第111話:帝国本隊の総攻撃、魔導列車砲の砲列
ズズズズズズ……――
地底のマグマが蠢くような重低音が、足元の花崗岩の岩盤を伝って、絶え間なく膝を揺らし続けていた。
迎撃望遠塔の展望デッキ。
アルトは真鍮の天体望遠鏡に片目を押し当て、遠く八キロメートル先の西の地平線を食い入るように見つめていた。
乾燥した春の突風が吹き抜ける荒野の果てに、黒鉄の巨大な塊が、地上を這うムカデの隊列のように無数に蠢いている。
ガレリア帝国第7機甲軍団の主力本隊。
その全貌は、先遣隊の小隊などとは比較にならないほどの質量と狂気を帯びていた。
地平線を覆い尽くすように敷設された、軌条幅三メートルを超える超広軌の重鉄複線レール。
その上を、真っ黒な石炭煙と過熱蒸気を天高く噴き上げながら、三編成の重装甲列車が並走していた。
先頭を走る工作列車が油圧ショベルと敷設クレーンをフル稼働させ、凍結した荒野の表土を削り取りながら、秒速数十センチの速度で休むことなくレールを伸ばし続けている。
編成の周囲を固めるのは、分厚い圧延鋼板で全身を包んだ一個装甲歩兵連隊――千名を超える兵士たちだ。
手には最新鋭の連発式魔導カービン銃、腰には蒸気圧駆動の破砕鎚。
彼らが踏み鳴らす軍靴の地響きと、蒸気ピストンのシュッシュッという激しい排気音が、八キロ離れた大樹の梢にまで、焦げ付いた重油の臭気とともに届いてきていた。
だが、その大軍勢の中央に鎮座する「それ」に比べれば、装甲列車も歩兵の隊列も、路傍の小石に過ぎなかった。
――超巨大列車砲『グングニル』。
全長百二十メートル、総重量千五百トン。
四十軸もの多軸ボギー台車によって支えられた超弩級の鋼鉄台座の上に、太さ二メートル半、長さ三十五メートルに及ぶ巨大な漆黒の砲身が横たわっていた。
口径八百ミリ。
帝国が誇る魔導冶金工学の粋を集めて鍛造された、山一つを一撃で地図から消し去るための攻城破壊兵器。
砲尾には四基の超高圧魔導炉が連結され、赤黒いマナの光条が、脈打つ血管のように砲身の多重冷却ジャケットを激しく這い回っていた。
砲弾一発を装填するだけでも、三十馬力の蒸気起重機を使い、十数名のエリート砲兵が三十分がかりで油圧シリンダーを操作しなければならないという、国家の工業力の限界を注ぎ込んだ怪物だった。
「あれが……本物の決戦兵器……」
アルトは息を呑み、双眸を鋭く細めた。
望遠鏡の倍率を最大まで引き上げる。
列車砲の装甲司令室の屋根の上、金モールの肩章をつけた厳めしい男が、軍用双眼鏡をこちらの大樹へと向けているのが見えた。
ガレリア帝国第7機甲軍団長、シュタインメッツ中将。
冷徹無比な戦略眼を持ち、数々の都市国家を蒸気と鉄の暴力で蹂躙し、灰燼に帰してきた歴戦の軍人だ。
中将にとって、この境界の森など、国家の発展のために掘り尽くすべき「未開の資源鉱山」の一つに過ぎなかった。
古代の霊樹が放つ神話のエネルギーを根こそぎ奪い、帝都の皇帝陛下へ献上する――その冷酷な野心が、双眼鏡の奥の鋼色の瞳にギラギラと宿っていた。
中将の冷徹な口元が、拡声魔導器を通じて遠雷のような唸り声を荒野に響かせた。
『未開の森に巣食う不逞の輩よ、聞け。貴様らが弄ぶ古代の遺産は、大帝国の産業発展のために接収する。今すぐ大樹の根元に跪き、無条件降伏せよ。さもなくば、あの樹齢千年の巨木ごと、この森のすべてを更地に変えてやるまでだ』
乾いた風に乗って届くその声には、一切の慈悲も迷いもなかった。
都市の腐敗した貴族たちとも、教皇庁の偽善の聖職者たちとも違う。
己の科学と軍事力を盲信し、他者の生命も自然の営みも、すべて「進歩の燃料」として平然とすり潰す、帝国の冷徹な合理主義。
「降伏なんて、するはずがない」
アルトは望遠鏡から目を離し、静かに呟いた。
逃げ場のない超長距離からの砲撃。
八百ミリ砲弾の直撃を受ければ、大樹だけでなく、温室のミツバチたちも、苗床の野イチゴも、冬を越した森の鹿たちも、すべてが一瞬で焼き尽くされる。
だが、アルトの心にあったのは、恐怖ではなかった。
「シロ、地下へ行こう。大樹の全バイパスを解放する」
アルトが振り返ると、背後に控えていたシロが力強く喉を鳴らした。
二人は展望デッキのハッチを跳ね上げ、空中回廊の中央に渡された「緊急滑降索」の真鍮製滑車に飛びついた。
ヒュルルルルルッ!
風を切り裂き、樹上二十メートルのデッキから主樹トチノキの根元へと、わずか数秒で滑り降りる。
着地と同時に、地下の樹洞へと続く点検ハッチをくぐり抜けた。
樹洞の奥では、黒曜石の古代コンソールがエメラルドグリーンの光を放ちながら、高速でホログラムを展開していた。
盤面の中央に嵌め込まれた銀板が、かつてない高周波の起動音を鳴らしている。
そして、そのホログラムの周囲に――無数の小さな光点が整然と並んでいた。
『生体探知網:オオツノジカ哨戒部隊より、敵装填シークエンスのリアルタイム情報を受信中』
頭蓋骨の奥に、コンソールからの音声がクリアに響く。
森の境界線沿いに散開したオオツノジカの若鹿たちが、大角を通じて敵の微小な金属音、レールを踏む振動、そして魔導炉の過給圧の波形を、大樹の根を通じてアルトへと伝達してくれていたのだ。
『敵列車砲:第一弾装填中。弾種――八百ミリ魔導焼夷徹甲弾』
『推計重量:七・五トン』
『初速:秒速千百メートル。弾道軌道:仰角四十五度による放物線軌道』
『着弾予想地点:主樹トチノキ中央デッキ』
『着弾まで:装填完了後、約二十八秒』
「重量七・五トンが、音速の三倍で突っ込んでくる……!」
アルトは額に滲む冷や汗を拭い、コンソールの光のキースイッチに両手を置いた。
物理的な運動エネルギーだけで、小型の隕石が直撃するのと同等の破壊力だ。
先ほどの教皇庁の魔法のように、ただ表面で反射力場を張るだけでは受け止めきれない。
光のエネルギーと、鉄の塊の持つ質量運動エネルギーとでは、物理の法則が根本から異なるからだ。
真正面から受け止めれば、力場が耐えられたとしても、その衝撃の余波で大樹の幹が根元からへし折れてしまう。
「受け止めるんじゃない。エネルギーのベクトルを完全に相殺し、空間ごと逃がすんだ」
アルトは深呼吸をし、頭の中で工学の計算式を走らせた。
水車小屋の巨大水車が回転して生み出す「力学的慣性エネルギー」。
床下の温泉パイプと蓄熱底石が蓄えた「地熱エネルギー」。
シラ樫の空中温室の魔導水晶レンズが集めた「高純度光エネルギー」。
そして、シロの体内炉が励起させる「超高圧電磁パルス」。
アルトが冬の間にコツコツと作り上げてきた秘密基地のすべての施設が、大樹の地下配管を通じて、いまや一本の巨大な回路として繋がっていた。
それらすべてを束ね、古代世界樹の真の防衛機構――「テトラヘドロン空間歪曲力場」として展開するのだ。
「シロ、エネルギー充填レバーを!」
アルトの指示に合わせ、シロが巨大な前足をコンソールの横に突き出た青銅のペダルへと押し当てた。
ガコン! と重い金属音が響く。
バチバチバチッ!
シロの背中の銀毛から、眩い蒼い稲妻が奔流となって黒曜石の盤面へと注ぎ込まれた。
地下樹洞全体が白昼のような青白い閃光で満たされ、大樹の主根を這う黒いチューブが、ドックン、ドックンと猛烈な勢いで脈打ち始める。
主樹トチノキ、空中温室の白樫、工作棟の巨ブナ、望遠塔のミズナラ――四本の巨木の主幹が共鳴し、地下水脈から吸い上げた高純度マナが、樹液とともに天蓋へと一気に汲み上げられていく。
『全サブシステム同調確認。エネルギー充填率――百二十パーセント突破』
『四極空間歪曲フィールド、発振待機完了』
『世界樹機関コア・アルファ、最大出力迎撃シークエンスへ移行』
コンソールのホログラムが、四本の大樹を結ぶ立体三角錐の結界構造を空中に鮮やかに描き出した。
その時。
――フォォォォォォンッ!
森の外縁部から、オオツノジカの主の鋭い角笛のような警告音が、大樹の根を通じて地下樹洞に響き渡った。
装填が完了したのだ。
八キロメートル彼方の荒野。
列車砲『グングニル』の周囲で、何百人もの兵士たちが一斉に耳を塞ぎ、地面に伏せた。
砲身を取り巻く四基の魔導炉が臨界点に達し、赤黒い光の蒸気が高圧弁から吹き上がる。
巨砲の周囲の大気が急激に熱せられ、陽炎となって空間を歪める。
シュタインメッツ中将が、抜き放った軍刀を振り下ろした。
『全砲門、境界の巨木座標へ固定完了! 帝国に抗う愚民どもに、鉄と火薬の鉄槌を――撃てぇぇぇッ!!』
カチリ、と電気点火装置が作動した。
次の瞬間、地平線そのものが真っ赤に弾け飛んだ。
ドガァァァァァァァァァァァァンッッ!!!!
大気そのものが爆縮し、鼓膜を破らんばかりの破滅の爆音が地平線を揺るがした。
三十五メートルの巨砲の砲口から、長さ百メートルに及ぶ白熱の炎柱と黒煙が噴き上がり、荒野の凍土が衝撃波で波打つようにめくれ上がる。
放たれたのは、重量七・五トン、山を消滅させるために鍛え上げられた八百ミリ魔導徹甲榴弾。
超音速の衝撃波を纏った巨大な弾丸は、空気を赤熱させながら放物線の頂点を駆け上がり、雲を真っ二つに引き裂いて――
キィィィィィン……という死の怪叫を轟かせながら、アルトたちの秘密基地、大樹の天蓋を目掛けて急速落下を開始した。
「来た……!」
地下樹洞で、アルトの指先が古代コンソールの主発振キーへと叩きつけられようとしていた。




