ブゼル『薄幸令嬢と豪運王子 その5』
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そこからのひと月はアリスティアにとって実に平和な時間が流れたと言えるだろう。エマが用意したセタンタの宿で過ごした日々は、実に有意義で楽しい時間だった。
彼女が作物を育てながらたまに町に出て交流を深めていく話は、それだけで一話分の文量に匹敵する濃厚さであったが、演劇でそのパートを子細にやると尺が足りなくなってしまうので残念ながら割愛する。
そうして期限である満月を迎えた翌日、アリスティアは王城の入り口に立って大きく深呼吸していた。
ひと月も離れていたのだ。当然ながら戻るのに相応の緊張はある。
(──ダメ。臆してはダメよ私……!)
しかし、この件に関してアリスティアの不手際は一切ないのだ。ならば変に気負わず堂々としているべきだろう。
そう考えて、逸る気持ちを抑えてアリスティアはその一歩を踏み出した。
「アリスティア様!」
兵士に連れられた先で一番に彼女を出迎えたのは、侍女頭であるエマであった。
「エマ!」
「よくぞ、よくぞ戻って下さいました……!」
「そんな大袈裟な」
「いえ……」
聞けば、ノーブルがあの調子で追い出した人間で、こうして律儀に期日を守って戻って来たのはアリスティアが初とのことであった。まあ今回の彼の一件も、アリスティアにしてみれば殆ど侮辱に近い内容であったことを考えれば、そのまま姿を眩ませていた可能性も十二分にあったということだろう。
感激しているエマを宥めつつ、アリスティアは応接の間へと通された。エマがノーブルに話を通して、謁見の準備が整うまでそこで待っていて欲しいとのこと。
(殿下、まさか自分で言った期日を忘れてたりしないでしょうね……?)
到着と同時に話があるものと思っていたアリスティアであったが、一時間待たされればこんな疑問も浮かぼうというもの。結局アリスティアが呼び出されたのは、それから更に四十分が過ぎた後のことであった。
初日に彼女が通されたのと同じ謁見の間にて、ノーブルは相変わらず──いや、より一層の冷ややかな眼差しをアリスティアへと向けていた。
「なんだお前? 逃げ出してひと月も役目をサボっておきながら、今更何の用だ?」
相変わらずとんでもない物言いである。日にちを忘れていたどころか、自分が言った内容すら忘れてしまっているらしい。アリスティアにとっては侮辱の上塗りでしかない愚かさではあるが、しかしアリスティアはそれに突っ込もうとはしなかった。
「あの、殿下……?」
それよりも優先して聞いておかなければならないことがあったからだ。
目を細めてアリスティアが問う。しかしその目が向けられているのはノーブルではなく、その隣。
「そちらの女性は、どなたでしょう……?」
王太子が座るその隣、設けられた三つ目の椅子に見知らぬ若い女が座っていた。
血のように紅い髪はほっそりとした腰の辺りで艷やかに揺れ、長い睫毛に縁どられた瞳は黄金に輝いている。彫刻のように整った綺麗な顔立ちに、白くなめらかで柔らかそうな肌。
誰しもが一目見て、美少女であると印象付けるであろう程にはその容姿は美しかった。
「貴様に言う必要があるのか?」
相も変わらず冷たい瞳を向けたまま、退屈そうに鼻を鳴らしてノーブルはそう口にする。いや、謎の女なんて婚約者にこそ説明しなきゃダメだろ。台詞書いたの俺だけども。
「で、ですが……」
「くどい! これ以上話すことなど──」
言葉をピシャリと遮って会話を切ろうとするノーブルであったが、その声は同じく途中で止められていた。
「あら殿下、紹介して下さらないんですの? まあ悲しい」
ノーブルの隣にいる謎の女が、クスクスと笑いながらそう口にしたのである。悲しいと言いながら全然悲しんでなどいなそうな声。いや、抑揚のない声色は、女の感情をまるで読ませないといった方が正しいか。そこにいるのが人の形をした無機物であるかのような印象すら受ける声に、俺はこう思っていた。
台詞棒読み、最後まで直んなかったなー。
まあ、キャラには合ってそうだからいいか。
「お、おお、すまない。そんなつもりじゃなくてだな」
アリスティア相手の高圧的な態度はどこへやら。隣の女の言葉に露骨に慌てた様子を見せると、ノーブルはごほん、とわざとらしい咳払いしてから口を開いた。
「彼女は、ディクシア・ドラグィア(演:スルーズ)。ベアトルファ王国のエイブから来てくれた侯爵令嬢だ。伯爵令嬢ごときが声を掛けていい人間じゃない。分かったならさっさと控えろ」
「──はい」
色々と思うところはあるし、言いたいこともある。しかし今は何を口にしたところで無意味だろう。
アリスティアは一礼すると、玉座を後にした。
背後からは、最早アリスティアなど眼中にないであろう二人の甘い声が聞こえてくる。
「ノーブル様、私、欲しいものがあるのですけれど」
「なんだ?ディクシア。何でも言ってみろ」
「な、何でも? じゃあその、冷えたエールが飲みたいですわ。冷えたエールが」
「え、いや、それは、まぁ……」
おいこら出すな中の奴を。急に感情たっぷりに喋ると思ったらコイツ……。殿下もなんか困っちゃってるだろ。
遠ざかる声にそんなことを考えつつ、アリスティアは小さく息を吐き出すのであった。
◆◆◆◆◆
「で、エマ。どうなっているの?」
「申し訳ありません……!」
エマ自身、このような展開になるとは思っていなかったのだろう。青ざめた様子で開口一番謝罪の言葉を口にする彼女に、アリスティアは再び嘆息した。
「エマ。謝らないで。私が聞きたいのは謝罪じゃなくて説明なの。それはまあ、謁見前に一言欲しかったとは思うけど……」
「っ、本当に、申し訳──」
「エマ」
罪悪感で平伏しそうな勢いの侍女頭に、アリスティアは凛とした声を掛ける。口にした通り、今は謝罪の言葉よりも正確な情報が欲しいのだ。
「貴女が悪くないことなんて、最初から分かってるのよ。ねえエマ。私がいない間にいったい何があったの?」
「…………二十日ほど、前のことです」
理路整然としたアリスティアの言葉に圧されて、エマはぽつり、と口を開いた。
「強い雨の夜でした。ディクシアと名乗るあの女性が、たった一人で城を訪ねて来たのです。『ベアトルファ王国から来た』とのことでした」
身なりもボロボロであり、聞けば魔王軍の攻撃で家族を喪い、命からがら逃げてきたのだという。
「後ろ楯も金もなくした故に、町の宿屋にも断られてしまったとのことで、心が落ち着くまで数日匿って欲しいとのことでした」
「そう……。それはお気の毒ね……」
そう口にしつつも、アリスティアは先程のディクシアの元気そうな様子を思い返して首を捻った。
あら? とても家族を亡くして喪に服している人には見えなかったのだけれど。エール要求してたし。
「それにしたって、数日という話だったのよね?」
「そもそもが、事情はどうあれ素性の分からぬ者を王城は受け入れません。王族に何かあれば国の一大事ですから。なので追い返そうと思ったのですが……」
そこまで口にすると、頭に手を当ててエマは嘆息した。
「騒ぎを聞いていらっしゃった殿下が、彼女のことをいたく気に入ってしまいまして……。気の済むまでうちに置くと……」
「ああ……」
何となく想像がついて、アリスティアも息を吐き出した。確かにディクシアの容姿ならば、ノーブルが一目惚れしてもおかしくない。……しかしエマの言う通り素性も確かめずに城内に入れてしまうとは、ディクシアが仕事の早い暗殺者だったら今頃グリンバーナ王国崩壊の危機だったろうに。やはり殿下には一刻も早い教育が必要だ。
「……事情は分かったわ。それで、ディクシア様……彼女はエマから見てどう?」
「どう、と申されますと」
「申し訳ないのだけれど、社交界でも彼女や、ドラグィア家という名前は聞いたことがなくて……。貴女から見たディクシア様の人となりを教えて欲しいのよ」
「そういうことでしたら」
エマは納得した様子で頷くと、ぽつりぽつりと語り始めた。
「彼女は、貴族の基本が出来ていませんね。マナーも所作も目上目下への態度も言葉遣いも、私やアリスティア様が当たり前に行っていることが、あの方はまるでなっていないのです」
「え、ええ?」
「そればかりか、いつもいつも冷えたエール冷えたエールと馬鹿の一つ覚えのように……!物事には限度というものがあることを自覚して頂きたいですね……!」
「エ、エマ?」
それ違う人への愚痴混ざってない? ……い、いや、これは先程のエールのアドリブに重ねたアドリブ! やはりウィズ姉は凄い……!
この舞台に助演女優賞が存在したならば、それは間違いなく彼女にこそ与えられるべきだろう。……いや、そもそもがウィズの功績を思えば、この舞台のMVPは間違いなく彼女だろう。
実のところ、レオンとスルーズの二人は立ち回りや動きはこなせるものの、最後まで台詞を覚えることが出来なかった。まあ練習時間が三日では当然と言えば当然で、完璧に仕上げてきたウィズ姉がおかしいのだが。
そんなレオンとスルーズが、どうして今こうして完璧な演技をこなせているかというと、それは風魔法によって、二人が次に喋る台詞をウィズの声で耳に送り届けていたのである。
とんでもない神業かつ力業に、クローノも大層感心していたが、とにかくこの劇、ウィズの功績が半端ないのだ。
「とにかく、彼女が侯爵家の人間であるというのには疑問があります。……まあ、殿下が気に入ってしまっている以上、詮無きことでしょうけども」
「……そうね」
エマの言葉を受けて、アリスティアはふうっと息を吐き出した。
ノーブルの飽きの早さは筋金入りだ。アリスティアが以前エマに聞いた話では、婚約者が決まる前は気に入った夜伽相手でも三日以上続くことはなかったという。
それが、もう二十日。何とも嫌な予感がしてならない。
「けど今は様子を見るしかないわ。……陛下はなんて? ──先程の席にいらっしゃるものかと思っていたのだけれど」
自身が無断で行方をくらませていた、等と王に誤解されては大変なことになる。その弁明も含めて挨拶したい、と訴えるアリスティアに、しかしエマは俯いた。
「陛下は……、体調が優れない様子で……。 自室にこもられておいでです。二、三人の信頼出来る側近しか、滞室を許されておりません」
「え、ええっ!? いつから?」
「あれは……、十五日程前でしょうか。その数日前から顔色が優れなかったご様子でしたが、いよいよ起き上がれなくなったと……」
「っ!」
状況が変わりすぎている。それはもう、様子見などしている場合ではない。
王が逝去すれば、必然ノーブルにその王位が継承されるのだ。馬鹿王子のままでいれば、国が傾くまでにそう時間は掛からないだろう。
……それにしたって。
「急、すぎるわね……」
「はい……」
恐らく今、アリスティアとエマが考えていることは同じだろう。突然現れて王子を壟落し、城に居座る自称侯爵令嬢。それと同時期に体調を崩した王。深く考えずとも、ディクシア・ドラグィアはその存在が怪しすぎるのだ。
「エマ。私、ディクシア様と話をしようと思うわ」
「アリスティア様! それはあまりにも危険です! 御身に何かありましたら……」
ふふ、と笑みを含ませると、アリスティアは口元に立てた人差し指を近付けた。誰が聞いていないとも限らない。あまり大袈裟なことは言わないように、とのジェスチャーである。
「大丈夫よ。私はこう見えて殿下の正当な婚約者だもの。話をする権利はある筈だわ」
「それは──そう、ですが……」
むしろその理由を問うのにアリスティア以上の適任者はいないだろう。
「私もこの国の人間だもの。出来ることがあるのならしたいのよ」
「──分かり、ました。どうかお気をつけを」
そうして綿密な打ち合わせの下、アリスティアとディクシア。二人でのお茶会が組まれることとなったのである。
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「ディクシア様。本日は私の茶会にお越し頂き、ありがとうございます」
決意から三日後の晴れの日。グリンバーナ城の庭園には二人の令嬢の姿があった。
高く澄み渡った青空の下、咲き誇るのは秋の花々。大輪のダリアが庭園を彩り、淡いピンク色の秋明菊が風に揺れる。グリンバーナ城の奥深く、秋薔薇のかぐわしいアーチをくぐると閑静で緑に囲まれたガゼボがあった。
屋根の下にしつらえられた猫足のテーブルに、飾られた小さな秋薔薇がまた愛らしい。
この場所は、ノーブルの理不尽な言葉に落ち込んだ時アリスティアがよく訪れていた場所だ。ブゼル出身のアリスティアは賑やかなセタンタも嫌いではないが、時々無性に自然が恋しくなる時がある。静かな木々のざわめきに耳を澄ませると、小さなことはどうでも良くなって不思議と前向きになれるのだ。
澄んだ空気を吸い込んで、目の前の令嬢に真っ直ぐに向き合う。
アリスティアは淑やかに微笑んだ。可憐で透きとおるような声が庭園に響く。
「アリスティア・ミスティと申します。先日はろくな挨拶も出来ず、申し訳ありませんでした」
恭しく礼をとるその所作は、まさしく洗練された貴族令嬢のもの。絹で作られたハイウエストなロングスカートは、毒抜きされたポイズンスライムの染料によって鮮やかな紫色に染められており、騎士服をモチーフとして胸元や袖口にフリルをあしらった白いブラウスを優雅に引き立てている。
騎士服をメインにあつらえたのは、ある種この茶会が決闘の場であることの表明でもあるのだが、ディクシアは気付いてはいないらしい。
「まあ。お茶会なのでしょう? そう固くならなくても良いのではなくて?」
礼を尽くすアリスティアに、ディクシアはどかりと着席すると片手を振って応えてみせた。なるほどエマの口にした通り、貴族の流儀で応えるつもりはないらしい。知っていて身分差から侮っているのか。それともそもそも貴族の作法を知らないのか。後者ならば、それは想像以上に由々しき事態であろう。身分を偽って王城に入り込むなど、間者でない理由がない。
「そうですね。それでは私も失礼して──」
二つしか椅子がないので当然ながらアリスティアはディクシアの対面に座ることとなる。そこでやっと、アリスティアは眼前の曲者女へと落ち着いて目を向けた。
緑を基調としたドレスは紅い髪を引き立て、パニエによって広がったスカートにはきらびやかな装飾品が飾られている。確かに姿だけ見れば貴族令嬢であることは疑いようもないのだが。
(残念だけどこれらは殿下が贈ったものなのよね)
であれば、彼女の素性に繋がる証拠にはなりえない。アリスティアは、ふう、と小さく息を吐き出した。
「ささ、どうぞ。クッキーもケーキも、今日の為にランティスが腕によりを掛けて作ってくれましたの」
「ランティス?」
「この城のお抱え菓子職人ですわ。私、彼のクッキーを一度口にしてから、もう大ファンですの」
ランティスとのお菓子の一件も、実はそれだけで一話使える程の内容だったりするのだが、例によって割愛である。
「ふうん」
二十日いた所で、知らないものは知らないのだろう。別段驚く素振りも見せず、ディクシアは白と黒のタイル柄のクッキーを無造作に掴むと間髪入れず口に放り込んだ。
「ん。なかなかの味ね」
平民でももう少し行儀が良いだろう。アリスティアは苦笑した。
「まあまあ、美味しいんじゃないかしら」
ひょいひょいとクッキーをつまむと、相変わらず抑揚を感じさせない声でそう告げ、ディクシアは紅茶へと口を付けた。
「んー?」
アリスティア的には自信アリなローズティーだったのだが、口に合わなかったのかディクシアは顔をしかめるとカップを手元に置いた。互いが手持ち無沙汰になるそのタイミングで、アリスティアはディクシアへと口を開く。
「そういえばディクシア様、お体はもう宜しいのですか?大変な目にお遭いになったと聞きましたが……」
「ええ。別に」
その言葉を受けてもディクシアは平然とした表情を浮かべている。
「そうですか。お元気になったのなら何よりで──」
言い掛けた言葉が途中で止まる。アリスティアの眼前に、ディクシアが顔を近付けてきたからである。
「私、回りくどいのは嫌いですの。言いたいことがあるのならおっしゃってくださる?」
「──っ」
柔和な笑顔のその奥には、アリスティアへの敵意が満ちていた。どうやら今回の茶会の意図など既にお見通しだったようだ。
それならば、対応を変える他ない。アリスティアはふぅ、と息を吐き出すと、真っ直ぐに眼前の美女を見据えた。
「そう。じゃあ聞かせて貰います。貴女の目的は何?」
単刀直入に、今回の目的である疑問がディクシアへと投げ掛けられる。ディクシアはふっと笑った。
「──そんな目も出来ますのね」
「はぐらかさないで。最初から、狙いがあって城に入り込んだのでしょう? 王の不調も貴女の仕業なの?」
互いの視線がぶつかり合う。一触即発な状況で、次に口を開いたのはディクシアであった。
「沢山聞かれても困りますわね。では一つだけ。私の目的は、殿下の婚約者の座。いずれは王妃となって甘い汁を吸って暮らしたいんですの。ゆくゆくは、この国を意のままに動かすことだって可能でしょう」
「なんですって……?」
「ですので、私にとっては貴女こそが邪魔者。あの馬鹿王子にあることないこと吹き込んで、排除させて頂きますわね」
敵意の滲んだ笑顔から飛び出した宣戦布告が、アリスティアへと突き刺さった。思わずその場に立ち上がるアリスティア。
「させない。追い出されるのは貴女の方よ」
「へえ。生意気ね」
アリスティアの言葉を受けて、ディクシアもその場に立ち上がる。そして。
「やれるものならやってみなさいよ、小娘風情が」
激しい怒りに包まれたその言葉と同時に、ディクシアの目が真っ赤に輝いた。思わず息を飲むアリスティアであったが、次の瞬間には彼女の瞳は金色のそれに戻っている。
(……え? い、今確かに……)
「そう焦らずとも決着はつきましてよ。それまでは」
驚いているアリスティアを見て微笑むと、ディクシアは勝ち誇ったように口を開いた。
「精々仲良くしましょうね。伯爵令嬢様?」
◆◆◆◆◆
「エマ! ダンスの練習をするわ!」
「アリスティア様!?」
突然勢い込んで部屋に入ってきたアリスティアに驚き、エマは目を丸くした。
「やるしかないのよエマ! 絶対に勝つの! ダンスバトルよ!」
「ちょ、ちょっと! お待ちください! 意気込みはご立派ですが、まず事情を!」
「あら、そうだったわね」
勢い任せだった自身を嗜めるように頬に手を当てると、アリスティアはテーブルサイドの椅子へと腰掛け、エマも着席するよう促した。
ややあって。
「……なるほど。宣戦布告された、と」
「そうなのよ。これはもうダンスしかないでしょう?」
「いえその、どうしてそこでダンスが?」
「もうっ」
分かってないわね。と口を尖らせると、手元の紅茶を飲み干してからアリスティアは人差し指を立てた。
「間もなく夜会があるでしょう? 今回のものは特別なものだと聞いているけれど」
「ええ。特別ですよ」
さっと席を立つと、お代わりの紅茶をアリスティアのカップに注ぎながらエマは頷いた。
「何しろセタンタ王室百周年を祝う記念式典を兼ねていますから。普段とは別物と考えて頂いてよいかと」
招待状も各地の生き残った貴族たち、各地の領主たちに出されているとエマは告げた。しかし疫病に魔王軍、自らが生きるだけで精一杯のこの状況では、果たして何人が来るやらと言ったところだが。
「そう。そこよ」
エマの言葉を受けて、アリスティアは強く頷いた。
「今まではなかったけれど、大規模な夜会ともなればダンスは必須でしょう? 殿下と彼の婚約者である私の登板は必須。それだけ人が集まる中で私が最高のダンスで殿下をリードすれば、ディクシア様も負けを認めて引き下がるに違いないわ」
「……そ、そうでしょうか?」
「そうよ! それに周囲からの目もあるじゃない。お父様や、他の領主様もいらっしゃるのだから、その面前で私が婚約者であることが認知されれば、いくら殿下であってもこれまでのように逃げ回ることは出来なくなるわ」
「──なるほど」
突発的な思い付きかと思ったが、なかなかに考えられている。エマは小さく唸った後で、「分かりました。では、ダンスの講師を呼びましょう」と口にした。
口にした後で、はた、と気が付いたように手を止めると、
「ちなみに失礼ですがアリスティア様、ダンスはどの程度?」
「ブゼルでも夜会はあったから、……一応、人並みに踊れるつもりではあるわ」
そう口にすると、アリスティアは席を立って部屋の中央へと移動する。そうして侍女頭が見守る中、彼女は軽くステップを踏み──、
──でぇん! とその場で盛大にスッ転んだ。
「ぎゃぶうぅッッ!」
「アリスティア様!?」
先程までエマが部屋の掃除をしており、その名残である僅かな水滴を踏みしめて足を滑らせたのだ。
強かに顔を打ち付けたアリスティア。驚いたエマが駆け寄ろうとするも、
「ふんぬ!」
「きゃあっ!?」
とアリスティアはその場に飛び起きていた。一連の勢いの良さに改めて驚くエマ。
「ア、アリスティア様、鼻、鼻血が!」
「……人並みに、踊れるつもりなのよ?転びさえしなければ……」
「血ィ拭いてください!!」
そんなこんなで。前途多難を感じさせながらも、その日よりアリスティアのダンス特訓がスタートするのであった。




