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【7/16完結予定】氷の幻獣は、冷徹な魔女に拾われる。―夜の庭にサファイアは咲く―【完結まで毎日更新】  作者: 彩羽やよい
第8章:断絶の揺り籠

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第58話:白銀の儀礼

 ベルローズが両親の死を知ってから、三日後の夜。

 王都の地下深くに築かれた、王立魔導院研究所内にある大聖堂は、不気味なほどの静寂に包まれていた。


 かつては神を(まつ)る、神聖な場であったはずの場所。

 そこは今や、魔導院の手によって接収されたのちに改造され、無機質な実験場へと成り果てている。


 天井まで届くステンドグラスは取り払われ、代わりに魔導回路が刻まれた無数の硝子(がらす)板が、人工的な冷たい光を放っている。

 聖歌隊席には、魔力波長を監視する計測器の群れが並ぶ。

 その中心には、巨大な魔導回路が血管のように刻まれた銀の祭壇が、口を開けて鎮座していた。


 王家が極秘裏に進める、永久機関の研究施設。

 もはやこの街に、祈りを捧げる対象としての神は不要なのだ。

 数値化できる奇跡、『魔導エネルギー』こそが新しい神であるという、傲慢な思想が石壁の端々にまで染み付いていた。


 ベルローズは、その冷たい祭壇の前で立ち尽くしていた。

 纏っているのは、ヴィクトルが用意した、最高級の絹と真珠をあしらった純白のドレス。


 彼女の姿は消え入りそうなほどに可憐だが、それは祝福される花嫁の衣装などではない。

 ドレスの内側には、魔力を強制的に吸い出すための銀糸が網の目のように張り巡らされている。

 彼女の肉体を祭壇へ直結させ、その魂を導線へと変えるための、儀礼的な拘束衣だ。


(……これで、終わりなの?)


 ベルローズは意識が朦朧(もうろう)とする中で、奇妙なほど穏やかな思考を抱いていた。

 ヴィクトルの言う通りこの回路の一部になれば、両親の死を嘆くことも、孤独に震えることもなくなる。

 これが彼の言う完成であり、私が選べる唯一の自由なのだ。


 この儀式が終われば、私はただの動力となり、何も考えなくていい。

 何も感じなくていい。

 そんな(いびつ)な救いを縋るように信じようと、彼女は自分自身を騙し続けていた。

 そうしなければ、この極限状態の中で自我を保つことなど不可能だったからだ。


「……美しいよ、ベルローズ。君は今、世界で最も完成された『素材』だ」


 背後から響いたヴィクトルの声は、陶酔しきった狂気を孕んで湿っていた。

 白銀の礼服を纏った彼のその碧眼(へきがん)には、愛ではなく、実験の成功を確信する学者の色が宿っている。


「さあ、始めよう。君の人格という不確実なノイズを封印し、その強大な魔力をこの国の永遠の(いしずえ)として固定するんだ。」


 彼の手には、精巧な装飾が施された聖銀製の拘束具が握られていた。


「君の痛みも、涙も。すべては国家の動力という崇高な事実に置換される。……これ以上の幸福はないんだよ」


 ヴィクトルは、慈しむような手つきでベルローズの首元に手をかけた。

 その所作には、愛撫の温もりなど微塵もない。

 ただの精密機械の部品を、あるべき場所へ()め込むような、無機質な作業の延長だった。


「……っ、あああ!!」


 首元の繊細な皮膚に聖銀のプラグが打ち込まれた瞬間、ベルローズの全身を、身体を引きちぎられるような激痛が駆け抜けた。

 自我の輪郭が肉体から無理やり引き剥がされ、数値化された魔力として祭壇へと吸い上げられていく。


 呼吸は浅くなり、心臓の鼓動さえも祭壇の回路と同調し、強制的に制御される。

 視界が白む中、彼女は自分の存在が溶けて消滅していく恐怖に、声も出せずに喘いだ。


「素晴らしい出力だ。変換効率は98%を超えている……。これだ、僕が長年夢にまで見た、完璧な光は……!」


 ヴィクトルは、苦悶に歪む彼女の顔を見つめ、歓喜の声を上げ、彼女の額にその白手袋の手を伸ばした。

 その指先が、忌々しげに、けれど確信を持って彼女の角の根元をなぞる。


「ベルローズ。最後に、この醜い角を処理しよう。君がまともな人間ではないという、忌まわしい異形の証拠……。これを切り離し、純粋なエネルギー体として昇華させることで、君は僕の隣で、真の意味で美しく在れるんだ」


「……処理、ですって……?」


 ヴィクトルの言葉が、ベルローズの消えかけた意識の奥底で、重く、鈍く響いた。

 自分を愛していると囁き、誰よりも理解していると振る舞っていた男。

 その本心は、彼女の命の根源である角を蔑み、排除すべき汚物としてしか見ていなかった。


 初めから、彼女を救おうとなどしていない。

 彼女から存在の証明を奪い、彼好みの無機質な石像に作り替えたかっただけだ。


「……君は、僕が設計した通りの道具として、美しく在ればいい。さあ、その呪われた過去を切り落とそう」


 ヴィクトルの指が、角の根元へゆっくりと食い込む。

 冷たい手袋の感触。

 その刹那、ベルローズの脳裏に、かつてないほど鮮明な記憶が(よぎ)る。


 ――『ベルローズ、この角はドラクロワの誇りだ。お前の血と魔力の証なんだよ』

 父の、泥と土の匂いがする大きな手が、優しく角を撫でてくれた温もり。


 ――『あなたは本当に美しいわ。この角は、月の光を集めて輝くのよ』

 母が、娘の角を愛おしそうに撫で、その繊細な肌に口づけをくれた記憶。


 森の風、土の匂い、刺繍の針先。

 それらすべてを、異形の一言で片付けられてなるものか。

 私が私であるための、誇り高き命の形だったのだから。


 ベルローズの中で、何かが決定的に崩壊し、そして、何かが目覚めた。


(……違う。違う……! 私は、誰の道具でもない……!)


 絶望の淵で、彼女の内なるドラクロワの血が、暴動を起こした。

 それは、ヴィクトルが数年かけて施した調整など微塵も受け入れない、原始的で暴力的な拒絶反応。


 ベルローズの双眸(そうぼう)が音もなく、(くら)く沈んでいく。

 紅玉(ルビー)のような鮮烈さはなく、底知れぬ闇を孕んだ、重厚な深紅。

 その奥底で、激情に煽られた魔力の揺らぎが、陽炎のように不吉に立ち昇った。


「あ、あああああ……っ!!」


 彼女の角が、かつてないほど激しく、妖しい赤紫色に発光する。

 その光は、大聖堂の銀の祭壇を、そしてヴィクトルの白銀の礼服を、血のような色で染め上げた。


「……何だと? 出力が……、計測不能……? 馬鹿な、ノイズはすべて除去し、完全に制御下に置いたはずだ」


 ヴィクトルは、予想外の事態に、初めてその美貌を歪め、動揺の色を見せた。

 ベルローズを支配していたはずの機関が、彼女の激情に飲み込まれ、逆流を始めたのだ。


 ベルローズの身体から、黒い茨の蔦のような魔力が溢れ出し、大聖堂の床を、壁を、そしてヴィクトル自身を締め付けた。

 深紅の薔薇が、燃え盛る炎のように次々と花開き、猛烈な熱を発している。


「……私は、貴方の道具じゃない……。私を、私という人間を……、二度と、誰にも奪わせはしない……!」


 命を削り、魂の最後の一滴まで燃やし尽くすような叫び。

 ベルローズは魔力の爆圧によって、首元に打ち込まれた拘束具を内側から粉砕した。

 首筋から血が滴り、限界を超えた身体が悲鳴を上げる。

 それでも彼女の瞳には、かつてないほど強い意志が宿っていた。


(どこでもいい……、この男がいない場所へ……!)


 彼女に染み付いた血の記憶が、生存のための、唯一にして最後の無謀な手段を提示する。

 それは、ドラクロワの一族でも禁忌とされた、無理矢理な空間転移魔法だった。


「その衰弱した身体で……、無茶だ、死ぬ気か! 戻ってこい、ベルローズ! 君は僕の最高傑作――」


 ヴィクトルが必死に手を伸ばす。

 だが、彼の指先が彼女に触れる前に、ベルローズの姿は陽炎のような赤紫の光と共に掻き消えた。


 空間の歪みに身を投じる直前。

 彼女の深紅の瞳が、ヴィクトルを冷酷に射抜いていた。

 後に残されたのは、粉々に粉砕された銀の祭壇と、最高傑作を失い、黒い茨に囚われたヴィクトルの、虚しい嘆きだけだった。


 一方、座標すら定めぬまま跳んだベルローズは、夜空の裂け目から、血まみれのドレスのままで、禁忌の森の冷たい土の上へと墜落していく。

 意識が闇に沈む直前に彼女の鼻腔を突いたのは、石炭の煙ではなく、愛おしい薔薇の鮮やかな香りと、温かな土の匂いだった。


 物心つく前、両親に連れられて一度だけ訪れた場所。

 記憶の隅に微かに残る、薔薇の香りと古い石の匂い。

 森の番人であるドラクロワの血が彼女を運んだ先は、そんな『始祖の城』だった。

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