第5話忘れていた天使
兎が変化するポスターを驚きながら眺めている頃。
世界管理局。
その中でも最悪と呼ばれる部署がある。
総合修正処理室。
女神が管理する十一世界全ての“後始末”を押し付けられる部署。
バグ修正。
歴史整合性修正。
消失した街の痕跡削除。
存在ごと消された人物の記憶補填。
世界改変による矛盾処理。
そして。
女神の気まぐれの尻拭い。
常に人手不足。
常に残業。
常に怒号。
常にエラー音。
そして何より。
上司が女神。
地獄だった。
◇
カタカタカタカタ。
端末の入力音が鳴り続ける。
大量のモニター。
積み上がった資料。
警告音。
栄養ドリンク。
眠気覚まし薬。
死んだ目をした天使達。
その一角。
白髪の天使――真白は机に突っ伏していた。
「……」
動かない。
ピクリとも。
休憩時間だった。
いや。
休憩という名の放心状態だった。
頭の中を回り続ける。
制御不能個体。
修正不可。
第6世界。
「……どうしよう」
ぼそりと呟く。
対処?
報告?
隠蔽?
全部嫌だった。
よりにもよって第6世界。
「なんで第6世界なんだよぉ……」
あそこは面倒臭い。
女神のお気に入りであり、同時に最も改変が激しい世界。
乙女ゲーム。
恋愛イベント。
ルート分岐。
推し変更。
好き勝手する異世界人。
歴史改変。
国家消滅。
全部盛り。
その結果。
現在進行形で崩壊している。
「ぅぅ……」
真白は死んだ魚みたいな目で虚空を見つめた。
頭が回らない。
徹夜続き。
睡眠不足。
精神限界。
何も考えられない。
その時だった。
「―――ロ」
「ちょっとマシロ!」
「ほへ?」
間抜けな声が出た。
真白はゆっくり顔を上げる。
「……?」
視界に映ったのは。
赤髪の女だった。
鋭い目つき。
不機嫌そうな顔。
黒いスーツ。
腕組み。
そして露骨なため息。
「……寝てんじゃないわよ」
「なんだマオか……」
「その反応ムカつくわね」
世界管理局第6世界シナリオ調整担当。
マオ。
女神によって消された街や国の住民を、別の場所へ移送し、歴史の辻褄を合わせる部署の担当者だった。
つまり。
女神の被害担当。
苦労人でもある。
「……ちょっと来な」
「え?」
真白は首を傾げた。
マオはそれ以上説明せず歩き出す。
真白は慌てて後を追った。
◇
休憩室。
人気はない。
自動販売機だけが低い駆動音を鳴らしている。
マオはコーラを買った。
真白はブラックコーヒー。
カシュ、と缶を開ける音。
マオはコーラを一口飲む。
不機嫌そうだった。
「……話って?」
真白は恐る恐る聞く。
嫌な予感しかしない。
マオはじっと真白を見た。
「あんたやったわね」
「え?」
目つきがさらに鋭くなる。
「あ、あれ〜?」
「この前の人間。無断で転生させたでしょ」
「と、どうして―――!?」
真白が叫びかけた瞬間。
バシッ。
「むぐっ!?」
マオが真白の口を塞いだ。
「バカ!声が大きい!」
小声だった。
真白は周囲を見る。
誰もいない。
だがこの職場では壁に耳ありだった。
マオはため息を吐く。
「最近キツいのは分かるけどさ……」
「まさか無断転生させるとか何考えてんのよ」
「……」
真白は視線を逸らした。
「なんでわかったの?」
「あたし第6世界担当なんだけど」
「あ」
「エラー検出が出たから調べたの。そしたら何か知らない個体が発生してるし」
「うぅ……」
真白は縮こまる。
「あの時は自分でもなんでこんなことしたか分からなくて……」
「末期じゃない」
即答だった。
「警報は切っといたから、すぐにはバレないでしょうけど」
「え?」
「こっちまでアイツに目ぇ付けられたらたまったもんじゃないのよ」
アイツ。
つまり女神。
誰も名前を出したがらない。
真白の顔色が悪くなる。
「まさか第6世界行くなんて思ってなくて……」
「……で?」
マオは缶を置いた。
「情報あるんでしょ?」
「……うん」
真白はタブレット型端末を取り出す。
震える指で操作。
画面に文字が表示される。
『データ検索中』
数秒後。
表示された。
個体名︰兎。
「うわぁ……」
改めて見る。
意味が分からない。
文字化け。
ノイズ。
修正不可。
制御不能。
情報の半分以上が崩壊していた。
「……見せな」
マオが端末を奪う。
数秒。
沈黙。
「……は?」
真白は目を逸らした。
「何をどうしたらこんなの出てくるの!?」
「……」
「制御不能個体じゃない!!」
「あ、あはは……」
「笑ってんじゃねぇ!!」
ゴッッ!!
「ぶべっ!?」
マオの拳が真白の顔面へ炸裂した。
吹き飛ぶ。
休憩室の壁へ突き刺さる。
めり込む。
「よりにもよって第6世界に放り込むとか何考えてんのよ!!」
「いひゃい……」
真白は壁からずるりと抜け出した。
天使なので頑丈だった。
「ほんとうに……どうしよう……」
みるみる顔色が悪くなる。
マオは額を押さえた。
「……マシロ」
「な、なに?」
低い声だった。
「これ、全力で隠すわよ」
「……え?」
「制御不能個体出現なんてバレたら面倒どころじゃ済まないわ」
マオは吐き捨てるように言う。
「最悪、第6世界ごと消しかねないわよアイツ」
「……っ」
真白の背筋が凍る。
あり得る。
あの女神なら普通にやる。
「巻き込まれるなんて最悪だわ……」
「……ごめん」
「今度酒奢りなさいよ」
「うん……」
少しだけ空気が緩む。
だが。
「で?」
「?」
真白は首を傾げた。
マオは嫌な予感を覚える。
「……まさか」
真白はぽけーっとしていた。
「何も考えてない?」
「なんにもおもいつかない」
マオのこめかみに青筋が浮かぶ。
「アレとの接触だ!け!は!阻止しないと不味いでしょうが!!」
「あ」
真白が固まった。
数秒。
「……あ」
「気付いた?」
「……」
「気付いたわね?」
真白の顔から血の気が引く。
「わ、忘れてたぁぁぁぁぁぁ!!」
休憩室に絶叫が響いた。
真白は完全に忘れていた。
第6世界には。
兎以外にも。
もう一体、“制御不能個体”が存在している事を。
―――続く




