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デュアルの魔女から与えられた異空間の住居を、たいていの投降者は『城』と呼んでいる。
アイザス・ダナもまた例外ではなかった。
中央にそびえる塔はリューンの王城を彷彿とさせ、その前庭がコロシアム仕立てとなっているのも同じ構造だ。
ただ、かつては華やかな貴族が座席を埋め尽くしていたのに対して、今そこに座っているのは、アイザスに従ってデュアルに投降した親衛隊員たちのいかつい姿である。
闘技場では下級兵士たちの練習試合が行われていた。
リューンでは剣技が尊ばれる。
何度も刃が火花を散らし、そのたび親衛隊員は小声で隣の者とささやきを交わしていた。
自分に直属する兵士を誇る者、他者の兵士を称える者。
リューンの武人らしく、技そのものを楽しむ姿がそこここに見られる。
そんな中で。
「おっ」
親衛隊員の一人が、身を乗り出して大声を上げた。
「おい、あの兵士! 卑怯な技を使ってないか?」
指さした先では、兵士の一人がふりかふった剣を下ろすことができず、硬直したまま歯噛みしている。
その隙に、絶体絶命だったはずの試合相手は悠々と身を立て直し、皮肉な笑いと共に己の剣を地面から拾い上げた。
身動きのできない兵士の鼻先へ、剣を突きつける。
すると、皮膚に触れてさえいないのに、そのとたん兵士は仰向けにずでんどうと倒れてしまった。
審判役の兵士が駆け寄り、怒鳴りつける。
だが、勝者となったその兵士はいかにもうるさそうに片耳へ指を突っこみ、じろりと審判を見上げた。
審判の動きが固まり、カクカクと不自然にくるりと回った。
闘技場に背中を向ける形で、人形のような動作のまま歩き出す。口を開こうとワナワナするが、声も出せないでいる。
「あの野郎! <心惑わし>の技は、真剣勝負ではご法度だぞ!」
「誰の兵士だ、あいつは!」
親衛隊員が騒然となった。
立ち上がり、その兵士に向かって罵声ばかりかゴミまで投げ付ける者もいる。
その喧噪の中でも、兵士はまだ平然としていた。
小ばかにした顔で自分の剣を肩にかつぎ、さっさと闘技場を下りていく。
だが、余裕があったのはそこまで。
闘技場の控えベンチにいた兵士たちがバラバラと駆けだすなり、そいつを取り囲んでタコ殴りにし始めた。
「も、申し訳ありませんっ」
観覧席にいた親衛隊員の一人が、隊長のファラへ平伏して謝罪をはじめた。
「あいつはレオンといいまして、本来はマーチャの世話係だったのですが……この世界にはマーチャもおらぬため、兵士の真似事などさせておりましたところ、増長しましたようで。いえ、私は決してあの能力を試合に使ってはならぬと、今回の選手に抜擢したときにも、きつく言い渡しておいたのですが」
「ふむ」
ファラはひと声唸って顎を撫でた。
「絶体絶命の刹那につい、己の命を守ろうとして相手の精神を操った……というふうでもなかったな」
「私も同感です」
脇に控えたムルスも頷いた。
「あの不敵な顔を見るに、最初からやってやるという気で試合に出たのでしょうな」
「愚かな話だ。<心惑わし>の技を使って、気付かれぬはずがないだろうに」
「いや」
ムルスは首を振った。
「たぶんあの男は、気付かれぬようにこっそり、などというつもりはなかったのでしょう。それどころか、わざと派手に技を使ってみせたように、私には見えました」
「そこが愚かだというのだ。衆人環視にもほどがあるというこのような場で、どうしてそんな真似をするのか。せっかく動物の世話係から兵士に取り立ててもらいながら、みすみす自分の評判を下げるばかりではないか」
ファラが本気で首をかしげていたので、ムルスもそれ以上の説明をしようとはしなかった。
その実、ムルスにはレオンの意図がわかるつもりだった。
あれは下級兵士なりの、上層部に対する直訴の形なのだ。
生き物の精神を操る能力は、軽蔑ではなく利点として評価されるべきだと、あの兵士は言いたいのだろう。
現にこうやって、強力な剣士を相手にしても勝つことができる。
それを証明したかったに違いない。
仲間たちにズタボロにされたレオンは、早々に気絶した挙げ句、足を引きずられて宿舎へ運ばれていった。
宿舎でもひどいイジメが行われてはならぬと、ムルスは腰を上げかけた。
なんなら療養所へ移送することで、身を守ってやらねぱならぬ。ムルスの地位からすれば、ずいぶん離れてはいるが、彼とてムルスの部下であることに違いはない。少なくともムルス自身は、そういう感覚を失って増長してはならぬと自らに戒めている。自分自身が下級兵士から腕っ節ひとつでのし上がってきたムルスの、それは矜持でもある。
だが、ムルスが歩きだすより先に。
「ほほう、これは面白いものを見た!」
観客席の上方。
普段はアイザス・ダナが座る特別席のほうから、甲高い嬌声が響いてきた。
むっ、としてファラも立ち上がった。
「ジャメリン様? なぜここに?」
口調は丁寧でも、ファラの片手は剣の柄にかけられている。
異世界の住人が他の居住空間に無断で入ってくる無礼は元より、兵士同士とはいえ真剣な試合を勝手に見物されていたとあっては、穏便にはしていられない。
マントをひるがえして立ち上がったのは、やはりジャメリンだった。
相変らずの嘲笑を顔じゅうに浮かべ、いかにも尊大なふうに両手を差し上げてみせる。
「アイザス・ダナのご機嫌うかがいに来てみたら、今日はここで面白い見世物が行われていると聞いてな。いや、もちろんアイザス殿は、気がついてさえいれば喜んで私を見物に誘ってくれたことだろう。ああ、気にしなくていい。あの王子殿が人に気遣いのできるタイプでないということは十分に知っているし、今は己の傷口の痛みで頭の中がいっぱいのようだからな。私が勝手にご招待を受けたということにしたまでよ」
く、とファラが唇を噛んだ。
アイザスがリューン・ノアから受けた傷は、いつまでたっても治る気配もなく、ぐずぐずと彼を苛み続けている。
その痛みを多少なりとも軽減してくれるのは、ジャメリンの煎じた薬草のみ。
ゆえにアイザスもその部下たちも、ジャメリンがどんなに傍若無人な振る舞いをしようと、こらえる以外に方法がない。
「風や水を操るばかりでなく、なんとリューン人は他人の精神を操ることもできるのか。そんな便利な力を、なぜ戦闘に使わない? それどころか、使った者が大悪人みたいな扱いを受けるのはどういうことだ?」
階段状の座席を、ジャメリンはひと跳びでファラのところまで下りてきた。
面と向かって問われては、さすがにファラも無視はできない。
「……人の心を技によって従えるのは、<心惑わし>と呼ばれ、下衆の技とされているからだ。日常の便として使うならばともかく、剣士として闘うときにそんな技を使うのは、リューンの騎士道にもとる」
「はああ?」
ジヤメリンが目玉をくるりと回した。
「そういいながらアイザス・ダナは風を操り、リューン・ノアとて水を従えて武器にしているではないか。あいつらは自分の技をめちゃくちゃ闘いに使っているぞ。それはいいのか?」
「貴族の方々のお力と下衆の技を一緒にするな!」
怒りに頬を染めてファラが怒鳴った。
「あやつら<心惑わし>は、市井に置いては人々から嫌われ孤立してしまうがゆえに、兵士として雇い入れることになっているのだ。その際には、人間に向けてその力を使ってはならぬと厳しく教えている。かつてはリューンでも、あのような者たちを集めて、敵の精神を攪乱するという卑怯な戦法を取る領主はいたというが……それも、はるか昔の歴史時代の話だ」
「集める? つまり、リューンの平民がみんな、そういう能力を持っているというわけでもないのか」
「当たり前だ!」
「なあんだ。ということは、お前さんにもそういう力はないってわけだな?」
「貴様……! 私を軽蔑するつもりでそういうことを言うのなら、黙ってはおらぬぞ!」
「ふ、ファラ様!」
ムルスが慌てて二人の間に割って入った。
元は奴隷とはいえ、幼い頃からアイザスの従者として貴族世界で育ったファラよりも、庶民出身のムルスのほうが、こういうことには柔軟だ。
「ジャメリン様、申し訳ないが、人の心を操る技については、それを持っているかと問うこと自体が、リューン兵士にとっては侮蔑表現の最上級にあたるのだ」
「その考え方も面白いな!」
血相を変えているファラにはまるで頓着せず、ジャメリンは手を打って喜んだ。
「通常、ヒューマノイド世界では物質よりも精神が勝るという考え方のほうが主流なのだが、リューンでは有機物より無機物を操る力のほうが高貴と考えるわけか。面白い、実に面白い」
「何が面白いのかさっぱりわからんが」
「わからねばよい。ともかく、さっきのあの兵士をちょいと借りていくぞ。これは面白いおもちゃになりそうだ」
「な、なんだと!?」
「いいから、いいから。このことについては後で私からアイザス・ダナへ伝えておく。あやつも、よもや断ったりはせぬだろう。なにしろ、自分たちが星ぐるみで軽蔑してきた下等人間一匹ごときのことだしな」
うう、とムルスは詰まった。
それはリューンの文化と慣習によるものなのだが、別の種族からそんなふうに言われてしまうと、何やら気まずい思いも禁じ得ない。
しばらく唸った末、かろうじてやり返す言葉を思いつく。
「ノアには効かんぞ」
「なんだと?」
「リューン貴族は昔から、<心惑わし>に対する備えを身に付けている。お前があの兵士を使ってノアを苦しめようと思っているなら、無駄なことだ。あいつはノアの髪の毛一筋たりとも支配することができず、一刀両断にやられるしかない」
「一刀両断、ねえ」
ジャメリンはにやあと笑った。
「果たしてお前のいうとおりになるかどうかは、後のお楽しみとしておこうじゃないか。ともかく、あの兵士はいただいていこう。その後のことについても、お前さんたちの手出しは無用だ。……おっと」
いかにも嫌味なふうに、ジャメリンは付け加えた。
「アイザス・ダナがいっちょ噛みしたいと言い出したら、遠慮なく連絡してくれ。そうだなあ、あの坊やが私に頭を下げて頼むようなら、お楽しみの仲間に入れてやらないこともない」
「貴様っ……!」
「ファラ様!」
もみ合う主従を後目に、ジャメリンは高笑いを響かせながら踵を返した。
マントの陰で舌なめずりをする。
「見ていろよ、リューン・ノア! そして、忌々しい炎使いの、あの小僧めが!」




