最終話…婚約者の兄
「グレイス公爵家とテンリュー伯爵家に、フェルナー男爵家が接近……!?」
「うん……。接近、と言えば聞こえはいいんだけど、えっと、何て言えばいいかな……」
ノエルはチラリとカナンを見る。
フェルナー家のカナンを気遣っているように見えた。
「はっきり言っていいよ。『擦り寄りが気持ち悪い』『今まで何にも無かったくせに』『これから遠い親戚になったとしても、たった一度会っただけなのにでかい顔しやがって』って」
「……、そこまで言葉悪くは……言ってなかった、かな」
「でもそういう意味でしょ?」
「……」
ノエルが黙る。
根が優しいから、この場合、無言は肯定だと分かる。
カナンは呆れたように深くため息をつく。
「行動が早い。今までは結婚まで待っていたのに。相手方が立派だと婚約の時点で調子に乗るんだから……」
カナンの言葉に、フェルナー家では当たり前のように繰り返されている行動だと知る。
「フェルナー家っていうのは、あの手この手で脅して弱みを握って、情報を手に入れる。そのために人心掌握に長けて、仕事が出来る。お兄様もお姉様もみんな、伯爵に通用するほどの能力値は最低限あるよ」
「は、伯爵……?」
「お母様が何人もいるのもそのせい、かなぁ」
ヒナミが15歳の時に聞いた、カナンの言葉を思い出す。
……そういう経緯だったのか。
ふだん男爵の仕事で出会うフェルナー男爵からは想像がつかない。
「……リリナに聞いてもどう対処すれば分からないみたいで……。その、カナン嬢に迷惑をかけない方法が無いかって……」
「えっ、カナンに気遣ってくれてるの!?」
「……、だって、ヒナミ兄さんが長い間、その……、好きな相手だし」
「……ノエルには、カナンのこと、ちゃんと好きだって伝えてるんだー」
「えっ、……まあ」
やばい。
ヒナミは先日の父上との会話を思い出す。
多分カナンはそのことを責めている、気がする。
「でもそっかぁ。カナンのこと気遣って、リリアーナ達は手が出せないんだー。うーん……」
カナンはぐるぐる廻っている。
……独特の考え方だな。そういうところも可愛いけれど。
廻りすぎたのかふらっとふらつくカナンを、慌ててヒナミは支える。
……ちょっと耳が熱くなるのを感じる。
「えーとね、ちょっと大人げない方法なんだけど、確実にカナンが勝てる相手をリヒター家に呼んでもいい?」
*
「邪魔をするぜ、リヒター家」
「お兄様。お忙しい中、よく来てくださいました」
カナンがにこにこ笑って、兄に軽く頭を下げる。
カナンの兄は、感じ悪く笑っている。
「カナン、俺だって暇じゃないんだ。七男だって馬鹿にするなよ、末っ子のくせに」
「すみません。お兄様なら、カナンの我儘を聞いてくださると思って甘えました」
カナンは嫌な顔をすることなく、対応をしている。
ヒナミが出る隙はまるで無い。
そう思っていたけど――。
「あんたがリヒター家次期当主か。確かにその顔じゃ、令嬢たちが騒ぐだろうな。確か次男だっけ?それも顔がいいんだろう?」
「……挨拶が遅れて申し訳ございません。ヒナミ・リヒターと……」
「カナン、さっさと茶を持って来させろ。気が利かねぇな、可愛くない」
カナンの兄は、ヒナミの挨拶が言い終わるよりも先に歩き出した。
「すみません。ただいま準備するようお願いして参ります。ヒナミ様、ノエル様、先にお兄様と行ってくださいますか?」
カナンの言葉に、ヒナミとノエルは言うことを聞くしか出来なかった。
*
「お兄様。お茶ですが、10分ほどお時間いただきたいとのことです」
「遅いな。呼んだのはそっちだから用意しとけよ」
「すみません」
カナンが席に着くと同時に、カナンの兄はきつい口調で聞いてきた。
「それで?話ってのは?」
「あの、ノエル様……、先日クラウス家のリリアーナ様と結婚された、ノエル・クラウス様から、ちょっとフェルナー家の良くないお話を聞きまして」
「は?お前が何で説明しとかねぇの?」
「……」
「たとえそっちが関わりたくなくても、こっちは公爵家と伯爵家の力を利用したいんだから黙って権力を貸せってよ」
「……!」
ヒナミとノエルが同時に息を呑む。
こんなに悪びれも無い、堂々とした言い方をされるとは思わなかった。
「確かにそうしてフェルナー家は力を持っていますもんね」
「だろう?ちゃんと説明しないお前が悪い。というか、それを知った上で婚約したんじゃないのか?次期当主。まさか平民みたいに、カナンが好きですってだけで結婚したって言わないよな」
「えっ……」
……図星だった。甘かった。
今更カナンとの結婚をどうにかするつもりはヒナミには無いが、そのせいで関係も無い家にまで迷惑をかけている。
「おいおい、マジかよ。カナンも馬鹿だとは思っていたが、次期当主、お前が1番の馬鹿じゃないか」
ヒナミの隣りにいるノエルがビクッと震える。
やっぱり優しい。ヒナミが傷ついたと思ってくれている。
カナンの兄は鼻で笑うと、突然流暢な公用語で捲し立ててきた。
「……っ!」
……何を言ってるのかさっぱり分からない。
ヒナミはチラッと隣りにいるノエルを見るが、おそらくノエルも理解していないだろう。
ドアが3回ノックされ、カナンが返事と共に立ち上がる。
「失礼します、あの、お茶を持って参りました」
「ありがとう。私が渡すね」
「は、はい」
カナンは使用人からお茶を受け取り、お盆ごと持って歩いてきた。
そして、七男に向かって思いきりお茶をぶっかけた。
「っ!?」
「あっっっつい!!!お前、何すんだ、カナン!!」
さっきまでにこにこ笑っていたはずのカナンが全く笑っていなかった。
カナンは何も言わず、ヒナミがいつも使っている机に向かい、引き出しを開けると1枚の紙を取り出す。
「これ。何か分かる?」
「ああ?何だそれ」
「リヒター男爵家現当主と、フェルナー男爵家当主、つまりお父様が交わした契約書」
「契約書!?」
……何だそれ。父上から聞いたことが無い契約書だ。
カナンが契約書に書かれてあるだろう文字を読む。
「ヒナミ・リヒターと、カナン・フェルナーの婚約、婚姻を認める。婚姻は当人同士が日時を決めること。破談は許さない」
「何?貸せ!」
「嫌よ。破るつもりでしょ」
「そんな契約書偽物に決まってるだろ!聞いたことない!」
「両家の印があるのに?」
「偽物だ、偽物!お前がつくったんだろう!」
「仮に偽物だとして。破談するの?私たちの婚約」
「当たり前だろう!」
カナンはじぃっと数秒、兄を睨んだ。
「そう。お兄様ったら、いつお父様より偉くなったのかしら」
「何だと!?」
「グレイス公爵家とテンリュー伯爵家を親戚に持つクラウス男爵家と縁ができたリヒター男爵家よ。お父様、このご縁を捨てても良いと思ってるのかしら」
「っ……!!」
「お兄様は一体、いつから、お父様の決定に文句を言えるようになったの?この婚約が破談になれば……。あぁ、お兄様はもう立派な大人だから、フェルナー家から出て行けと、追い出されてしまうかもね」
「……!!」
「フェルナー家が他の貴族からどんな目で見られてるかご存知?お兄様は私よりも、人の考えてることを読み取るの下手だったよねぇ……」
「……」
「社交界でお兄様が好意を寄せてる令嬢とそのご家族にお兄様の悪口を言うのは簡単よ。確か……ユーリス男爵令嬢、だったかしら」
「……!」
カナンの言葉に、兄はダメージを受けているようだった。
……カナンの言葉の威力が強すぎる。
ノエルも唖然と、ただ見ているだけだった。
「分かれば少しでもグレイス公爵家とテンリュー伯爵家への接近をやめるように言うことね。政略結婚出来なくなるって脅せば、分かってくれる人いるんじゃないかしら」
「くそっ、……覚えてろよ!」
七男はそう言い捨てて、部屋を出ていった。
そして――。
カナンが何か言ったようだが、ヒナミには全く聞き取れなかった。
「私の出る幕じゃなかったね」
「お父様!」
「リヒター男爵!」
ひょっこりと父上が顔を出した。
もうちょっと早く来てくれていたら味方が増えていたのに。
ヒナミはそう考えてしまう。
カナンは頭を深く下げる。
「騒ぎを起こしてしまい、申し訳ございません。あの、……どこからお話をお聞きしておりましたか?」
「この契約書、というところだったかな」
「……っ!」
「カナン嬢?顔色が……」
ノエルの言葉でヒナミはカナンの顔をよく見る。
……血の気がひいているようだった。
「も、申し訳ございませんっ……!あの、……っ、リヒター家の大事な印をっ……」
「っ……!」
……まさか当主の印を勝手に押したのか?
リヒター男爵の名を勝手に借りて。
破談禁止の契約書。もしそうなら、公文書偽造。
嘘だと思いたいが、カナンの様子を見るにきっとそれが事実だろう。
「良い。そなたははったりが上手いのう。酒に酔った勢いで押したかと思ったぞ」
「……お咎めなどは……」
「そんなものは無い。カナン殿の手際の良さには感服じゃ」
「……、申し訳ございません」
「それにな、よくぞ私の息子のために怒ってくれた。礼を言おう。それにしても……、文句を言わないとはな。なぁ、ヒナミよ」
「えっ」
父上の目がヒナミを射抜く。
「公用語をカナン殿に教えてもらった方がいいのではないか?カナン殿はお前にはもったいないくらい、とっても優秀じゃ」
「あ、あの、ということは……、あの、……」
カナンの言葉に、父上はにこっと笑った。
「ん?婚約のことを聞いているのか?こんなに賢く度胸もある令嬢なんだ。カナン殿が平民だったとしても、私から息子と結婚してくれとお願いしたいほどだよ」
「あっ、……ありがとうございますっ!」
「うんうん。しかし、今度は私にも相談してくれないか。カナン殿は私の可愛い義理の娘になるんだから」
そう言うと父上は部屋を出ていった。
カナンは浅めの呼吸を何度も繰り返していた。
そんなカナンに、ノエルはおそるおそる近づく。
「あの、カナン嬢。えっと、……」
「何?」
「……えっと」
言葉に迷うノエルに、カナンは意地悪く笑う。
「……自分より出来ないと思ってた?」
「っ……!ご、ごめっ……!」
「あはは。正直に言っちゃうんだ。おもしろーい。ヒナミと同じだー。キャロルなら多分『は?そんな確証も無いこと言うな』だよー」
「……ごめん」
「いいよいいよー。むしろ出来ないフリして油断させちゃうのがカナンの常套手段なの。それに、馬鹿だと思われたっていいよ。カナンに興味持ってくれてるってことでしょ?」
「……?」
ノエルが首を傾げる。
ヒナミも正直、カナンの言いたいことが分からない。
「リリアーナに連絡取ってもらって、グレイス公爵家とテンリュー伯爵家の方から、フェルナー男爵家のことを王族に一言連絡入れてもらえない?」
「えっ、……それであの、フェルナー家は……」
「なに?」
「その……、没落とか、場合によっては爵位剥奪とか……」
「心配してくれるの?」
「えっ、……まあ、だって、ヒナミ兄さんの、大事な人の家なわけだし」
「ありがとう。でもね、それだけだとそんなに重い処分にはならないんだよ」
「えっ、そうなの?」
意外だ。そんな簡単なことで良かったのか。
ヒナミとノエルは顔を見合せた。
「だって神様じゃないんだよー。そんなの出来るのって、犯罪に関わったとか、よっぽどひどいことしないと出来ないって。創作の世界じゃないんだから!」
そう言ってカナンはにっこりと笑った。




