【3−10】 それは長い夢
「お母さん、髪結ってー」
「ほら、おいで」
少女が母親の膝にちょこんと乗る。
「緊張してるの?」
「……してないよ?」
母親の問いに首を傾げる少女。
「大丈夫よ。きっとうまくやっていけるわ」
「ねぇね、どこいくの?」
少女の弟が勢いよく抱きついてきた。
「どこにもいかないよ……」
少女は、弟の頬をもちもちとこねる。
「ほら、できたわ」
「お母さん、ありがとう!」
「ねぇね、おそとであそぼう!」
「いいよ」
少女は、弟の手を握った。そして、建付けの悪い扉を開ける。
そこに飛び込んできたのは、果てしない銀世界だった。
違う。今は、夏だ。そして、ジェンセンドール国には、雪なんて降らない。
「これは、夢よ」
トモカは、呟く。すると、銀世界もさっきまであった小さな家も、弟の小さな手も消えた。
「そうよ」
「……え?」
すると、聞き覚えのない声が響き渡った。
「あなたは、誰?」
「勝手にお邪魔して、ごめんなさい。でも、あなたに幸せな夢を見せたかっただけなの」
「幸せ?」
私の潜在意識とは、思えない。だったら、外部から精神魔法を受けてるの?
「あなたはこの時間が大切でしょう? もう二度と訪れてくれないこの時が」
「……」
「ちょっとしたサプライズよ。白銀と同じ魔力を持つ子」
「……白銀」
聞いたことのある響き。
「初めまして、というわけではないのだけれど。忘れてしまった?」
「そうみたい」
「そういえば、私、自己紹介がまだだったわ」
何もない世界に、女性の姿が象られていく。
「こうやって人と話すのは、久々だから忘れてたの」
女性は、艷やかな長い黒髪、頭には淡い色の花冠が乗せられていた。すらりとした体躯。白い陶器のような肌。しかし、端正な顔には、眼球がなかった。
彼女は、ニコリと微笑む。
「私は、フィオレア。よろしくね、白銀の子」
「……」
「あら、急に身構えてどうしたの……。あぁ、ごめんなさい」
フィオレアは、虚空から包帯を取り出して、眼窩を覆うように頭に巻いた。
「これで、大丈夫?」
「え、えぇ」
トモカは、恐る恐るフィオレアに尋ねた。
「それ、どうしたの……?」
「獲られちゃった。私たちの目って、希少だから」
「そうなのね」
どこかの民族の人間なのだろうか。それにしても、目玉を抜き取るなんて、なんて残酷なことをするんだろう。
「私は、トモカ」
「白銀の子って、そんな名だったかしら……」
「私は、白銀の子じゃないわよ。白銀の子って何?」
「……あら、そうなの。人違いだったようね」
フィオレアは、ぱんと手を叩いた。
「でも、珍しく話し相手が見つかって、私とても嬉しいわ」
「そういえば、あなた、どうやって、私に話しかけてるの?」
「……」
「それに、どうやって他人の記憶を覗いてるの?」
トモカは、警戒するように青い瞳にフィオレアの姿を映す。
「そんなに警戒しないでほしいわ。私は、あなたにも他の人間にも危害を加えるつもりはないの。……勝手に記憶を覗いたことは謝るわ」
フィオレアは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ほんとに浮かれてしまっていただけなの」
「人と話すことに浮かれるなんて、普段は地下牢にでも閉じ込められてるの?」
トモカは、冗談のつもりだった。しかし、フィオレアの顔が曇った。
「そんな寂しい場所じゃないわ。それに、閉じ込められているはちょっと違うわね」
「何か悪いことをしたの?」
「罰として、こんなところにいるわけじゃないの。私は、自ら俗世を離れることを決めたのよ」
「どういうこと?」
「私は、衰弱して、周囲に迷惑をかけるようになる前に、大切な人のために体を捨てたの」
「……そう」
精神だけを残して、別のものに宿らせる。かつては、そういった魔法が存在したとトモカは、文献で読んだことがあった。
「……」
「……」
少しの沈黙が流れた。
「暗い話をしにきたわけじゃないの。楽しいお話しましょう」
「……私、あなたの話が聞きたいわ」
「……ほんとに!?」
トモカは、急に大声を出されてびっくりした。
「私、自分の話するの大好きなの。みんなには、いつも呆れられてばっかりだったけど」
「みんなって、友達?」
「そう、たった三人の友人。あっ、一人は妹なの」
フィオレアは、見た目に似合わず、身振り手振りが多い。
「まずは、何から話そうかしら。そうね、私の大切な妹について話したいわ!」
そして、フィオレアは、話し始める。
「私たちは、きれいな森で育ったの。獣も果物もとても美味しかった。湖も、脂の乗った魚がたくさんいて
たわ。幼い時は、毎日、妹と一緒にどれだけ獲物をとれるか競い合っていたわ」
すると、何もない世界が、草木生い茂り、せせらぎが聞こえてくる森の中に変わった。
トモカは、まるで、フィオレアの記憶の中にいるようだ。
「私の妹はね、生まれたときから私より体が大きかったの。だから、走るのも喧嘩するのも、全部、彼女のほうが優れていた」
フィオレアは、晴れ渡る空を眺めているようだった。
「だから、あの子は森の守護者に選ばれた。すごいのよ。魔法もとても上手なの」
フィオレアは、すっと立ち上がった。
「でもね、翼は私のほうが大きかった。だから、飛ぶことで負けたことはなかったわ!」
翼……飛ぶ……?
トモカが少し言葉を飲み込むのに苦労していると、風が吹いてきた。
そして、風はだんだんと強くなっていく。トモカは、辺りを見渡すと、空に二つの鳥を見つけた。
「……鳥……じゃない!」
それらは、颯爽とトモカたちの前に舞い降りた。
そして、空気を震わせる咆哮。人が小さく見えるほど、大きな体。その体を覆っているのは、黒く鈍く光る鱗。背中には、巨大な翼。地面を容易く抉れそうな鋭い爪。
「り……龍ーー!?」
「なにぃ!?」
トモカの隣で飛び起きたのは、銀髪の少女だった。
「うわぁ!?」
トモカは、それに驚いた。銀髪の少女は、ぐるりと辺りを見渡した。
「なんだ、龍なんていないじゃないか」
ケラケラと笑う銀髪の少女もといミネルヴァ家の始祖であるカヴィアン・ミネルヴァである。
「え?」
トモカは、頬をぺちぺちと叩いて、辺りを見渡した。
目を開けると、そこはミネルヴァ家本邸一階にある客室だった。
「ゆ、夢か」
カヴィアンは、トモカの顔を覗き込んだ。
「ずいぶん、大きい寝言だったみたいだが」
「夢でも叫んでました」
「トモカは、龍なんて見たことないだろう」
「はい、そうです」
やっぱり、ただの夢だよね。龍なんて、古い文献にしか載ってないし。あんな現実みたいな夢を見るなんて。
ふと、トモカの頭にあの不思議な植物が浮かんだ。
「ん……フィオレアって、植物園のあれ……」
「どうした。トモカ?」
「お祖母様。フィオレアってもともと植物じゃなくて、龍だったりします?」
カヴィアンは、眉をひそめた。
「……まだ寝ぼけとるようだが、早く顔洗ってきなさい」
「はい……。そういえば、お祖母様は、なんでここに?」
普段、カヴィアンは離れの地下室に籠もっているはずだが、どうしてここにいるのだろうか。
「昨日の酒が中々抜けなくて。もうちょっと落ち着いてから、帰ろうと思ってたんだよ」
「昨日……」
トモカは、頭の中を整理する。
「あっ! まだ祭りって、昨日のことか」
「そうだが」
トモカは、自分の服に目を向ける。昨日のままだった。
「私、お風呂入ってないじゃん」
「これから入りますか?」
「……!」
突然、トモカの背後から声がした。
「レナ、いつからそこに……」
トモカが後ろに振り向くと、至って無機質な表情を浮かべた使用人が立っていた。
「はい。昨夜から見張りをしていました」
「見張り……。する意味ある? ここ、家なのに」
「トモカお嬢様は起床と同時に、ご入浴を求められる可能性が高かったです。ので、お嬢様の瞼が開かれる瞬間を、今か今かとお待ちしていました」
「私を見張ってたのかよ」
「それで、ご入浴されますか?」
「うん」
レナは、カヴィアンの方へ視線を移した。
「カヴィアン様は、どうされますか?」
「私は、離れで入るよ。ありがとう」
「わかりました。では、お嬢様、浴場へ向かってください。お湯が冷めてしまいます」
「わかったー」
トモカは、レナと一緒に部屋を出た。
客室に一人残されたカヴィアンは、まだ少し冴えない目をこすって、壁にかけてある鏡を眺めた。そこに映るのは、明るい緑の瞳、長い銀髪のどこか幼い顔立ちの少女。
「久々に会ってみようかな」
カヴィアンは、自分の頬を撫でると、その場をあとにした。




