ブゼル『薄幸令嬢と豪運王子 その6』
アリスティアは奮闘した。決してダンスが出来ない訳ではないにも関わらず、謎の不慮によって二回に一回は転倒し、ダンス講師をもってして「呪われている」と言わしめた彼女であったが、それでもへこたれずにやり抜いたのだ。
そうしてその成果は今、形となってエマの前で発揮されることとなる。
「それじゃあ、いくわね」
講師であるミザリィ(演:ジョセフィー)とペアになり、ダンスを始めるアリスティア。当初から下手ではなかった彼女のそれは、数週間の鍛練によって練り上げられ、より美しいものとなっていた。ほう──と感嘆の声を上げるエマ。
と、
「失礼致します!」
ばん、と勢い良くドアが開かれた。「わわっ!?」と驚き、バランスを崩すアリスティア。
「あっ! アリスティア様──」
「ぬん!」
気合いの掛け声と共に床に思いきり足を突き出すと、アリスティアは力ずくでその場に踏み留まった。思わず目を丸くするエマの前で、ミザリィは目を潤ませて拍手している。
「アリスティア様! 素晴らしい! よくぞ! よくぞ堪えましたね!」
「やった! やったわミザリィ! 貴女のお陰よ!」
いつの間にか、如何に転ばないようにするかが焦点になっていたらしい。これ、途中から着地地点を間違えてしまったのでは? と眉をひそめるエマであったが、それよりも問題は今入ってきたもう一人の方であろう。
「マール。入る前にノックをしなさいと。これで何度目ですか。貴方の勢いに、危うくアリスティア様が転ぶところでしたよ」
「わわ。す、すみません」
言われて慌てた様子で頭を掻いているのは、侍女見習いのマール(演:ルシール)である。三つ編みに纏められた茶髪とそばかすが特徴の娘であり、アリスティアと同時期に王城に来た新米だ。元気だけは溢れているもののまだまだ空回り気味の様子だが。
「私、思い込むとつい突っ走っちゃって……。先日も──」
「早く内容を報告なさい!」
「ひゃい!」
余程口にし難い内容なのか周囲を二度、三度と伺った後で、マールは意を決したように口にした。
「医師たちが話しているのを聞いてしまったのですが、……陛下の容態が悪化して、とても起きれる状態ではないとか」
「ええ!? それじゃあ、今日の夜会は……」
「恐らく陛下は出られないのでは」
「…………!」
呆然とするエマ、腕組みして憮然とするミザリィ、そして目を丸くして口元に手を当てるアリスティア、と三者三様の反応を見せる中で、マールは更に言葉を続ける。
「それからこれは二人のお医者さまが帰り際に口にしていた会話がうっかり聞こえてしまったものなのですが、『薬で改善しないならば、これはもう呪いの類いではないのか』とかなんとか」
「呪い、ですか」
「あ、あくまで雑談ですので……!」
その話を受けて、アリスティアとエマの二人は顔を見合わせていた。もしも呪いが事実ならば、二人が以前話していたようにディクシアの怪しさが更に増したことになる。
しかし、この場の人間が真っ先に抱いた危惧はそれではない。ノーブルのことだ。
いかに奔放な彼と言えど、現国王である父親の前では無茶苦茶は出来ないだろう。そう考えていたアリスティアたちにとって、国王の不在は特大の不安要素に他ならない。
緊張した空気が流れる中で、声を上げたのはアリスティアであった。
「不安がっていても仕方がないわ。夜に備えて、私たちは私たちの出来ることをしましょう?」
「──そうですね。分かりました。それでは私は、今晩のドレスを用意致します。マール、来て頂戴」
「あっ、はい」
「じゃあ私たちはもうひと練習しましょうか。アリスティア様」
アリスティアの言葉を受けて、エマとミザリィの二人もきびきびと動き始めた。不安はあれど、今それを気にしたところで出来ることは変わらない。アリスティアはダンスの完成度を高めながら、来るべき時を待つのであった。
◆◆◆◆◆
「時間になったら殿下がいらっしゃいますので、それまで部屋でお待ちください」
エマの声に「ええ」と返しつつ、アリスティアは不安そうな様子で口を開いた。
「私、変じゃないかしら。……いえその、ドレスが悪いと言いたいのではなく、中身が釣り合っていないというか……。ドレスは最高なのよ?」
「なんですかそれは」
クス、と笑いを含ませつつ、エマは改めてアリスティアへと目を向けた。
彼女の美しい金髪が映えるようにとエマが選んだ青いドレスは、フリルが意匠としてあしらわれた──確かにそれ単体で見ても美しいデザインのものだ。しかしそれはあくまでも中身のアリスティアを引き立たせるためのもの。この自信のない未来の奥さまに言ってやらねば、と、エマは優しく口を開く。
「とんでもない。素敵ですよ。アリスティア様」
「そう? ──なら、良かった」
そう言いつつも、その口振りはどこか不安が抜けていない様子であった。無理もない。相手はあのノーブルなのだ。
主人の緊張を和らげようと、エマは敢えて微笑んでみせる。
「アリスティア様は、このエマが信じられませんか?」
アリスティアは、ちょうど少女から大人の女性になってゆく年頃だ。ノーブルはまだ気付いていないようだが、数々の貴婦人を美しく装わせてきたエマにはわかる。アリスティアは――遠くない未来、誰もが振り返るような美人になるだろう。
海のように深い蒼のロングドレスは、清楚なアリスティアを引き立てて気品ある淑女に見せていた。ベルスリーブのふんわりと広がる袖の先では白い長手袋が上品に肌を隠し、スクエアネックから覗く白く華奢なデコルテを際立たせている。アップに結い上げた金の髪は真珠と小さな生花で飾り、ほっそりとした首すじに漂う清楚な色気はわかる者には堪らない筈だ。
うっすらと化粧をほどこしたアリスティアは、匂い立つ薔薇のように美しく可憐だった。
「そんな顔はアリスティア様には似合いません」
「エマ⋯⋯」
背に流れるリボンは透けるオーガンジーで幻想的にしつつ、踊りやすい長さ。そして、プリンセスラインのロングドレスは形はシンプルながら、動くと星空のように煌めく刺繍が銀糸で施されている。そう――ダンスをした時にアリスティアが一番輝くように仕立て上げたのだ。
丹精を込めて仕上げた芸術品のような少女に、エマは満足げに頷いた。
内面から滲み出る美しさは、誰もアリスティアには敵わない。明るく聡明で愛らしく、どんな理不尽にもへこたれず。懸命に努力する姿に――誰もがアリスティアを好きになってしまうのだから。
「知っていますか?――ドレスで一番大事なのは、中身なんです」
「でも、見た目ではあの人に敵わないかも」
アリスティアの弱音に、エマは優雅に微笑んだ。
「違いますよ。素敵な淑女が着ないと、どんな美しいドレスもただの布切れです」
内緒ですよ、と言うようにエマが耳元に口を寄せて囁く。
「それはそれは豪華な、贅を尽くしたドレスを着てくるでしょうが⋯⋯ディクシア様が着た時点でドレスは台無しです」
あまりのエマの言い草に、思わずアリスティアは吹き出した。生き生きとした翠の瞳を細めて、堪え切れずにアリスティアが笑う。
「も、もうエマったら⋯⋯!」
「元気が出ましたか?」
エマは澄ました顔で、何事も無かったように優雅に一礼した。
「さあ、胸を張って下さい。アリスティア様は、私たちの最高の主人なのですから」
そうして、エメラルドの原石のような少女に忠実な侍女頭は微笑んで見せた。
◆◆◆◆◆
「もう集まり出しているのね。お父様も来ているのかしら」
外が騒がしくなってきたのを感じて、話を変えるようにアリスティアは窓辺へ視線を移した。十人、二十人、三十人……。貴族とその付き人であろう人間たちが数多く集まっている光景を眺めると、グリンバーナ王国にもまだこれだけの貴族たちがいたのだなと驚きを隠せない。
(……これだけいて、本当に伯爵家より上の令嬢はいなかったのかしら……)
そんなことをぼんやりと考えつつ、アリスティアはその時が来るのを待っていた。やがてエマが部屋を出ていき、一人でそわそわと落ち着かない時間を過ごしていたのだが。
(いい加減長くない?)
待てど暮らせど、一向に殿下が来る気配がない。皆城内に入ったのか、窓の外に見える人間が殆どいなくなって尚、アリスティアはぽつんと部屋に待機させられていた。ややあって遠くから足音が聞こえてくると、彼女はひどく安堵して嘆息した。しかし。
「アリスティア様、大変です!」
部屋の外から聞こえてきた声は、彼女の予想とまるで違うものだった。焦ったようなエマの声に驚いて外に出ると、果たしてそこには深刻そうな表情の侍女頭の姿があった。
「ノーブル様が……、と、とにかく来てください!」
「え、ええ……。分かったわ」
口にするや否や、説明も惜しいとばかりに早足で進んでいくエマ。やっとのことでアリスティアがついていくと、到着したのは王宮広間であった。
本日の夜会の会場でもあるそこには、既に大勢の人間が集まっていた。過去、父であるジョーダンに連れられて参加した社交界で見知った顔もいる。今回は記念式典ということもあって、フィーブやラスティアからも招待されているらしい。人数が人数だけあってか、まだ開始前だというのにそこには歓声が響いていた。
「どうしたのエマ、ここは会場よ? まだ殿下の準備が──」
足を止めたエマに声を掛けようとして、アリスティアはその場に固まった。見開かれたその目は、ある一点へと向けられている。
「殿、下……?」
一際大きな歓声が向かう先、そこにノーブルの姿があった。アリスティアが事前に聞いた段取りでは、ノーブルは婚約者であるアリスティアを連れ立って会場入りするという話だった筈だ。この時点で話が違っているが、それそのものはそこまでおかしな話ではない。何しろ、国王が急遽参加の辞退を余儀なくされたのである。王が務める筈であった来賓挨拶をノーブルが代役として行うことになるのは自然な流れだからだ。そしてバタバタしていた故に婚約者への通達が遅れてしまった。これも有り得ない話ではない。
そう。つまり問題はそこではないのだ。
ノーブルが一人だったなら、そこまでの問題ではなかったのだ。──そう。彼は一人ではなかった。彼の傍らには、仲睦まじく寄り添う、ディクシアの姿があったのだ。
ノーブルに手を引かれて二人は階段を上ると、主賓席の前で一礼する。
ディクシアはドレスの裾を摘まんで持ち上げると、その場でくるりと回って見せた。
「おお……」
その姿を見て、どこからか感嘆の声が漏れていた。その女が、あまりにも美しかったからだ。
青緑に金色の装飾がこれでもかと散りばめられたナイトドレスは、一目見て華やかで美しいと分かる代物であった。大胆なノースリーブのドレスは艶めかしくスリットが入っており、歩く度に白くなめらかな太ももがちらりと覗く。首元に輝くのは繊細な金細工に嵌め込まれた、見事な大きさのターコイズのネックレスだ。
恐らく殿下が特注で作らせたのだろう。それを許されず、城にあった既存のドレスを着ているアリスティアと並べば、優劣の差は一目瞭然だ。アリスティア自身は今着ているドレスに不満など微塵もないのだが、見比べてアリスティアが正当な婚約者だと判断する者は一人もいないだろう。
「────」
流石のアリスティアも、これには閉口して立ち尽くす他なかった。周囲の歓声は、ノーブルとディクシア二人に向けられたものだ。それはそうだろう。何しろディクシアは、誰の目をも惹く美人なのだ。それが殿下の隣に寄り添っていたなら、誰がどう見ても彼女は王太子の婚約者だ。
この二人こそが本日の主役であることは間違いない。そう断言出来る光景が、アリスティアの目の前に広がっていたのである。
何がダンスバトルだ。と、彼女は自身の愚かさを笑った。そもそもがアリスティアは、戦いの舞台に立つ資格さえ与えられていなかったのだ。
(……そうだわ、お父様は!?)
観衆へと目を凝らすと、そこに困惑している父の姿があった。それはそうだろう。王太子と婚約したのは自身の娘である筈なのに。何が何だか分からないのは当然だ。アリスティア自身、どうすれば良いのか分からないというのに。事情を知らない父ともなればその混乱は計り知れないものだろう。
どう動いたら良いのか手をこまねいて立ち尽くしているアリスティアであったが、その時ふと、ノーブルと目が合った。彼は壇上から目を逸らすことなく、真っ直ぐにアリスティアを見つめている。
(──えっ?)
こうなってしまったら己は徹底的に無視されるものと思っていただけに、アリスティアは驚いて眉をひそめた。いったいこの状況で、ノーブルはどんなアクションを起こすというのか──。
「アリスティア・ミスティ!」
急な大声に、貴族たちも歓声を止めてしん、と静まり返った。
声の主はノーブルだ。彼の視線がアリスティアへと向けられている為に、周囲の目線も否応なしにアリスティアへと集中していく。
(うわぁぁ……。やめてほしいなぁ……)
そんなアリスティアの気持ちなど一切考慮することなく、ノーブルは更に声を張り上げる。
「そこのお前だアリスティア! こそこそと隠れよう等と卑しい真似はせんことだな!」
「っ!」
最早ダンスなどどうでも良いので、何とか穏便に済ませようと考えていたアリスティアであったが、流石にここまで言われてしまっては無理な話だろう。
「隠れてなどおりません! で、殿下、これは何の真似で──」
「ここに来い、そう言ったぞアリスティア・ミスティ」
「~~~~」
聞く耳持たずとは正にこのこと。しかし皆の面前で呼ばれてしまった以上、行く以外にアリスティアに取れる術はないだろう。
「アリスティア……?」
「アリスティアって、確かノーブル王子の婚約者の名じゃあ?」
「ではあの隣にいる女性は……?」
「何かしら。穏やかじゃありませんわねぇ」
アリスティアの顔は知らずともその名は広まっていたらしく、周囲がざわざわとざわめき始めた。おずおずと眼前に進み出たアリスティアを見下ろして睨み付けると、そしてノーブルはその言葉を口にした。
「アリスティア・ミスティ。お前は自分がどうしてここに呼ばれたのか分かっているのか?」
氷の様に冷たい声に貫かれ、アリスティアは弱々しく顔を上げた。この場に一秒も居たくないという意思と焦燥が相まって、その体は石のように重い。
「分かりません」
アリスティアは乾いた口をやっとのことで開けると、一言だけ口にした。実際問題、彼女には分からなかったのだ。それはそうだろう。この場面で自身が呼びつけられる理由など思い当たる訳がない。そんなアリスティアに、ノーブルはゆっくりと口を開くと、遂にその言葉を口にした。
「ならば今一度ハッキリと言ってやる。アリスティア・ミスティ。私はお前との婚約を破棄する!」
それは、断罪にも似た宣告。確かに、ハッキリと。ノーブルは静かな怒りを滲ませてそう言い放っていた。




