魔王城『魔王軍会合その3』
魔王城はその日も変わらずその場所に存在していた。
紫に染まった毒沼の上に厳かに建つその城は、命というものを感じさせぬ無機質な冷たさを放っている。
その内部。玉座の間において、ふわりと降り立つ影があった。
「やっほー」
それは、少年だった。天真爛漫な愛想を振り撒く、十歳程の少年。この場においてそれはあまりにも不釣り合いな存在と言えるだろう。彼が紅い目をしていなければ、誰もが目を疑う存在であったことは間違いない。
紅い瞳は、魔族の証だ。そう、彼こそが、魔王軍幹部が一人、アシュレインなのである。
「魔王サマ~、遊びに来たよ~」
「貴様!口を慎め!」
どこまでも呑気なアシュレインに、横合いから激昂した声がぶつけられた。ひょっ、と身を傾けてアシュレインがそちらに目を向けると、そこには彼のよく見知った顔がある。
「わあびっくりした。なんだギルディアか」
「なんだではない!魔王様の御前だぞ!」
「うんうん。そうだねえ。──だから?」
「──貴様」
「やめよ」
紅い鎧に身を包んだ大男──ギルディアが剣の柄に手を掛けようとしたその時、玉座の間の奥、暗がりより声が響いた。
「はっ」
端的かつどこか冷たさを含んだその声に反応して、ギルディアが即座にその場に片膝をつく。対するアシュレインは、後ろ頭に両手を添えたまま、微塵も緊張を感じさせることなく壁に背を預けていた。
「出過ぎた真似を致しました。魔王様」
「ふむ……」
魔王、と呼ばれた男が、暗がりから姿を現した。粗暴と称されるギルディアがこうして頭を垂れる相手はただ一人、彼だけなのである。
「良い。ではこれより会合を始める」
魔王の宣言により、これで三度目となる魔王軍会合が開始される。しかし、始まって早々そこに懐疑の声を挟む者がいた。
「恐れながら魔王様」
「……ギルディア、どうした」
ギルディアである。普段は魔王の言葉を遮るような真似はしない男ということもあってか、魔王は驚いたような声を出していた。ギルディアは続ける。
「エルローズとシュバルツめがまだでございます。ここにいる幹部は二人。……これでは──」
見れば確かに、その場にいるのは魔王を除けばギルディアとアシュレインの二人のみ。四人いる魔王軍幹部の半分である。それを由々しき事態と判断して口を挟むギルディアであったが。
「構わん」
魔王は平常と変わらない様子で答えてみせた。
「なんと?」
「構わない、と言ったのだ。エルローズは勇者を迎え撃つ準備中、シュバルツは独断で勇者と戦い、敗北して現在は消息を絶っている」
「なんと!?」
語彙力を失ってしまったかのようにギルディアはそう繰り返した。アシュレインはクスクスと笑いを堪えている。
「いや~、シュバルツくんは駄目だよねぇ。独断専行して返り討ちとかダサすぎない? 僕が参加してるのにさぁ」
「よさんか! ……しかし冷静沈着がウリの奴が功を焦るとは、確かに不可思議な話ではあるが……」
「会合は始まっているのだぞ。二人とも控えよ」
シュバルツの現状は気になれど、魔王からそう言われてしまっては、ギルディアは「は」と平伏する外ない。アシュレインも押し黙ったのを確認すると、魔王は仮面の下から再度声を出した。
「現状は、エルローズの手番であり、奴に託すほかない。シュバルツは残念だが、これは自業自得であると言えるだろう。……ただ」
そこで一旦言葉を区切った後、ギルディア、アシュレインへ交互に顔を向けると、魔王はふん、と鼻を鳴らした。
「力量差を見誤ったとて、シュバルツはそのまま玉砕するような奴ではない。想定外の事態があったと見るべきだろう」
「え~?こわぁーい!」
「まあ、そこは今は良い。私からは以上だ」
おどけた様子のアシュレインには取り合わず、魔王はギルディアへと目を向けた。
「何か質問はあるか?」
「……では、魔王様。一つご質問が」
どうやらいつの間にか質問内容を決めていたらしい。魔王の言葉に、ギルディアは間髪入れずそう返した。
「なんだ?」
「エルローズめは、セタンタの街の襲撃計画を勇者に阻まれ、またしても失敗したとか」
「ああ。そうだ。手塩に掛けたマタンゴアも勇者に倒された。……それが、どうした?」
魔王に尋ねられて言い淀むギルディアであったが、決心したように口を開いた。
「この俺もエルローズめに力を貸すことを、許しては頂けませんでしょうか?」
「なんと。お前がエルローズに?」
「はい」
「無理だ」
一歩も引かぬその姿からは、ギルディアの本気の程が窺える。しかし間髪入れることなく、魔王は短い一言を返していた。
「な、何故です!?」
「では逆に問うぞギルディア。貴様が勇者に圧されて劣勢になったとして、シュバルツから共闘を持ち掛けられたなら受けるのか?」
「ぐ。……そ、それは……」
受けないだろう。プライドの塊であるギルディアが、自身の劣勢を認めて他者からの助力を受ける筈がない。
「エルローズも同じだ。更に言うなら奴は芸術家。勇者を殺すのは奴にとって作品を作るにも等しい。それ故奴は、作品に他者の色が入ることを何より嫌うのだ」
「…………申し訳ありません」
自身を引き合いに出されては、ギルディアも納得して引き下がるしかない。他に質問も出ないであろうことを確認すると、魔王は「うむ」と頷いた。
「それでは少し早いが、本日の会合はこれまでとする。下がって良いぞ、ギルディア」
「は」
「えー! 僕は!?」
ギルディアが名指しで指名されたということは、言い換えればアシュレインは下がるな。ということである。頬を膨らませて不満気なアシュレインを、ギルディアはくっくっと笑った。
「日頃の素行だな。精々叱られるといい」
「五月蝿いなぁ。もう帰れよ」
「ふっ」
含み笑いと共にギルディアがその場から姿を消すと、その場には魔王とアシュレインの二人が残された。
「──はぁぁぁぁ」
深い息を吐き出すと同時に自身の金髪をぐしゃぐしゃと掻き乱すと、アシュレインは魔王へと目を向ける。
「で、何」
その眼差しはこれまでの飄々と悪戯染みたものではなく、相手への敵意も混じった鋭いものであった。
「ふ。そう身構えるな。少しお前に伝えたいことと聞きたいことがあるだけだ」
「聞きたいこと……?」
「先に伝達事項からだ」
訝しんだ様子で眉根を寄せるアシュレインに、魔王は次いでこう口にした。
「エルローズの次はお前だ。今の内から準備を進めておけよ」
「────」
ぽかんと呆気に取られた様子で話を聞いていたアシュレインであったが、その意味する内容を理解すると、耐えきれず心の底から愉快そうに笑い出していた。
「あっはははははは!! 何それ!? エルローズが勝つなんて微塵も思ってないんじゃん! 期待しているなーんて白々しいこと言ったくせに! うっわ、酷いなー!!」
万が一、等ではなく準備をしろ、と断言するのは、つまりそういうことであろう。エルローズの勝利を僅かでも信じているのなら出せない発言だ。ひとしきり笑った後で、「でもさ」とアシュレインは疑問を口にする。
「それならさっきのギルディアの共闘を断ったのはなんでさ? そりゃエルローズは嫌がるだろうけど、魔王サマから言えば従うでしょ?」
「エルローズはどうなっても構わんが、ギルディアにはまだ役割がある。万一に滅びられては困るのだ」
「ふーん」
話を聞いた後で、アシュレインは肩をすくめながらエルローズに同情した。
(なんでかは知らないけれど、見限られてんじゃん可哀想に。……いや、こいつは最初から僕らに期待なんてしていないのか。──それはこっちも同じだけどさ)
「ふぁ~……。はいはい分かりました。準備はやっておくよ」
魔王の思惑は読めないが、自身が負けるとも思っていないアシュレインはあくび混じりにそう返した。
「……ところで、聞きたいことがあるんだっけ?」
「──ああ……」
珍しく言い淀んだ後で、アシュレインへと仮面を向けると魔王はこう告げた。
「お前はキメラを造る研究をしていたな? 聞きたいのだが、異なる器に入れられた魂がその器に引かれて変質することはあり得るのか?」
「へ? キメラ……?」
魔王が彼の研究分野について質問をすることなど初めてのことだ。いや、そもそもが魔王軍幹部に進捗以外の何かを尋ねたことなど未だかつてなかったのだ。
常に余裕を崩さずにいたアシュレインが驚くのも無理のないことだろう。
「……ふうん。そんなことか」
急に得意分野に話を振られて戸惑っていたアシュレインであったが。問われている内容については簡単に結論を出せるものだったらしく、すぐに普段の飄々とした顔を取り戻してそう口にした。
「どうしよっかな~。教えてあげてもいいけど……」
悪戯をしている自覚のある子供のようにニヤリとした笑みを浮かべると、アシュレインは魔王に対し次いでこう言ってのけた。
「代わりに一個だけ僕の質問にも答えてよ。それならいいよ」
「……………………」
表情のない仮面がアシュレインへと向けられる。もしもこの場にギルディアとシュバルツがいたならば、アシュレインのことを全力で止めていたであろう。
しかし今ブレーキを掛ける者は誰もいない。魔王は仮面の下で、小さく嘆息した。
「油断のならん奴だが──、いいだろう。分かった。……だがそちらの回答が先だ」
「ちぇ。分かったよ」
小さくそう呟いた後で、アシュレインはニヤケた笑みを顔から消した。こちらは、ストイックな研究者としての彼の顔である。
「結論から言うと、それは”ある“よ。違う魂が器に引っ張られることは、稀なことじゃないんだ」
「……やはり、そうか……」
その口ぶりからして魔王にも思い当たる節があったのだろう。そんな様子をふーん、と眺めながらアシュレインは言葉を続ける。
「例えば虫も殺せない男がいてさ。そいつを捕まえて、生前特に凶暴だったタスクタイガーの肉体を与えたんだけど、どうなったと思う?」
「それは、前後の文脈からしてタスクタイガーの凶暴性に引かれて変質したのだろう?」
「まあ、最終的にはね」
遠い日を懐かしむように、明後日の方向へと目を向けながらアシュレインは言う。
「最初は抗っていたよ。誰をも引き裂ける牙も爪も使わず、小動物の死骸なんかを食べて細々と生きていたんだけど、段々とそれでは足りなくなってきてね。小さな生き物を狩るようになって、ふふ。一回殺してしまえば、タガが外れる。そこからはあっという間だったよ。気付けば男は、食事とは関係なしに目にする生き物を殺戮する怪物へと変貌していた」
「それは単に、その男が発狂しただけという可能性もあるのではないのか?」
「そうかもしれないけれど、肉体の凶暴性に引っぱられたことは間違いないと思うよ。逆パターンもあるからね」
「逆だと?」
魔王の言葉に、アシュレインはふふんと鼻を鳴らした。
「乱暴だった男を、草食動物の雌の肉体と掛け合わせた。しばらく暴れていたけどさ、一年後には自分の子供の毛繕いをしていたよ! あっははは! つまりそれって、彼?の本質が身体に寄せられたってことでしょ」
「む、むむむ……。そりゃ、そう、かもな……」
魔王の声はどこか歯切れが悪い。まるで、そうあってほしくなかった、とでも言いたげである。しかも普段のキャラも忘れてしまっているのか、自身の発言が砕けていることにさえ気付いていないようだ。そんな魔王に細めた目を向けると、アシュレインは「さて」と呟いた。
「そろそろこっちも質問させて貰おうかな。魔王サマ」
「────む」
「今の質問ってさ、例のテンセイシャ、とやらと関係あるの?」
「────」
言葉こそ口に出さないが、息を飲んでいる様子が空気で伝わってくる。その反応に確かな手応えを感じて、アシュレインは口の端をつり上げた。
「どうしたのー? 答えてくれる約束だよ~?」
「……まったく。お前は恐ろしい奴だ。何処でその名称を知ったのかはさて置き、──そうだ。その転生者絡みだ、と言っておこう」
「やっぱりね」
「少し、おぞましいものを見てしまってな。魂が肉体に寄せられることがあるのかどうかを知りたくなった。……そんなところだ」
「なるほど。それで知った訳だけれど、ご感想は?」
「絶望、だよアシュレイン。エルローズの言ったイレギュラー、あの女は絶対に始末しなければならないと分かった」
前後の繋がりが分からぬアシュレインには、魔王が何を言っているのかは分からない。しかし、イレギュラーを排除したいという強い意思は感じられる。
「役に立てたなら光栄であります」
「…………」
おどけたようなその声を無視して、魔王はアシュレインに背を向けた。
「まあ、参考にはなった。礼は言っておこう」
そう告げると、返答を待たずして彼は歩き去っていく。アシュレインは何を思ったか、その背中に声をぶつけていた。
「もう一つ聞きたいんだけど。魔王サマさ、あんたもそのテンセイシャ……ってやつなの?」
「……………………」
声を掛けられた魔王はその場に足を止めるが──、
「質問は一つだけだった筈だ。これ以上話すことはない。……期待しているぞ。アシュレイン」
そう口にして、二度と振り返ることなく立ち去ってしまった。結局その場に残される形となったのはアシュレイン一人である。
「ふ~ん」
やる気のなさ気な台詞とは裏腹に、目を細めて口の端をつり上げたその表情は実に楽し気であった。お気に入りの玩具が増えた。そんな顔である。
「嘘つきは嫌いだなぁ」
魔王が消えた虚空へと。アシュレインは一人声を発していた。期待などする筈もない。あの魔王を名乗る人間は、魔王軍幹部が全滅することを当然だと考えている節がある。
(それならそれで、好きに動けるから有り難いけどね)
負けて当然だと思われているのならば、珍しく全力を出して勇者とやらを叩き潰すのも一興だろう。
……本当はそれよりも先に、気に食わない魔王を殺してやりたいのだが、残念なことに今の自分では敵わないことが分かってしまっているのである。
まあ、今は従う素振りを見せた方が得策だろう。……あくまで、今は、だが。
「さてと、それじゃあ言われた通りに準備でもしておきますかね」
魔王の口車に乗るのは癪だが、アシュレインの見立てでもエルローズが倒される可能性は高い。ならば最大限楽しめるように手筈を整えておくことは間違いではないだろう。
「やれやれ。人気者は忙しくてしょうがないね」
小さく息を吐き出すと、そしてアシュレインも魔王城を後にした。
こんな大きさが必要なのかと疑問に思うほどに仰々しい城門を抜けると、そこに立つ大柄な影があった。
「アシュレイン様、終わったんですかい?」
スキンヘッドの頭頂部から弁髪を垂らしたその男は、アシュレインの二倍以上の体躯をしている。巨漢、という言葉がよく似合う大男であった。
「まーね。なんか特に大事な話もないし、来て損したよね」
「アシュレイン様はお忙しいってぇのに。困りますな」
「そんな話はどうでもいいよ。じゃ、帰り宜しく~」
疲れた。と息を吐き出した後で、アシュレインが男に向かって両手を広げた。
「へい。じゃあ行きやすよ」
そんなアシュレインに向かって頷くと、まるで当たり前の様に男はその体をひょい、と抱え上げた。
そうして肩に乗せてしまえば、大柄な男と小柄なアシュレインの差も相まって、まるで小動物を乗せているかのようである。
「はーらくちんらくちん。やっぱりデビュロは掘り出し物だったよ」
足をぱたぱたと動かしながら笑うアシュレインに、デビュロと呼ばれた大男も口の端をつり上げる。
「そんなに誉めるなら、何かくだせえよ」
「チョーシに乗らないの。殺すよ?」
「へいへい」
軽いやり取りをしながら、アシュレインはデビュロの肩に乗ったまま、二人で何処へと姿を消すのであった。




