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浅い眠り


第二寝床が見つかったからといって、その夜が急にやさしくなるわけではなかった。


窪地の上では、まだ運営の白線が空を走っている。

草原は封鎖されたまま。

初期村は囲われたまま。

二万三千人の気配も、どこかでまだ動いている。


それでも、相沢悠はその小さな窪地の中に横になった。


今夜はじめて、地面の方が「ここでいい」と言ってくれた気がした。


もちろん草原ほどではない。

完璧でもない。

でも、今までの失敗した場所とは違う。


見られていない。

期待されていない。

起こされる前提で作られた場所でもない。


ただ暗くて、ただ静かで、ただそこにある。


「……ここ、いけるかもしれません」


悠が小さく言うと、MINAは頷いた。


「よし。今はそれでいい」

「無理に喋らないで。沈めるなら沈んで」


MUSEがすぐ横で口を押さえた。


「今の言い方ちょっと怖かった」


「言い回しを気にしてる場合じゃないの」


「正論が強いんだよなあ」


VARGAが短く周囲を見た。


「外周、三重。視線を切れ。戦うな。気配を薄くしろ」


RAMPARTが盾を下げたまま答える。


「了解。守るが、見せない」


LEDGERは補給欄を閉じる。


「回復材は近くに置きません。“ここに寝床があります”と教える配置になる」


「そこまで考えるのか……」

MUSEが引いたように言う。


「見せたら負け」

SABLEが淡く返した。


ORACLEだけは目を伏せた。


「神よ、どうか深く――」


「重くなるからやめてください……」


寝る前なのに、悠はもう少し疲れていた。

でもそれは、会社で削られる疲れ方とは違った。

長く歩いて、やっと座れた時の息切れに近い。


だから今は、もう考えたくなかった。


横になる。

石垣の影が視界の端で揺れる。

遠い林の上を、白い線が一度だけ横切る。


ここは草原じゃない。

けれど、草原に近い。


それだけで十分だと、自分に言い聞かせて、目を閉じた。


---


眠りに落ちる時、人はたいてい、自分で落ちているとは思わない。


聞こえていたものが遠くなって。

身体の重さが少し変わって。

考えていたことの輪郭が崩れていく。


悠にとって、それはいつも草原で起きることだった。


今夜は違う場所だった。

違う場所なのに、少しだけ同じだった。


窪地の冷たさ。

土の匂い。

風が石垣を越える時の、かすかな高さ。

遠くに人がいるのに、ここには届かない静けさ。


沈める。


そう思った瞬間だった。


頭の奥に、白い線が走った。


まぶしい、ではない。

目ではなく、もっと内側を細く弾かれる感じだった。


身体が一度だけ、びく、と浅く跳ねる。


「――っ」


目が開く。


暗い。

窪地は暗いままだ。

空も同じだ。

白線も遠い。


でも今のは、外からではなかった。


MINAがすぐ身を寄せる。


「何」


「……来た、かも」


自分の声が少し掠れていた。


「何が」


「分かんないですけど、今……頭の中だけ明るくなったみたいな……」


SABLEの目が細くなる。


「パルス」


その一語で、窪地の空気が変わった。


VARGAが空を見る。

運営の線は変わらない。

変わらないまま、何かだけがこちらに届いている。


MINAの顔が硬くなる。


「もう始めた?」

「予定より早い」


「テストか、前段か」

SABLEが言う。

「本命はまだかもしれない」


「“かもしれない”が一番嫌なんだよ……」

MUSEが小さくぼやいた。


悠は、もう一度目を閉じてみた。


さっきより、少しだけ沈みにくい。


深い場所へ降りようとすると、その手前で何かが横から触ってくる。

揺すられるわけじゃない。

叩かれるわけでもない。


ただ、落ちる前の眠りだけを薄くなぞられる。


沈みきる前に、意識が上へ引っかかった。


「……だめかもです」


今度の声は、さっきより弱かった。


「全然?」

MINAが聞く。


「全然じゃないです」

「でも、落ちきらない……」


眠れないわけではない。

浅い。


それが今夜いちばん嫌な形だった。


---


同じ頃、仮設管理室では、もっと乾いた言葉で同じ夜が進んでいた。


白い画面の上に、複数の波形が並んでいる。

草原本体の反応。

第二寝床の安定化反応。

周辺プレイヤー群の行動量。

封鎖線内の移動密度。

そして、睡眠深度干渉プログラムの出力。


佐久間修司は、画面の端を食い入るように見ていた。


「出た」


WHITE RAVENが確認する。


「第二寝床対象、スリープ潜行値の減衰を確認。一回目の微弱パルス、命中しています」


JUDGEが低く聞く。


「落ちたか」


「いいえ」

佐久間は即答した。

「落ちてはいます。ただ、深度が足りない」

「草原時の平均より二段浅い」


羽賀の音声が入る。


『十分だ』

『深く入らせなければいい』


佐久間は少しだけ黙った。


その言い方が嫌だった。

でも、成果が見えた瞬間に次へ進むのが、この手の会議だった。


ASTERが腕を組んだまま言う。


「効いているなら、押すべきだ」


「押しすぎると、逆に条件を読む時間を与えます」

佐久間が返す。

「相手は固定ボスじゃない。環境で変質する」


「変質する前に潰す」

JUDGEは迷わなかった。

「今夜の目的は撃破ではない。最大出力を許さないことだ」


佐久間はモニターの別窓を見る。


```text id="n4g6sx"

Sleep Mode Interference Program

Phase 2: Pulse Running

Target Depth: Suppressed

Current Result: Partial Success

Recommendation: Continue periodic interference

```


Partial Success。


嫌な言葉だった。

成功しきっていないから、まだ続ける理由になる。


「継続周期を?」

WHITE RAVENが聞く。


JUDGEは短く答えた。


「短く」

「深く入る前に、何度でも削る」


佐久間は胃のあたりを押さえた。


眠ろうとするたびに削る。

沈もうとするたびに浅くする。


やっていることを言葉にすると、あまりにも悪かった。

だから誰も、できるだけ別の言葉で話していた。


干渉。

調整。

抑制。

最適化。


どれも中立な顔をしている。

でも画面の向こうにいるのは、眠ろうとしている誰かだ。


その事実だけが、中立になってくれなかった。


---


窪地では、二度目が来た。


今度は、待っている時に来た。


沈めるかもしれない。

沈めないかもしれない。

その境目で息を浅くしていた時、頭の奥にまた白い線が走る。


一度目より弱い。

でも、その弱さが余計に嫌だった。


終わったのか、まだ来るのか。

区別がつかない。

区別がつかないまま、また待ってしまう。


「……っ」


悠の指先が少しだけ握られる。


MINAが見ていた。


「また?」


「はい……」

「今度は、来るかもって待ってたところに来ました」


SABLEが低く言う。


「タイミングを合わせてきてる」

「完全ランダムじゃない」


VARGAが周囲を見渡す。


「上位連合は」


RAMPARTが耳元の通信を押さえる。


「まだ動いてない」

「待ってる。向こうも“効き”を見てる」


MUSEが嫌そうな顔をする。


「最悪だな」

「寝れないかどうかの経過観察されてるの、ほんとに最悪だな」


ORACLEは静かに言った。


「神の眠りを測る者たち」


「だから言い方」

MINAが反射で返し、それから深く息を吐く。


悠はまた目を閉じた。


眠いのに、深く落ちられない。


眠気はある。

身体はちゃんと疲れている。

今すぐ眠ってしまいたい。

でも、落ちる前に何かが横から引っかけてくる。


起きている時の方が、まだ楽だった。

眠ろうとすると邪魔が来る。

邪魔が来ると、また眠ろうとするのが怖くなる。


その循環が始まりかけていた。


「……いやです」


ぽつりと出た。


誰に向けた言葉でもなかった。

でも窪地の中は静かだったから、ちゃんと届いてしまった。


MINAがしゃがんで目線を下ろす。


「うん」


「寝るだけなのに」


「うん」


「なんで、こんな……」


最後まで言えなかった。


理由を聞きたいわけじゃない。

理屈も、もう何度も聞いた。


封鎖。

抑制。

出力。

討伐。

成立阻止。


でも今ほしいのは、そういう説明じゃなかった。


ただ眠らせてほしい。


MINAは少しだけ迷ってから言った。


「今夜のあいつらは、あんたが深く寝るのが一番困るの」

「だからそこを殴ってる」


「そこしかないから、ですよね」


「……そう」


その肯定が少しだけ嫌だった。

でも、嘘よりましだった。


---


それでも、少しだけ変化はあった。


四度目のパルスのあと。

悠がもう一度だけ沈もうとした時。


窪地の奥、石垣の下に、黒い影が一瞬だけ濃くなる。


人影ではない。

煙でもない。

夜そのものが、そこだけ少し重くなったみたいな濃さだった。


SABLEが先に気づく。


「来る」


VARGAの声が落ちる。


「全員、音を殺せ」

「騒ぐな。起こすな」


MUSEが息を呑む。

RAMPARTが盾を伏せる。

ORACLEが初めて何も言わなかった。


悠は半分眠りかけたまま、その黒さを感じていた。


ああ、と思う。


これは知っている。


名前はない。

説明もできない。

でも身体が覚えている。


草原で何度かあった。

自分が沈む直前に、世界の方が少しだけ重くなる。


黒い重さは、石垣の下で一度だけ揺れた。


空気が沈む。

地面の圧が増す。

でも、そこから先へ行かない。


出かけて、止まる。


完全には出てこない。

出られないのか、出るほど沈めていないのか。


でも、何かは確かにそこにいた。


悠の背中に薄い冷たさが走る。


怖い、とは少し違った。


近い。


それが一番近い感覚だった。


自分の中の何かが、眠りの底で待っている。

でも今夜は、その底まで落ちきれない。

だから向こうも、こちらへ出きれない。


「……止まった」

MUSEが小さく言う。

「今、一瞬、何か出かけて止まったよな?」


SABLEが低く返した。


「出力不足」

「浅い」


VARGAの顔がさらに硬くなる。


「つまり、効いてる」


その言葉が窪地の空気を冷やした。


効いている。


それはつまり、今夜の敵のやり方が正しいということだった。


---


同じ頃、初期村外縁の丘では、上位連合の前衛が暗い草を踏んでいた。


遠目にも見える。

草原は封鎖され、初期村は囲われ、第二寝床の方向だけが妙に静かだ。


その静けさの中で、一人が低く言った。


「今の、見たか」


「見た」

「黒いの、出かけて止まった」


「止まったってことは」


答えたのはJUDGEではない。

その場の前衛だった。

でも、その結論は多くが共有していた。


「削れてる」


丘の上、少し後ろでJUDGEはその報告を聞いていた。


「深度抑制は機能している」


ASTERが無言で草原の方を見る。


「なら、今夜は行ける」


JUDGEは短く頷いた。


「第一段階は成功だ」

「眠りを浅くできるなら、夜の王は不完全になる」


その言い方は勝利宣言ではなかった。

でも、前進の確認ではあった。


周囲の空気が少しだけ変わる。

諦めきっていた者たちに、また数字が入る。

戦えるかもしれない、という数字。


その瞬間が、いちばん危ないと佐久間は知っていた。

できるかもしれない、は、だいたい一番人を前へ出しすぎる。


でももう、その流れは止まらない。


---


窪地では、五度目が来ようとしていた。


悠は横になったまま、息を浅くしていた。


眠りたい。

でも、眠ろうとすると来る。

来るかもしれないと思うと、さらに眠れない。


この循環に入ると、夜は長くなる。


「……もう、嫌です」


今度は少しだけはっきり言った。


MINAの喉が小さく動く。

返事を選んでいる感じがした。


「うん」


結局、出たのはそれだけだった。


「分かる」


分かる、で十分だった。


それだけで少しだけ楽になる夜がある。

解決にはならない。

眠れるようにもならない。

でも一人ではなくなる。


悠は、また目を閉じた。


深くは落ちられない。

でも、完全に起きてもいられない。


浅い水面のすぐ下を、ずっと漂っているみたいだった。


その水面の向こうで、黒い気配がまた少しだけ揺れる。


出られない。

でも、いる。


その中途半端さが、今夜はいちばん不穏だった。


---


NEOSPHERE ONLINE 匿名掲示板:初心者草原総合 Part 61


`611:` 第二寝床の方、反応が妙に浅い

`615:` 浅いって何だよ

`619:` 夜の出力が上がり切ってない感じ

`623:` え、効いてんの?

`627:` 強制覚醒パルス、やっぱ当たってる

`631:` 今さっき黒いの一瞬出て止まったの見たやついる?

`635:` 見た

`639:` あれ何

`643:` 出かけて、止まった

`647:` つまり不完全?

`651:` 上位連合ちょっと空気変わったぞ

`655:` 「行ける」って流れ出てる

`659:` いや待てそれ一番危ないやつだろ

`663:` でも今までで初めて“止まった”のは事実

`667:` 運営ログ見てるフレから来た

`671:` 「深度抑制、部分成功」

`675:` 部分成功って何だよ

`679:` 一番嫌な成功だよ

`683:` 今夜のノクス、弱いのか?

`687:` 弱いというか、浅い

`691:` それどう違うんだよ

`695:` 分かんねぇよ、でも嫌な違いだろそれ

`699:` 上位勢、第一波の前倒しあるかも

`703:` は?

`707:` まだ夜の途中だぞ

`711:` だからじゃね

`715:` 「今なら行ける」で人が一番死ぬやつ

`719:` 死ぬな、ログアウトだ

`723:` どっちでも嫌だわ

`727:` 今夜、まだ荒れる


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