ブゼル『薄幸令嬢と豪運王子 その7』
「婚約……破棄……?」
「なんだ? どういうことだ?」
「今確かにそうおっしゃっていたわ」
「まさかこんなめでたい席で……?」
周囲の観客たちもざわめきを隠せない。それはそうだろう。グリンバーナ王室の記念式典当日にこんなことが起きるなど、いったい誰が思うだろうか。
それはアリスティア当人も同様で、開いた口が塞がらないといった様子の彼女だったが、口をぱくぱくとさせた後でようやく言葉を絞り出していた。
「……理由を、お聞かせ頂けますか殿下」
「理由は明白だ!」
アリスティアの言葉に間髪入れず切り返すと、ノーブルは眼下の婚約者に向けて追撃を仕掛ける。
「ここにいるディクシアから聞いたぞ。貴様、彼女に嫌がらせを働いていたらしいな」
「嫌がら、せ……?」
「とぼけるな! この耳で聞いたのだ! ディクシアのドレスを引き裂いたり、階段から突き落としたり、食事に毒を混ぜたり唾を吐き掛けたり隙あらば鞭で叩き回したとな!」
「…………」
いや、我ながらちょっと盛りすぎたな……。これが事実ならヤバイ奴すぎるだろ。……というかこれを聞いて嫌がらせで済ませるノーブルもヤバイ奴になっちゃってるな。次回公演までに直さないと。
「証拠は、証拠はあるのですか? 伝聞が根拠と言うのならば、この場でハッキリと口に致します。誓って私は、今殿下が口にされたどれもやっておりません」
感情的にならぬよう、つとめて冷静にアリスティアはそう口にした。対照的に感情が乗りに乗ってしまっているノーブルは、椅子の手すりを――だんっ! と強く叩くと思わずその場に立ち上がっていた。
「この俺を謀った貴様のような女の言葉を信じると思ったか!? よくもそんな口が利けたものだな! こうなれば──」
「殿下。ノーブル殿下。待って頂きたい」
と、そこに横合いから口を挟む第三者が現れた。アリスティアもよく知るその声の主は。
「お父様!」
彼女の父親であるジョーダン・ミスティであった。アリスティアを庇うようにその眼前に歩み出ると、ノーブルへと進言するジョーダン。
「殿下。我が娘に至らぬ点があり、御身に迷惑を掛けたというのならば娘に代わって謝罪致します」
「ジョーダン伯爵。俺が言いたいことはだな」
「しかしながら」
ノーブルの言葉を最後まで言わせずに遮ると、ジョーダンは再度口を開いた。
「娘は、貴方が先程仰られたような悪事を働く人間では断じてない。侮辱も大概にしてもらおうか」
その表情には、ハッキリとした拒絶が形を伴って表れていた。面食らうノーブル。
「な……あ……?」
「どうぞ他ならぬ貴方の口から告げて頂きたい。先程の侮辱は下らない冗談であったと。よもや一国の王になろうという男が、あのような妄言で婚約者を貶めようとした訳ではありますまい?」
鋭い視線に射抜かれて、さしもの強気なノーブルも気圧されていた。「貴様……!」と睨み付けるしか出来ないノーブルに、ジョーダンが続ける。
「しかしまあ、婚約を破棄されるというのなら都合が宜しいですな。どうぞ娘は返して頂きたい」
「お父様! やめて下さい。私なら大丈夫ですから!」
この場で父が不興を買ってしまえば、フィックス領そのものに害が及ぶかもしれない。取り成そうとするアリスティアであったが、ジョーダンは娘のその意図をも汲んだ上で、「いいんだ」と口にした。
「アリスティア。すまない。お前はずっとこんな環境で苦しんで来たのだな……。お前が領地の為に犠牲になることはない。そもそも私が、娘をあれほどに侮辱されて耐え切れんのだ……!」
「ぐ、ぬ……」
強い言葉を受けて、ノーブルは完全に押し負けてしまっていた。もし彼の背に椅子がなければ、数歩後退さっていたことだろう。彼が助けを求めるように隣のディクシアへと目を向けると、ディクシアは正面を向いたままの姿勢で。
「言い負かされるとか、なっさけな……」
小声で、鼻で笑うようにそう口にしていた。思わずその場で唇を噛み締めるノーブル。そして次の瞬間には全身が総毛立ち、火がついたかのようにその怒りを噴出させていた。
「おのれ! これはセタンタ王室そのものに対する侮辱だ! 絶対に許さん! 衛兵! 今すぐこの二人を──」
「おっと。早まるのはちょいと待って貰おうか」
兵士を呼び、自身に異を唱えたアリスティアとジョーダンの二人を逮捕させようとするノーブル。そのままであれば、彼の思惑通りに事が運んでいただろう。しかしそこに響いたものは、ノーブルも全く意図せぬ更に別の誰かの声であった。
「厳かな会場で、穏やかじゃないな。全く」
「誰だ!?」
驚きと同時に、皆の視線が一ヶ所へと集められていく。
「おっと、 驚かせちまったか?」
そう口にするのは、一人の青年であった。
すらりとした長身に切り立った茶色の髪。身なりも大変に良く、白を基調に金色の装飾が輝くその衣装は、この場の誰よりも高貴さを感じさせる。
しかし何よりも特筆すべきなのはその整った顔立ちであろう。すらりと通った目鼻立ちにくっきりとした二重瞼。そして明るい青色の、僅かな蝋燭の灯りに照らされてきらきらと煌めく、宝石のようなその瞳。
「あ、あれは誰だ? 誰かの知り合いか……?」
「いや、知らない顔だが……」
「まあ、なんと麗しいのかしら……」
謎の青年の登場に周囲もざわめいている。それは彼が見慣れぬ人間だから、というだけではなく。
女性たちは皆、その美しさを目の当たりにしてため息を漏らしていたのである。
「────」
アリスティアもまた、青年を前に息を飲んでいた。しかしそれは、単に彼が美しいから、というだけではない。
(どこかで……、会ったような……)
初めて出会う筈の青年の顔に、その声に、どこか懐かしさを覚えていたのだ。
「無礼な……!」
衆目を集める謎の青年に苛立ちを覚えているのか、ノーブルはぎりりと歯噛みしてその姿を見下ろしていた。そうして青年へと指を突き付けると、ノーブルはより一層声を張り上げた。
「 貴様! 何者だ! 名を名乗れ!」
「名乗る前に一つ、いいか?」
「なに!? そんなことを許すと──」
激昂しながら隣をちらりと見て──呆れたような目を向けるディクシアに気付いて──ノーブルは小さく咳払いすると椅子へ腰を落とした。
「……なんだ。言ってみろ」
「恐悦至極。それじゃあ聞かせてもらうが、ノーブル殿下。あんたはさっき、そちらのアリスティア嬢との婚約を破棄すると口にした。しかし王族の婚約破棄には、両家の合意に加えて正式な書類が必要だったと記憶しているが、そこのところはどうなんだ?」
青年の言う通り、ルード大陸において王族の婚約、及びその破棄には書面での取り交わしが必要不可欠である。しかし問われたノーブルはふんっ、と鼻を鳴らすと勝ち誇ったように腕を組み、背もたれに寄り掛かった。
「ふん。そんなことか。ならば必要はあるまい? この俺がセタンタ王室の要なのだ。俺が決定を下せば、それは国の決定なのだ。堅苦しい書類など」
何という傲慢発言か。ここまで堂々と、俺がルールだと言える自信の強さは一種の才能かもしれない。そしてその答えを聞いて、青年は満足そうに頷いた。
「そうか。そういうことなら問題ないな。我が名はロゼット。ロゼット・デ・オスロー・ベアトルファだ。どうぞ宜しく」
ざわり、と、周囲が一層ざわめく。その口から名前を聞いたその瞬間、アリスティアの心臓はどくんっ、と跳ね上がっていた。そうだ。ロゼット。顔はともかく、その声は数日前に聞いた彼のそれに相違なかった。けれど、その名前は。
「アリスティア嬢」
そんな彼女の驚きをよそに、素顔のロゼットはアリスティアの前へと歩み出ると、片膝をついてその手を取った。
「よろしければ俺と、一曲踊って頂けますか?」
「────」
その真っ直ぐな瞳に捉えられ、言葉を失って息を飲むアリスティア。彼女が口を開くよりも先に、声を出したのはノーブルであった。
「何処の馬の骨とも知れん奴が! 人の婚──」
「婚約者じゃあ、ないんだろ?」
スッと立ち上がりながら、ノーブルの言葉を遮るようにロゼットはそう口にした。確かに先程、書類など必要ないと断言したのはノーブル自身である。
ぐぬぬ……。と呻くノーブルに、横合いから口を挟んだのはディクシアであった。
「馬の骨、ではありませんわ。かの名前は、ベアトルファ王国の第一王子のもの。……あちら様、隣国の王太子でしてよノーブル様」
「な────」
呆れたような声を受けて、ノーブルは今度こそ返す言葉を失っていた。
ロゼットがここまですんなりと入って来れたのもそれが理由だろう。隣国の王太子にその証を見せられて、それを押し止められる兵士などいる筈もない。
ノーブルの様子を見つめてふっと息を吐き出すと、ロゼットは改めてアリスティアへと目を向ける。
「──どうだい?」
ロゼットがここに現れたこと。彼の容姿。そしてその素性。どれを取っても驚くことばかり。しかし今のアリスティアにとっては、彼のその言葉は救いだった。
ロゼットが向けてくれるいつもと変わらぬ空気感が、優しさが、追い詰められていたその心を包み込んでくれる。張りつめていた緊張の糸が緩んだのだろう。気付けばアリスティアの双眸から、一筋の涙が流れていた。
「アリス?」
「ううん、違うの。嬉しくて……」
それは拒絶ではなく、安堵の涙。アリスティアは握った手でそれを拭うと、ロゼットへと晴れやかに微笑いかけた。
「ええ。喜んで」
「成立だな。──聞いたか、楽団連中。最高の一曲を頼む」
ロゼットの言葉を受けて、待機していた王宮お抱えの楽団面々は慌てて楽器の準備を始める。そして十数秒の間を置いて、いよいよ演奏が始まった。
ワン・ツー・スリー。
ワン・ツー・スリー。
腰を抱くロゼットがリードすれば、アリスティアのドレスがふわりと広がり、その場に青い大輪の花を咲かせる。ドレスに刺繍された銀糸が、シャンデリアの光を反射してきらきらと星のように瞬いた。
選曲は円舞曲。手を取り合った二人が何度も回るように踊るその姿は夢のように美しく、見る者を圧倒し、高揚させた。冷え切っていた会場が、徐々に暖められていく。
──レオン、本当に頑張ってくれたんだな。
その腕に抱かれ、そして彼を抱いて、俺はぼんやりとそう思う。
演技に加えてダンスの練習は、あまりにも無茶だとは分かっていた。そもそもこれは俺の我儘が発端だ。魔王討伐の旅をしている皆を、自身の趣味に付き合わせてしまっている。だからせめてダンスは代役で。と、そう伝えたのだが。
「嫌だ。俺がやる。ロゼットは俺なんだろ。だったら俺がやるべきだ」
レオンの回答はこうだった。責任感が強い故だろうか。無理を強いてしまうことが申し訳なかったが、何度も何度も練習を繰り返し、こうして今、彼は美しいダンスを披露している。本当にレオンは、凄い奴なのだ。
──嬉しいな。
こうして踊っているのは、アリスティアとロゼットだ。けれど彼の顔を見ていると、まるでレオンがエスコートしてくれているような、そんな気持ちになってしまう。衣装も相まって、まるでフィーブのあの夜にダンスに誘われたかのような。
そう考えるだけで、自然と頬が緩んでしまう。
ふわふわして、高揚して。自分でも説明の出来ない、不思議な気分だった。
──ダメ。今はアリスティアなんだから。彼女の気持ちに沿わないと。
アリスティアもまた、躍りながら自然と笑顔を浮かべていた。ダンスが披露出来たこともあるが、それ以上に。ロゼットが彼女の心を拾ってくれたことが嬉しかったのだ。
ワン・ツー・スリー。
ワン・ツー・スリー。
リズムに合わせてターンを繰り返す。ロゼットとのダンスの中でアリスティアは、ある小さな違和感を思い返していた。
(私のこと、アリスって……)
ロゼットは最後、アリスティアのことをアリスと呼んだ。それは単に親しみを込めた略称というだけなのかもしれないが、それがどうしてか引っ掛かる。そんな呼び方をしたもう一人と彼が、どうしてか重なってしまうのだ。
(ううん。どうしてか、じゃなくて。きっと私、ずっと前から思っていたんだわ)
「──ロゼット」
身を寄せながら、アリスティアは目の前の彼へと語り掛ける。小首を傾げるロゼットに、アリスティアはその名を告げた。
「貴方は、ゼロなの……?」
それはあの日彼女に寄り添ってくれた、小さな男の子の名前。
無関係であれば、ただ困惑させるだけの意味不明な質問だろう。しかし聞かずにはいられなかった。
意味が通じなければ、それで構わない。勘違いだったと終わらせるだけの話だ。果たして、ロゼットは。
「バレちまったか」
どこか照れたような、くしゃりとした笑顔を浮かべて、そう口にしたのだ。
その瞬間、まるで心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃を受けて、アリスティアは顔を背けていた。
(そう、なの? やっぱり、貴方が、ゼロなのね?)
鼓動が早鐘のように打ち、その顔は耳まで紅潮する。ああ、そっか。とアリスティアは噛み締めるように自身の中で結論を出していた。
(──そっか。私、同じ人に二度、恋をしたのね)
ドキドキし続ける心をそのままに、アリスティアはロゼットへと顔を向けた。自身の気持ちはそれはそれ。今は目の前の彼に向き合わなければ。
「やっぱり。そんな気がしたの」
はにかみながら、ステップを踏む。何度も繰り返した練習の成果で、他所に意識を向けていても彼女の体は正しい所作を覚えていた。
二人の為の演奏がクライマックスを迎えれば、もうこの時間が終わってしまうのだとアリスティアの胸に小さな影を落とした。
(この時間がずっと続けばいいのに)
──俺もそう思う。けれど、それでも当たり前に時間は過ぎる。
伴奏に突入し、ダンスはラストのステップを残すのみとなった。最後に強く床を蹴れば──、
べぎ。
足元で小さな音と共がした。それが何であるか、足の感触と共に理解する。長い練習に耐えかね、ヒールの踵が折れてしまったのだ。
「っ……!?」
これは、台本にはなかったことだ。本来ならば、足を滑らせるも持ち前の脚力で持ち堪えるシーンだった筈なのに。
脚を降ろしながら、このままでは転ぶという感覚だけがゆっくりと脳内で反芻する。
──転ぶ? 転ぶのかこれ? ここまできて?
どうする、今ならギャグ扱いに出来るか? 笑いのネタに……、
嫌だ。レオンが、こんなに頑張ってくれたのに! 失敗なんて!やだ────、
しかしもう間に合わない。アリスティアの不運がこちらまで飛び火したのか。ぎゅっと目を瞑ろうとしたその時、俺の──アリスティアの体がふわり、と浮いた。
「──ぇっ?」
ロゼットが、優しく包むようにアリスティアの体を抱きかかえたのである。
「大丈夫」
耳元でそう囁かれ、そうしてロゼットはアリスティアを抱いたままその場で回ってみせると、曲が止まるタイミングを待って、腰を落として静止した。
しん。と静まり返った会場は、次の瞬間割れんばかりの拍手喝采に包まれたのであった。




