ブゼル『薄幸令嬢と豪運王子 その4』
◆◆◆◆◆
翌日。待ち合わせ場所へと足を運んだアリスティアだったが、ロゼットの姿がないことに気が付いた。
(どうしたのかしら?)
まあ、到着が待ち合わせ時間を前後するなど当たり前のことだ。そう思い、アリスティアはその場で待つことにした。
十分が過ぎ、二十分が過ぎ、ひょっとするとからかわれたのかしら? とアリスティアが考え始めた頃。
「すまん! アリスティア。遅くなった!」
と、見慣れた全身甲冑がその場に姿を見せた。ほっと安堵の息を吐き出すアリスティア。
「ロゼット……! 良かった。何かあったのかと思って」
「連中を撒くのに思いの外時間が……、いやいや、すまん。言い訳は見苦しいな。申し訳ない」
「いいのよ別に」
こうして来てくれたのだから。そう微笑むアリスティアに、ロゼットはばつが悪そうに兜に指を置いて謝罪する。
「いや、悪かったよ。お詫びと言っちゃ何だが、この後食事でも──」
「いいのよ。気にしないで」
「おん……?」
話を強引に遮るようなアリスティアの発言に、ロゼットは兜の下で眉根を寄せた。彼の知る今までのアリスティアであれば、相手の言葉に被せるようなことはしなかった筈だ。
「それより、目的を済ませましょう。はい、こちらが護衛の依頼料」
そんなロゼットの疑問を他所に、アリスティアはずっしりとした重さを感じさせる革袋を懐から取り出した。
「…………どれどれ──っておい!?」
彼女の様子に違和感を感じつつも、それを受け取って中身を確かめるロゼット。と、その声が上擦った。
それはそうだろう。何故って、
「一、二、三……、金貨二十枚だあ!?」
だからである。ちなみに久しぶりに解説すると、この世界における金貨一枚は、現代日本で言うところのおよそ十万円に相当する。つまりアリスティアが渡したのは、約二百万円ということになる。それはまあ誰だって驚くだろう。
「何考えてんだアンタ!? こんなに受け取れねぇよ!」
「命を救ってもらったんだもの。安いくらいだわ? 死んだら手持ち金など無用の長物なんだし」
「~~~そ、それは、そうだが……」
「それでは、義理は果たしたから。これで」
言いたいことを口にして、アリスティアは足早にその場を去ろうとする。そんな彼女の態度が気に食わず、ロゼットは思わずアリスティアを呼び止めていた。
「ちょっと待て」
「え?」
驚いて小さくなった翡翠の瞳が、ロゼットへと向けられる。ロゼットは、彼にしては怒気を孕んだ声でアリスティアへと呼び掛けた。
「これで終わりはないだろ。恩人と言うのなら、俺にだって聞く権利がある筈だ。──ノーブルの奴はちゃんと受け取ったのか? 喜んでたか?」
「え、──え? ど、どうして?」
驚きのあまり、質問に質問で返してしまうアリスティア。まさかロゼットの口からノーブルの名が出るとは思わず呆けてしまった彼女だったが、慌てて首を振るとロゼットへと詰め寄った。
婚約者を知られていた驚きよりも優先すべき事柄があるからだ。
「ちょ、ちょっと! 誰かが聞いているかもしれないのよ!? 呼び捨てなんて……!」
「──否定しないってことは、やはりノーブルか」
「ロゼット!」
アリスティアが声を荒げるのも無理ないだろう。魔王軍や疫病でその力を弱めているとはいえ、この世界において王族は絶対的な権力を持っている。それはグリンバーナ王国のみならず、ルード大陸全土でそうなっているのだ。故に王族に対する不敬は最も重い罪であり、今のようなロゼットの発言が王族の耳に入れば、極刑は免れないだろう。
「──ああ、すまん気を付ける。……で、奴はなんて?」
「…………」
まるで気を付けるつもりが無さそうな口振りに閉口するアリスティア。憮然とした様子の彼女はしばしの沈黙の後で、
「別に、問題はなかったわ」
と歯切れ悪く口にした。「そうかい」とロゼット。
「じゃあ、ちょっくら行くか」
と、そう言うが早いか彼はアリスティアの腕を取ると、ずんずんと歩き出したのである。当然、驚き慌てるアリスティア。
「ちょ、ちょっと!? 何処に行くの!? ねえ!ロゼット!?」
ジュエルベアーを屠るだけあって、ロゼットの力はめっぽう強く、アリスティアでは振りほどくことが出来なかった。しかも、彼が向かっているのはエルムの森の方角なのだ。
「ちょいとな。金額が金額なんで、その分の仕事はしねぇと」
「ちょいとって……」
そのまま五分ほど歩くと、二人はすっかり森の中にいた。やっと腕を離してもらえたアリスティアは、ロゼットから距離を取ると不満の声を上げる。
「ちょっと、どういうことなの、これは!?」
「あの場所じゃ話せねーんだろ? だったら移動するまでさ。森の中なら安心だぜ」
「そ、そんな理由で?」
憤慨し呆れるアリスティアであったが、怒ったところでここから一人で帰れる保証はない。更にロゼットは、その場にどかりと腰を落としてしまった。アリスティアが話すまで帰さないという意思表示だろう。
「…………はぁ」
困惑しつつも、仕方ないとアリスティアは覚悟を決めた。確かにここなら、誰かに聞かれる心配もない。ロゼットが他者に告げ口すれば危ういのだが、──先程の彼の様子を見るにその心配はないだろう。
「…………受け取っては、貰えなかったわ」
アリスティアは小さく息を吐き出した後で、呟くようにそう口にした。
「私に取ってこれる筈ないって、偽物の宝石で騙せると思ったかって言われて……。一ヶ月の出入り禁止を命じられたわ」
「やれやれ――鑑定すらしないのか。阿呆だと聞いていたが、これ程とはな」
「いい加減にして! 死にたいの!?」
不敬罪がどれほどの罪か、ロゼットは知らないのだろうか。アリスティアが声を荒げると、ロゼットはそんなアリスティアへと顔を向けた。
「ああ。聞こえなかったのならもう一度言ってやる。ノーブルは阿呆にして最低のクソヤロウだ」
「~~~~!」
兜を付けていても関係ない。一発入れねば気が済まないと手を振り上げるアリスティア。しかしロゼットの言葉は、まだ終わってはいなかった。
「アンタのその怒りは、婚約者を侮辱されたからじゃない。俺の身を案じてのものだ。そうだろ」
「──っ」
叩くつもりで上げた腕がピタリと止まる。ロゼットが言わんとしている意味が、アリスティアには理解出来てしまったのだ。
「だからこんな森の中に連れて来たんだよ。どうせずっと我慢してるんだろ。俺はこの通り、奴を庇おうなんてつもりは微塵もないんでね。アンタも抱えてることがあるんならぶちまけちまった方がいいぜ」
「…………それは……」
ノーブルへの不義理。そう口にしようとして、アリスティアはその場に俯いた。先に不義理を働いたのはあちらではないのか。
そもそもが、最初から望んだ婚約ではなかった。領地の為にと我慢して、これまで続く侮辱に耐え続けてきたのだ。だがそれも、今回の一件で限界に近付いていた。
「…………ごめんなさい。少し、取り乱したわ」
振り上げた腕をゆっくりと下ろしながら、アリスティアは吐き出す息と共にそう口にする。じっと彼女へ顔を向けたままのロゼットから目を逸らすと、彼女は小さく吐き出した。
「分かっては、いるのよ。彼にとって私の存在は邪魔でしかないんだって……」
分かった上で、そんなノーブルを変えたいと意気込んだのがアリスティアだった。しかしそんな彼女の熱意も空回りに終わり、気付けば惨めにうちひしがれている始末だ。アリスティアは手近な木の枝を拾って両手で弄ぶと、はぁ。と嘆息した。
「私、傲慢だったのかも。私一人で彼を変えられると思っていたんだから」
「……立派なもんだが、あちらさんへの不満はねえのか?」
ロゼットにそう問われ、アリスティアはえ?と小首を傾げた。
「あるわよ。そんなの」
「ぉ、おお……?」
あまりにもさらりと言ってのけたアリスティアに驚くロゼット。そんな彼をよそにアリスティアは大きく息を吸い込んだ。
「いつもいつも人のことを下に見て馬鹿にして。ことあるごとに女だからって蔑んで! 男であることがそんっなに偉いの?自分だって女から生まれてきたくせに!文句があるなら私と婚約なんかせずに分裂して世継ぎを作りなさいよスライムみたいに!! 一人じゃ何にも出来ないくせにプライドばっかりご立派で威張りくさって⋯⋯王子だって言うんならッ相応の振る舞いをしなさいこの馬鹿王子ッッ!」
ベキィ!
手にした枝が、音と共に真っ二つにへし折れた。
一息に言い切り、ふっふっと息を吐くアリスティア。おお。とロゼットが感心するその手前で、彼女は最後にまとめて息を吐き出した。
「──なんてね。……はぁ~……。もう! 言っちゃったじゃない!」
胸の内を誰かに話すつもりなぞ、アリスティアには毛頭なかったのだ。それを、顔も分からない誰かの前でぶちまけてしまうなど、想像すらしていなかった。
今ここでこうして吐露してしまったことは、アリスティアにとっては一種の諦念に似た感覚であった。これでもうどうなってもいい。という自棄に近いものと言うべきか。
そんな憤慨するアリスティアに、しかしロゼットは「悪い悪い」と笑ってみせた。
「けど、悪くなかったろ? スッキリした顔してるぜ」
言うに事欠いてこれである。その言葉に怒りや呆れを通り越して、アリスティアは苦笑してしまった。悪くないと言われれば、確かにそうなのだ。
「まあ、幾分か気は晴れたわよ。言いたいことが言えたんだから」
そんなアリスティアの様子に胸をなで下ろしつつも、ロゼットがぽつりと言う。
「でも⋯⋯ノーブルが分裂して増えるの何かやだな」
想像しただけでおぞましい光景にロゼットが顔を顰めると、アリスティアがしかつめらしく応じる。
「そうね⋯⋯スライムの方が国の役に立ってるし、比べるのはおこがましかったわ。スライムに謝らないと」
そう言い切ったアリスティアにひでぇとロゼットは笑った。
「スライム好きなん?」
「いいじゃないスライム。余すことなく使えるし」
容赦の無いアリスティアの言葉に、いよいよロゼットが腹を抱えて笑う。
「調子出てきたな。それでこそ令嬢の身で単身、エルムの森に乗り込んだ俺のご主人様だ」
「〜〜もうっその話はもうやめてよロゼット!」
赤くなって憤慨するアリスティアに、ロゼットが悪戯っぽく笑みを滲ませて言う。
「でも、さっきより良い顔してるぜ?アンタ」
「そりゃあね。ずっと我慢してたこと、山ほど言っちゃったし」
鼻を鳴らしながらそう口にして、アリスティアははたと気が付いた。確かにここ最近の自分は、普段のような調子が出ていなかったのではないだろうか?
理不尽を突き付けられて部屋でさめざめと泣くなど、アリスティア・ミスティのやることではない。我慢に我慢を重ねすぎたせいで己を見失っていたことに、彼女自身が今気付いたのである。
「……そっか。そうだわ。私、負けっぱなしで我慢出来る人間じゃなかったのね」
気付かずにそのまま負の感情を溜め込み続けていれば、遠からず彼女は壊れていただろう。アリスティアはハッとしたようにロゼットへと目を向けた。
「……もしかして、わざと……?」
わざと目の前でノーブルを罵ったことも、森へ連れてきたことも、全てはアリスティアに思いを吐露させる為だったのではないか。
驚きと期待に彩られた目を向けられてしかし、ロゼットは肩を竦めてみせた。
「さあ? 俺は自分のしたいように振る舞っただけだぜ」
「そう。それでもお礼は言っておくわね。ありがとう」
ふふ、と微笑んだ後で、何を思ったかアリスティアは自身の頬を両側から思いきり叩いていた。ぴしゃり、と乾いた音が周囲に響き、ロゼットは思わず「へ?」と間の抜けたような声を上げてしまった。
「あいったぁ……!?」
「急に、何してんだ……?」
「気合い入れたの。だってこれ以上、負ける訳にはいかないもの……!」
どうやら、気合いを注入していたらしい。驚くロゼットであったが、理解すると兜の奥で優しい眼差しをアリスティアへと向けた。
「そりゃまた豪気なこって。……で、アリスティア。これからどうするんだ?もし、君さえ──」
「やること? そんなの勿論決まっているわ! 野菜を作るのよ!!」
「良ければ──……って、……へ?」
突拍子もない単語が飛び出して、ロゼットは再び素頓狂な声を上げてしまった。野菜? いやその、野菜……?
「だって一ヶ月もあるんですもの! 色んなことを試すいい機会だわ。新しい魔石や種を買い込んで、……場所は──離れにあった塔が使えないかしら? エマに聞いて……、ロゼット、そういえばさっき何か言い掛けた?」
「……いや、別に。随分と楽しそうだなって思ってな」
勢いに圧倒されながら、ロゼットは肩を竦めてそう口にした。「ふうん?」と首を傾げるアリスティアであったが、その口元が次第に緩むと。
「そうね。楽しいに決まってるじゃない!」
と、満面の笑顔を咲かせてそう口にした。
「ここしばらく纏まった時間なんて取れなかったから、ワクワクして仕方がないの。どうすれば良かった、なんてウジウジしてたのが馬鹿みたい。考え方一つでこんなにも変わるものなのね」
そうしてアリスティアは拳をぐっと握ると、ロゼットへと詰め寄った。
「ありがとうロゼット。貴方のお陰で私、まだまだ頑張れそう」
「──そうかい。そいつぁ、何よりだ」
「本当にありがとう。それじゃあ行くわ。早速エマと交渉しなくちゃ。縁があったらまた会いましょう!」
矢も盾もたまらず、といった様子でアリスティアはその場に踵を反すと、足早に動こうとして──、
「あっ」
偶然転がってきた小石に躓いてその場にびたぁぁぁん!と盛大に倒れ込んだ。土に顔を強かに打ち付け、あまつさえ転んだ拍子に一張羅のスカートの裾がビリィ……と嫌な音を立てて裂けてしまった。考え得る限りで最悪の状況であろう。
「お、おい大丈──」
「ふんぬっ」
「うぉっ!?」
ロゼットが心配して声を掛けようとしたその時、しかしアリスティアはがばっ、と跳ね起きるようにその場に立ち上がっていた。これにはロゼットも驚くというもの。
「こんなところで躓いてなんかいられないわよ!楽しい毎日が待ってるんだから!」
破れた裾をギュッと結び合わせると、ロゼットに一礼してアリスティアは矢のように走り去っていった。
後に残されたロゼットは暫くぽかんとしていたが、ややあって我に返ると、
「ありゃ強えーわ」
と、呟くように口にするのであった。




