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「プロローグ 石炭紀の熱帯雨林にメガネウラを追う」あとがき 考証とワールドビルディング

ここまでお読みいただきありがとうございます。

今回は本作の考証とワールドビルディングについて、述べさせていただきます。


1.なぜ「石炭紀」なのか


古環境および古生物の正確な復元と探検・採集を描く本作において、「なぜ」石炭紀なのかについて、まずここでは触れていこうと思います。

理由は単純、石炭紀こそ、私たちの生活に最も深く関係する時代だからです。

私たちの産業革命後の科学文明は、ひとつのクラスターをなしています。

機械文明、と言っても過言ではなく、それまでの文明を塗り替えてしまったといっても過言ではありません。なにせ、産業革命期のイギリスの石炭も、石灰石も、さらには鉄鉱石までもが、石炭紀に依存していたのです。イギリスを祖とする産業革命とは、イギリス地下にあった石炭紀の発掘といっても過言ではないのです。

ヨーロッパおよび北米に堆積した巨大なユーラメリカ大陸の湿地帯が、ちょうど文明が発達した地域の真下に大量の燃料を残していたからこそ産業革命が可能になり、それまで優位とは言えても比較的相対的であった欧米諸国の優位性を、絶対的なまでに押し上げ、世界を植民地支配し、世界の文明のスタンダードを欧米一色に塗り替えてしまう――そのすべてが、石炭紀の効能と言っても過言ではないでしょう。

しかし、石炭、といっても、宋代の中国でも石炭利用が盛んになったし、20世紀後半からは石油文明じゃないか、という人も多いかもしれません。

否。

第一に、宋代の中国でも石炭の利用は飛躍的に鉄生産量や陶器の品質をあげ、生活に大きな貢献をもたらしました(この蓄積は主に前期ペルム紀です)。しかし、宋は戦乱の世であり、石炭利用がとくに盛んだった華北は騎馬遊牧民族の厳しい侵攻にさらされました。安定した技術発展は見込めず、さらに華北の石炭の品質がユーラメリカのものより低いようであることも(植生や堆積ペースに関連するとみられます)、機械などへの高度な利用を阻害した可能性があります。

第二に、いまだに製鉄をはじめとして石炭やそれから作るコークスの需要は終わっておらず、石炭から石油にエネルギー源が変わったとしても、内燃機関の概念をはじめとして設計の多くは石炭を用いていた時代から引き継がれました。石炭から石油への移行にあたり、なにかパラダイムシフトが起こったわけではないのです。石炭がなければやはり現代社会は成り立たないし、石炭紀を忘れて現代文明を語るべきではない、と私は思うのです。


さて、これら化石燃料からのエネルギー転換がうまくいくことすらも、ユーラメリカの石炭紀石炭層がもたらしたこのパラダイムシフトを書き換えるほどの打撃を持たない、といえるかもしれません。つまり石炭→石油→…とエネルギー源を変えただけで、基本となる機械文明がそっくり置き換わったわけではないし、エネルギー転換したからといって石炭依存が終わるかと言われれば、やはりそうでもない、ということです。

真のパラダイムシフトがくるとしたら、それは私たちが機械文明を捨てて、野山に還り、家畜を生活の基盤とするようになったときなのかもしれません。そうでなければよいのですが…。


2.ワールドビルディング I 古代世界への植民、それは明白な天命

産業革命に端を発する人類の機械文明。

石炭をはじめとした化石燃料への依存は、人間のエネルギー消費量をドーピングした形となり、文字通り文明のエネルギー依存症とでもよべる状態を作り出しています。いまや野菜の窒素分すらも、石炭を燃やしたエネルギーで得られています(ハーバーボッシュ法のエネルギー源はいまだに天然ガスや石炭が主力で、日本が食料の多くを依存している中国では石炭が8割以上です)。

 しかし。

化石燃料は無限ではありません。いつか絶対に尽きます。

この問題を指摘したのはジェボンズの「石炭問題」で、技術の進歩にともなうエネルギー需要の増加は節約効果より大きい、という結論に、19世紀の時点で辿り着いていました。現状を見ると、まさに彼の予言した通りのことになっています。

つまり、これを根本的に解決するには、「化石資源よりも”桁違いに”大量のエネルギーを産する手段を化石燃料があるうちに開発する」

ことが必要になります。

原子力(核分裂)発電および長期的には核融合発電が最有力候補でしょう。

化石資源と同等程度のエネルギー産生手段では、現代の文明を維持・・・ではなく、縮退させながら封じ込めるのがやっと、ということになります。

なぜなら、水力、風力、原子力、どれをとってもやはり化石資源を消費せざるをえない工程がやはり入ってしまいます。つまり化石燃料の使用量を低くすることはできても、いちど底をついてしまえば、再生可能エネルギーすら満足に利用できなくなるためです。


ここで、重要なことがあります。

核融合も核分裂も、簡単な方法にはなりえないだろう、ということです。

古典SFのように、「ボールペンの中に納まる原子炉」などは、いまやあまり現実味をもって受け取られないのが現状です。原子力発電がどれだけ危険をもたらしうるかを私たちは何度も経験してきましたし、核融合発電の規模を小さく縮小して都市近郊において何十年何百年も運用し続けられる未来が来るとは、ちょっと考えにくいのです。


となると、再生可能エネルギーに軸足を移しながら文明規模を縮小させながら生きるのが”普通の”人々の生活になると考えられます。そこでは徹底的な緊縮が、長期の文明維持のために欠かせません。

いっぽうで、データセンターなどの巨大用途や宇宙開発にあたっては特殊なハイテク発電装置が使われる、という形が来るかもしれない、と考えました。たとえば、ロケット燃料の生産用の、水の電気分解とかを、人里離れて。

こうやって作られた燃料もあくまで高付加価値の用途にしか使えないでしょう。


ここで。

私の創作の目標はあくまで「地質時代世界の探検」です。

そのためにどのような世界を練るのか考えているのです。

少なくとも一朝一夕に人類がタイムマシンを開発できるとは、とても思えません。つまり、数百年先の未来を考える必要がある、となると、上記のような、緊縮エネルギー体系が人類のあたりまえになり、一部の先進分野を除いて文明は停滞する、というかなり冷酷な予測が出てきました。これはフィクションの創生というよりも、むしろ仮定を設けたうえでの未来予測です。


すると必然的に、地質時代世界に人類が進出できたとしたら、何を目的とするか、ということにも、明白な答え(マニフェスト・ディスティニー)が出てきます。

それはまさしく「化石燃料が使える世界に人類が植民し新天地とする」

ことです。化石燃料がある時代ならば、「きわめて使い勝手がよく、使い方も確立され、かつほかの方法よりもはるかに容易な」エネルギー源を得ることとなり、20-21世紀レベルの技術を比較的容易に羽を伸ばすことができます。

これはとんでもなく魅力的なのです。


さて、時間を直接遡ることよりも、多世界解釈に基づくパラレルワールド(地球‘の時間軸が異なる世界線)に飛ぶ方がどうも現時点の趨勢からするにましな方法だと思いますし、タイムパラドックスSFはもう懲り懲りです。

緊縮文明で時空渡航などという巨大プロジェクトをどう実現するか、それはまさしく文明の存亡をかけた超・集中投資であり、数百年の社会的停滞・維持と引き換えに賭けに出る、という方面でも、設定と世界観の必然性が出てきます。

時空探検が可能な世界ですから、つまり戻ってこれるというのが必然です。つまり1.「大量の需要がある現代地球に、収奪した資源を持っていく」というようなスペイン・ポルトガル型植民地型収奪デザイン、もしくは2.「枯渇した現代地球は放棄し、新世界に軸足を移して移住する」というようなアメリカ型移住デザインが考えられます。超時空渡航技術の維持に必要な資源を考えると2.のほうが現実的かもしれませんが、今度はどうやってそれだけの人数を移動させるのか、という話になるかもしれません。

このことに関しては、また別の機会に深掘りしましょう。


2.ワールドビルディング II 石炭林、それは地獄


さて、時空探検を可能にするには、化石燃料はじめとした鉱産・燃料資源を目的とした時空植民が起きているような世界を考える必要があるだろう、というのが前回の帰結です。時空探検ができるからには、やはり様々な時代に行けるとしたほうがよいでしょう。

ここで次に、「住みたい時代、住みたくない時代」を考えてみることにします。

つまり、住みたい時代は2.のアメリカ植民地型モデル、住みたくない時代は1.のポルトガル・スペイン型収奪モデルが適用されるからです。

私は石炭紀を描きたい。

考えてみると、石炭紀の熱帯雨林こそ、過去4億年の中でワーストクラスです。

なぜか。

泥炭林だからです。

石炭を堆積させるほど分厚い泥炭層が積もった石炭紀の熱帯雨林(石炭林)の現在の類似物は、カリマンタン島およびコンゴ、マレーシアの一部などに見られる熱帯泥炭林です。ここは、人類にとって最後まで手を出せなかった領域なのです。カリマンタンの泥炭地居住文化を調べると、泥炭林が見事なまでに人々の生活を阻害していたことがわかります。すなわち、川沿いや河川上に住むしかなく、干拓してそこに住もうとしても火災がいつまでたっても鎮火せず、土質もひどい、という有様です。とくに鎮火しない火災、は最悪。石炭紀の気候でこれが起きたら、必然的に大惨事になります。

つまり干拓は禁忌であり、この地に住むためには水上に住むしかないだろう、という帰結ができます。なにせ、現代地球ですら、一歩踏み出すだけで腰まで沈んでしまう泥炭林に家を建てることは困難で、道すらろくに通せないのですから。

となると、必然的に植民地収奪型社会がみえてきます。

それはスペイン・ポルトガル型です。

ポルトガル型で熱帯雨林、というともう、アマゾン川流域のインディオの世界や、ブラジルの歴史が想起されます。ここは必然性でもなんでもないのですが、歴史は繰り返す、としたほうがきれいだからです。

イガポーやヴァルゼアをはじめとした森と水の用語が非常に多く、動植物が多様な名で呼ばれ、かつそれらの対訳もよく整理されているのも魅力です。

ここで、公用語はポルトガル語に決まりました。

ここでアマゾン川流域のインディオは、かつて大きな帝国の流民であるという話があります。真偽は不明ですが、インスピレーションには非常によく、ここで先ほど出てきた「干拓による大火災」とリンクします。

こうして、世界観が確立しました。

つまり:

「収奪型の植民地者は干拓して森に都市を建てたが大火災に追われ、その一部は豊かな泥炭林の水上で狩猟採集民となった。その生活基盤は水上である。陸は上陸不能な”偽りの大地”であり、火にはトラウマ級の恐怖がある」

ということです。


3.ワールドビルディング(3)生活の詳細

水上での生活は、日本でかつて見られた艀での生活や、アマゾン川の水上コテージなどが参考になりました。案外人間、水の上でも普通に暮らしていけるものだ、と感動したものです。

ところで、化石資源を使えることが過去のメリットなのに、燃焼可能性のせいで使いにくい、というのは大問題です。

いっぽうで、それを何とかすれば使える余地がある、というのも事実かと思われます。そこで採用したのが発電艀による水上バイオマス発電です。これは燃料槽を水没させ、アルカリ化させることや特殊な分解促進剤によって泥炭の分解を進行させ、出たガスのみを燃焼させるシステムといえます。泥炭分解をバイオマスに頼ることとpH調節によるローコストな燃料ガス生成、さらには周囲に無尽蔵にある泥炭を(出火の危険が高い)乾燥コストなしにエネルギー源とする、とするアイデアです。ガス発電なら既存のエンジンを発電機に使えるため、彼らが旧都市の流民だとしても省コストで工面が可能です。同時に、旧都市の崩壊からそれほど時間がたっていないかもしれない、ということにもなります。いっぽうで夜間照明は発達しない、としました。なぜかといえば、ショートを非常に恐れるため、通電という概念そのものが発電艀に集約されると考えたためです。さらに、発電艀は水蒸気の白煙を用いた村の位置を示す狼煙になる、その色で中距離でのコミュニケーションをとる、ということでかなり設定が確定しました。


ここで、「夜の真っ暗闇に対する恐怖」「日の出とともにはじまり日没とともに終わる生活」「火に対する生々しい恐怖」が確定しました。

もう、夜にオレンジ色に光るものがあったらそれすなわち恐怖、という世界観の完成です。


4.古生物学的考証

この世界で最も怖いものは、夜闇に光る、音が鳴る。その二点でしょう。

今回はここについてはそこまで深入りしません。

これに関しては本編で莫大に語られるからです。

しかしここでは、上記のように「見えない恐怖」「光への恐怖」からセレクトすることとし、夜闇に眼が光る描写や、しばしば静かと言われがちな石炭紀の生物で最初に音をあげた生き物がいたとしたら何か、という方面でセレクトしました。目が光る、というのは最初からあったアイデアなので、そこをうまくつなぎ合わせる形です。



5.民俗学的考証

恐怖を感じた人々がどう反応するか、がここの肝心どころで、極めて重要なパートです。上記のように、恐怖によって人が動かされる構造はもう完成しているため、このままだと本当に妖怪「人魂」とか「鬼火」という話が自然発生してきてしまいます。もうここまで条件をそろえていれば、本当に光るものがあろうとなかろうと人は光るものを見出しては勝手に怯えだすことでしょう。

さらに、妖怪というものが何なのか、それが人間の生み出す脳のバグなのか、それとも人間の恐怖がうみだすものなのか、というあたりも重要なパートです。さらに、幻視、幻覚とは何なのでしょうか。つまり、「この世界ならまぁそういう幻覚は出現するだろう」という世界を描いているからこそ、それが幻覚であるかどうかを考えなければならなくなるのです。

そして根本的な問いとして、果たして私たちの信じている哲学体系や自己意識、感覚への意識は本当に現実に即しているのか、というものが顕現します。

それはフィクション(時空旅行という、さすがに非現実的な状況)と現実の間を彷徨います。まずこのあたりの哲学体系を整理したのですが、そのあたりはまぁ、置いておきましょう。


上記が考証とワールドビルディングです。

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