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第一波


夜は、始まる前がいちばんうるさい。


音が多いわけじゃない。

むしろ逆だった。

みんなが音を殺そうとするせいで、小さい気配だけがやたら大きくなる。


誰かが足の位置を直す。

誰かが息を止める。

誰かが盾の角度を変える。


どれも小さい。

小さいのに、静かにしようとしている空間の中では、全部聞こえた。


第二寝床の周囲は、そんな静けさだった。


林の縁。

低い石垣。

細い窪地。

昨夜見つかった、草原の外の眠れる場所。


相沢悠は、その窪地の入口で一度だけ足を止めた。


昨夜より空気が固い。

静かな場所じゃない。

静かにしようとしている人間が多い場所の空気だった。


草原は違った。

誰も静かにしようとしていないのに、ただ静かだった。


「……今日、昨日より寝にくそうなんですけど」


思わず言うと、MINAがすぐ返した。


「そうだね」

「でも、だからって寝ないは無し」


「はい……」


返事はした。

でも身体の方は、もう少しだけ警戒していた。


昨夜のパルスが残っている。

頭の奥を細く弾かれる、あの嫌な感じ。

眠ろうとする前から、眠気そのものに少し身構えている。


寝床に入る前から、寝床が“場所”じゃなくなっていた。


VARGAが地図を広げたまま低く言う。


「第一波が来る」


その一言で、窪地の周囲の空気がもう一段張った。


MUSEが小声で言う。


「言い方が軽くないんだよなぁ……」

「来るって何。宅配便みたいに言うなよ」


「近い」

SABLEが林の方を見たまま言った。

「情報屋の線が増えた後、前衛の足が乗った」

「今夜の連中、昨日より座標が正確」


「売られたか」

LEDGERが言う。


「売られた」

SABLEは淡々と返した。

「第二寝床の形まで渡ってる」


悠はそれを聞いて、少しだけ目を伏せた。


形まで渡ってる。


場所がばれるだけでも嫌なのに、寝る場所の形まで値段になる。

意味が分からない。

意味が分からないまま、ただ嫌だった。


「……寝床って、普通そんな追われ方しないですよね」


「しない」

MINAが言う。

「だから今、かなり異常」


「異常って便利な言葉だよねえ」

MUSEがぼやく。

「ひどいこと全部まとめて言えるから」


RAMPARTが盾を立てながら短く笑った。


「まとめないと腹立つだろ」


それは少しだけ正しかった。


VARGAは地図の上に三本の線を引いた。


「見ろ」

「今夜守るのは一点じゃない」


悠にも分かるように、かなり簡単な図だった。


窪地。

そこへ入る細道。

林の外周。

さらにその外の見張り線。


「第一線は、見つけさせない線」

VARGAが外周を叩く。

「情報屋と観測役をここで切る」


次に、少し内側を叩く。


「第二線は、寄せない線」

「来た前衛を、寝床の正面へ入れない」


最後に、窪地へ入る細道を指した。


「第三線は、逃がす線だ」


悠が思わず聞き返した。


「逃がす……?」


「お前を、だ」

VARGAは当然みたいに言った。

「ここが潰れた時に、次へ通す」


「いや、まだ増やす気なんですか」


「増えないと詰むので」

LEDGERが平然と答えた。


「言い方が経済なんだよなあ……」

MUSEが顔をしかめる。


VARGAは構わず続けた。


「今夜の目的は撃退じゃない」

「成立させないことだ」


「運営と同じこと言ってる」

MINAが言う。


「戦場の言葉は似る」

VARGAは短く返した。

「相手は討伐を成立させたい。こちらは戦闘を成立させない」


そこは、悠にも少しだけ分かった。


勝つとか負けるとかじゃない。

寝床の近くで、戦いそのものを始めさせない。


戦いが始まった時点で、たぶんもう眠れない。


「お前は寝ろ」

VARGAが言う。

「それ以外はこっちでやる」


「その“寝ろ”が一番難しいんですけど……」


「難しいから守る」


即答だった。


その即答が、少しだけ変な方向で心強かった。


第二寝床に入る前、MINAがもう一度だけ悠を止めた。


「約束、覚えてる?」


「変なの来たら言う、ですよね」


「そう」

「あと、無理に我慢して沈もうとしない」


悠は少しだけ黙った。


それはたぶん、自分が一番やりそうなことだった。


来るかもしれない。

また来るかもしれない。

そう思いながら、それでも目を閉じる。


閉じなければ眠れないからだ。

閉じると来るのに、それでも閉じる。


昨日の夜は、ずっとそれだった。


「……善処します」


「それ、しないやつの返事」


「じゃあ」

悠は少し視線を逸らした。

「できるだけ、します」


MINAは呆れた顔をして、それから少しだけ笑った。


「まあいい」

「黙らないなら、今日はそれでいい」


その“今日は”が少しだけ助かった。

完璧を求められていない感じがした。


窪地の中は、昨夜より少しだけ整っていた。


整えたというより、邪魔が減っていた。


遠くの灯りが一つ少ない。

風の通り道に置かれていた荷物がない。

石垣の向こうの巡回足音も、少し遠い。


見た目は何も変わっていないのに、昨夜より静けさが深い。


「……昨日より、いいです」


入ってすぐにそう言うと、ORACLEが小さく頷いた。


「神意に沿うよう、余計を削ぎました」


「それ、たぶん今ちょっと合ってるんだよな……」

MUSEが嫌そうに言う。


悠は窪地の奥へ腰を下ろした。

地面の冷たさ。

土の匂い。

上に空がある感じ。


草原ほどではない。

でも昨日よりは近い。


「いけそうですか」

MINAが聞く。


「……昨日よりは」


「それで十分」


そう言われると、本当にそれでいい気がした。


今夜の目標は完璧じゃない。

昨夜より少し深く沈めること。

それだけだ。


悠は横になり、目を閉じた。


遠くで、林が一度だけ揺れる。

誰かが動いた。

たぶん外周だ。

でも、その気配は窪地の中へは入ってこない。


沈めるかもしれない。


そう思った時だった。


窪地の外で、短く乾いた音がした。


目を開ける。


「……来ました?」


MINAがすぐ外を見る。

VARGAの声が低く飛ぶ。


「第一線、接触」

「騒ぐな。鳴らすな。押し戻せ」


MUSEが小さくうめいた。


「始まったぁ……」


RAMPARTはもう前へ出ている。

でも走らない。

重いのに静かだった。


SABLEが通信へ低く言う。


「三人」

「前衛じゃない。測る方」

「でも後ろが近い」


「情報屋?」

MINAが聞く。


「半分」

SABLEが答える。

「残り半分は、行けるか試しに来た足」


つまり、様子見だ。


でも様子見が来る時は、だいたい本隊も近い。


悠はその意味だけ分かって、少しだけ身体が強張った。


寝床の近くで、もう戦いが始まりかけている。


「大丈夫」

MINAがすぐ言った。

「まだ遠い」


その“まだ”が少し怖かった。


林の外側では、第一波の前触れがもう始まっていた。


上位連合の前へ出た小隊は、昨日までより慎重だった。

慎重だが、止まってはいない。

昨夜の“浅さ”が、彼らに一歩ぶんの勇気を与えていた。


「反応点、前方」

「寝床の輪郭、昨夜と一致」

「護衛、静穏型。数は多くない」


報告が短く飛ぶ。


その後ろで、JUDGEは地図を見ていた。


「正面から潰すな」

「揺らせ」

「寝床として成立しない状態を作れ」


ASTERが低く言う。


「夜の王が出る前に崩す」


「出切らないなら、押し切れる」

JUDGEは迷わなかった。

「昨夜見ただろう。止まった」

「今夜も浅いなら、第一波で形を壊せる」


その結論は、まだ願望に近かった。

でも昨夜までの絶望よりは、ずっと前向きだった。


「侵入、三十秒後」

誰かが言う。


第一波は、本隊ではない。

崩せるかどうかを見るための足。


でも足が踏み込めた瞬間、人はその先も行ける気になる。


それが一番危ない。


窪地の中では、悠がまだ目を閉じきれずにいた。


外の音が少しずつ増える。

でも派手な戦闘音ではない。

それが余計に嫌だった。


大声がない。

爆発もない。

ただ、静かに近づいてくる感じだけがある。


「……もう、寝床じゃなくないですか、ここ」


思わず言うと、MINAが一瞬だけ詰まった。


「寝床だよ」

それでも言い切る。

「寝床として守る」


「守る前提の寝床、嫌なんですけど……」


「私だって嫌」

MINAは即答した。

「でも今は、それで行くしかない」


そのやり取りの最中、窪地の入口側で空気が一度だけ重くなる。


誰かが細道へ入った。


入った、と思うより先に、地面の方が変わった。


ず、と低い音がした。


入口の手前、細道の真ん中が一段だけ落ちた。


大穴ではない。

でも一歩目を確実に狂わせる深さだった。

踏み込んだ前衛の足が、そこで揃って止まる。


「何だこれ!」

遠くで誰かが叫ぶ。


VARGAの声が飛ぶ。


「第二線、今」

「押すな。止めろ」


RAMPARTたちは前へ出ない。

出ないまま、盾だけを立てる。

盾で殴るのではない。

これ以上進んだら面倒になると教えるための盾だった。


「戦ってないのに、戦線できてる……」

MUSEが引いた声を出す。


「だから成立させない」

SABLEが返す。


前衛の何人かが細道から散ろうとする。

だが散った先でも、林の足場が妙に悪い。

右へずれれば枝が低い。

左へ寄れば石が深い。

真正面だけが、一番進めそうに見えて、一番進めない。


悠はその会話を半分だけ聞きながら、少しだけ目を見開いた。


昨夜の残りが、まだここにある。


だからここは、ただ見つけた寝床じゃない。

夜が一度通った場所だ。


その普通じゃなさに、今は助けられている。


その時、頭の奥に白い線が走った。


「――っ」


身体が浅く跳ねる。


来た。

パルスだ。


「また?」

MINAがすぐ聞く。


「はい……」

「今、ちょっとだけ行けそうだったのに……」


その直後、窪地の奥が一瞬だけ暗くなる。


昨夜と同じ黒い重さ。

でも今夜は、少しだけ違った。


石垣の下で、黒さが揺れる。


空気が沈む。

地面の圧が増す。

林の入口側の細道が、さらに一段だけ低くなる。


出かけて、止まる。


完全には出てこない。

でも、何かは確かにそこにいた。


MUSEが息を呑む。


「うわ、今の……」


SABLEの声が低くなる。


「浅いまま反応してる」


VARGAはすぐ結論を出した。


「第一波、ここまでだ」

「押し返さなくていい。もう成立してない」


実際、その通りだった。


細道に入った前衛は、位置を乱され、足場を崩され、隊列だけ壊されている。

誰も倒されていない。

でも、次の一歩を揃えられない。


戦闘していないのに、進軍だけが壊れている。


それは上位連合にとって、一番嫌な負け方だった。


RAMPARTが盾を下げたまま短く笑う。


「嫌な勝ち方だな」


「勝ってない」

SABLEが訂正する。

「崩しただけ」


林の外側で、JUDGEは前衛からの報告を受けていた。


「第一波、押し込み失敗」

「損耗なし」

「ただし隊列維持不能」


「隊列維持不能?」

誰かが聞き返す。


「位置を飛ばされた」

「足場も変わった」

「戦闘にならない」


ASTERの顔が険しくなる。


「浅いはずだろう」


「浅い」

JUDGEは即答した。

「だが、ゼロではない」


その違いが、思ったより大きい。


削れている。

でも消えてはいない。

不完全でも、十分に厄介だ。


JUDGEはすぐ次を考える顔になった。


「第一波は観測成功と見る」

「第二段へ移る準備をしろ」


でもその声の奥には、昨日までより少しだけ焦りが混じっていた。


行けると思った。

でも、行けなかった。


そのズレが、一番人を苛立たせる。


窪地の中で、悠はまた目を閉じた。


深くは落ちない。

でも、完全にも起きない。


外では第一波が崩れたらしい。

でも今の自分には、その事実より一つだけ大きいことがあった。


まだ眠れていない。


「……終わりました?」


小さく聞くと、MINAが少しだけ間を置いて答えた。


「第一波は」

「でも夜は終わってない」


その言い方は、正直で、少しだけ優しかった。


全部終わったとは言わない。

でも一つは終わった、と言う。


それだけで、夜の長さが少しだけ測れる。


「……ですよね」


悠は小さく言って、また目を閉じた。


水面の向こうで、黒い気配がまだ少しだけ揺れている。


深く落ちれば、たぶんもっと出る。

でも今は、まだ浅い。


浅いままでも第一波は壊せた。

でも、浅いままでは自分が休めない。


その矛盾だけが、夜の最後までずっと残りそうだった。


---


NEOSPHERE ONLINE 匿名掲示板:初心者草原総合 Part 63


`901:` 第一波入った

`905:` もう?

`909:` 入ったけど変な壊れ方した

`913:` 何それ

`917:` 戦闘になってない

`921:` 隊列だけ崩れた

`925:` 位置飛ばされてる

`929:` ログアウトじゃないのが余計に嫌

`933:` 何されたんだよ

`937:` 細道の地形が一段落ちたってマジ?

`941:` マジ

`945:` しかも浅いまま反応してるっぽい

`949:` え、浅いのにこれ?

`953:` だから嫌なんだろ

`957:` 上位連合「行ける」って空気だったのに

`961:` 行って壊れた

`965:` 一番心折れるやつ

`969:` 戦って負けたなら納得できるけど

`973:` 戦う前に形を壊されるの無理

`977:` 今夜の敵、そういうタイプか

`981:` いや元からそうだろ

`985:` でも今回は“浅い”のにそれやってる

`989:` それどういうことだよ

`993:` 知るかよ、でも最悪ってことだろ

`997:` 第一波でこれなら次もっとやばいぞ

`1001:` 今夜、まだ全然終わってない


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