1話…20年間好きな人との同居生活
「えっ、この部屋!?ヒナミの隣り……というか、一緒じゃないの!?」
「一緒っ!?」
婚約者のカナン・フェルナーの言葉に、ヒナミ・リヒターは顔を真っ赤に染める。
10歳になる年の春にカナンと出会い、恋をした。
それから20年間。
交際というステップを飛ばし、ヒナミはカナンの婚約者になれた。
しかし――。
「あ、あの、その、同じ部屋、ってのは、あの、……心臓が持たない、と言いますか……」
「……ヒナミそれでも30歳なの?」
「30……。30ですが」
「カナンはいくつでしょーか」
「25歳ですね……。誕生日おめでとうございます……」
「……3週間近く前だけど」
リヒター男爵家次期当主、ヒナミ・リヒター、30歳。
婚約者と同室になる覚悟は無い。
カナンは分かりやすくため息をついた。
「同じ部屋でいいんじゃない?」
「いやっ……、心の準備が……」
「男爵家次期当主様が何を言ってるの?」
「それとこれとは話がっ……」
カナンは眉間に皺を寄せる。
社交界でもよく見た、機嫌が悪い時のカナンの顔だ。
……正直、その顔もかなり可愛い。
「年4回の社交界の時ですら、カナンを優先させないからよ」
「えっ、カナン様を蔑ろにしたことありましたか?」
「カナンといるのにノエルとどこかへ行こうとしたり、『キャロルは特別』と言ったりしたじゃない!」
「いま婚約!今日からずっと一緒ですから!」
「同じ家にいるだけなら兄弟と変わらないじゃない!」
「……それはさすがに暴論すぎませんか?」
カナンは姉の他に兄もいると聞く。
ヒナミと違って、ある程度は異性に耐性があるはずだ。
だから平気にヒナミに話しかけることが出来る。
平常なカナンが正直羨ましい。
「あとそれ」
「それ……とは?」
「敬語やめて。婚約前の男爵家子息だから人の目がある中『敬語やめて』はさすがにありえないかなーと思ってたけど、さすがにもうやめてもいいでしょ」
「でもカナン様」
「様もやめて!」
待ってくれ。冗談じゃない。
20年間、カナンとあまり変わらない距離に期待しないように敬語を使い続けた。
言わば、武装のようなものだ。
それを無くすということは……。
ヒナミはおどおどしながら呟くように言った。
「……何も言えなくなりそうなんですが」
「嘘でしょ!?喋ることないってこと!?」
「ありますあります!カナン様は今日も可愛らしいです!」
「え、……へへ。……ちょっと、誤魔化されてるのに嬉しくなっちゃったじゃん……」
「……!」
ヒナミの言葉にカナンは照れて笑う。
ヒナミはカナンの笑顔に見惚れてしまった。
「誤魔化した覚えはありませんが……、これからもこんなカナン様の笑った顔は見たいですね。可愛らしい」
「もう……。分かった、今回は降りてあげる」
「えっ?」
もしかして許された?
そう安心したのも束の間――。
「その代わり!敬語使ったり、様付けで呼んだりしたら、ヒナミのベッドの中に入って待ち伏せしてやるんだから!」
「えっ、ベッドっ……!?」
「じゃあね!部屋で1人でタメ口と呼び捨ての練習でもして!」
そう言って、カナンは乱暴に部屋の扉を閉めてしまった。
「いや……、無理……」
頭を抱えて座り込んでしまう。
年上なのに情けない。でもしょうがない。許してほしい。
そしてはたと気づく。
そういえば……。
ヒナミは立ち上がり、カナンの部屋の扉を3回ノックする。
「はーい」
可愛らしい返事を聞き、「失礼します……」と部屋に入った。
「あら意外」
「えっ、何がですか?」
「敬語禁止」
今でさえ他人の目が無い場所での、2人きりの会話というので緊張しているのに、ベッドの中に入られることを想像すると何も出来なくなってしまう。
「……難しいので許してください……」
「はぁ?まあ、いいや。用件なに?」
「カナン様の荷解きの手伝いをと思いまして」
「……次期当主が進んでやることじゃない」
「え?」
次期当主?今それ関係ある?
手伝いをするのは当然じゃないのか?
「それに服だけだからカナンでする」
「服だけですか!?えっ、お気に入りの御本などは……」
「本なんて1回読めば内容くらい覚えるでしょ?」
「お気に入りの食器などは……」
「リヒター家って、みんな個別に食器あるの?」
「……ありません」
「でしょ?カナンだけ特別扱いしなくていいから」
「しかし……」
カナンが淡白すぎる……。
社交界での服が可愛かったから、きっと可愛いものや好きなものに囲まれる生活を、リヒター家ですると思っていた。
「というかね、さっきのヒナミの様子を見るに、同じ部屋に2人きりという状況を避けるかと思った」
「えっ……!」
ヒナミは顔を真っ赤にして、慌てて部屋を出ようとする。
まずいまずい。
こんな素敵な環境に居続けるなんて、心臓が持ちそうにない。
「待って待って待って、ごめん、気づかせたカナンが悪かった!」
カナンは悪くないのに謝られる。
ヒナミは出ていきたい衝動を無理やり抑えて、部屋に留まることを選ぶ。
「……実は家を建てようと思っていたんです」
「家?新居?いいね」
「欲しいですか?」
「……ん?あれ、ヒナミって3人兄弟の長男よね?」
「そうです」
「弟たちは?」
「ノエルなら婿入りしましたよ」
「……言い方間違えた。ノエルは知ってる。カナンも婚姻パーティーにお呼ばれしたし。キャロルは?」
「キャロルは王都の騎士団に所属しています。年に4回、社交界のためだけに帰ってきます」
「お父様とお母様は?」
「お母様は10年前に亡くなってますが、お父様は離れで」
「ちょっと待って!」
「はい」
カナンの目が動き、瞬きを繰り返す。
なかなか珍しいカナンだ。
少し震えた声でカナンが聞く。
「お母様、亡くなられてるの?」
「はい。王都へ勉強しに行く直前に」
「……知らないんだけど」
「言ってませんから」
「……何で?」
「……社交界の時期ではありませんでしたし、……毎日会うわけでもないのに、個人的な事情など……」
「つまり?カナンが頼りないから言わなかったってこと?」
「そういうわけでは……!」
違う違う、そうじゃない。
久しぶりに会う社交界で、カナンが会ったことない母の死を伝えるのはどうなんだ?と思っただけだ。
でもそれを上手く説明出来ない。
「……よくないけど、一旦この話は置いとこう。なら、この家はふだんがら空きになるじゃない。何で家を新しく建てようとしてたの?もしかして、建てられてもう長い?綺麗みたいだけど」
カナンが部屋の天井を見る。
真上を見るカナンも、社交界では見なかった行動だ。
「カナン様が住む家を……」
「……ん?」
「同じ屋根の下はちょっと……緊張するので、カナン様だけが住む家を建てたいとお父様に相談したんです」
「……どこに建てるの?」
「えっ?この家の隣り以外にありますか?」
「……はぁっ!?いや、えっ、何言っちゃってるの!?」
「そうですよね。やっぱり欲しいですよね」
「要らない要らない!話をよく聞いて!」
「必要ない……ですか?」
「そんな嘘でしょみたいな顔しないで!カナンがしたい!」
深いため息をついて、カナンがベッドに座る。
ため息をつかすようなこと言ったかな?
そう考えたけど心当たりがありすぎて、原因がどれだか分からなかった。
「ヒナミってこんなに天然だったの……。怒るよりも驚きの方が来るんだけど……」
カナンが後悔している?
婚約者になったことを。
そう考えてしまうと、暗い気持ちになってくる。
「……嫌になりましたか?」
「その聞き方ずるい。この前の社交界の時もそうだったけど、嫌じゃないって言ってほしいんでしょ」
「そうですね」
「……」
無言が続く。
いつもはっきり言ってくれるカナンとはちょっと違う。
「……とりあえず、新しい家は要らない。この家だけで充分。むしろヒナミの部屋に住みたい」
「えっ……」
待って待って。
話が最初に戻ってしまった。
「この行き過ぎた天然はショック療法でもしないと治らない気がする」
「いやっ……、それは……!」
「同じ部屋でこれだけ会話してるんだから、後はもう寝るのを試すだけでしょ」
寝る。
いやいやいやいや。何考えてるんだ。
同居初日でそれは早すぎる。
せめて、1年。いや、5年。いや、一生無理だ。
……違う、何を考えてるんだ。そういう意味じゃない。
ヒナミは顔から湯気が出そうなほど熱くなっているのを感じた。
「か、勘弁してください……」
社交界とは少し違うカナンの言動に振り回される婚約生活は、こうして始まった。




