第11話●上司
カツ。
カツ。
カツ。
ハイヒールの音だけが、静まり返ったオフィスに響く。
世界管理局総合修正処理室。
そこは今日も地獄だった。
並ぶデスク。
積み上がる資料。
空中に浮かぶ大量の監視画面。
誰もが死んだ目で端末を叩いている。
だが今だけは違う。
キーボードを打つ音すら小さい。
全員が息を殺していた。
マシロも例外ではない。
「……」
背筋が冷たい。
胃が痛い。
嫌な汗が止まらない。
理由は一つ。
来た。
自動扉が開く。
強い香水の匂い。
派手なドレス。
宝石だらけのアクセサリー。
過剰なメイク。
その女はまるで高級ブランドを人型にしたような存在だった。
女神。
第1〜第11世界統括管理者。
世界そのものを所有する存在。
そして。
この部署全員の天敵。
女神は誰も見ずに歩く。
視線すら向けない。
職員達は作業を続けるフリをしながら震えていた。
女神はマシロ達の中央付近で立ち止まる。
そして。
「明日から旅行行ってくるから」
沈黙。
誰も反応しない。
反応できない。
女神は気にした様子もない。
「推しの全国ツアー当たったの」
「あとコラボカフェと〜」
「ライブビューイングと〜」
「推し声優のラジオイベントと〜」
「舞台挨拶もあるし」
「忙しいのよねぇ」
世界より推し活。
マシロは真顔で聞いていた。
もう慣れている。
隣の席では誰かが魂の抜けた顔でキーボードを叩いていた。
女神は爪を眺めながら続ける。
「だから一ヶ月くらい居ないからよろしく〜」
軽い。
あまりにも軽い。
世界を管理する神の言葉とは思えない。
「あと第6世界もう飽きたから」
その瞬間。
マシロの肩が跳ねた。
「適当に整理しといて」
「いらない国とか消していいし」
「壊れてる街とか面倒だからまとめて処理していいわよ」
部署の空気が凍る。
第6世界。
今もっとも危険な世界。
制御不能個体。
修正不能データ。
存在そのものがエラー。
その世界を。
女神は。
「でも私の推しキャラ達は絶対残してね?」
笑顔で言った。
「あと転生者も」
「せっかく送り込んだんだから」
「消したら許さないからね?」
マシロの喉がひくりと鳴る。
転生者。
その言葉に少しだけ違和感を覚える。
だが。
理由は分からない。
女神は続ける。
「今乙女ゲー編すっごい良いところなのよ」
「ここで死なれたら萎えるじゃん?」
軽い。
あまりにも。
世界。
国家。
人命。
歴史。
全部。
推し活以下。
マシロの奥歯が軋む。
だが顔には出さない。
出せない。
ここで逆らった職員をマシロは何人も見てきた。
消えた。
本当に。
突然。
存在ごと。
まるで最初から居なかったみたいに。
女神は部署全体を見回す。
「じゃ、よろしく〜」
それだけ言って歩き出す。
カツ。
カツ。
カツ。
香水だけが残る。
自動扉が閉まった。
その瞬間だった。
「はぁぁぁぁぁ……」
誰かが深く息を吐く。
それを合図にしたように。
部署全体が一斉に崩れた。
「……死ぬかと思った」
「今日機嫌マシじゃなかった?」
「第9世界の時よりマシ」
「いや第3世界消した時が一番ヤバかった」
「思い出させんな」
小声が飛び交う。
全員限界だった。
マシロも椅子に沈み込む。
「……」
第6世界。
飽きた。
整理。
消していい。
その言葉が頭の中を回る。
もし。
もし兎の存在がバレたら。
間違いなく。
第6世界ごと処分される。
「……」
冷や汗が止まらない。
その時。
後ろから缶コーラが机に置かれた。
「飲みな」
マオだった。
相変わらず目つきが悪い。
マシロは震える手で缶を受け取る。
「……聞いてた?」
「全部聞こえてたわよ」
マオは小さく舌打ちする。
「最悪ね」
「第6世界完全に処分候補じゃない」
「……ごめん」
「今更よ」
マオは周囲を確認する。
誰も聞いていない。
確認してから。
さらに小声になる。
「一ヶ月」
「え?」
「アイツが戻るまで」
「それまでに全部隠し通すしかない」
マシロの顔が青ざめる。
「無理だよぉ……」
「無理じゃなくてやるの」
「バレたら終わり」
マオは低い声で言う。
「第6世界ごと消される」
マシロの頭に浮かぶ。
白いうさぎ。
光る米。
意味不明な存在。
制御不能個体。
そして。
どこか楽しそうに笑っていた姿。
「……」
モニターを見る。
第6世界。
監視画面。
そこでは。
うさぎが。
車のシートに座り。
一生懸命足を伸ばしていた。
『……届かねぇ』
「……」
マシロは頭を抱えた。
うさぎの存在が世界管理局に発覚するまで。
残り猶予―――1ヶ月。
―――続く




