ブゼル『薄幸令嬢と豪運王子 その1』
「アリスティア・ミスティ。お前は自分がどうしてここに呼ばれたのか分かっているのか?」
氷の様に冷たい声に貫かれ、アリスティアと呼ばれた少女は顔を上げた。美しい銀髪と、声のトーンに似つかわしい、鋭く細められたターコイズの瞳が、階段の上から彼女を見下ろしている。
――ああ、このお方は。本当に見た目だけは高貴で美しい。
「分かりません」
アリスティアは乾いた口をやっとのことで開けると、一言だけ口にした。喋ったというよりも、絞り出した、という感覚に近いだろうか。それが精一杯だった。それ以上は声が震えてしまうのだろう。
それでも、アリスティアは自らの婚約者を翡翠の瞳で真っ直ぐに見据えた。豊かな金の髪が揺れ、シャンデリアの光を反射してきらめく。
震えながらも凛とした佇まいのアリスティアに、ノーブルは業を煮やして声を荒げた。
「ならば今一度ハッキリと言ってやる。アリスティア・ミスティ。私はお前との婚約を破棄する!」
それは、断罪にも似た宣告であった。
◇◇◇◇◇
アリスティア(演:ミーナ)が暮らすミスティ家にセタンタ王室から急を告げる書状が届いたのは、彼女が十五歳の誕生日を迎えてすぐのことであった。
アリスティア・ミスティは、ブゼル、スーイエの町を含むフィックス領を自治するミスティ家の一人娘である。父であるジョーダン・ミスティ(演:ヴォークリフ)は伯爵であり、齢六十を越えていながら二つの町の自治の為に日夜尽力する誠実な男で、アリスティアにとって誇れる自慢の父親であった。
両親の愛を一身に受けていたアリスティアではあったが、これまでの道のりが順風満帆であったかというと実のところそうでもなく、彼女や周囲の働きかけではどうにも出来ぬ逆風があったと言えるだろうか。
端的に言ってしまえば、アリスティアは産まれた頃より大変に運の悪い少女であった。
へその緒が首に絡んで瀕死で産まれてきたことに始まり、馬車が近くを通れば友達を避けてアリスティアにのみ泥が跳ね、欲しかったアクセサリーは彼女の前で売り切れ、代わりに買った代替品は、店の前で彼女の手をすり抜けて落ち、何度も跳ねて川へと落ちていった。
こんな小さな不運が積み重なり、いつしかアリスティアは周囲から薄幸令嬢と呼ばれ、憐れまれるようになっていた。尤も、長い不運生活によって彼女自身はそれを気にせぬ胆力を身に付けていたのだが。
しかしアリスティアの人生において最も不運な出来事が何かと問われれば、それはノーブル王子の婚約者に選ばれたこと、と言わざるを得ないだろう。
「ノーブル王子か……」
いくら偶然の産物とはいえ、王族との縁談など諸手を挙げて喜んでも良い事柄であろうに。話を聞いたアリスティアの父ジョーダンは、浮かない顔で口髭を撫でた。
ノーブル(演:グラン)は、セタンタ王室の第四王子である。彼が産まれてすぐに母親である王妃が体を壊してそのまま帰らぬ人となってしまい、それを不憫に思った父王がノーブルを溺愛したのである。
結果、ノーブルは希代の我儘王子として成長してしまった。十五歳にして盗んだ馬車で走り出すような荒くれである。まあそれでも、三人の兄たちがいたならばそこまでの大事にはならなかったろう。しかし哀しいかな現実は非情である。疫病の蔓延や魔王軍の急な侵攻といった相次ぐ不足の事態によって、ノーブルの三人の兄たちがバタバタと死んでしまったのである。
結果、消去法でノーブルが次代の王ということになってしまい、父王は真っ青になった。何せノーブルには王族としての英才教育を何一つ施してはいなかったのである。慌てて家庭教師を雇うも時既に遅し。ノーブルは他者からの教えを請うことを何より嫌い、何人家庭教師が来ようとも初日に辞めさせ、自身は何人もの女の子たちを勝手に王宮に招いては遊び呆けるような堕落を極めた人間へと変貌を遂げていたのである。
そんな男の元に大事な一人娘を送るなど、父親としては到底許容出来ることではないだろう。渋るジョーダンに、しかしアリスティアは柔和な笑顔でこう告げた。
「私なら大丈夫です。お父様。きっと何もかも上手くいきますよ」
楽観主義者である故の発言ではない。アリスティアは、この縁談を受け入れれば王室からの資金援助で父が、牽いては自らの暮らすこの領地が豊かになることを理解していた。自分さえ我慢すれば大切な家族や友達が幸福になるのなら、と。彼女は堪え忍ぶ道を選んだのである。
「すまない。まさか我が家が選ばれるなど、思ってもいなかった」
「お父様」
「神の悪戯か。こんなことがあるとは……」
ジョーダンの言葉通り、通常であれば、伯爵令嬢であるアリスティアに王族との婚約話が持ち上がることはまずあり得ない話であった。王族が婚姻を結ぶのは同じ王族か、降嫁したとて公爵家、侯爵家までであり、伯爵家のアリスティアはそもそも王族の婚約相手として不適当なのだ。
ならば何故そんなアリスティアにノーブル王子との婚約話が持ち上がったのか?それは偏に当時の情勢がそれほど逼迫していたから、と答える他ないだろう。先に述べた疫病や魔王軍による人族の被害は凄まじく、王族との婚約をするに相応しい年頃の娘が皆巻き込まれて命を落としてしまったのだ。生きていなければ婚約も何もあったものではない。
そうして仕方なく白羽の矢が当たったのが、ブゼルに住んでいて難を逃れていた伯爵令嬢であるアリスティアだったのだ。
そしてあれよという間に当日を迎えることとなり、一両の馬車が王城へと到着した。出迎えの馬車を降りたのは、金色の髪に翠の瞳をした可憐な令嬢である。王都で流行りのふんわりとした華やかなドレスではないものの、若草色のドレスは清楚でほっそりとしたアリスティアによく似合っていた。金色の髪は可愛らしく結い上げられ、首元には母の形見である小さな真珠のネックレスが飾られている。
壮麗な王城を見上げて、アリスティアはそっと深呼吸した。ここからが正念場だ。父の為にも、領地の為にも失態は許されない。
「おお、来たか」
護衛の騎士に連れられて謁見の間へと訪れた少女の姿を見て、グリンバーナ王国の国王であるゴーバン・デ・グリンバーナは安堵したように声を出した。何しろ候補の娘が殆ど死んでしまった中で、やっと姿を見せてくれた婚約者なのだ。ほうっと息を吐く王とは対照的に、王子であるノーブルはあまり興味がない様子でアリスティアを一瞥すると、ふいっと顔を横に向けてしまった。
アリスティアは王の前に進み出ると、ドレスの裾を摘み、深く腰を落として礼をした。
「陛下、ご機嫌麗しゅうございます。アリスティア・ミスティでございます。本日はお招き頂き、光栄に存じます」
静かに、しかし凛とした声が玉座に響く。アリスティアのカーテシーは大変に美しく整っており、居並ぶ兵士たち、大臣たちのみならず王さえもが感嘆の声を上げていた。アリスティアは視線を横に移動し、自身の婚約者であるノーブルへと目を向ける。
そこには――アリスティアが今まで出会った誰よりも美しい、銀髪にターコイズブルーの瞳をした流麗な装いの貴公子がけだるげに座っていた。白く滑らかな肌は傷一つ無く、冷たい青緑色の瞳を囲う銀の睫毛はけぶるように長い。ラフなように見せて着ているのは最高級の仕立ての絹の服であり、カフスボタンにはさりげなく稀少な宝石が嵌め込まれていた。
ひと目で、彼がこの国の王太子なのだとわかる。
「王太子殿下、お初にお目にかかります。アリスティアと申します。本日はお会いできて──」
「はっ。やめろやめろ」
徐々に暖められようとしていた空気が一瞬で凍り付いたのが、アリスティアにも分かった。
まだ言葉の途中であるにも関わらず、苛立ちを隠そうとせずにノーブルはその場に立ち上がっていた。目を丸くするアリスティアに、王太子は言葉を続ける。
「堅苦しい挨拶なんぞいるか。どうせお前も王室の財産が目当てなんだろうが」
「ノーブル!」
父親であり国王であるゴーバンが声を荒げてもどこ吹く風。ノーブルは暴言を止めようとはしなかった。
「伯爵家だったか?なんと恥知らずな。そのような身分でよくも王族の相手が出来ると思ったものだ。女など引く手あまただと言うのに。まあ、好きな時に抱けるというのだけは利点だがな」
ハッ、と侮蔑を含んだ声を吐き捨てた後で、ノーブルは。
「気安く俺に話し掛けようなどと思い上がるなよ」
そう言い捨ててさっさとその場を去ってしまった。後には地獄のような空気が残されているだけである。
聞きしに勝る暗君っぷりである。アリスティアはあまりの言い様に怒りすら通り越して、その場で唖然としてしまっていた。
「すまない。アリスティア嬢。息子に代わって非礼を詫びさせてほしい」
隣ではゴーバンが頭を抱えていた。まさかの一国の王からの謝罪に、逆に慌てるアリスティア。
「そんな。おやめ下さい陛下。私は何も気になどしてはおりません」
「王としてだけではない。一人の父親として詫びたいのだ。あれが増長してしまったのは他ならぬ私のせいなのだから」
「陛下……」
「あれが次期国王になると考えると、頭が痛くて仕方がない……」
ノーブル・デ・グリンバーナ。彼が次期国王の器かと問われれば、素直に頷くことはアリスティアにも出来なかっただろう。何故って彼が、この国が抱える現状に対してあまりにも無知すぎるからだ。
ノーブルは、女性など引く手あまただと言った。しかし現実はそうではない。王太子の婚約者となるべき貴族女性が殆ど残っていないのだ。それこそ伯爵令嬢が駆り出される程には、事態は困窮しているのである。
それをノーブルは、アリスティアが身分差を考慮せず婚約者として売り込みに来た場違いな女だとさえ宣った。自身の婚約者の話でありながらアリスティアの背景さえ理解していないというのは、流石に無知蒙昧と表現せざるを得ないだろう。このまま彼が王になれば、暗君の治世によって国が乱れることは避けようがない。
「それで、陛下。私は何をしたら宜しいでしょうか?」
アリスティアは、真っ直ぐにゴーバン王へと目を向けた。輝く宝石のような翠に見つめられ、項垂れていた王も顔を上げる。
「心中お察し致します。私がただ、愛想よく殿下の隣に立つ為だけに呼ばれた訳でないことは理解致しました。それでは、私はどのような役割を全うしたら宜しいのでしょうか?」
一国の王ともなる人間が、伯爵令嬢ごときに心情を吐露するなど考えにくいことだ。更に言えば、王太子についても、彼の性格上あのような態度を取ることは分かっていた筈だ。
もしもこの顔合わせを平和裏に終わらせたかったのなら、理由をつけて王太子を同席させなければ良かったのだ。しかし王はあえてそれをしなかった。ならばそこには、別の意図があるのだとアリスティアは理解した。王太子の真実を見せた上で、アリスティアにやらせたい何かがあるのだと。
「そなたは聡明だな」
王はアリスティアを見つめると、静かにそう口にした。これまで多くの人間を見てきた観察眼をして、唸らせるものを彼女は持っていたと言えるだろう。
「アリスティア嬢。それ故に、私はそなたを見込んだのだ」
「──え?」
聞いたのだ。とゴーバンは語った。
「あらゆる伝手を頼ってこの国中の貴族令嬢について調べさせた。正直に言えば、侯爵家にも公爵家にも生き残った令嬢はいた。淑女教育も申し分はない娘がだ」
「ならどうして」
自身が選ばれたのか。アリスティアの疑問に答えるように、ゴーバンは小さく頷いた。
「淑女であるだけでは、私の求める次期王妃には足りんからだ」
「足り、ない……?」
「アリスティア嬢。そなた、父の業務を手伝っていたそうだな?」
「え?は、はい……」
王が何を言わんとしているのか分からないが、問われていることは事実なのでアリスティアは頷いた。
「手伝いと申しましても、領地の収益の計算をしたり、収穫物の一覧表を作成したりと、大したことではないのですが……」
アリスティアが行っている手伝いは、父であるジョーダンから教わったものだ。凄いのは父であり、誉められるべきは彼だろうとアリスティアは首を横に振る。それを聞いてゴーバンは、ふっとターコイズブルーの瞳に笑みを浮かべた。ノーブルと同じ色の瞳なのに、こちらは深い知性と温かみのある光を湛えている。
「そなた自身がどう思おうと、読み書きに計算を学んでいる令嬢はそなた以外にいなかったのだ。それが理由だ」
「申し訳ありません。陛下。私には話が、見えないのですが……」
「つまりだ。そなたにはノーブルの婚約者であると同時に、教育係を務めて貰いたいのだ」
「────え」
「えええっ!?」
驚き慌て、思わず口元を押さえるアリスティア。己が王子の教育係だなどと、あまりに悪い冗談が過ぎる。彼女は、自身が他人に物事を教えられる器だとはまるで思えなかった。
「陛下。恐れながら私は──」
否定の言葉を口にし掛けて、しかしゴーバンの真剣な眼差しを見たアリスティアは咄嗟に口をつぐんだ。何故って、ここで自分には無理だ。などと否定すれば、それは一国の王の命令を拒否したことに他ならないからだ。伯爵令嬢である自身がそんなことをすれば、それこそフィックス領や父にどんな罰が下るか分からない。それほどに、国王の言葉とは重いものなのだ。
第一、自身に何か役割がある筈だと自信満々に口にしたのはアリスティアだ。それで出来ませんというのは純粋に情けない。
「──いえ、失礼致しました。私めで良ければ、慎んでお受けさせて頂きます」
きっと、私よりも智も力もある令嬢は大勢いただろう。しかし彼女たちはその才覚を発揮することなく、若くしてその命を散らしてしまった。ならばこれは、生き残った私が成さねばならぬ天命なのかもしれない。
アリスティアはそう考え、ゴーバンに宜しくお願いします。と頭を下げた。ゴーバンはアリスティアの快諾を受けて「おお」と感嘆の声を漏らした。
「そう言ってくれるか。ありがとう。そなたに感謝を」
嬉しそうに微笑むゴーバンは、一国の王に似合わぬ柔和な表情でアリスティアに礼を告げた。
(きっとこれから大変になるわ。頑張らなきゃ)
アリスティアはこれからの日々に想いを馳せると、ふんすと鼻を鳴らして自身に気合いを入れるのであった。
◆◆◆◆◆
そうして始まった彼女の新しい日々は、案の定というべきか、順風満帆というわけにはいかなかった。
月のうち三日ほど王宮に足を運んではノーブルの教育に努めるのだが、これが実に曲者で。
「最初に言っておくが、俺は伯爵令嬢ごときの意見を聞くつもりは全くない」
改めて挨拶したアリスティアに対するノーブルの第一声がこれであった。戦う前から負けが決まっているような無力感に襲われるも、む、と表情を強張らせてアリスティアは口を開いた。
「ならば私が侯爵令嬢であれば話を聞いてくれたと?」
「いいや。俺は俺より身分の低いものの意見は聞かん」
「お言葉ですが殿下」
そのあまりに冷たい物言いに気圧されそうになるが、ぐっと拳を握ってアリスティアは果敢に言葉を返していた。ここで退いてしまえば、自身がここにいる理由がなくなってしまう。
「それでは誰も殿下に意見を出来なくなります。王族であるからこそ、どんな身分の相手の話も聞かねばならないのではありませんか」
「よく回る口だな」
面倒臭そうに頭を掻きながらノーブルが吐き捨てた。もう会話を続けたくないのだろう。その全身から、黙れ。というオーラが溢れている。しかしアリスティアは黙らない。
「第一、先程の発言は嘘でしょう?殿下は己身より目上である陛下の言うことすら聞かないじゃありませんか」
「────ち」
明らかに不機嫌な空気を全身に纏わせると、ノーブルは眉をつり上げて吐き捨てた。
「だったら言葉を変えてやる。この俺は!女の指図なぞ受けん!」
「っ」
「孕み袋の分際で教育者気取りとは烏滸がましい。理解したならとっとと出ていけ。不愉快だ」
そうしてアリスティアは反論さえ許されぬまま、部屋から叩き出されてしまったのだった。
ドアに背を向け佇んだ彼女は、行き場のない憤りに拳を握りしめる。
(なによ! 自分だって女から産まれたくせに……!)
そう考えたところで、アリスティアは俯いた。
彼は王妃を、母親を小さな頃に亡くしている。乳母や侍女たちは給金と引き換えに彼を守り育てただろうが、ノーブルは母の愛を知らないのだ。女性を下に見ているのも、それが関係しているのかもしれない。
(それはそれとして腹は立つけれども……!)
アリスティアはぷんすか憤慨しながらも、
(まだ明日も明後日もあるんだから。しっかりとお話すればきっと分かって貰える筈よ)
そう自身を鼓舞するのであった。
◆◆◆◆◆
果たして三日後。
「エマぁ……。私、きっと駄目な人間なんだわ……」
そこにはうちひしがれて侍女頭に泣き付くアリスティアの姿があった。
侍女たちのまとめ役であるエマ(演:ウィズ)はふふ。と微笑むと、流れるように優美な所作でポットの紅茶を暖めたカップへと注いでいく。
「アリスティア様が頑張っておられること、皆が理解しておりますよ。駄目だなんておっしゃらないで下さい」
「けれど、この三日どれだけ言葉を尽くしても殿下には微塵も響かなかったのよ」
「それでもこうして三日目を送れているじゃありませんか。今まで殿下に付いて三日目を迎えた家庭教師は一人もおりません」
「それは、婚約者だから……」
口にして、ああ。とアリスティアは納得したように息を吐き出した。なるほど、だから婚約者に教育係を押し付──任せたのか。王子と言えど無下に追い出すことの出来ない人材故に。
「とにかく、ノーブル様の問題は時間が掛かります。ゆっくり取り組まれるのが宜しいかと思いますよ」
そんな言葉と共に、アリスティアの前にティーカップがことりと置かれた。僅かな湯気越しに顔を上げると、微笑むエマの姿が目に入った。焦げ茶色の髪をシニヨンにまとめ、メイド服に身を包んだ彼女は銀縁の眼鏡をくい、と持ち上げている。──何とも様になった姿だ。
侍女は下働きの女中とは違い、元々貴族の令嬢が行儀見習いを兼ねて上級貴族の身の回りの世話やドレスのコーディネートなども任される役職である。センスを磨いて、身分の高い主人に気に入られれば将来は明るい。王宮の侍女頭ともなると当たり前なのだが、エマは一つ一つの仕草が洗練されていて見惚れるような美しさだった。
「冷めないうちにどうぞ。……あ、暖かい紅茶はお嫌いでしたか?」
「いえ、頂くわ。ありがとう」
エマの姿に見とれていただなどと言うわけにもいかず、アリスティアはティーカップに口をつけた。
「あら、美味しい……。フルーツティーね。これは、コケモモ?」
「分かるんですか?」
アリスティアが素直な感想を伸べると、エマは逆に驚いたような表情を浮かべた。
「乾燥させたコケモモを茶葉と共にお湯に浸けております。こうすると甘酸っぱい香りが溶けて紅茶が更に美味しく仕上がりますので」
「エマは紅茶の天才ね。あ、でも香りだけというのは勿体無いわ。紅茶をたっぷり吸った果物は、それそのものも美味しいのよ」
「そうなのですか?では、次からはそちらもお出しさせて頂きますね」
ふふ。と上機嫌な様子でそう口にした後、エマは、あっ、と小さく呟いた。
「そういえばアリスティア様、大臣──オーゼル様が話をしたいとのことでしたよ」
「オーゼル様が?」
オーゼルとは王の補佐を努める公爵家、バンスタイン家の家長である男だ。齢五十を越える、この世界においては高齢者の部類であり、若い頃からのたゆまぬ努力によって領地を平和に保っている敏腕領主でもある。彼の持つ領地は実にグリンバーナ王国の三分の一を占めるといえば、その凄さが伝わるだろうか。
アリスティアにとっては、王族に次いでオーゼルもまた雲の上の存在であり、普通に生きていたなら一生関わることはなかったであろう相手だ。それがこうして向こうから話したいと言ってくるのだから、人生とは分からないものである。
「そうなの? わ、私何か粗相を……?」
「いえ」
怒らせてしまったのでは、と不安になるアリスティアに、エマは微笑みを崩さずに口を開いた。
「アリスティア様に興味があるような御様子でしたよ。少なくとも悪い感じではなかったかと」
「そうなの? それなら良かった」
ほっと胸を撫で下ろすと、「ならすぐ行かなくちゃ」とアリスティアは立ち上がった。
「ごちそうさま。本当に美味しい紅茶だったわ。ありがとうエマ。なんだか元気が出たみたい」
ぐっぐっ、と胸の前で拳を握って見せると、エマはふふふ、と微笑んで見せた。
「でしたら良かったです。オーゼル様は、この時間ですと庭を抜けた先の離れにおいでですよ」
「そうなの? ありがとう!じゃあ行ってきます!」
そう言うが早いか、小走りに部屋を出ていってしまうアリスティア。その背を目で追いながらエマは、「慌ただしいこと」と息を吐き出した。
(まだ、王妃という振る舞いには遠いようですが)
しかし、この短いやり取りだけで彼女は、アリスティアの人柄を気に入りつつあった。
(願わくば、このままつつがなく奥様になってもらいたいものです)
◆◆◆◆◆
「~~~~♪」
鼻唄を混じらせながら、小走りに庭園を急ぐアリスティア。そんな彼女の姿を、窓縁に座りながらノーブルが気怠げに見つめていた。
「………………フン」




