夢見るバレンタイン(9)
さて現状大ピンチだ。
あと数秒で同僚であり、この手の話題に若干潔癖なところがある音無さんとエンカウントする。
俺の残りの人生も数秒か……。
「……ああ、せっかく娘たちと仲睦まじく暮らしていたのになぁ……」
「? 義孝さん、どうしたんですか?」
明菜もまだ気がついていないのか……。
いやでも待てよ……今俺は別に悪いことをしているわけではない。明菜も成人してるしな。
(この場を警察に見られても生暖かい目で見られるだけだ。国家権力に見られても問題ないんだから、小娘1人に見られて問題あるはずないじゃん……だが、人の噂というのは思わぬ力を発揮することがある。ならばーーやはり知られないのがベスト。幸い近くに人は俺らと音無さん以外いないし)
……この時の俺は正直まともな思考ができないダメ人間だった……。
少し考えれば明菜に手を離させればいいだけの話だったはずだ。
でもこの時俺はーー。
「……っ! よ、義孝さん!!!」
俺は明菜に掴まれてる方とは逆の腕で明菜を抱き込み、通路の端へと誘い込んだ。
これで音無さんからは俺の身体に隠れて明菜は見えず、俺の姿も背中しか見えないはずだ。これならばやり過ごせる!
「よ、義孝さんって……けっこう大胆なんですね……ドキドキしちゃいますぅ」
明菜は俺の腕の中で身体を小さくしている。腕から伝わる柔らかな感触や甘い香りに理性がやられそうになる。
「こ、ここでは恥ずかしい……です。で、でもぉ」
明菜が小さく呟く。
悪いが今は構ってられない。なんせーー社会的に抹殺されるかどうかの瀬戸際だからなっ!
まあ、背中で俺かどうかを判断できるはずないーー。
『て、店長……?』
一瞬でバレた!!!!!!!!!!
お前背中で見分けられるほど俺のことが好きなの!?!?!?!?
俺は思わず明菜の身体から腕を離す。だが片方の腕は明菜が掴んだままなので、数秒前と同じように、明菜が俺の腕にしがみついている構図が出来上がる。
「ゆ、由衣さん……」
ここで明菜は音無さんの存在に気がついたようだ。
「…………」
「…………」
無表情のまま固まる女性陣。
まあ、ありえない物を見た時の正常な反応ともいえる……こうなったら優雅に立ち去るのが吉だ。
「じゃあ、俺たちは急ぐから――」
「待ちなさい。店長……お話をしましょう」
ですよねー。
スルー出来ないですよね……。
冷たい声が俺を突き刺す。
でもこっちも引くに引けない。ここで落ち着いてお話なんてしたら……絶対にろくなことにならないし……。
「よ、義孝さん……ここは私が……」
「あ、明菜?」
明菜が恐る恐るという感じで声を上げるが……音無さんがその言葉にぴくっと反応する。そしてニッコリとほほ笑む。
「義孝さん、明菜ね……私が知らない間に随分と仲良くなったんですね」
「ひっ……! ご、ごめんなさい。で、でも事情は『事前』に説明を――」
「でも……その『腕組』は聞いてないです」
「うぅ、ご、ごめんなさい……」
音無さんは怒られた猫の様にしょぼんとなる……ま、まずい、明らかに色々誤解されている!
ここは事情を説明しねぇと!
「ま、待て! 音無さん! ……これには深い事情が……」
「…………」
音無さんは俺の言葉を露骨に無視してそっぽを向く……。なんかいじけてる子供みたいなだ。
はぁ、やっぱり俺と明菜の関係が不純に見えてるのか……俺一応娘が2人いる立場だし……。
「お、おーい、俺の話を……音無さん」
「…………」
まだ無視を続ける。というか俺が言葉を続けるたびにいじけ具合が酷くなっていってる気がする。
「あ、あの、義孝さん、ちょっと耳を貸してください……」
「何? 耳舐めをしてくれるの?」
「み、な、なめ……!? ち、違います! い、いえ、別にい、いやという訳ではなくて……」
「わ、悪い、突然のことが多くて、ついボケてしまった……」
「あっ……冗談なんですか……冗談……」
おい、なんでちょっと残念そうなんだよ……勘違いしちまうじゃねぇか……。
って……そんなことしてる場合じゃなかった……。ああ、音無さんが纏うオーラが邪悪になっていく……旅団の一員みたいだ。
「あ、明菜、策をプリーズ……」
「は、はい……」
明菜は口を俺に近づけて耳元でささやく……妙に色っぽい仕草だが……そうも言ってられない。
というか……明菜が離れれば話し合いのテーブルについてもらえるのではないだろうか……。
『お、音無さん……のことも名前で呼んであげればいいと思います……こ、このままだと不公平なので……』
『い、いや……公平、不公平って問題じゃないだろ。ガキじゃあるまいし』
『こ、今回に限っては簡単な問題なんです。だから早く呼んで――』
「ふーん、仲がいいですね。うらやましいですね。妬ましいですね」
もう……無だ。音無さんの顔と声から感情が消えた。こいつ無我の境地に入りやがった……わかりやすくまとめると……めっちゃくそ怖い。
こうなったら明菜の言う通りにするしかねぇ! 例え気持ち悪いとか思われても……今の状況でマイナスになったところでそんなに変わらないしな!
「ゆ……由衣、俺の話を聞いてくれ」
「はい。なんですか? 店長」
もうどうにでもなれという気持ちで、名前で呼んでみると……そっぽを向いていた音無さんが笑顔でこちらに顔を向けた。
その顔は先ほど見せた邪悪な笑顔ではなく、ひまわりのように明るい笑顔だ。
(えっ!? さっきとギャップがあり過ぎて気持ち悪いんだけど! 何この現代ホラーは!?)
「まあ、今回はそれで手打ちにしましょう。私だけ仲間ハズレは気分が悪いですから、それにそれはストーカー対策ですよね」
「なんだ事情を知っていたのか……?」
ああ、それならそうと早く言ってくれよ……なんか肩から一気に力が抜けていく……。
「す、すみません、義孝さん。由衣さんには事前に相談してたんです」
「ええ、でも……ふふっ、そこまで仲良くするとは聞いてませんけど」
なるほど……うちの娘たちといい、こいつら仲良いな……だけど、そろそろ離れた方が良さそうだな……事情が分かったとはいえ、音無さん怖い。
「明菜、そろそろ離れた方がいい。ここのままだとあらぬ誤解を生む」
俺としは非常に残念であるが……。
「そ、そうですよね……うぅ、はぁ……」
明菜は渋々といった感じで俺から離れる。
その表情は暗く、足取りもすごく重そうだ。
「そんなに落ち込まないでください……私が悪者みたいじゃないですか」
「だ、だって……ドラマのヒロインみたいだったのに……」
「…………」
ドラマのヒロインはあそこまでエロくないと思います。
「ドラマなら、男が俺だと役不足だろ……明菜ならもっとイケメンが似合う」
俺が若くてイケメンなら本当にドラマのワンシーンだな……とか考えていると……女性陣が突き刺すような視線を俺に向けていることに気がついた。
「店長って……最低ですね」
「うぅ、義孝さんの……ばか」
何故だ……。
はぁ、なんかどっと疲れたな……。




