【3−3】 似たもの親子
ある夏の長期休みの朝。ミネルヴァ家本邸のダイニングでは、生暖かい視線がトモカに向けられていた。
何? 最近、なんでみんな、こっち見てくるの? なんか子犬が初めておすわりできたときの飼い主が向けるあの視線だわ。
トモカは、なんとも言えない気まずさを感じながら、食事を終えた。
「ごちそうさま」
「お嬢様」
すると、使用人が話しかけてきた。
「何?」
「お付き合いされている方がいるのは、本当ですか?」
トモカは、びしっと固まる。
「ど、どういうこと?」
「そのままの意味です。お付き合いされている方がいて、今度、城下町の花火大会に行く約束をしたとか」
な、なんで知ってるのー!? 私、誰にも言ってないわ! あ、でも、多分、ユリカとエレナにはもうバレてるでしょうけど……。私のプライバシー、一体どこにあるのよー!
「え、えぇ。まぁ、付き合ってるわ」
「えぇ!」
「本当だったのですね!」
トモカのぎこちない応答に周りがわっと沸く。
「どんな方なのですか?」
「どこの家の方ですか?」
「お名前は?」
トモカは一気に詰め寄られ、使用人にキラキラとした視線を向けられている。これ以上の情報漏洩を防ぎたいトモカは、どうにか避難しようと考え、強行突破を決意する。
「ま、また今度ねー!」
トモカは、魔法で軽く風を起こし、人をかき分け、ダイニングのドアの取っ手を握る。そして、体重をかけて、勢いよくドアを開けると、ゴンっと何かに当たる音がした。
「ん?」
「トモカ、慌ただしくドアを開けるんじゃない」
トモカの上から静かな叱咤が飛んでくる。そこには、額と鼻頭が赤くなっているスカルノがいた。
「ごめんなさい、お父様」
どう考えても、偶然とは言えないタイミング、もしかして……。
「それで」
スカルノが普段より背後に吹雪をまとわせて、まるで、氷のような鋭い視線をトモカに向ける。
「詳しく聞かせてもらおうか、お前の恋人について」
ダイニングにいる使用人たちが、「旦那様、ナイスです」という雰囲気を漂わせている。
「……か……」
「うん?」
「却下よ! 絶対、私の口からは言わないから!」
トモカは、そう啖呵を切り、自室へ走っていった。スカルノは、それを止めようとはせず、ただ去っていくトモカの背中を眺めていた。
「……」
その瞬間、スカルノの眉間に、深いシワが刻まれた。
__恋人。
その言葉が頭から離れない。もちろん、トモカだって一人の人間だ。いつか、どこかで、誰かを好きになるなんて、当たり前である。自ら、外の世界に触れていき、自分の世界を広げていく。あの頃には、願ってもなかった。娘の成長など、喜ばしい以外に何があるのか。なのに。
「……俺には、何も言わないのか」
スカルノは、ポツリと呟いた。
スカルノ自身、ひどく驚いていた。恋人ができたことに腹を立てているわけではない。誰かと付き合っていることを禁じたいわけでもない。ただ、自分の知らないところで、トモカが一つ大人になっていた。その事実を、今知った自分。そこに、妙に引っかかっていた。しかも、よりによって自分のところに来る前に、使用人たちに知られている。父親なのに。
「……」
先ほど、逃げ出す直前に向けられた、まっすぐな視線。その瞳には、自分と同じ色が宿っている。けれど、その瞳が見ているのは、もう自分だけではない。
スカルノは、それを思い出すと、何かを決意した。そして、使用人たちに自分たちの仕事に戻れと指示すると、踵を返し、執務室へ向かった。
執務室には、スカルノの側近バルト・クラーセンが書類の仕分けをしていた。
「やっと帰ってきましたね。で、嫌な予感の正体は何だったんですか?」
バルトは顔を上げる。
「……トモカに恋人ができた」
「お嬢様に恋人ですか。お嬢様が選ばれたのなら、さぞ、いい方なのでしょうね。しっかりと学生生活を楽しんでいるようで良かったじゃありませんか」
「これから、ダルクの家に行ってくる」
バルトの手が止まる。
「ダルク様のところへ? それは、またどうしてですか?」
「聞きたいことが、今できた」
「スカルノ様? 本日のご予定に、お昼からカヴィアン様との面会があります」
「知ってる」
スカルノは、せかせかと術式が組み込まれたネックレスをつけ、黒いローブを羽織り始めた。
「ですから、絶対に」
「少し行ってくる」
バルトの言葉を全く聞かず、スカルノは、その場で転移魔法を展開した。一瞬で、スカルノの姿は消えた。そして、バルトは、膝から崩れ落ちる。
「……絶対に帰ってこない……!」
バルトは、キリキリと胃が痛む。
今日の予定、どうすれば……!
そして、バルトは頭を抱える。その時、執務室のドアが開いた。
「失礼します、お父様……バルト? どうしたの?」
執務室に入ってきたのは、トモカだった。バルトは、スカルノの代わりにトモカを、カヴィアンのもとへ連れて行くことにした。
「お嬢様、今日のご予定は?」
「特に、何もないよ」
「では、お昼にカヴィアン様のところに行きませんか?」
「お祖母様のところ? わかったー。何しに行くの?」
バルトはにこやかに答える。
「お嬢様の世間話でも、何でも。お好きなことをしてください。本来は、スカルノ様がお話する機会だったのですが、急遽、用事が入ってしまいまして」
「へー。じゃあ、遊びに行くだけってこと?」
「そうなりますね」
「わかった。お祖母様とお話するの楽しいんだよね」
トモカは、楽しそうに頷いた。
「ところで、お嬢様。スカルノ様に何の御用だったんですか?」
「えっと……、お父様ぐらいには、やっぱり、話しといたほうがいいのかな? って思って……」
バルトの顔が引きつる。
「も、もしや……」
「バルトも知ってるよね……。私、恋人ができたんだー。で、さっき、その人について何も言わないって、みんなから逃げたんだけど、父親ぐらいには、言ってもいいかなって思い始めて」
「くっ……」
事の発端、そんなしょうもないことだったなんて……。
バルトは気が抜けた。そして、バルトは倒れた。トモカは、急いで駆け寄る。
「バルト? バルト、大丈夫? 胃薬いる?」
「はい、ください……。す、少し休ませてください……。あれ、見て……」
そして、バルトは机の方をに指を指すと、ガクッと気を失った。
「あれって何?」
トモカは、バルトを床に転がしたまま、紙が敷き詰められた机を見る。
「改めて見ると、難しい……」
トモカは、もしかすると、将来、ここに座ってこんな仕事をしているのを想像すると、ため息を吐いた。
私が当主になったら、ミネルヴァ家崩壊しちゃうんじゃない?
トモカは、ますます、自分の将来に迷走する。周りの一族の同世代の人たちは、みんな、「ミネルヴァ」として、生きていける特技があるのだ。
魔法、交渉、学問、研究。
特に、エレナ。彼女と同じ世代に生まれたトモカは、ひどく劣等感を抱いていた。エレナには、有り余るほどの才能がある。天は二物を与えずなどという言葉があるが、そんなものがまやかしとなる存在。それが、エレナだった。対して、トモカは、全てにおいて並以上。突出した物が何もない。
私って、何ができるんだろう?
トモカは、机の右端に視線を向けると、手帳があった。
「あ、これ? バルト、見るねー」
本人の答えが返ってこないまま、トモカは、手帳を開ける。そこには、ぎっしりと読めない文字で、色々、書き込まれていた。
「え、ここから、今日のスケジュール、探さないといけないの?」
トモカは、ペラペラとページをめくるが、解読不可能という結論にたどり着いた。
「まぁ、お昼って言ってたし、正午ごろにお祖母様のところへ行こう」
そう呟くと、トモカは、スカルノの執務室をあとにした。




