ブゼル『薄幸令嬢と豪運王子 その3』
◇◇◇◇◇
アリスティアが七歳の頃、病弱であった彼女の母親の容態が著しく悪化した。アリスティアは苦しんでいる母をなんとか助けたいと思い、文字の猛勉強をすると色々な文献を読み漁った。
子供なりに必死だったのだ。そうしてその目に止まった内容は、ガルム山脈の麓に生えていると噂される、ウドメンブの花を煎じた汁が効くというものであった。
ガルム山脈は、ブゼルとスーイエの境、東側にある巨大な山脈のことである。互いの街を繋ぐ大半はナテン湖が陣取っており、西は海、東はこの山脈があることによって真隣にありながら二つの街は船での往来以外に行き来する方法がない。
「──よし……!」
アリスティア(シルエット演出 声:ミーナ。ちゃんと声色も子供のように高めに出している)は気合いを入れると、外出の準備をさっさと済ませて内緒で家を飛び出した。
ガルム山脈までは子供の足で半日程。さっと用事を済ませれば夜には帰れる算段だったのだが……。
「うう……」
全てが想定通り行くなどということがある筈もなく。
アリスティアが麓に着いた時点で、既に陽は傾き始めていた。
「どうしよう……」
ウドメンブの花を探しているうちに夜になってしまえば、小さなアリスティアではまともに家に帰ることさえ難しいだろう。
更にガルム山脈の麓といえば、恐い生き物が沢山いると言われている場所でもあるのだ。そうして不安に駆られたアリスティアの背後から、獣の息遣いが聴こえてきて──、
「ひっ……! だ、誰かっ……!」
「とりゃあっ」
恐怖に負けて思わず声を上げてしまったアリスティアの耳に次に聴こえたものは、別の誰かの凛とした声であった。
「──大丈夫か?」
そこにいたのは少年であった。茶色の短髪に蒼い瞳。活発そうに見えるが、それにしては着ている服が随分な上等品である。貴族の令息とかだろうか?
「……ぁ。き、気を付けて! その辺りに狂暴な生き物が──」
獣の息遣いを感じていたことをハッと思い出して、アリスティアは少年に向けて声を上げる。
「狂暴な生き物? 」
少年(シルエット演出 声:ウィズ。やっぱウィズは普通に上手いなぁ。あと熱意がすごい)はアリスティアの言葉を受けると、足元に目を向けて屈み込んだ。そうして次に立ち上がると、
「それってコイツのことか?」
その両腕に、猫によく似た動物を抱き抱えていた。
「え? それって、グレイルキャット?」
この世の可愛いを煮固めたようなその生き物は、グレイルキャットと呼ばれる愛玩動物である。大人しくて人懐っこい気性の為にペットにする貴族も少なくないとか。成長してもそこまで大きくはならない為、少なくともグレイルキャットが人間を襲ったような話は聞いたことがない。
「んなぁ~」
抱えられて間延びした声を出すグレイルキャット(声:レオン 何でこんなに上手いのお前?)。あまりにも可愛い。
「で、どこに狂暴な生き物がいるって?」
「ちょ、ちょっと間違えただけよっ」
グレイルキャット相手に怯えていたことを恥じて赤くなりながら、アリスティアはつんと口を尖らせた。
「あ、あなたこそ、こんな所で何をしていたの?」
「俺? 俺は──、そうだな……。今家出中でさ。グリンバーナ王国を知りたくて、あちこち回ってたんだ。今日ここに来たのはたまたまだけどな」
「え? それって……」
どういうことか理解出来ず首を捻るアリスティアに、少年は軽快に笑うとこう言ってのけた。
「俺は隣──、ベアトルファから来たんだ」
「ベアトルファ王国!?」
それは、グリンバーナ王国よりずっと北に位置する国の名前だ。その中で最も最も互いに近いとされるステンシアとファルーアでさえ、歩けば十日以上掛かる距離と言えば伝わるだろうか。そんな所から子供が遊びに来るなど、およそ現実的な話ではないだろう。
「ウソよ。あなたさっき家出って言ったじゃない。一人でベアトルファ王国からここまでどうやって来たっていうの」
「そりゃあ馬車に便乗したのさ。保存食もたっぷり持ち込んで」
「う~ん……」
「なぁん」
言われても納得出来ず首を捻るアリスティアだったが、そんな折、少年が肩に乗せていたグレイルキャットが小さく鳴いて地面に飛び降りた。
「あっ」
そのまま振り返らずに駆けていく子猫の自由な後ろ姿を眺めていると、アリスティアは意地を張っている自分がとてもちっぽけに思えてため息を吐き出した。
「……はぁ。ごめんなさい。つまらないことで突っ掛かったりして。正直、一人で不安だったの。あなたが来てくれて助かったわ」
急に素直に心情を吐露したアリスティアを見て不思議そうに目を瞬かせると少年は。
「聞いてもいいか? 君は、どうしてこんなところに一人でいたんだ?」
と口にした。
「えっと……」
言葉を詰まらせるアリスティアは、落ち着いたこともあってか初めて少年をしっかりと見た。
透き通るような茶色の髪が、うっすらと夕陽の色に染まって風に揺れる。端正な顔立ちと、そこに嵌め込まれた蒼い瞳はまるで宝石のように綺麗で。けれど宝石よりも生き生きと輝いていた。
見目麗しい、と言うのは正しくこの男の子の為の言葉かもしれないとアリスティアは幼心に思った。(影絵だから実際には分からないのが惜しいけど)
「……どうした?」
惚けているアリスティアを不審に思ってか、少年が眉根を寄せてそう尋ねる。アリスティアは、「なんでもないの」と誤魔化しつつ、滔々と今ここに至る経緯について話し始めるのだった。
「なるほど。ウドメンブの花か。ここにしかないもんな。で、それは見つかったのか?」
「……それが」
つい今しがたここに着いたのだ。花など見つけようもない。悲痛な声を漏らしながら俯くアリスティアへ目を向けると、少年は「そっか」と小さく呟いた。
「じゃあ案内するよ。近くなんだ」
「──え?」
「完全に陽が落ちたら終わりだ。急ぐぞ」
そう口にすると同時に少年はアリスティアの手を取ると、しっかりとした足取りで小走りに進み始めたのだ。驚くアリスティアは、彼についていくのが精一杯である。
「さっきはちょっとウソついた。本当は俺も、ウドメンブを取りに来てたんだ」
「え? ぁっ、あなたも?」
「うちの場合は父さんが病気でさ。なんとかしてやりたくて、グリンバーナ行きの馬車に忍び込んだんだ」
「そう、だったの……」
それだけ言葉を交わした後は、二人ともに無言でひたすらに目的地を目指していた。不安な気持ちを抱えながらも、握った手は温かく。力強いその足取りに勇気を貰って、アリスティアは夕暮れに染まる森を駆け抜けた。
その甲斐あってか、二人は日没前にウドメンブの群生地へたどり着くことが出来たのである。
「これが……」
アリスティアはその光景を目の当たりにして自然と息を飲み込んでいた。青い花弁が、足元のみならず壁や天井にまで並んでいる。
普通植物ならば日の光の届く天下に咲いていそうなものだが、その花はなんと洞窟の岩場に根を張っていた。
「ああ。俺も驚いたよ。丁度いいから今日はこの洞窟に泊まろうぜ」
雨風を凌げてほんのり暖かい洞窟は、今この状況においては寝床として申し分ないだろう。明日帰るようなことになれば両親にはさぞや怒られるだろうが、今はとにかく安全な場所で体を休めたかったのだ。
「それにしても、麓にこんな所があるなんて……。私じゃ絶対見付けられなかったわ」
「図鑑に洞窟内に生えてるって書いてあったからな。ま、俺もついさっき発見したんだけど」
近くの岩に腰掛けて、アリスティアは得意そうに語る少年を見つめて「ふふ」と微笑んだ。
「隣国から来たのに、私より詳しいのね」
「ん。そ、そうかな」
「何から何まで、本当にありがとう。えっと──、あら。私、まだあなたの名前も聞いていなかったのね。私はアリスティア。アリスティア・ミスティよ」
そう口にした後でアリスティアが微笑むと、少年はくすぐったそうに頬を掻いた。
「別の国から来てるって言ったろ。もう会うこともねーんだから、名前なんて覚えなくてもよくね?」
「だめよ!」
恩人の言葉とはいえ、その物言いにはアリスティアは異を唱えた。
「私、今日のこと忘れないもの。この先もずっとずっと思い返すわ。大人になって忘れてしまっても、ふとした時に思い返すんだから。その時に助けてくれた相手の名前が分からないのはその、困るじゃない」
「っはは。なんだそりゃ」
その言い分が面白かったのか、愉快そうに笑った後で少年は仕方なさそうに口を開いた。
「……ゼロだ。よろしくな、アリ…アリス……ティー…」
言いにくそうに口をモゴモゴとさせてしばらく格闘していたゼロであったが、ついに諦めたらしい。
「よろしくな!アリス!」と、ニカっと笑ってみせた。
「ちょっと! 勝手に略さないでよ」
「悪い悪い。とにかくよろしくな」
「…もう。こちらこそよろしく、ゼロ」
そうして二人は色々な話をした。互いのこと、楽しかった遊びや友達のこと。ゼロと名乗った少年はあまり自身のことを語ってはくれなかったが、それでもアリスティアの話を熱心に聞いてくれ、一喜一憂して楽しんでくれていたようだった。
短い時間ではあったが、アリスティアはゼロのことをかなり好ましく思っていた。後々思い返すと、どうもそれがアリスティアにとっての初恋だったらしい。
その後、どのように家に帰ったのかはアリスティア自身よく覚えていない。怒られたことは確かだが、ゼロ少年ともブゼル近くで余韻なく別れてしまい、本人の言う通りその後二度と二人が会う機会はなかったのだ。
◇◇◇◇◇
「いや、なんだその話」
時間は戻り。アリスティアが森にいる経緯について聞き終えてロゼットが開口一番に口にした言葉がそれであった。
「婚約者の、それも女に一人でエルムの深域に行けって言ったのか? 狂ってるだろそいつ」
「あっ、で、でも。きっとからかわれたんですよ。殿下も本気ではなくて」
結構強めの否定の言葉に驚き、アリスティアは何故かノーブルを擁護するようなことを口にしていた。彼女自身も驚きである。
「そんな奴の頼みなんざ、聞く必要は一つもねーんじゃねえの?」
その言葉にため息を混ぜながら、ロゼットはそう口にした。状況から見れば、その言い分は正しい。アリスティアにはノーブルの無茶な要求を聞く理由なぞ微塵もないのだ。
しかし。アリスティアは首を横に振る。
「我慢ならなかったの。だってお前には絶対無理だ。と内心で嗤われていたのよ?ギャフンと言わせてやらなきゃ気がすまないじゃない」
アリスティアの言葉に目をしぱしぱとさせていたロゼットであったが、ややあって愉快そうに笑い出した。
「あっはははは! 我慢ならないときたか! そりゃいい。存外負けず嫌いなんだな。君は」
「ええ。とっても負けず嫌いよ私。他人にも、何より自分自身にだって負けたくないって、常に思っているもの」
そう意気込んだ後で、けど。と息を吐き出しながらアリスティアは俯いた。
「ロゼット。今日は、貴方がいなかったらきっと私、命を落としていたわ。本当にありがとう。何か私に出来ることは──」
「いやいや、たまたま見掛けただけだっつうの。礼とかそういうのにゃ及ばねえよ。ま、これも何かの縁だしな。森を抜けるまではエスコートさせて頂けますかい? レディ」
面白い言い回しに、アリスティアはふふ。と微笑んだ。
「ええ。どうぞ宜しくお願い致します」
そうして二人は、歩きながら様々な話をした。お互いのこと、子供の頃のこと、大変だったことや楽しかったこと、などなど。
その話はどれも興味深く、またロゼットの語り口は実に面白かった。アリスティアは笑ったり感心したり、一時は森の中であることも忘れて聞き入ってしまった程だった。
ロゼットは相変わらずフルフェイスのままだったが、アリスティアはもうすっかり彼のことを信頼していたと言えるだろう。
(何だろう。この感じ、前にもあった様な……)
そうして彼女は思い出した。迷子になり、ゼロ少年に救われたあの日のことを。
忙しい毎日の中で忘れていた、アリスティアにとって大切な記憶であった筈のそれを。
(……私は不運なんかじゃなかった。きっと、人に恵まれたんだわ)
歩きながら彼女は、ふとそんなことを考えて前を行く背中を見つめた。あんなに恐ろしかった森は、一人じゃないと言うだけで緑豊かで美しく見えた。
◆◆◆◆◆
「この辺りまで来れば大丈夫だろ」
話しながら森の入り口に戻ってくると、ロゼットは名残惜しそうにそう口にした。
「なあ。また会えないかい?」
「────っ」
ロゼットの言葉に息を飲むアリスティア。どうやらロゼットも二人のこの時間を楽しいと感じてくれたようだ。思わず顔を綻ばせ掛けるアリスティアであったが。
ここに来た理由を思い出して、アリスティアは静かに睫毛を伏せた。そうだった。自分はもう無邪気でいられる立場ではないのだ。
背筋を伸ばして、真っ直ぐにロゼットを見つめる。
「話したでしょう? 私、婚約しているの。そんな女と二人で会っていたことが知れれば、きっと貴方にも迷惑が掛かるわ」
小さく息を吐き出しながら、苦笑と共にそう口にしていた。アリスティアとて、この恩人を無下にしたい訳ではない。だが彼女は順当にいけばグリンバーナ王国の王妃となるであろう立場なのだ。王子以外の男性と二人で居るなど許される筈もない。
……危険な森に護衛も付けずに向かった件も相当な問題なのだが、今それは置いておこう。
「……そか。そうだよな。すまん」
アリスティアの言葉を受けて、兜を押さえながらロゼットがそう呟いた。
表情は見えずとも、その姿は目に見えてしょんぼりしている。そんな彼の態度に、くす、と微笑むアリスティア。
「……それでは、こうしましょう。私、やっぱり貴方にお金を支払うわ」
「おいおい、金はいいって話した筈だぞ?」
「違うわ。護衛として貴方を正式に雇ったことにしたいのよ。それなら二人でいても問題ないでしょ? でも今は手持ちのお金がないから、一旦帰ってから明日また届けに来るってこと。……どう?」
「────はー……」
ポカンとした表情を浮かべていたロゼットであったが、アリスティアの言葉を飲み込んだのだろう。感嘆の声を漏らしていた。
「そいつはいいな」
「でしょう? それでは、明日の昼一時に。場所は──ここで大丈夫かしら?」
「ああ。問題ない。昼の一時にここだな。了解した。主」
「まあ。いきなり護衛みたいになってしまったわ?」
そう口にした後で、二人は顔を見合わせて笑い合うのだった。
◆◆◆◆◆
アリスティアが王城に戻ったのは、午後三時を過ぎた頃であった。昨日城を抜け出してから、実に一日半以上の時間が経過している。
と言っても騒ぎになるなどということはなく、そもそもがアリスティアは王の許可を得て自由に王城への出入りが許されているのだ。外出していたとの一言で済む話なのである。
(何はともあれ、これで殿下も話を聞いてくれるようになるわ。そうしたら、何から話そうかしら……)
無謀にも思える挑戦であったが、アリスティアは見事成し遂げたのだ。僅かでも恩恵を期待するのは当然のことだろう。
そんな晴れやかな足取りでノーブルの元へと向かったアリスティアだったが、果たして。
パンッ
乾いた音が室内に響いた。
アリスティアは座り込んだ姿勢で自身の頬を押さえながら、何が起きたのか理解出来ぬといった表情で呆然とノーブルを見つめている。
「よくも」
口を開いたのはノーブルだ。怒りに拳を震わせながら、目をつり上げてアリスティアを睨み付けている。
「よくもこの俺にそんなことが言えたな……!」
「…………ぇ?」
「駄目だったと言うのならまだ可愛気もあるものを。言うに事欠いて取ってきましただと? そんな紛い物でグリンバーナの王子を謀れると本気で思っているのか……!」
「っ! 嘘ではありません! 私一人の力では無理でしたが、護衛を連れてエルムの森に行ったんです!」
そこで漸くアリスティアは、自身が疑われていることを理解した。必死に言葉を重ねるも、ノーブルの氷のような視線は変わらず彼女を冷たく射抜いたままであった。
「言い訳なぞ聞く耳持たんわ!貴様の顔なぞ見たくもない!二度と俺の前に姿を見せるなッ!!」
激しい剣幕と共にノーブルはアリスティアの手から宝石を奪い取ると、それを高く掲げた。
「こんなものッッ!」
「っ、ゃ、やめて……っ!」
その行動の意味を理解して悲鳴を上げるアリスティアであったが、次の瞬間無情にも宝石は床に叩き付けられていた。
ごとん。
「……………………」
「……………………」
まあ、割れないんだけどね。だってジュエルベアーの背中に生えてる生命線だぞ?ジュエルベアー同士のバトルにも耐えうる代物なんだから、生半可なことじゃ傷一つ付かないんだなこれが。
ちな、これは小道具じゃなくて本物のジュエルベアーの宝石を使っている。
セタンタ決戦の後に転がっていたものを、ウィズが秘薬精製に使えるからと回収していたのだ。
っと、いかんいかん。話が横道に逸れた。
「っ、とにかくだ!貴様は当分ここへの出入りを禁ずる!!昨晩は満月だった。次の満月が来るまで、この城に立ち入る事は許さん!! 分かったらさっさと出て行け!」
反論すら許されず、アリスティアは部屋を、それこそ投げ飛ばされる勢いで叩き出されてしまった。よろよろと起き上がると、呆けたまま歩き出すアリスティア。
(私は、どうすれば良かったのかしら)
ぼんやりと廊下を渡っていると、心配した様子のエマが視界に入ってきた。
「アリスティア様……」
「……ごめんなさいね。殿下を怒らせてしまったみたい……」
小さく笑うアリスティアに、「いえ」とエマは呟いた。
「殿下のことは、私たちが取りなしますので。申し訳ありませんが数日お待ち頂けますでしょうか?」
「──ええ。分かったわ。ありがとう、エマ」
フラフラと自室に戻ったアリスティアは、無言でベッドサイドに腰掛けた。天蓋付きのベッドが柔らかく沈む。王太子の婚約者として与えられた豪奢な部屋。まるで自分に似つかわしくない、美しく煌びやかな細工のシャンデリアをアリスティアは無感情に眺めた。
じっとしていると、頬が未だじんじんと痛んでいることに気付く。
(ねえ。誰か教えて。私はどうしたら良かったの)
その頬に、涙が伝っていた。悔しくて、悲しくて。いつしか彼女は、声を殺して泣いていたのだった。




