気遣う翼と自由な翼 第125話
魔獣園の一行が平地を抜けると
道は再び緩やかな下り坂へと変わっていく。
両側には低い灌木が広がり
風が乾いた葉をさらさらと揺らしていた。
先ほどまでの断崖の緊張が少しずつ溶けていき
代わりに体の芯に染みついた疲れが
はっきりと顔を出し始める。
「はぁ……さすがに足が重いです」
カイルが、小さく息を吐きながら呟いた。
「お前だけじゃない。俺もだ」
ザックが肩を回しながら答える。
「ザック、お前はいつも元気だな……」
カイルが呆れたように言った。
ベイルは何も言わず、ただ黙々と歩いていた。
大きな盾を背負ったままの姿勢は崩れていないが
時折、肩の位置を微かに上下させて疲れを
紛らわせているのがわかる。
ガルドとクレイグは並んで歩きながら
時々短い言葉を交わしていた。
「デュダインの空気は、やはり違ったな……」
ガルドが低く呟く。
「ああ。まだ体が重い。だが……悪くない疲れだ」
クレイグが短く応じた。
ニコは園長の後ろを歩きながら
時折振り返って断崖の方を見ていた。
あの霧の向こうに、今もデュダインが……
名付けた主が、静かにその地を守っている
その事実が、胸の奥で小さくざわめいている。
「みんな! 無理しなくていいぞ。
疲れたら荷車に乗せてもらってくれ」
園長が、後ろを振り返りながら声をかける。
「はい……」
弱々しい返事が返ってきた。
「盾持ちは、盾だけでも乗せてもらえ。
遠慮するなよ!」
そう言って園長は
カイチの引く荷車へ自分の盾を乗せた。
「カイチ。疲れているところ悪いが
俺の盾を運んでくれ」
「構わん。大した重さではないからな」
カイチが平然と答える。
「ベイルも乗せてもらえよ」
ザックが声をかける。
「そうだな……お願いするか。
カイチさん、よろしくお願いします」
ベイルは自分の盾をカイチの荷車へ乗せ
軽く頭を下げた。
「カイチ、俺のも頼む」
そう言ってクルツが盾を乗せると
続いてガルド、クレイグも次々と
盾を荷車へ預けていった。
カイチは盾の積み込みが完了すると
再び荷車をそろりと前に進めた。
「カイチは自分も疲れているはずなのに
……ほんとに優しいなぁ〜」
クルツがにこやかに言葉をかけた。
「ふっん。我は疲れてなどおらん」
カイチは不満そうに否定した。
「そう言うことにしといてやるよ」
クルツが悪戯っぽく笑った。
「ニコ、大丈夫か?」
園長が振り返り、声をかける。
「はい。大丈夫です。
ここまで来ると空気が変わりましたので
疲れはありますが、少し楽になりました」
ニコは小さく頷くと、わずかに足を速めた。
「おーい!シルヴァ。
こっちに降りて来てくれー!」
園長が空に向かって大声で叫んだ。
一行の歩みを見守りながら
上空を旋回していたシルヴァが
荷車の上に降下して来た。
「カイチさん、少しの間乗せて下さいね。
園長。なんでしょうか?」
「ここまで来ればもう大丈夫だ。
先に帰って無事に下山出来た事を伝えて欲しい」
園長が言った。
「わかりました。
何か向こうから伝えることがあれば
また戻って来ますね」
シルヴァが言った。
「すまんな、お前も疲れているだろうに……」
園長が言った。
「いえいえ、みなさんに比べれば
私はまだまだ元気ですので、遠慮なく使って下さい」
シルヴァはそう言うと
再び大きく翼を広げ、空へと舞い上がった。
シルヴァは、人を乗せて飛ぶことができない。
だからこそ、飛行中に人のことを気にする必要もなく
自分の力を存分に発揮することができる。
人間が魔獣に乗って飛ぶ場合
耐えられる速度は、せいぜい五十キロ前後だろう。
だが、シルヴァにとっては、その程度の速度は
決して速いものではない。
その最高速度は、優に百キロを超える。
人を乗せないシルヴァは
何ものにも縛られることなく、大空を駆け抜けていく。
その姿は、瞬く間に小さくなり
やがて青空の彼方へと消えていった。
園長たちは、シルヴァを見送るように
しばらく空を見上げていた。
「もう見えなくなったな……」
園長が、遠ざかった空を見つめながら呟く。
「ふぅー……」
ニコはシルヴァが消えた空をしばらく眺めていたが
やがて視線を下山道へと移し、深いため息を吐いた。
「ニコ、つらそうだな……。
下山は慣れてないと、ほんとに疲れるからなぁ~。
無理しないで、荷車に乗せてもらえばいいんじゃないか」
ゴリムが心配そうに言った。
「カイチさんに迷惑かけられませんよ……。
ゴリムだって疲れているでしょ?」
ニコが言った。
「俺は何度も降りて来てるからな。
この道は、もう慣れてしまったよ」
ゴリムが答える。
二人の会話を聞いていたカイチは
何も言わずにニコの背後に歩み寄った。
そして、ニコの足元を気遣うように
そっと角を差し入れる。
「えっ……?」
次の瞬間、カイチはニコを驚かせないよう
ふわっと持ち上げた。
「わっ……!」
ニコの体がふわりと浮き
そのままカイチの背中へと運ばれていく。
カイチはニコが落ちないよう
一度だけ首を振って背中の位置を整えると
一歩ずつ踏みしめるように歩き始めた。
「カイチさん……」
ニコは驚いたようにカイチの背中を見つめる。
「……ありがとう」
カイチは何も言わない。
ただ、ニコの歩く負担を少しでも減らすように
足元を確かめながら、慎重に下山道を進み始めた。
「よし、行くか」
園長の声に、一行は再び歩みを進めた。
魔獣園まで、まだ距離はある。
それでも――
帰るべき場所は、確実に近づいている。
陽はすでに中天を過ぎ
影が少しずつ長くなり始めている。
それでも一行の足取りは、決して止まらなかった。
風が、乾いた草の匂いを運んできた。
ーーーー
三分後――。
シルヴァは魔獣園の上空へ近づくと
一気に速度を落としていった。
「あれ? アンズーさんが帰って来てる」
前方に、こちらへ向かってくる
一体の巨大な飛行物体が見える。
「……アンズーさんだ」
シルヴァはその姿を確認すると
さらに速度を落としながら高度を下げていく。
副庭が近づくにつれ
翼を大きく広げ、風を受けながら
滑るように高度を落としていった。
やがて地面が近づくと
シルヴァは翼を一度大きく羽ばたかせ
ふわりと浮力を殺す。
その身体はほとんど揺れることなく
そのまま静かに地面へと降り立った。
「……」
音すらほとんど立てず
シルヴァは副庭に着地する。
翼を体に沿わせるように畳むと
その場で静かに待機した。
アンズーは人を背中に乗せたまま
副庭へ向かってゆっくりと高度を下げていた。
人を乗せている以上
シルヴァのように自由には降りられない。
大きく翼を広げたまま
何度も羽ばたいて速度と高度を慎重に調整する。
「……」
地面が近づくにつれて
アンズーはさらに速度を落としていく。
背中の人間を揺らさないよう
細心の注意を払いながら
徐々に高度を下げていった。
そして地面まであとわずかになったところで
アンズーは大きく翼を羽ばたかせた。
巨体が一瞬だけ空中で静止し
そのままゆっくりと地面へ近づいていく。
やがて――
ドスンッ。
大きな足が地面を捉え
アンズーもまた、副庭へと無事に着地した。
翼を静かに畳むと
背中に乗せていた二人を気遣うように
身体を低く沈め、しばらくその場から動かなかった。
「アンズー、ありがとう」
アレンが慣れた様子で、ひらりと地面へ降り立つ。
続いてセリオも、アレンに手を借りながら
少しぎこちなく地面へ降りた。
「アンズーさん、ありがとうございます。
とても快適な飛行でしたよ」
「アレンさん、お疲れ様です。
園長たちは無事に下山できましたので
安心してください」
シルヴァが、アレンに報告する。
「そうか……。
それなら、もうすぐ帰ってこられるな」
アレンは、ほっとしたように息を吐いた。
「もう平地を抜けられているはずです。
もうしばらくすれば、帰ってこられると思います。
――ところで、建築の話し合いはどうなりましたか?」
シルヴァが尋ねる。
「棟梁には了承してもらえたんだが……。
建築資材は三十軒ほど建てられるくらい
在庫があるらしい。
ただ、足りない分は新たに作らなきゃならないみたいだ」
アレンが答えた。
「そうですか……。
それでは、園長に伝えてきますね」
シルヴァが踵を返そうとする。
「ちょっと待ってくれ……。
それなら、もう一つ伝えてほしいことがある」
アレンが呼び止めた。
「資材を製作している間の農場管理を
魔獣園で引き受けてもらえないかと
お願いされたんだ。
そのことも、園長に伝えてくれないか」
アレンが頼む。
「分かりました。そちらも一緒に伝えておきますね」
シルヴァは頷くと、空へ舞い上がっていった。
「ニコ、そんな格好で乗ってると落っこちるぞ」
荷台で仰向けに寝転がり、気持ちよさそうに空を眺める
ニコを見て、ゴリムが呆れたように声をかけた。
見上げる空は、突き抜けるような青さだった。
その高い天井に、細かな白い波が生み出されたような
うろこ雲が、規則正しく並んでいる。
「大丈夫ですよ、足でしっかり固定してますから。
仰向けになってると、日差しが気持ちいいんですよ」
ニコは笑って答えた。
その直後、ふと目を細めて言った。
「あれ……? シルヴァさんが飛んでますよ」
うろこ雲を突き抜けてシルヴァが姿を現した。
「お前……寝ぼけてるのか?」
ゴリムは鼻で笑ったが、つられて空を見上げ
――目を丸くした。
「ほんとだ! もう帰って来たのか?」
三分後には、シルヴァは再び一行の上空に到達していた。
数回大きく旋回すると、天高い空から
音もなく荷車へと降りてきた。
「園長、アレンさんからの伝言を持ってきました」
「おう、早いな……教えてくれ」
「リム村の棟梁が資材の件を了承してくださいました。
用意できるのは三十軒分だそうです」
園長は歩みを止めずに頷いた。
「不足分は新たに作ることになります。
その間、リム村の農場の管理を
こちらで引き受けてもらえないか
――それが先方の頼みだそうです」
「……なるほどな」
園長は少し考え、やがて短く言った。
「引き受けねばならんな……。
村にはこれから世話になる。
下りたら、ローデリックに話を通す」
園長は頷いて言った。
「分かりました。アレンさんに伝えてきます」
シルヴァは一礼すると、再び羽を広げた。
「シルヴァ、待て」
園長が呼び止めた。
「アレンに急いで伝える必要はない。
お前はそのまま、そこで休んでいろ」
「私だけが休んでは……」
シルヴァは首を振りかけて――やめた。
「これは命令だ!」
園長がきっぱりと言い切った。
「……」
くちばしが、小さく震えていた……
ゴリムはその姿に園長に呼ばれた時の
自分を思い出した……
「シルヴァ、遠慮はいらないと思うぞ……。
ここにも脳天気に空を見上げている奴がいるから」
ゴリムがニコを横目に見て、笑いながら続けた。
「安心して休んでいればいいぞ」
「「「はははは!」」」
魔獣たちの笑い声が連鎖した。
シルヴァはしばらく迷うように
空を見上げていたが……
やがて小さく頭を下げた。
「……では、お言葉に甘えます」
羽を畳み、荷台の端へと移動した。
ニコは相変わらず仰向けのまま空を眺めていて
ゴリムが呆れたように笑った。
荷車はゆっくりと進んでいく。
戦いを終えた一行の帰り道では
穏やかな日差しの中に、時折見せる笑顔が
終わりの近づきを感じさせていた。
第125話
気遣う翼と自由な翼
お読みいただき、ありがとうございます。
今話のタイトル「気遣う翼と自由な翼」には
同じ「飛ぶ」という行為でも、状況によって
全く意味が変わるということを表現しています。
シルヴァは人を乗せることができません。
だからこそ、何にも縛られず
自分の力を最大限に発揮して空を駆け抜けます。
一方のアンズーは、人を乗せている以上
速度も高度も慎重に調整しなければなりません。
背中の人間を揺らさないよう
細心の注意を払いながら降下する姿は
まさに「気遣う翼」そのものです。
どちらが優れているということではなく
それぞれが自分の役割の中で最善を尽くしている。
その対比を、静かに描きたかったのです。
カイチがニコを背中に乗せるシーンも
同じ延長線上にあります。
言葉少なく、しかし確実に相手の負担を減らそうとする。
カイチらしい、控えめな優しさです。
「我は疲れてなどおらん」と言いながら
実際には周囲をよく見ている。
こうした行動が、この物語の登場人物たちを
支えているのだと思います。
デュダインでの大きな出来事を経て
一行はようやく帰路につきました。
戦いの余韻や達成感だけではなく
体に染みついた疲れや、互いを思いやる小さな仕草を
丁寧に書くことで、「帰ってくる」ということの重みを
感じてもらえたら幸いです。
後半では、アレンからの報告を受けて
次の現実的な課題が提示されます。
資材の不足分をどう補うか
その間の農場管理をどうするか。
大きな冒険の後に待っているのは
地に足のついた実務です。
村と魔獣園がこれからどう支え合っていくのか。
その布石としても、今話は重要な位置づけになっています。
シルヴァが「休んでいろ」と命じられて戸惑う姿や
ニコが荷台で仰向けに空を眺める姿など
戦闘とは無縁の穏やかな時間を挟むことで
物語全体の呼吸を整えられたらと思いながら書きました。
次回は、一行が魔獣園に帰還し
具体的な再建の話が進んでいく予定です。
デュダインで得たもの、村との約束
そして日常に戻っていく人々の様子を
引き続き描いていきたいと思います。
長い付き合いになっているこの物語を
最後まで温かく見守っていただけますと幸いです。
ありがとうございました。




