寝床難民
草原の前に立ち尽くしていても、壁は開かなかった。
白い層は静かに重なったまま、こちらの事情に一切興味がない顔をしている。
相沢悠は、その無関心が少しだけ嫌だった。
敵意があるなら、まだ分かる。
でも今夜の封鎖は、ただ「入れません」とだけ言ってくる。
それが、いちばん困る。
「とりあえず下がる」
MINAが言った。
「ここで見てても、寝床は増えない」
「寝床って増えるものなんですか……?」
「普通は増えない」
普通は、という言い方だった。
この世界では、もうその普通の方が負けている気がした。
VARGAが短く手を振る。
「正面は捨てる。囲まれる前に線をずらす」
白ローブたちが即座に動く。
壁の前から人が引く。
中央から左右へ、広場から路地へ、路地から外縁へ。
撤退というより、布をたたみ直すみたいな動きだった。
悠だけが、その真ん中で少し遅れた。
草原はまだ見えている。
あそこに行ければ眠れる。
そう分かっているのに、行けない。
見えている寝床ほど、諦めにくいものはなかった。
---
最初の仮眠所は、宿屋の裏手だった。
仮眠所というか、もともと物置だった。
そこにECLIPSEが五分で毛布と寝台と遮光布を突っ込んだだけの空間だった。
RAMPARTが胸を張る。
「急造だが、悪くない。壁、厚め。入口ひとつ。上からも見えない」
MUSEが横から手を叩く。
「緊急避難仕様・神の仮眠所一号! 切り抜き映えはしないけど、実用寄り!」
「映えは要らないです……」
悠は寝台の端に腰を下ろした。
暗さはある。
布も柔らかい。
さっきよりずっとましだった。
でも、まし、でしかなかった。
目を閉じる。
閉じたまま、開ける。
「……無理かもです」
MINAがすぐ聞いた。
「何がだめ」
「静かなんですけど、静かすぎてだめです。あと、天井が近いです」
MUSEがきょとんとする。
「天井? 近いと寝れないの?」
「近いと、なんか……今から起こされそうで……」
自分でも変なことを言っていると思った。
でもそうとしか言えなかった。
ORACLEはすでに手帳を開いていた。
「記録します。『神は低い天蓋を好まれない』」
「違います」
「『違う』とのことです。訂正します。『低い天蓋は、神意に沿わない』」
「全然訂正できてないですよね?」
MUSEが吹き出し、MINAが眉間を押さえ、VARGAが「次」とだけ言った。
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二つ目は、水車小屋の横だった。
平床荷台の上に、LEDGERが倉庫ごと持ってきたみたいな量の寝具が積まれている。
毛布。枕。薄い敷布。香りの弱い回復ハーブ。簡易遮音板。
「こんなにすぐ用意できるものなんですか」
「できます」
LEDGERが即答した。
「安眠需要は、軽視すると相場が荒れますので」
「何を言ってるんですかこの人」
「正しいことを言ってる」
MINAが真顔で返した。
「たぶん今夜のECLIPSEで一番正しい」
RAMPARTが荷台の横に立つ。
「揺れは少しあるが、風通しはいい。空も抜けてる。圧迫感はない」
悠は上がって横になった。
天井はない。
息もしやすい。
少しだけ、いけるかもしれないと思った。
その瞬間、水車がぎい、と鳴った。
「……あ、だめです」
「早いな!」
MUSEが叫ぶ。
「一定の音はいいんですけど、急に鳴るとだめで……」
「次に来るかもって思うと、待っちゃうんです……」
ORACLEがまた書く。
「『予告なき軋みは、眠りの敵』」
「だから違います」
「ちょっと合ってきてるのが嫌なんだよな……」
MUSEが言った。
VARGAはもう次の地図を開いていた。
「三つ目。外へ寄せる」
「え、まだあるんですか」
「なくなるまで作る」
VARGAは平然と言った。
「寝床は戦線だ」
ものすごく嫌なジャンルの戦争に巻き込まれている気がした。
---
三つ目は、村外れの畑脇だった。
布と杭で作った半円形の簡易テント。
中に入ると、ちゃんと暗い。
地面もやわらかい。
風も通る。
しかも草の匂いが少しした。
さっきまでで一番よかった。
悠は入った瞬間、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
「あ……これは、ちょっと」
MINAが表情を上げる。
「いけそう?」
「今までで一番ましです。かなり……」
MUSEが小さく拳を握る。
「来た? 来た?」
RAMPARTも期待した顔になる。
ORACLEはもう紙を準備している。
LEDGERは補給欄を更新し始めている。
その期待が、テントの中の空気を一枚ぶん重くした。
「あ、でも」
悠は小さく言った。
「見られてる感じがあると、ちょっと……」
全員が止まった。
「……見てない」
MUSEが目を逸らしながら言う。
「見てますよね」
「応援の目線ってあるじゃん?」
「それがだめなんです」
MINAが深く息を吐く。
「分かった。全員離れる。半径三十メートル、視線切って」
VARGAが即座に命じる。
「聞いたな。神の周囲、過剰期待を撤去」
「その命令文も嫌なんだよな……」
MUSEが言いながら後退する。
全員が本当に離れた。
テントの外から人の気配が薄くなる。
風の音だけが残る。
草の匂いが近くなる。
悠は横になり、目を閉じた。
今度こそ、少し沈めるかもしれない。
そう思った瞬間、視界の端に新しい通知が開いた。
```text
FIELD ADJUSTMENT
Temporary structure in this area is not eligible for Sleep Mode stabilization.
Please use designated safe lodging.
```
「……えぇ」
心の底から嫌そうな声が出た。
MINAがすぐ戻ってくる。
「何」
「だめって言われました」
「何に」
「テントが」
MUSEが天を仰いだ。
「テントに怒られる世界、いやすぎる」
LEDGERが淡々と言う。
「仮設物判定が入ったのでしょう。安定睡眠扱いになる前に、運営側が切ってきた」
VARGAの目が少しだけ鋭くなる。
「場所じゃなく、構造も見てるか」
ORACLEが静かに言った。
「それでも、眠りを止める権限は神には届かない」
「そういう言い方するとまた話が大きくなるから」
MINAが切った。
「今必要なの、理屈じゃない。寝床」
それは本当にそうだった。
---
そのあとも、寝床は増えた。
そして全部、だめだった。
荷車の荷台。だめ。揺れる。
空き家の二階。だめ。床が鳴る。
石垣の影。だめ。冷たさが近い。
礼拝堂跡。だめ。静かすぎる。
物見台の下。だめ。上に人がいる感じがする。
途中からMUSEが小声で数え始めた。
「四号、撃沈」
「五号、沈没」
「六号、惜しいけど沈まず」
「実況やめてください……」
「だって今、自分でも何を見せられてるか分かんなくなってるんだもん」
それは悠も同じだった。
二万三千人規模の封鎖作戦の夜に、自分は何をしているのか。
答えは簡単だった。
寝床を探していた。
ものすごく情けない。
でも、それ以外にすることがない。
そして今夜は、その情けなさが一番大事だった。
---
広場の外れ、使われなくなった見張り塔の下で、ECLIPSEの幹部だけが集まった。
今度は、さすがに笑いが少なかった。
VARGAが地図に複数の印を打つ。
「仮設は切られる。既存施設も読まれてる」
「残るのは、向こうがまだ“寝床”として認識していない地点だ」
LEDGERが言う。
「物ではだめです。構造でもだめ。なら、流れを作るしかない」
「流れ?」
MINAが聞く。
SABLEがようやくこちらを向いた。
「残ってる」
「夜の移動ログじゃない。欠損の外側」
「草原から訓練場跡、訓練場跡から畑脇、水車小屋、宿屋裏」
「代替聖域は消えた。でもそれを繋いでた線は、完全には消えてない」
「切れてるようで、少しずつ繋がってる」
ORACLEが目を細める。
「眠りへ至る道」
今度はMUSEも突っ込まなかった。
内容が正しすぎた。
MINAが理解した顔になる。
「夜ごとに寝床が増えてたんじゃない」
「ユウが沈める条件が、草原の外へ滲んでた」
「そう」
SABLEが頷く。
「場所じゃなく、到達条件が漏れてる。だから点を消しても、線が残る」
VARGAがすぐ決断した。
「線の外側へ出す。初期村の完全封鎖の外」
「運営の指定寝床じゃない。仮設でもない。既存施設でもない」
「“そこへ行けば眠れる”状態そのものを、外に作る」
悠はほとんど分かっていなかった。
でも一つだけ分かった。
「それって……寝られる場所が、できるってことですか」
全員が一拍だけ黙ったあと、MUSEが言う。
「うん。たぶん今夜一番大事なの、そこだけ理解できてれば大丈夫」
それなら大丈夫だった。
---
ECLIPSEはそこから急におかしくなった。
悪い意味ではなく、手際の意味でおかしかった。
白ローブ隊が村の外縁へ走る。
RAMPARTが何故か寝台ではなく木の柵を運ぶ。
LEDGERが補給ではなく、地面に敷くための布の長さを計算している。
MUSEが掲示板に「今夜の神回ポイント」を流しかけてMINAに止められる。
ORACLEは、ユウの今までの「寝れそう」「無理」「ちょっとまし」を時系列で並べていた。
「なにしてるんですか」
「条件抽出です」
「寝言じゃなくて?」
「今夜は寝言が取れませんので、代替データです」
MINAが「言い方」と呟いたが、今回は止めなかった。
VARGAが指示を飛ばす。
「視線を切れ。音を散らせ。囲うな。寄せるな。導け」
「“寝かせよう”とするな。“眠れる状態”だけ残せ」
最後の一文だけ、妙に難しかった。
でもその難しさのせいで、全員が少し真剣になった。
寝かせようとすると、たぶんだめになる。
本人を中心に世界が騒がしくなるからだ。
眠れる状態だけ残す。
それは、寝床を作るというより、邪魔を引く作業に近かった。
---
村外れのさらに外、封鎖線のぎりぎり手前に、小さな空白が生まれた。
林と低い石垣のあいだ。
もともと誰も通らなかった細い窪地だった。
寝台は置かなかった。
豪華な毛布も持ち込まなかった。
ただ、周囲の邪魔だけを引いた。
遠くの松明を一本消す。
近くの荷物を少し離す。
巡回の経路を窪地の反対側に回す。
「ここに何かがある」と誰にも思わせないように、何もない状態を丁寧に残す。
そこへ至る道だけが、妙に静かだった。
仮設の寝台はない。
豪華な毛布もない。
見た目だけなら、ただの暗い隙間だ。
でもそこへ近づいた瞬間、悠は足を止めた。
風の抜け方が違う。
音の遠ざかり方が違う。
地面の呼吸が、少しだけ草原に似ていた。
「……あ」
小さい声が漏れた。
MINAが表情を変える。
「来た?」
「分かんないです。でも、さっきまでより……」
そこまで言ったところで、視界の端に何かが走った。
白い通知ではない。
もっと古い、薄い色の線だった。
草原の夜にだけ時々見えていた、意味の分からない残光に似ている。
石垣の影に、淡く文字が滲む。
```text
Rest route synchronized.
Sub-area condition matched.
```
MINAが固まる。
SABLEが一歩出る。
「……今、見た?」
MINAが聞く。
「英語がちょっと」
悠は正直に答えた。
「でも、なんか、ここ、さっきまでよりいいです」
それで十分だった。
VARGAが低く言った。
「当たりだ。ここを守る」
MUSEが息を呑む。
「聖域の外に……できた?」
ORACLEは静かに目を伏せた。
「第二寝床です」
「命名が早い」
MINAが返す。
でも否定しなかった。
悠はその窪地の中に座り込んだ。
今までと違う。
ちゃんと違う。
まだ草原ほどではない。
でも、落ちられるかもしれない。
それだけで、肩の奥に張っていたものが少しだけ緩んだ。
今夜ずっと、自分は寝床を探していた。
みっともないくらい必死に、寝る場所だけを探していた。
そのことが、急に少しだけ報われた気がした。
「……ここ、すごくないですか」
思わずそう言うと、MUSEが変な顔で笑った。
「ようやく褒められた。今夜それ初だよ」
「寝床レビューで一喜一憂する闇ギルド、嫌すぎるだろ」
MINAが言う。
でもその声は、さっきまでより少しだけやわらかかった。
ただ、そのやわらかさの奥で、運営の白線はまだ空を走っている。
封鎖は終わっていない。
むしろこれから本番だ。
今夜はまだ、始まったばかりだった。
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NEOSPHERE ONLINE 匿名掲示板:初心者草原総合 Part 60
`404:` え、待って
`407:` 初期村の外縁で変な反応出た
`411:` 何の反応
`415:` 聖域判定みたいなやつ
`419:` は?
`422:` いや草原閉じたよな
`426:` 閉じた
`430:` なのに外に“寝れる場所”が湧いたっぽい
`433:` そんな仕様ある?
`437:` ない
`441:` 運営ログ見てるやついないの
`446:` いるけど向こうもざわついてる
`450:` 「指定安全宿泊所以外で安定化反応を確認」とか流れてる
`454:` 何それ
`459:` 第二寝床?
`463:` 命名すんなw
`468:` いや笑えん
`472:` 草原の外に聖域できたら封鎖の意味なくね
`476:` 運営、どうすんのこれ
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`489:` ですよね
`493:` でもあるんだよ今
`497:` 一番怖いタイプの“でもある”やめろ
`501:` しかも今回、公式UIじゃない線が出たらしい
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`509:` 寝かせたくない側と寝かせたい側の戦争じゃん
`513:` 寝床戦争って何だよ
`517:` 初心者エリアでやることじゃない
`521:` もう初心者エリアじゃないんだよ
`525:` 今夜、まだ伸びるぞこれ




