【1−9】 心の中に咲く花は
ジェンセンドール国の現王太子の妃候補は五人いた。いずれも、十大貴族の令嬢で、幼い頃から王太子妃となるための、未来の王を支えるための教育を受けていた少女たちである。本来、王太子妃は、国王と国の重鎮によって決められる。だが、今代に限っては、国王の命により王太子自身が決めることになっていた。その異例の制度を利用するべく、ユリカは、行動に出た。
あれから、ユリカはクラリスとともに会議室へ入った。しっかり戸締りをして。
「先輩と話すの。久しぶりー」
「そうね。あれから、もう一年...。早いわね」
クラリスは、過去を思い返すようにそっと目を伏せる。所作の一つ一つが絵になるような魅惑的な人。
「未来の王妃様を救い出しちゃって、もう一年。ですね」
「気が早すぎるわ。ユリカ」
ユリカの目の前にいる少女こそ、王太子妃候補の一人、クラリス・ロートレック。ラベンダーピンクの髪とガーネットの瞳を持っている。ロートレック家の令嬢であり、この学園の生徒会副会長である。
「で、相談って何かしら」
「先輩って、最近、王太子様とどんな感じですか?」
ユリカは、率直に聞く。本来なら不敬だと捉えられかねない発言だが、クラリスは、特に気にする様子もなく、ユリカを見る。
「...言わなくてもわかるでしょう」
「ですよね。仲いいじゃなくて、仲睦まじいですよね」
「何かしら?早く王太子妃になれとでも言うのかしら」
「今日中に」
ユリカは、無理難題をクラリスに押し付ける。
「...もちろん知ってるかと思うけど、私が王太子妃になるにはルイ王太子の指名がいるのよ。それを今すぐにって、あなたは言ってるのかしら?」
クラリスは、確かめるようにユリカに聞く。
「はい。そのとおりですよ」
「今すぐは難しいんじゃないかしら。ルイ王太子も暇なわけじゃないのよ」
クラリスの心配は、予想と違う方向に向いている。自分が妃に選ばれるということに心配する素振りは全くない。
「大丈夫ですよ。王太子様、先輩に夢中ですから。先輩が可愛く丁寧にお願いしたら、もう明日には国中でお祭り騒ぎですよ」
ユリカがどこからか花冠と笛を取り出し、喧しい見た目になった。
「国王も、遅いより早いほうが良いって言ってますよね」
「ふふ。じゃあ、今からでも良い?」
「もちろんです」
「あぁ、ここにいて結構よ。見届けてちょうだい」
クラリスは、指輪に魔力を灯す。すると、指輪は淡く光った。
「ルイ様」
「どうした。クラリス」
クラリスが指輪に囁くと、指輪から男性の声が聞こえてきた。おそらく、王太子本人だろう。
「いえ...お願いがございます」
「君の願いなら、聞こう」
「私___。」
それから、クラリスはまるで幼子に童話を聞かせるように、ゆっくりと王太子に自分の気持ちと要望を伝えた。その時、王太子の声に抑揚が着いた。そして、二人が別れの言葉を述べると、接続が切れた。
「ふぅ」
クラリスは、胸を撫で下ろした。あの様子でも、緊張していたようだ。
「めっちゃ喜んでましたね。王太子様」
「まさか本当に今から決定されるなんて」
「国中、大騒ぎですね」
「お祖父様やお父様、お母様にお兄様、昏倒しちゃうかも」
普段の美しい笑みではなく、いたずらっぽい顔をするクラリス。
「それは、一大事ですよ」
「でも、私のせいじゃないわ。可愛い後輩のお願いを叶えてあげただけだもの」
クラリスのガーネットの瞳は、ユリカの碧い瞳を捉える。そして、ニコリと微笑む。
「はい。優しい先輩が可愛い後輩のお願いを叶えてくれました」
ユリカもニコリと微笑みながら、復唱する。
「ふふ。まあ、いいわ。おまけで、なにか奢ってあげる」
「えー!ほんとですか。ありがとうございまーす」
ユリカがクラリスに抱きつく。そして、二人は会議室を後にし、購買へ向かった。
* * *
翌日の早朝。まだ日も昇っていない時間にアイリスのもとに伝書鳩が来た。アイリスは、まだ開かないまぶたをこすりながら、伝書鳩にくくりつけられた手紙を取った。すると、彼女の顔からは血の気が引いていった。
「なんで...」
手紙の差出人はアイリスの父、アンドロスからだった。そして、手紙の内容は、王太子妃の決定だった。王太子妃は、クラリス・ロートレックになった。アイリスは、呆然とした。
「どうして...?なんの前触れもなかった...」
全身から力が抜ける。アイリスは、手紙を落としてしまった。
幼い頃から決められていたことだから、受け入れていた。
初めて対面した時、あの方は表面だけの笑顔を浮かべていた。
勝手に決められた婚約者なのだから、納得がいかないだろうと。
だけど、それでも、私は、時間をかけて、あの方と向き合っていこうと思っていた。
そのためのお稽古、勉強、ダンス。辛いことがたくさんあった。
あなたと共にいられる未来のためならと、頑張れた。
それでも、一向にあの方は、私に心からの笑顔を向けてくださらなかった。
ある日、垣間見たときのあの笑顔は、年相応に無邪気で穏やかな笑顔だった。それを向ける相手は、私ではなかった。
でも、信じていたかった。いつか、あなたが私と心の底から笑える日が来ることを。
そうすれば、この重圧も耐えていけたから。
アイリスの頬を涙が伝う。ただ静かに。
「...ずっと」
あなたと初めて出会った、あの日から。
——愛しておりました。




