ファティス昔ばなし
今から三十年前のこと。
ファティスの町にふらりと一人の旅人が足を踏み入れた。
「すまん……、何か、食べ物を……」
死ぬほどの空腹に苛まれていた旅人は、偶然通りすがった老夫婦によって助けられた。
旅人は二人に大層感謝すると、お礼に何か困り事を解決したいと口にした。
「何でも構わない。今困っている事があったら言ってくれ。個人的なものでも、町の困り事でも構わない」
それこそ困ったように顔を見合わせる老夫婦。確かに困り事はあるのだが、一介の旅人にどうこう出来る内容ではなかったからだ。
「何でも構わない。言うだけ言ってみてくれ」
「そうさのう。町の北側を真っ直ぐに進むと川がある。その対岸には大きな遺跡があって、周辺は山菜の群生地なんだ。ワシら年寄りはそいつを生活の当てにしているんだが、先日の台風でそこに掛かる橋が崩れてしまってな。渡れなくなって困っているんだ。……だがなあ?こんな話をされても困るだろう?」
「……そうですよ。私らみたいな年寄りにとっては、こうして誰かと一緒に食事を取れること自体喜ばしいことなんですから。もし気にされているのなら、旅のお話しでも聞かせて頂ければ。ねえ?あなた」
「おお、そうだとも」
夫婦は口々にそう言って旅人を気遣ったが、それではどうにも気がすまなかったらしい。結局彼は夫婦の案内で橋の跡地まで出掛けることに。
辿り着いたそこには、成る程確かに木の橋の残骸が残されている。
「こいつだが……、しかしどうするつもりだ?」
「……成る程。ふむ。岩がゴロゴロしているな。手慣らしには丁度いい」
「あんた?何を」
眉をひそめる老夫婦には目もくれず旅人は付近を散策すると、近くにあった大岩にそっと触れた。
「【ラビド】」
その言葉と同時に、人間よりも大きな岩がずずず、と音を立てて地面から抜け、その場に浮かび上がったのである。
「「!?」」
「【ダークエッジ】」
これだけでも驚きなのだが、次の言葉と同時に旅人がちょいちょい、と手を動かすと、それらがいきなり長方形のブロックに切り裂かれたのだから、仰天なんてものではないだろう。
百は越えるであろう石のブロックが浮かぶ光景に目を白黒させていた老夫婦だったが、息を飲むと旅人へと尋ねた。
「ぁ、あ……、あんたぁ、なにもんだ……?」
「俺か?俺はみ──いや、そうだな」
旅人は少し考える素振りを見せると、うむ。と頷き。
「俺は、サースレオン。ただの旅人だよ」
柔和な笑顔でそう口にしたのだった。
◆◆◆◆◆
「おい聞いたか!?とんでもねェ男が現れたとよ!」
「聞いたとも。一切その場から動かずに石橋を作り上げちまったらしいぞ」
「アールスのジジイが見たらしいが、目の前で岩をチーズみてェに切っちまったんだと」
「こりゃあ噂の大賢者様なんじゃねえのか?」
サースレオンという男の噂は、瞬く間にファティス中へと駆け巡った。誰を相手にも分け隔てなく気さくに、そして優しく接するサースレオンに、最初はおっかなびっくり、という様相だった町人たちもすぐに心を開き、彼の強さに心酔した。
老若男女問わず大人気となったサースレオンであったが、とりわけ彼に夢中になったのは、ファティスの子供たちであった。お伽噺の中にしか出てこない英雄が現れてしまったかのように、彼らはサースレオンに熱狂したのである。
「サースレオ~ン!」
「げ」
とある早朝のこと。遠くから聞こえる大声を受けて、誰よりも強い筈の男は脱兎の如く逃げ出していた。遅れること十秒程。その場に姿を見せたのは二人組の少年であった。
「くっそー!逃げられた」
悔しがる素振りを見せている黒髪の少年は、ファティスの町に住む八歳児、クレストであった。見るからに快活な彼に遅れて、もう一人の少年も息を切らせてその場に到着する。
「はぁ……、クレスト、が追い付けない人が、いるなんて、ね」
「おせーぞデイビッド」
膨れ面を浮かべるクレストを気にせずふー、と息を整えているのは、彼の友人であるデイビッドであった。クレストより一歳下のデイビッドは、喧しいクレストとは対照的に口数の少ない、掴み所のない少年だった。隣家に住むデイビッドは親同士の付き合いで出会ってからこっち、クレストに引っ張られるようにあちこち連れ回されていた。その都度、癖毛を掻き回して考え込むような顔をしているのだが、別に嫌というわけではないらしい。
今回は凄い男が現れたとの噂を聞き付けてクレストに連れられて来たのである。
「どこ行ったんだ~?」
そのクレストだが、デイビッドの言う通り八歳にしてファティスで一番足が速いと評判の子供であった。加えて執念深く、彼に追われて逃げ切れた者は、子供であろうと大人であろうと一人としていなかった。その様から地獄のクレスト、なる不名誉なあだ名を付けられているのだが、本人は大層気に入っている様子であった。
「クレスト、あれ」
と、遠くを指差してデイビッドが呟いた。見ると、見慣れぬ黒髪の男が走っていく姿が小さく見える。
「っしゃ!行くぞデイビッド!」
「えー?疲れるなぁ……」
不満を口にしながらも帰るつもりはないらしいデイビッドを後ろに、クレストは一気呵成に走り出すのであった。
◆◆◆◆◆
町の中心から北西に外れ、小高い丘を登ったその先に、赤い花畑が広がっている。まるでそこだけ世界が変わってしまったかのように色付いたそこを通り抜け進んでいくと、奥に一軒の家が建っている。
「どーこ行ったんだ?」
キョロキョロと周囲を見渡しても、それらしい姿はない。クレストは迷いなく進むと、家の中に足を踏み入れた。
「おーっす、セルゲイのおっちゃん」
「お。クレスト、どうした?またパンが食いたいのか?」
中にいた大柄の男が、クレストを見付けると柔和な笑顔を浮かべて身を屈めた。
セルゲイと呼ばれた彼はこの丘の家の主であり木こりを生業としている男なのだが、本人はパンを焼くことが趣味であるらしく、しょっちゅう焼いては家族や客人に振る舞っているのである。味もどんどんと上達して、今では何故か町のパン屋を上回る程の腕前となっているのだが、本人は店を出すつもりはないらしい。
「パンくれんの!? やった~!!」
「クレスト……」
喜びに跳ねるクレストであったが、デイビッドから袖を引かれてあっ、と口を押さえた。
「い、いや、そーじゃねーよ。なあおっちゃん、こっちにすげー男来なかった?」
「おん? なんだぁ?」
クレストの言葉に頭を掻くセルゲイであったが、そこに別の声が聞こえてきた。
「クレスト? デイビッドも。何してんの?」
「お。フィオナじゃねーか。お前こそここで何してんだ?」
フィオナ、と呼ばれたのは、茶色の髪をポニーテールにまとめた少女であった。デイビッドと同い年である七歳にして、クレストに引けをとらない気の強さも備えた彼らの幼馴染みだ。
「何って、私はお手伝いよ。マギーさんの」
「手伝い?」
「うちの花畑の水やりをしてくれてんのさ。遊び呆けるあんたら悪ガキどもと違ってね」
フィオナの後ろにあるキッチンカウンターから、セルゲイの妻であるマギーが顔を覗かせた。栗色の髪を伸ばした美人で、四十歳になった今も彼女を慕う男たちは多いのだとか。まあ生半可な男ではセルゲイには敵わないので、片想いで終わるだけなのだが。
「マギーおばちゃん。そんなことよりすげー男見なかった?」
「このガキ……」
「さっきから何なんだ?そのすげー男ってのは」
セルゲイが不思議そうに腕を組むと、クレストじゃ埒が明かないと判断してかデイビッドが口を開いた。
「ほら。橋を直したっていう話、あったでしょ」
「──ああ! アールスのオヤジが騒いでた奴か!」
理解した上でフーム、と首を捻ると、セルゲイはこう結論付けた。
「すまんな。分からん!」
「ま、そーだよなー」
知らないならここに居ても仕方がない。さっさと出ていこうとするクレストであったが、その背に声がぶつかった。
「待ちなガキども。そんな下らないことしてるくらいだ。どうせ暇なんだろ?だったらフィオナを手伝いな」
「はぁ~?なんで」
「ぐだぐだ言ってんじゃないよ! さっさとやれ!」
子供相手に中々の凄味である。こうなったマギーは面倒なのだ。助けを求めるようにセルゲイに視線を向けるクレストであったが、
「すまんな。パン焼いといてやるから頑張ってこい」
こう言われてしまっては仕方がない。デイビッドを連れ立ってフィオナに同行することとなるのであった。
「ふー、あー重かった。で、こいつはどうすんだ?」
花畑の側に辿り着いたクレストたちは、三人掛かりで運んでいた大きな水がめを、その場にドスンと降ろした。
ともすれば子供の一人は隠れてしまいそうな大きさのそれについてフィオナに尋ねると、フィオナはふふん、と鼻を鳴らした。
「知らないの? これに水を溜めるのよ」
そうして目を閉じて手にした魔石を強く握るフィオナ。一分程そうした後で水がめの底にそれを放り込むと、魔石からじゃばじゃばと水が溢れ出して水がめに溜まり始めたのである。
「おー、すげー!」
「日頃どれだけ家事を手伝ってないか分かるわね……」
フィオナの言う通り、水の魔石や火の魔石などは、生活していれば当たり前に目にするものなのだ。新鮮に驚いているクレストにやや呆れながらも、フィオナは次いでデイビッドへと目を向ける。
「あんたはどうなの?」
「…………」
呼び掛けられたデイビッドだが、何かを考えているようだった。
「ちょっと」とフィオナが追撃すると、デイビットもようやく「ああ」と声を返した。
「サースレオンの足取りは、迷いがなかった。闇雲に逃げてるって感じじゃない。あれはこの町に詳しいんだ。……多分」
「はあ? 何の話?」
「何か目的があってここに逃げたんだ。だから近くにいると思うんだ、けど」
急に饒舌に喋り出したかと思いきや、意味不明なことを口走っている。眉根を寄せるフィオナとは対照的に、クレストは「おお」と意気込んだ。
「よし、そんじゃあここいらを探せば──」
「探すんじゃない。て、つ、だ、い。分かった……?」
「あ、ああ。分かってるよ……」
クレストでさえ、怒れるフィオナには頭が上がらないようだ。水がめいっぱいに水が満たされると、フィオナは魔石を取り出しながらこう口にした。
「じゃあそこに持ってきたじょうろで水をあげましょ。赤花全部ね」
「ちぇっ」
言われてクレストは仕方ない、とばかりに横に穴の空いた容器を手にすると、それを水がめの中へと突っ込んだ。
「うぃぃ! 冷てェ!」
もうすぐ春とはいえ、まだまだ寒さも残る微妙な季節だ。思ったよりも冷たい水の洗礼を受けて頭にきたのだろう。クレストは手にしたじょうろの中身を、遠心力を駆使して一斉にぶちまけていた。
「どりゃあぁぁぁ!!」
「あっ!なにやってんの!?」
この気合いの雄叫びから鑑みても、偶然そうなったという訳ではないようだ。
本来ならばそれは、クレストがフィオナに怒られるだけの何気ない場面だった筈だ。しかし、現実は違う。
「ぶわッ!? 冷てえ!?」
撒かれた水がびしゃり、と花を濡らすと同時に、なんと赤花が喋ったのである。
「うわぁっ!?」
「きゃあぁっ!?」
驚き、思わずその場から逃げ出すクレストとフィオナ。しかしその途中でデイビッドを取り残して来てしまったことを思い出して、その足を止めていた。
「デイビッド──」
「俺じゃないぞ。水を掛けたのはあっちだ」
そうして振り返ったクレストが見たものは、こちらを指差して何やら説明をしているデイビッドと、
「ガキどもが~!」
頭から水を滴らせ、怒りの表情でこちらを睨むサースレオンの姿だった。
「あ!サースレオン!」
「人が気持ちよく昼寝してたのになんてことしやがんだ……?あ?」
「ひぇ……」
サースレオンに会いたかった気持ちが消えたわけではないのだが、バチクソにキレた大人が怖いというのもまた事実である。水を浴びせた当事者としてたじたじになるクレストの隣で、しかし一歩も退かない者がいた。
「悪いのはそっちでしょ! 貴方が踏んでるその花畑は、マギーさんが大切に育ててるものなのよ!?」
「……そ、そうか。それはすまん……」
なんとフィオナは逆にサースレオンを叱り付け、謝らせてしまったのである。開いた口が塞がらないクレスト。
「……なんでこんな所で寝てたんだ?」
デイビッドが、フィオナに叱られトーンダウンしたサースレオンに向かって尋ねた。所在なさ気に頬を掻いた後で、小さく鼻を鳴らすサースレオン。
「そりゃ、やってみたかったんだよ。赤フージャに囲まれて寝る経験なんてしたことないからな」
その言葉に、デイビッドもクレストも、フィオナさえ首を傾げていた。
「フー、ジャ……?」
「なんだ?フージャって」
フージャなるものは、初めて聞く単語である。キョトンとする三人に、サースレオンは嘆息した。
「この花の名前だ。知らんのか?」
「知らねえ。俺、赤花だと思ってた」
「大人もみんな赤花って呼んでるわよ」
何しろ花畑の持ち主であろうマギーがそう呼んでいるのだ。恐らく誰もがそうであろう。
「そうかい。だったら覚えておけよガキども。お前ら一人一人に名前があるように、花にだって一つずつ名前があるんだ。こいつはフージャ。白いものと赤いものが存在していて、白は希少種なんだと。一度植えれば何年も花をつける多年草の仲間で──、あ、いや、別にそこまではいいか……」
「へー」
「そうなのね。まあ花の名前がどうあれ、貴方がそれを踏み荒らした事実は変わらないけど」
「……すまん」
クレスト、フィオナは花の名前を言われたところで興味はなさそうであったが、デイビッドは違った。彼だけが目を見開き、サースレオンの解説に聞き入っていたのだった。
「フージャ……」
◆◆◆◆◆
それから暫くして。
「げ。またお前か」
「聞きたいことがあるんだが」
逃げた先に先回りしていたデイビッドの姿に、サースレオンは深くため息を吐き出した。
足で追い付けないと分かってクレストは早々に諦めたのだが、何故かデイビッドの方が諦めずしつこくサースレオンを追い回すようになったのである。それも、サースレオンの行き先を知っているかのように先回りして待ち受けているのだから驚きである。
「……なんでここが分かった」
「え? そりゃ、あんたの癖を調べたんだ」
「癖?」
しれっと言うデイビッドに、サースレオンは目を細めて眉をひそめる。「ああ」とデイビッド。
「あんた。あまりにもこの町に詳しすぎる。全ての道を把握してるだろ? それであんたは逃げるとき、最短経路で最も遠くに行けるルートを選択する癖があるって分かったから、それに倣ったんだ」
「…………マジか」
恐らくそれは、サースレオン自身も理解していなかった行動原理だろう。驚いたように目を開いた後で、観念したように彼は口を開いた。
「……分かった分かった。一つだけ教えてやる」
「────よしっ」
ぐっ、と拳を握るデイビッド。そんな日々は一ヶ月程続いたが、それはある日突然に終わりを迎えることとなった。
サースレオンが、セタンタの王城に呼ばれたのである。恐らく彼の強さが噂になってのことだろう。
「じゃあ、行ってくる。なに、用事が済んだらまた戻って来るさ」
そう口にして出ていったサースレオンであったが、結論から言おう。それから何年経とうとも、彼が戻って来ることはなかった。
風の噂でサースレオンが勇者に任命されたらしいと聞いた時点で、町の誰もが彼はもう二度と戻らないのだろうと心の何処かで理解していた。何故って、今まで勇者になって生きて帰ってきた者はいないのだから。
「俺、大きくなったら旅に出るよ」
サースレオンがファティスを出て行って数か月ののち、デイビッドが急にそんなことを言い出したので、クレストは大変に驚かされた。
「急にどうした?」
「急に、じゃない。ずっと考えていたんだ。サースレオンに言われて、見知っていた筈の花の名前さえ知らなかったって気付かされた。俺はもっと、世界を見て回りたいんだ。色んなことを識りたい」
「……そうかい」
デイビッドが言い出したら聞かない奴であることは、幼馴染みであるクレストもよく知っている。
きっとこいつならそうするんだろう。そう思いながらクレストは視線を遠くへと戻すと、もう居ないサースレオンに想いを馳せるのだった。
クレストがレオンの、
そしてデイビッドがダニエルの父親になるのは、まだ先の話である。




