第23夜 初
国立天海図書館
「えーと、天海市の外れの…工場地帯の裏…
あった!ここだ。」
明里が古い地図を見ながら呟く。
「天海市で起きた団地の事件…無いなぁ…」
漆原も大量の新聞を見ながら呟く。
図書館2階、長机がずらりと整列している読書スペースの端っこで2人は向かい合わせに座っていた。
「天海団地…市営住宅だったんだ。
でもどうして最近の地図には載ってないんだろう?」
漆原は悪態を吐きながら古い新聞記事をめくっていく。
「んー、汚っ!保存状態悪過ぎっ
司書仕事しろよ!
あれ…?この記事…」
【昨夜未明天海市の市営住宅一棟が全焼】
「これは白石さんの情報と一致しているような…
他に情報は………無い。
地方新聞のこの1枠のみか。
全焼の規模にも関わらず住民の安否や出火元の情報が一切無いな。
ペラッ…
しかもそれ以降この火災に関して一切触れていない…
白石さん、これ見て。」
漆原が向かいの明里に新聞を手渡した。
明里は地図と新聞を照らし合わせる。
「これ…住所が同じ…あの団地だ。」
「ああ、だけどもうこれ以上の情報は無さそうだね。
とりあえずこの新聞社に問い合わせして、当時の担当が居るか聞いてみようか。」
椅子を引いた漆原は資料をコピーした後、図書館を出るよう促した。
「そう言えば無有は何してるの?」
図書館を出たところで漆原が思い出したように聞く。
「今日私を学校まで送り届けてくれてから、この後は夕方頃まで散歩するって言ってたよ。
もうそろそろ帰ってくるんじゃないかな?」
「そ、そ、そうなんだ!
あいつあの姿でフラフラしやがって…全く。
ポメラニアンの野良犬なんか聞いた事ないぞ。
誰かに見られたら迷子だと思われて保護されちゃうのわかんないのかな?
せ、せ、せ、説教してやらないと!
でででででも新聞社にも電話しないといけないしぃ…
どどどどどうしようかなぁ。くそ〜れ」
漆原の独り言は何とも歯切れが悪い。
「じゃあ、うちに来る…?」
明里が恐る恐る尋ねた。
「え!?いいの!?え!?
JKの家に行ってもいいの!?
そうか〜、でも無有は白石さんの家に居るし、それしかないよな〜。
じゃあ仕方ないからお邪魔させてもらおうかな〜。
うちの無有が悪いね!」
漆原がわざとらしく身振り手振りをしながら話す。
「う、うん大丈夫だよ。」
態度が急変した漆原に気味の悪さを感じながらも彼の来訪を承諾した。
陽神神社
「でかっ!何じゃこりゃあああ!!」
境内で太陽に吠えるが如く漆原が叫んでいる。
ガラガラッ
「漆原くん、上がって。
お祖父ちゃんが居なくなってバタバタしてたから散らかってるけど…
無有ちゃん、帰ったよ!ただいま〜。
……………
あれー?まだ帰ってないのかな?」
明里は漆原と自分の靴を揃えた後、居間へと向かう。
そしてその後ろを漆原が付いていく。
「いや、この家のどこかに居るよ。
お邪魔しま〜す。」
漆原は気配を感じているかのように呟く。
2人が居間に入ると、その先の渡り廊下を指差しながら漆原が聞いた。
「ねえ、白石さん。あっちには何がある?」
漆原は真剣な顔をしている。
「あっちは本殿だよ、陽神様が祀ってある場所。
それにしても無有ちゃんどこに居るんだろ…」
明里は機能していない掘りごたつの下を覗いている。
「なるほどねえ…。
無有はここには居ないよ。
多分2階に居る。」
上を向く漆原。
「わかるの?じゃあ私の部屋かな?」
2人は2階へと上がる。
ギィッ
明里の部屋の扉を開くと、ベッドの上に身体を丸めた無有が寝ていた。
「無有ちゃんただいまっ!」
すかさず無有に抱きつく明里。
「ん…?離せっ…染一も一緒か。
どうだ?何かわかったか?」
起きたての無有は前脚で目をこすっている。
なぜか深呼吸をしている漆原が答える。
「ああ、かなり根深そうだ。
今回はもしかしたら何か手がかりがあるかもしれない。」
「ほう、珍しいな。
"金色の糸"…か?」
「無有、今はやめろ。」
漆原が表情の無い顔で制止する。
明里の動きが止まる。
「"こんじきの糸"…って何の事?」
「ああ、こっちの話だから気にしないで。
それより…
スーッハーッ、スーッハーッ…
じぇじぇじぇJKの部屋の香り!ハスハスハスッ
何て良い匂いなんだ!
床下に花畑でも咲いているのかい?
スーッハーッ、スーッハーッ!」
漆原の深呼吸が激しさを増す。
「犬の身の余には少しきついけどな。」
無有は鼻をこする。
「う、漆原くん、無有ちゃんを心配してたんだよねー?」
漆原の異常行動に耐えられなくなった明里が先の話を投げかけた。
「心配…?あ、ああ。
コラッ ムウ カッテニデアルイチャ ダメダロウ シンパイスルジャナイカ」
今時初舞台に臨む役者でもやらないような棒読みっぷりだ。
「余を心配…?
そんな事するわけなかろう。
こいつはただ女子の部屋に来たかっただけだ。
明里よ、騙されたなお主。」
無有はニヤついている。
「ええええ!?そうなの漆原くん!?」
漆原の異常性癖に身の危険を感じた明里の本能は、自然と両手を胸の前でクロスさせていた。
「そ、そんな事より早く電話しよっか!
白石さん、記事貸して。」
図星の漆原は未だ防御の体勢を構える明里から記事のコピーを受け取ると、新聞社へと電話をかけた。
昨夜 陽神神社
「ほう、ここが貴様の城か。
中々良いではないか。」
無有が廊下をトコトコ歩きながら感心したように言う。
「城って…
それよりうちの廊下を歩く真っ白なわんちゃん…
かっ可愛いっ…」
明里は両手で口を塞いでいる。
「おい、餓鬼。契約を忘れてないだろうな?
余は腹が空いた。美味い飯を作れ。」
伏せの体勢を取った無有が目を閉じる。
「明里ね。
良いけど、わんちゃんのご飯って何作れば良いのかな?
ドッグフードとか買ってくれば良かった。」
「それなら心配には及ばん。
わしの体構造は犬ではない。
ただし、耳と鼻だけは利いてしまうゆえ、スパイスは使うでない。」
相変わらず無有は居間に寝そべっている。
「…ところであの先には何がある?」
無有は首だけを起こし、渡り廊下の先を見ながら問いかけた。
「はいはい、スパイスは無し…と。
あっちは本殿だよ。陽神様が祀ってある場所。
よし!じゃあ作ってくるからちょっと待ってて。
食材何が残ってたかなー?」
明里はエプロンを巻き、台所へと向かった。
「ククク。そう警戒せんでも良い。
何もする気はあるまいよ。」
居間に1人残った無有は、渡り廊下の方を向いたまま呟いた。
台所から小気味の好い包丁の音が聞こえてくる。
しばらくすると、明里がお盆を持って居間に入ってきた。
「無有ちゃんお待たせ!
さあ食べましょう。」
机の上に並んだのは緑豊かなほうれん草のおひたし、柔らかい香りが心地良い牛肉とごぼうのしぐれ煮、そこに短冊形の人参も入っている。
極め付けに昆布出汁の香り立つ味噌汁ときた。
「こ、これは…」
無有はよだれを垂らして絶句する。
「ごめんね、最近あんまり買い物に行けてなかったから残り物で作ったの。
無有ちゃんのお口に合うと良いな。」
明里が申し訳なさそうに言う。
「無有ちゃんご飯は食べる?」
無有は料理から目を逸らさずに頷く。
「はい、どうぞ。」
目の前に置かれた炊き立てのお米は粒が立っており、ここにも明里の丁寧さが感じられる。
ほのかに甘い香りが立ち込め、お米だけで食が進みそうなほどだ。
無有の前のランチョンマットの上におかずが入った、底の浅い皿が並べられた。
その瞬間
堪えきれなくなった無有が皿に口を突っ込もうとする。
「無有ちゃん、いただきますしてからよ。
そんなにお腹空いてるの?」
明里が笑う。
「いかんっ。
余とした事が下劣極まりない行為をするところだった。
犬の身体になってからどうもその辺の自制が効きづらくなっている。
では餓鬼、号令をかけろ。」
笑に返り、冷静さを取り戻す無有。
「明里だってば!
それでは、いただきます。」
「いただくぞ」
パクッ
ほうれん草のおひたしをひと口食べると、無有の身体に電流が走ったような感覚が流れる。
「ほうれん草特有の苦味は全く無く、散りばめられた胡麻との絶妙なマッチング!
パクッ…
お米はほど良い水加減で硬過ぎず、柔らか過ぎず、ほのかに感じる甘さがたまらんっ…」
パクッパクッ
「牛肉のなんという柔らかさ…
舌の上で溶けるような感覚は松坂の牛肉を感じさせるほどっ…
しかしこんにゃくの食感が満腹中枢を正常に働かせるっ…
それでいて肉の脂っこい粘り気をごぼうの淡白さが絶妙に調和し、いくら食べても後味が悪くならない。
それにこの人参…
全体的に茶色っぽいしぐれ煮にオレンジの彩りを加え、食事は目でも食べるという事を認識させるっ…!」
大きく目を見開いたまま明里の箸は止まっている。
ペロッ
!!!!!
「これはっ…!
市販の加工品ではなく本物の昆布出汁!!
ほどよい塩加減は王道の味噌汁だが、本物の昆布出汁の香りが重厚感を出しているっ!!」
あっという間に無有のお皿は空になった。
「あははっ!無有ちゃん、味に詳しいのね!
そんなに具体的に褒められたのは初めてよ。
おかわりする?」
「頼む」
無有は待ちきれない様子でおかわりを求めた。
陽神神社の夜が更けていく………
「ふぅー、腹いっぱいだ。もう食えん。」
無有は仰向けに寝転んでいる。
明里は片付けをしながら驚きの表情を浮かべている。
「無有ちゃん、たくさん食べたわねぇ…
追加で炊いたのも合わせて計5号も平らげたわよ。
おかずも残ってないから明日の分を作っておかないと。」
「この身体じゃなければもっと食えるぞ!
明里、美味かった。礼を言う。」
そう言うと無有は眠りに就いた。
「いえいえ、お粗末様でした。
後、私の名前は明…えっ?
今名前呼んでくれた?」
スーッスーッ
無有は熟睡している様子。
「ふふふっ、おやすみ無有ちゃん。」
流し台に立った明里は、機嫌良く洗い物を始めた。




