床に逃走経路つけるの、本当に嫌なジャンルなんだよな……」
MUSEが小声で言う。
「嫌でも要る」
LEDGERが返す。
SABLEは林の外を見ていた。
「外周、止まってる。でも引いてない」
「見てる。次の変化待ち」
悠は通知をもう一度見た。
英語は全部は分からない。
でも嫌な単語だけはなぜか分かる。
開始。
固定。
制御。
権限。
「……寝た瞬間を狙うって、ずるくないですか」
誰に言うでもなく漏らすと、MINAが苦い顔をした。
「ずるいよ」
「でも、向こうももう正面から勝てると思ってない」
その言葉は少しだけ重かった。
正面から勝てない。
だから眠りそのものに手を入れる。
そこまで来ると、もう戦闘職とかレベルとかの話じゃない。
ただ休もうとする行為に、運営が直接かぶせてきている。
悠は小さく言った。
「……ほんとにやめてほしいです」
弱い声だった。
でも周りは全員、その一言をちゃんと聞いた。
悠は目を閉じた。
昨日よりは、地面がいい。
空気もましだ。
人の気配も薄い。
それでも、通知を見た後だと眠気の形まで変わる。
沈み始めた瞬間に捕まえられる。
そう思うだけで、落ちること自体が怖くなる。
眠りは本来、手放す行為だ。
でも今夜は、その手放す瞬間に網がある。
「……まだ入らない方がいいかもです」
目を閉じたまま言うと、MINAがすぐ答える。
「どういう意味で」
「眠れない、じゃなくて」
「入った瞬間に来そうで……」
その言い方で、SABLEが顔を上げた。
「待ってる」
「向こう、今それ待ち」
VARGAが即座に決める。
「時間をずらす」
「今は沈めるな」
悠は目を開けた。
「え」
「待たれてるなら、入るな」
VARGAは当然みたいに言う。
「向こうのリズムに合わせる意味がない」
「でも、眠いんですけど……」
「分かってる」
MINAが言う。
「分かってるから、今すぐじゃなく、ずらす」
その時だった。
林の外側で、また短い光が走った。
観測の反射。
昨日見たのと同じ種類だ。
でも今夜は数が多い。
SABLEが低く言う。
「来る」
「第二段、向こうも動く」
その言葉と、ほぼ同時だった。
窪地の外周に、白い通知が何枚も開いた。
細道。
林の入口。
石垣の上。
第二寝床の外縁。
全部同じだ。
```text
SYSTEM UPDATE NOTICE
Sleep Mode Safety Stabilization expanded.
Unauthorized transition routes may be sealed during operation.
```
MUSEが本気で嫌そうな声を出した。
「言い方が全部感じ悪い」
「移行経路を塞ぐ気だ」
SABLEが言う。
「第二寝床に入る流れごと固定する」
「寝床に入る流れって何だよ……」
悠は本気で嫌そうに言った。
「寝るだけなのに……」
その一言の直後だった。
窪地の入口の空気が、一瞬だけ固まる。
細道の手前。
昨夜、第一波を狂わせた場所。
その上に、白い枠だけが先に立った。
地面ではない。
壁でもない。
でも“通す気がない”ことだけが分かる線だった。
「封印ギミック」
MINAが低く言う。
VARGAの声が飛ぶ。
「第三線、今」
「細道を捨てる」
RAMPARTたちが動く。
でも前へではない。
横だ。
林の低い方。
石垣の切れ目。
昨夜は使っていなかった細い抜け道の方へ、人を流す。
悠はそれを見て、少しだけ目を見開いた。
本当に寝床に逃走経路がついている。
嫌すぎる。
でも、なかったらもっと嫌だ。
「こっち」
MINAが短く言う。
「まだ塞がってないうちに、位置だけ変える」
「寝る場所の位置変更が早いんですよ……」
「文句は生きてから言って」
「寝たいだけなんですけど……」
「知ってる」
その返しだけで、少しだけ足が動いた。
---
林の外側では、運営と上位連合の空気がまた変わっていた。
「封印入った」
「細道固定、成功」
誰かが言う。
JUDGEが短く頷く。
「動いたな」
「逃がす線を持ってる」
ASTERが低く言う。
「想定以上に、あそこは“寝床”として防衛されている」
「だから切る」
JUDGEは即答した。
「場所ではなく、遷移を」
佐久間だけが、別の画面を見ていた。
固定は入った。
でも完全ではない。
第二寝床の周囲に、別の細い反応がまだ残っている。
逃げ道。
昨夜から滲んでいた、あの線。
「残ってる……」
思わず漏らす。
WHITE RAVENが聞き返す。
「何がです」
「遷移の外側です」
佐久間は画面を指した。
「寝床そのものじゃない。そこへ落ちる流れが、まだ分岐してる」
JUDGEが振り向く。
「切れるか」
佐久間は一瞬だけ黙った。
「……全部は、まだ」
それを聞いた瞬間、羽賀の声が入る。
『なら、告知を追加しろ』
『パッチノートも出す。安全性向上を前面に』
無難な顔で、さらに踏み込む。
今夜の運営は、もうそういう顔しかしていなかった。
---
第二寝床の少し外。
林の低い抜け道へ流された小さな集団の中で、悠は立ち止まった。
まだ完全には眠れていない。
でも、もう“寝る”という行為そのものが、さっきまでと違う意味になっている。
沈み始める。
捕まえられる。
だからずらす。
ずらした先も、また塞がれるかもしれない。
そこまで考えたところで、急に疲れた。
眠れていないから疲れている。
でも、眠る前に考えることが多すぎて、さらに疲れる。
「……もう、普通に寝たいです」
ぽつりと出た。
誰に向けたわけでもない。
でもMINAがすぐ横で答えた。
「うん」
それだけだった。
それだけなのに、少しだけ呼吸が楽になる。
普通に寝たい。
今夜の話は、結局そこに戻る。
運営の封印ギミックも、情報屋も、第一波も、全部その邪魔でしかない。
VARGAが前を見たまま言う。
「第二段、来る」
その一言で、夜がまた一段深くなった気がした。
まだ終わらない。
むしろここからが本番だ。
悠は、まだ眠れないまま、目を閉じた。
---
NEOSPHERE ONLINE 匿名掲示板:初心者草原総合 Part 64
`1101:` パッチノート流出した
`1105:` 何て書いてある
`1109:` 「睡眠モード利用時の安全性と安定化処理を強化しました」
`1113:` 言い方w
`1117:` それでやってること封印ギミックだろ
`1121:` 第二寝床の細道、白枠出たぞ
`1125:` 通る気ゼロの線だった
`1129:` でもまだ別の抜け道残ってるっぽい
`1133:` え、寝床に抜け道あるの何
`1137:` 逃走経路つき仮眠所で草
`1141:` 草じゃねえよ
`1145:` 安全性向上って書いてるのに、やってること一番危ないだろ
`1149:` しかもログ欠損は直ってない
`1153:` そこなんだよな
`1157:` パッチ入れても夜の本体だけは毎回見えない
`1161:` 第一波壊れて、第二段入って、それでもログは飛ぶ
`1165:` 何を強化したんだよ
`1169:` 眠れないようにする精度
`1173:` 最悪すぎる
`1177:` 上位連合、まだやる気だぞ
`1181:` もう後に引けない空気なんだろ
`1185:` でも今夜の敵、まだ全然見えてない
`1189:` パッチノートよりログ直せ
`1193:` それな
`1197:` 今夜、まだ落ちない




