【3−4】 いつの世も恋バナには花を咲かせたがるようです
スカルノの執務室。その床に一人の青年横たわっていた。秒針の音だけが、むなしく部屋に響いている。
「はっ! 今、何時だ!」
バルトは、ガバっと起き上がった。そして、部屋の壁に取り付けられている時計に目を向ける。時計の針は、とうに正午を過ぎていた。
「お嬢様は、もう行かれただろうか」
「お嬢様ならもう離れに行かれましたよ。バルトさん」
「そうか、それは良かった」
バルトが安堵している頃、トモカは、カヴィアンのもとへ向かっていた。
* * *
カヴィアンが住んでいる離れは、ミネルヴァ家本邸に隣接している。本邸と比べれば、小さく質素な邸宅だ。しかし、ある一定の人物を除いて、人々はここに人が住んでいることを知らない。なぜなら、カヴィアンは、秘匿人物であるから。彼女は、離れの地下に住んでいる。地下に降りると、広大な空間が広がっている。床が水面のようで、足を踏み入れるたび、波紋のような光が静かに揺らめく。そして、天井には、月が浮かぶ夜空が広がっていた。まるで、夜の海の上に立っているかのような感覚になる。なぜ、こんな空間が存在するのか。魔法によるものなのか、それとも別の仕組みなのか。それを知る者は、ほとんどいない。そして、なぜ、彼女は秘匿人物なのか。それは、魔法士御三家の始まりまで遡る。
*
遥か昔、魔法は人の手に触れてよいものではなかった。
それは、空に在り、森に在り、海に在り、世界そのものだった。
しかし、ある時。天を裂き、大地を砕くほどの龍同士の大戦が起こった。
その戦いの果てに、大地は深く傷つき、世界に大いなる亀裂が走った。
そして、その裂け目からひとすじの水が溢れ出した。それは、水の形をなした世界の魔力、世界の血潮だった。
それは、泉となり、川となり、ついに人の目に見える形で世界に現れた。
人はそれを畏れながらも、我が物にしようとした。多くは、魔力に呑まれ、命を落とした。
だが、それを勝ち取った者たちがいた。
湧水を従えし者。
火光を掲げし者。
花樹を統べし者。
彼らこそ、後に語り継がれる魔法士御三家の始祖である。
*
この始祖は、何百年、何千年も前に生きた人物とされいている。つまり、「もう死んでいる」人物なのだ。が、実際は、まだ驚くほど健康に生きている。それは、もう人ではないのかと思うかもしれないけれど、本人たち曰く、魔法に選ばれたあの日から、体の成長は止まるが、怪我や病は癒えていくという、永遠の命を与えられたかのような、祝福を受けたのだそう。けれど、それを「祝福」と呼ぶには、あまりにも不気味だった。だからこそ、彼らは歴史の表舞台から姿を消した。世間では、彼らはもう永劫の眠りについたことになっている。
「ふふん〜ふふふふ〜ん」
そんな不気味な存在は、まるで、その気がない。今でさえ、トモカの前で鼻歌を歌っている。
「あの子が来なかったのは、私の予定も少しは狂ってしまうが、トモカに免じて許そうではないか」
ご機嫌そうな少女。見た目はトモカとそう変わらない。ミネルヴァ家の象徴とも言える腰まである長い銀髪に、エメラルドのような緑色の瞳。髪につけている装飾品は、華美でありながら、銀髪と馴染んでいる。彼女こそ、魔法士御三家の始祖の一人。湧水を従えし者。カヴィアン・ミネルヴァである。
「お祖母様に会えて、嬉しいです」
「あー! 愛嬌があって、可愛いこと。ずっとここに閉じ込めちゃいたい! これが、あの仏頂面の娘なんて、娘がこんなに可愛いんだから、あの子もきっと可愛くなるに違いない」
「お父様が……かわいい……」
スカルノをあの子呼びし、可愛いだの何だの言う少女の姿は、異質で仕方ない。
「想像できない」
「そう? それじゃあ、お話しようか」
「うーん」
トモカはこの貴重な時間をどうしようかと考える。
やはり、魔法を教えてもらおうか。いや、授業でわからないところとか予習とか。最近出た、論文の評価でもしてもらおうかな?
しかし、トモカの脳裏に過ったのは、植物園で目にした不思議な植物。
「あ!」
「なになに?」
「お祖母様、フィオレアっていう植物を知ってますか?」
「フィオレア……」
「花として生きる木とも書いてありました」
カヴィアンは、少しの間、目を閉じて、長い記憶を振り返っているようだった。
「……それは、大樹。しかし、枝の先にあるのは、葉ではなく、赤い花?」
「そう。それです!」
「それを、どこで見た?」
「うちの……ハーレースリス学園の植物園にありました。あんな植物、初めて見ました」
「だろうね。それは、繁殖も養殖もできない生き物だから」
「ということは」
「ずっと生きているってことだ。すごいぞ、それは。太古の遺産といっても過言ではない。私が魔法を得た、辺りから出現したものだからな」
「そ、そんなすごいものが、あそこに……」
「……だが」
カヴィアンは一度言葉を切った。
「私もそこまで詳しくは知らない。なにせ、この世に一つしか無いのだからな」
そう言いながら、カヴィアンは、どこか意味ありげな笑みを浮かべる。
「……?」
何も知らないという割には、どこか引っかかる言い草で、カヴィアンは話を終わらせた。
「そうだ! 今年の花火大会は、どうだ? 毎年、毎年、想像の域を超えてくるからな」
先ほどまでの意味ありげな表情は、どこへやら。
「まだ、特に情報は無いと思います。……私も、毎年、見てますけど、そんなにすごいものですか?」
「当たり前だろ。受け継がれる技術とともに、磨かれていく技術。あんなに素晴らしいものを、毎年、見れるんだ。贅沢なものだよ」
カヴィアンは、しみじみとした様子で話す。おそらく、かつて、過酷な戦の時代を生きた彼女は、平和な今という時代が何よりも愛おしいのだろう。
「それに、大切な人と見るのも、一つだ」
「大切な人……へ?」
トモカは、びしっと固まる。どこか既視感がある。カヴィアンは、目をランランと輝かせる。
「やっと春か。春が来たのかー!?」
「今は夏ですよー?」
トモカは、知らないふりをする。
「なんだ、この言い回しはもう通じないのか」
カヴィアンは、少し衝撃を受けたような顔をする。だが、その言い回しは、今でも使われている。トモカは、嘘を吐くわけにもいかず、カヴィアンから視線を背けて答える。
「……通じますよ」
「相手は、どこの馬の骨だ? 今度、私のもとに連れてこーい!」
「む、む、無理ですよ!」
トモカは、思わず身を乗り出す。
「お祖母様、世間ではいないことになってるんですよ! それなのに、一般人と会わせるとか」
「じゃあ、親戚という肩書きで」
「無理です!」
「じゃあ、うちに取り込んで、私に紹介しなさい!」
「な、何言ってるんですか! 私、最近その話題ばかりで疲れました。もう帰ります!」
不貞腐れたトモカは、席を立つ。
「あっ」
カヴィアンの表情は、一瞬にして固まる。そして、明らかに挙動不審になる。
「ご、ごめんよ。トモカ。言い過ぎた。あ、でも、もう帰らないといけない時間だろう。見送っていくよ」
「ありがとうございます。それじゃあ、お祖母様、また来ますね」
「次は、写真だけでもいいよ」
「絶対、持ってこないし、連れてきませんからね!」
トモカは即答すると、そのまま、部屋から出ていった。その背中を見ながら、カヴィアンは、楽しそうに笑う。
「人の成長は、瞬きの間だな」
そして、ふと視線を伏せる。
「フィオレアか……」
誰にも聞こえないほど小さく呟いたその言葉には、先ほどまでの明るさとは違う色が滲んでいた。
夏の一日は、静かに暮れていった。




