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ブゼル『薄幸令嬢と豪運王子 その8』

 しばらく過ぎても、周囲の喝采は止む気配がなかった。アリスティアも俺も、どこか夢心地で、ロゼットへ、レオンへと目を向けている。


──こいつ、アドリブで何とかしやがった……。


 あの局面で、なんたる離れ業か。自身のダンスをこなしながら、俺の様子まで気に掛けていたとでも言うのか。


──敵わないなぁ。ほんと。


「よ、と」


 ロゼットは惚けた様子のアリスティアを持ち上げると、ゆっくりと立たせた。


「上手く立てるか?」

「え、ええ。なんとか……」


 片方のヒールが折れている為に真っ直ぐ立つことは難しいが、意識していれば転倒は回避出来るだろう。どこかふわふわとした頭で、アリスティアは小さく呟いた。すると。


「アリスティア様!」


 そんな彼女の元に大慌てで駆け込んで来る姿があった。我らが侍女頭、エマである。その姿を目の当たりにした瞬間、夢心地であったアリスティアの視界がパッと開けた。

 我に返ったと言うべきか。


「エマ!?」

「代わりの靴をお持ち致しました。これを……!」


 そう言って彼女が懐から取り出したものは、壊れてしまった青いヒールに変わる純白のヒールであった。

 なんと準備の良いことか。靴が壊れることすらエマは想定していたらしい。ありがたく履き替えるアリスティアであったが、同時に彼女はとんでもない羞恥心にも苛まれていた。


(そういえば全然気にしていなかったわ!? わ、私、どんな顔してたかしら……? はああ!は、 恥ずかしい……!)


 もしも蕩けた表情を皆に見られていたらと思うと、羞恥のあまりに顔から火が出そうなアリスティアである。

 顔を覆う彼女の隣では、ジョーダンがロゼットへと声を掛けていた。


「ロゼット殿下。娘を救って頂いたことを感謝致します」


 罵倒されたまま放置されていれば、王太子に捨てられた悪女としてアリスティアの名誉は地に落ちていただろう。しかし今は、ロゼットとのダンスで会場の誰もが暖かい気持ちになっている。

 あの幸せな光景を見て、アリスティアをノーブルの言うような人物だと思う者はいないだろう。


「いえ。礼を言われるようなことは何も」

「そんな。しかし」

「俺が彼女をダンスに誘いたかったからそうしたまでです」

「えっ……?」


 それはどういう意味かとジョーダンが尋ねようとしたその時、壇上から声が飛んできた。


「 確かに良いダンスだった。この場を盛り立てたことには礼を言おう!」


 ノーブルである。彼もまた、ロゼットとアリスティアのダンスに目を奪われていたのは事実なのだ。不承不承ではあるが、己に嘘をつかないだけの良心は残っていたらしい。

 そこまで口にした後で、ノーブルは「しかし」と顔を歪めた。


「しかしだ。ロゼット殿下。調べさせたが、セタンタは貴君に招待状は出していないそうだな。……目的はなんだ?」


 招かれざる客ということであれば、如何に美しいダンスを披露しようと話が変わってくる。どよめく周囲を他所に、ロゼットは頭に手を置くとこれ見よがしに嘆息してみせた。


「ああ。すまない。本題を話していなかったな」

「本題だと……?」

「ベアトルファの王都、俺がいるイエフの町は魔王軍との戦争の最中でね。敵の情報はどんな些細なものでも逃さないようにしているんだが──」


 口にすると、一呼吸置いてロゼットはこう口にした。


「部下からの情報でね。一月ほど前に、グリンバーナ王国のセタンタに魔王軍幹部が潜入したとの話があったんだよ」

「な、魔王軍……?」

「赤い髪、赤い目。女の姿をした魔族だ。この町で情報を集めたところ、城にそれらしい奴がいると聞いてな。こうして潜入した訳だ」


 魔王軍が入り込んでいる。この場にいるかもしれない。そんな話を聞けば、誰しも穏やかではいられない。避難すべきか? いや、冗談ではないのか?

 一層強まったどよめきを前に、ノーブルが激昂した。


「記念日なのだぞ! 悪戯に不安を煽るような真似はやめないか!」

「どの口が……」

「なに!?」

「ああいや……」


 誤魔化すようにおどけてみせた後で、ロゼットはその視線をノーブルからその隣──ディクシアへと移した。


「では、そちらの赤髪のお嬢さんはいつからここに?」

「無礼者め! 我が最愛のディクシアを疑うつもりか!?」

「で、どうなんだ。ノーブル殿下」

「ふん」


 言葉の応酬の後で、ノーブルは鼻を鳴らすと勝ち誇ったように腕を組んだ。


「ディクシアは確かに一月ほど前にこの城に来た。だがそれは、魔王軍の攻撃で家を失った故のことだ。ドラグィア家を失ったのは、ロゼット殿下。貴様の責任ではないのか?」


 ノーブルの言葉に先に反応したのは、ディクシアであった。あっ! この馬鹿! という表情を浮かべるディクシアとは対照的に、ロゼットはすう、とその目を細めていた。


「へえ。ドラグィア家ね。俺は立場柄、各町での視察や会合には参加するし、夜会を開くことも多いんだが」


 そこまで口にすると、ロゼットは鋭くディクシアを睨み付けた。


「ドラグィア家なんぞ一度も聞いたことねえぞ。何処の町だ? 家族の名前も言ってみろよ。あ?」

「ひぃっ!?」

「や、やめないか!」


 怯えるディクシアを庇うように、ノーブルが腕を広げて身を乗り出した。


「言い掛かりも甚だしい! 第一、魔族というのは紅い目をしているのだろうが! ディクシアはこの通り金色の瞳だ!」

「む……、それは……」

「そ、そうですわよ! 人を魔族扱いするなんて!」


 確かにディクシアの瞳は赤ではなく金色だ。そこを突かれてしまうと、ロゼットとしてもそれ以上踏み込むことは難しいようだ。


「紅い……目……」


 そんなやり取りを遠巻きに眺めながら、アリスティアはふと、あることを思い返していた。


(そういえば、あの時確かディクシア様は────)


「あ、あのっ!ディクシア様……!」


 やんややんやと三人が騒いでいるそこに、口を挟んだのはアリスティアであった。何事かと静まる三人。


「な、なによ……?」

「えっと、あの……。つまりダンスバトルは私の勝ちということで宜しいでしょうか?」

「────は?」


 突然の勝利宣言に目が点になるディクシア。ノーブルとロゼットの二人も虚を突かれたようにキョトンとしている。

 訳が分かっていない三人を尻目に、アリスティアはあっけらかんと続ける。


「ええと、ディクシア様がこの後で踊られるのであれば良いのですけれど、どうにもその様子もなさそうですし、そうしたら私の不戦勝かなぁって……」

「そもそもそんな勝負してないわよ!? 何よダンスバトルって!?」


 訳の分からない物言いに激しく突っ込むディクシアであったが、アリスティアは涼しい顔で首を傾げてみせた。


「そうですか? ですがその、ディクシア様がそう思われずとも、周囲はどうでしょうか」

「ど、どういう意味よ?」

「私が婚約破棄された以上、今一番王妃に近いのは殿下の寵愛を受けるディクシア様だと思うんですよね」


 元来、王子の好みで妃を選ぶことなど不可能なのだが、貴族女性の絶対数が少なく国王が倒れたグリンバーナの現状では、ノーブルの意見がそのまま通ってしまう可能性も十分にあるのだ。

 アリスティアは穏やかな微笑みを浮かべて、諭すようにディクシアに語った。


「王妃とはお飾りではありません。王が筆頭に立って戦争を始めれば、領地の管理を代理する必要もありますし、そうでなくとも教会との付き合いや社交界の主催など王妃が成すべきことは沢山ある。だから王妃になるべき女性には高い資質が求められるのです。エールを飲んで殿下を慰めていれば良いというものではないのですよ」


 理路整然と述べられるアリスティアの口上に、ディクシアは次第に言葉を挟めなくなっていた。振り子のように頷くエマと、王子二人はとっくに言葉を失って目をしぱしぱとさせているだけである。そんな空気の中で、アリスティアだけが平然と言葉を続けていた。

 透きとおるような、凛とした声が静かなホールに響く。


「私だって完璧に出来るなどと言うつもりはありませんが、それでもそうあろうと努力はしているつもりです。ディクシア様、ダンスは出来るのですか? 刺繍は? 読み書き計算は?」

「そ、そんなものッ」

「ああ……」


 たじたじに気圧されながらも反論しようとするディクシアだったが、しかしアリスティアはその言葉を遮るように嘆息した。


「どれも出来ないのですね……。あはは、まあ大丈夫ですよディクシア様」


 そうして哀れむようにそう口にすると、最後にこう付け加えるのだった。


「ファイト!」

「ふっざけんじゃねぇですわよッッ!!!!」


 それがトドメであった。怒りが限界を突発したディクシアは勢いに任せてその場に立ち上がると、アリスティアに詰め寄らん勢いでその身を乗り出していた。


「負け犬風情が訳の分からない事をぐちゃぐちゃとッ!!婚約者でもなんでもないお前に私と言葉を交わす資格なんて──」


 ない。そう言おうとして、ディクシアはその動きを止めていた。会場の全員の目が自身に注がれていることに気付いたからだ。


「──え? な、何? 何、ですの……?」


 助けを求めるようにノーブルへと目を向けると、そこには怯えた顔の彼の姿があった。


「ディ、ディクシア、お前、その目……」

「目……?」


 ノーブルの言葉を受けて尚、眉を潜めていたディクシアであったが、


「赤、赤い目だ……」

「血のように紅い……」

「まさか、本当に……?」


 周囲からのざわめきの内容を理解して、ディクシアは目を見開くと自身の顔に両手を宛がった。彼女自身、何が起きているのか理解に苦しんでいる様子である。


「な……、嘘……、どうして……」

「ディクシア様。お気付きになられていなかったのですね」

「──っ!」


 アリスティアの言葉を受けて、ディクシアは恐ろしい形相でそちらを睨み付けた。紅い瞳に射抜かれて尚、アリスティアは平然と言葉を返していく。


「以前のお茶会で、お怒りになられたディクシア様が紅い瞳になられたように見えましたので、試してみたのですが……。どうにもディクシア様は御自身の感情を抑えることが苦手なご様子。王妃になりたいのでしたらお気をつけ下さいませ」


 そう告げて、アリスティアが優雅に一礼する。そのすべてが、ディクシアにとっては最後まで鋭い煽りのそれに他ならない。口の端をひきつらせると、びきびきと青筋を立てるディクシア。


「この女ァ!!」

「正体を現したな魔族ッ!!」


 そして怒りを露わに歩を進めようとするディクシアであったが、ロゼットの鋭い声がその脚をその場に縫い止めていた。引き抜いた腰の剣を突き付けながら、ロゼットはディクシアへと刺すような殺気を浴びせている。


「人間を脅かす魔王軍めが!ベアトルファ王国第一王子、ロゼット・デ・オスロー・ベアトルファの名の元に、今この場で退治してくれる!!」

「ぐ……こいつ……!」


 言い返そうと口を開くディクシアであったが、それよりも早くロゼットが動いた。目にも止まらぬ素早さで壇上へと駆け上がると、その剣をディクシアへと叩き付けたのである。


ガギィン!

「ひいぃぃぃッッ!」


 ノーブルの情けない悲鳴と共に、凡そ人が人を斬り付けたとは思えない音がその場に響き渡る。見ればロゼットの剣による一撃を、ディクシアは片腕を差し出すことで受け止めていた。


「令嬢にいきなり斬り掛かるなんて、人の心がないのではなくて?」

「ノーブル殿下を籠絡したやり口からして、淫魔の類いと見ていたが、随分と硬いな……」


 ロゼットが一層の力を入れると同時にディクシアが腕を跳ね上げれば、ギィンと硬い音を立ててロゼットはその剣ごと弾かれていた。ゆっくりと体勢を直しながら、ディクシアが笑う。


「中々鋭いですわね。確かに私は人間からはサキュバスと呼ばれた力の弱い淫魔でしたわ。けれど、魔王様が私を見初めて下さった。私に力を与えてくれたんですの」


 そう口にするディクシアの体を、黒い霧が覆い始めた。


「──ち。やらせるか!」


 何かをするつもりだと判断して、即座に踏み込むと霧に向かって剣を振るうロゼット。しかし。


がきんっ


「残念でしたわねぇ」


 次の一撃もまた、霧の中で受け止められていた。そこまでであれば先程と同様なのだが。


「──な」


 ロゼットが驚愕の声を上げる。彼の振るった剣は、片手に掴まれていた。そして、霧の中のシルエットは、ムクムクとその大きさを増していく。


「どうしたんですの?」


 次の瞬間、そこには身長二メートルを越えるであろう巨躯となったディクシアの姿があった。赤い髪の左右、耳の上には大きな角が生え、その口には鋭い牙が覗いている。

 これこそが、魔族ディクシアの真の姿(演:リューカ)であった。


「ぐ……、面妖な!」


 その体に蹴りを放って無理矢理距離を取るロゼット。どよめきながら成り行きを見守っていた周囲の貴族たちも、魔族の本性を現したディクシアを目の当たりにしてようやく自分たちの危機を理解したらしい。


「ぅ、うわあぁぁぁ!!」

「魔王軍だあぁぁぁ!!」


 と、一目散に逃げ始めていた。


「アリスティア!ここから離れるぞ!」


 階段の下で成り行きを見守っていたアリスティアにも、ジョーダンからの声が掛かった。「で、でも……」と胸を押さえるアリスティア。


「ロゼットが戦っているのに、私が逃げる訳には──」

「馬鹿!お前がいてはロゼット殿下が全力を出せんのが分からんのか!」

「っ!」


 確かに現状のアリスティアには戦う力はなく、彼女が狙われたなら、それをロゼットが守って危機に陥るようなことがあるかもしれない。父の言葉によって即座にそれを飲み込んだアリスティアは、その場を離れながらロゼットへと声を送った。


「ロゼット! 頑張って!」

「──おう!」


 その言葉を受けて、ロゼットの瞳に炎が滾る。ディクシアへ剣を構え直すと、彼は床を蹴って飛び上がった。


「はあぁぁッッ!!」


 そうして二度、三度と剣を振るうも、それらは悉くディクシアの腕に弾かれてしまう。


「鈍い! これしきでは魔王軍幹部である私には及ばなくてよ!」

「く……」


 アリスティアのような素人から見れば、ロゼットの動きも十分人間離れしたものではあるのだが、魔王から力を与えられたと言うだけあって、ディクシアのそれはロゼットを上回っていたのだ。


「あっはははは! これなら最初から力に訴えても良かったかもしれませんわね!」


 己を上回る手数の攻撃を繰り出され、攻戦していた筈のロゼットはいつしか防戦へと追い込まれていた。


「遅い遅い遅い!」

「く、ぐぅッ!」


 殆どの攻撃は防ぐも、捌き切れない爪が肌を薙ぐと、鮮血が噴き上がる。

 実際、ロゼットは魔族と戦闘するには準備不足の状態であった。

 パーティー会場に潜入する目的であった為に普段の甲冑は身に付けられず、薄い革鎧を服の下に纏うのみである。

 更には頼れる部下たちも別件で動いており、ロゼットの援護は期待出来ない。

 それ故、王城に魔族が潜伏している証拠さえ掴んだら一度撤退する腹積もりだったのだ。まさかあれよという間に戦闘の流れになろうとは、ロゼットも驚きである。


(潜伏して周囲の籠絡を企てるような奴なら、こんな大勢いる会場では行動は起こさないと踏んだんだが、……考えなしか? あの女。……まずいな。隙がねえ……)


「はっ! 大口を叩いておいてこの程度とは情けない。 トドメを刺してあげますわ!!」

「っ!」


 振り上げた腕による鋭い右の一撃を浴びて、ロゼットは大きくバランスを崩した。そして体勢を立て直す隙さえ与えずに、直ぐ様左腕による第二撃が迫ってくる。


(しま──)


「さあ! これで終わ──あいたっ!?」


 今正にトドメの一撃を振るわんとしていたディクシアであったが、その後頭部に重いものがぶつかって思わず声を上げていた。

 ごとっと床に転がったそれは、踵の折れた青いヒールである。


「────」


 信じられないものを見るような形相で振り返ると、そこには慌てたアリスティアの姿があった。


「あ、す、すみません! 直接当てるつもりはなかったんです! 近くに当てて気を逸らせればいいかな、なんて思っていたんですけれど! ど、どうも昔から狙った場所にモノを投げれた試しがなくて……」


 アリスティアとしては真面目に謝っているのであろうことが、尚更ディクシアの怒りを煽った。


「こ、こ、この……! 何度も何度もこの女ッ!!」


 怒りに任せて標的を変えようとして、ディクシアはロゼットと戦闘中である事実を思い出して振り返った。

 それは、時間にすれば一秒程度でしかない僅かなもの。しかし、ロゼット相手には致命的な隙であった。


「かっ────」


 振り返ったその瞬間、その脇をロゼットが駆け抜けた。目を見張るディクシア。次いで何かを口にしようとする彼女であったが、その瞬間、その首から血飛沫のように黒い霧が噴き上がっていた。


「ぎゃあぁぁぁぁぁぁッ!?」


 ロゼットはそんなディクシアを振り返ることなく、アリスティアの元へと駆け寄った。


「アリスティア! 何でここに!?」

「ごめんなさい。その、ロゼットにはいつも守られてばかりだから、私も何か出来たらと思って……。それで、遠距離からなら迷惑は掛けないかな。と……」


 もじもじとそう口にするアリスティアには、怪我はない。ロゼットはホッと安堵の息を吐き出すと、アリスティアを抱き締めた。


「ひゃっ!? ロ、 ロゼット……?」

「ありがとな。アリス。いつだって、君に救われてるのは俺の方だ」

「──私の方こそ。貴方がいてくれて、どれだけ心強かったか……」


 アリスティアがそう口にして微笑みを浮かべたその時、遠くで黒い影がゆらりと動くのが見えた。


「ロゼット! 後ろ!」

「!」


 その声にロゼットが振り返ると、そこにはゆらり、と身を起こすディクシアの姿があった。


「こ……、この程度でっ、私が、やられるとでも──、が、ぁ……?」


 青息吐息に言葉を紡ぐディクシアであったが、その言葉が終わるよりも早く、その全身から黒い影が噴き出した。


「ぎゃ、がぁ、な、なんですの、ごれっ、ガギャ、ガガガ、ギャガァァァァァッッ」

「なんだ……?」


 咄嗟にアリスティアを庇うように立つロゼットの前で、霧に包まれたディクシアの姿が、ぶくぶくと膨れ上がるように肥大化していく。そうして数秒の後、月明かりに照らされたその姿は、人間とは駆け離れたものとなっていた。


「ゴギャアァァァァァッッ!!!」

「な──、竜、ドラゴン、だと……?」


 そう。ロゼットの言葉通り、そこに現れたのは一匹の巨大なドラゴンであった。


「ギャオォォォォォ!!」

「ぁ、あぁぁ……」


 流石の胆力であっても、ドラゴンの前では通用しない。狂った様に叫ぶ竜を前にして怯えるアリスティアを、ロゼットが優しく抱き寄せた。


「大丈夫。あれは見かけ倒しだ。恐れることはねえよ」

「そ、そう、なの……? でも……」


「ゴガアァァァァッッ!!!」


 口から火を吹き暴れるドラゴンは、子供が見た悪夢のように分かりやすく、如何にも恐ろしく見える。しかしよく見れば確かに、暴れているというより、その動きはもがいているそれに近かった。

 どうやらその巨体にはセタンタ城のホールをもってしても狭く、自由な身動きが取れていないようなのだ。


「どうやらあちらさんにとってもこの変身は本意じゃないらしいな……。じゃあ、やるか」


 ロゼットはそう口にすると、アリスティアの頭をぽんぽんと撫で、そして騒ぎで砕けた床の破片を拾うと、竜の前へ向けて歩き出した。


「ロゼット……!」

「安心しろって。すぐ終わる」


 先程のディクシアよりも遥かに恐ろしい存在を前にして、ロゼットは随分と冷静だった。いや、彼からしてみれば、ディクシアのこれは弱体化にも等しい。ロゼットは、理性を失ったこの相手に負ける道理を微塵も感じていなかった。


「瀕死になったらその姿になるよう仕込まれてたってか。魔王様に力を貰ったなんてはしゃいでたけど、結局あんたは使い捨ての駒でしかなかったんだな」


 眼前に立つロゼットを敵と定め、ドラゴンが首を伸ばす。その口に炎がちらつくのを確認して、ロゼットは構えた。


「おら、受け取れ──よッッ!!」


 そしてその言葉と共に、ロゼットは渾身の力で手にした破片を天井近くまで投げ上げたのである。


「ガアァァァァッ!」


 勢いよく通過した物体を確認すべくドラゴンはその首をもたげ、────そしてその胸に剣を突き立てられていた。


「悪いな。これで眠ってくれ」

「ギャ、グァ、──グギャアァァァァァァッッ!!!」


その一撃で、決着はついていた。断末魔の叫びと共に、引き抜かれた傷から黒い霧が噴射される。


「アガ……ガァァ……」


 元のディクシアならば、こんな簡単な騙し討ちを受けたりはしなかっただろう。ドラゴンはその場に崩れ落ちると、全身から霧を噴き上げ、そしてその存在を消滅させていった。

 後には静寂だけが残されている。


「ロゼット!」


 戦いが終わったことを理解して駆け寄ろうとするアリスティアであったが、その場に聞こえた第三者の声に、その足を止めていた。


「ぉ、お、終わった、のか……? 助かったのか?」


 柱の影からよろよろと這い出てきたのはノーブルであった。姿が見えないと思ったら、いつの間にか隠れていたらしい。

 アリスティアはロゼットと顔を見合わせると、ふふ、と小さく笑った。


「ええ。終わりましたよ、ノーブル殿下」

「良かった……。あ、こ、腰が……」


 心底怯えていたのだろう。安堵のあまりに腰を抜かすノーブルを尻目に、ロゼットは自身の剣を高く掲げ、勢いよく口を開いた。


「皆、安ずるな!! 卑劣な魔族は、このロゼット・デ・オスロー・ベアトルファが討ち取った!! 魔王軍の企みはこの俺が砕いた!! この城はもう安全である!!」


 それは、紛う事なき勝鬨であった。遠巻きに様子を伺っていた者も、逃げていた者も、その声を受けて盛大に沸き立った。


「我々は救われたのか……!」

「なんという武勇か!」

「見ただろう? あの巨大な竜を一撃で仕留めて見せた!」

「うおおぉぉぉぉぉ!!!!」

「ロゼット王子万歳!!」

「万歳!!」


 ロゼットを称える歓声は、暫く止むことはなかったという。

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