三十一の巻『すべて任せる』
三十一の巻『すべて任せる』
戸隠峰にスパイが紛れ込んでいる。清の推測に亜雪は心語りがあるようだ。
「それは誰かと聞いても」
緋桜が警備システムを操作している者たちに目を走らせる。間者が誰か判明していない以上、複数の人間にきかれるのは得策ではない。
「彼らは大丈夫ですよ。私の心当たりは鮫裏ですから」
警備の者は亜雪も以前から知っている警備システム開発時からのスタッフであった。あっさりと名前を告げたのは雷丸にとってはどこか納得させられる人物であった。
「あの優秀執事さんか、なんとなく悪巧みが似合いそうだもんな」
「鮫裏は当家に仕えてまだ一年と少し、以前まで執事をしていた者が事故に巻き込まれ、入れ替わる形で入ってきました」
一年足らずで亜雪の専属執事にまで出世した超優秀な人材、ポストがたまたま空いていたとはいえ簡単にできるものではない。
「根拠はあるのか」
疑い出せば一年前の前執事が事故に巻き込まれた話もあやしく思えてくる。
「鮫裏自身にはありません、ただ普段から完璧すぎました。どんな人にも欲があり共に生活すれば見え隠れするものです。しかしそれがまったく見えませんでした」
完成しすぎているからこその違和感。人は失敗する生き物、鮫裏からは人としての気配が希薄であったのだ。まるで自身を偽る仮面を付けているように素顔を見せない。だがそれだけで疑うには根拠が少なすぎる。
「それだけですか」
緋桜にはもっと明確に鮫裏を疑う確信的な物があるのではと問う。
「戸井原の態度です」
本人には隙がなかったが外部には存在した。
「戸井原の性格はご存じでしょ、自分に利益のもたらす人の名前しか憶えないと、自身が豪語しています。ですが、鮫裏の名前は知っていました」
雷丸にからんだ戸井原を亜雪が追い返した時、短い会話であったが二人は確かにやり取りをしていた。
『外までお送りします』
『よろしく頼むぜ鮫裏さんよ』
伊古代のようにインパクトの強い名前ならともかく、鮫裏は興味を引くようなことは何一つやってはいない、名前を覚える必要の無い人物。雷丸の記憶にも残っている。確かに戸井原は鮫裏の名前で呼んでいた。
「清、何人かで鮫裏を見張ってくれ。弧乃衛の人選は任せる」
「御意」
湯呑をその場に残し、密命を受けた小柄な忍は音もなく姿を消した。
「何人かでなんて、そのような曖昧な指示で良いのですか?」
はじめてギルドマスターとしれではなく、忍一族の長として指示を出す雷丸の姿を見た亜雪だが、ギルドと違い曖昧な指示しか伝えないことを心配したようだ。
「確かに忍の長はやってるけど、細かい専門的なことはまったくわからないからな、申し訳ないけど清に丸投げだ」
分からないことは無理にやろうとせず、できる人に丸投げ、怠け者の発想に思える部分もあるが、明確な敵が存在する現状で見栄は必要ない。
「信頼しているのですね」
「当たり前だろ」
一片の曇りもない言葉。真っ直ぐな信頼がそこにはあった。微かに緋桜の顔をゆるむ、この信頼こそが臣下としてなりよりも嬉しいのだろう。
「やっぱり、少し羨ましいです」
誰にも聞こえないように亜雪が小さくつぶやいた。
そままま三日目の夜が明けていく、この日の騒動は警備システムに捕獲された小物一人。金庫が完成するまであと四日、下見すらしに来る気配もないことから、スパイの存在は信憑性が高くなっていく。
清が鮫裏の監視をはじめた。
警護のためやってきた弧乃衛三十名のうち五人を引き連れ一日二十四時間、まばたきの数すらも見逃すまいと完全監視網を引いた。そこから上がってくる報告は亜雪の言うとおり完璧すぎた。あくび一つすることなく、他の使用人の倍の仕事量を平然とこなしている。
戸井原とのやり取りで疑惑が浮かばなければ、疑うことはなかったであろう。
清たちは主である亜雪の許可により、ためらうことなく鮫裏の私室に侵入、戸井原とのつながりの証拠を探した結果、警備室に繋がるシステムを分岐させ鮫裏の部屋でも警備の状態が把握できるようになっており、大量の睡眠薬までも所持していた。
量からしても個人で使用するのは多すぎであり、警備スタッフ全員を昏睡させるに十分な物であった。
忍による密着監視で鮫裏の容疑は確実なものとなる。
「さすがは亜雪お嬢様です」
「抵抗はしないのですね鮫裏」
証拠は突き付けられた鮫裏はあっけないほど簡単に白状。
「まともに忍者のみなさんとやり合うつもりはありません、勝てる見込みもありませんので」
戸井原との繋がりも包み隠さず暴露した。屋敷内の構造、保管庫への道筋もすでに伝えてあるらしい。
「おっさんはいつ襲撃するつもりなんだ」
「保管庫が完成してデータが全て移されてからです」
保管庫の攻略方法さえわかっていれば、移し終った後の油断を突いた方が成功すると、戸井原は判断したらしい。
「頭いいんだな、戦争バカかと思っていたけど」
「戦における嗅覚を持っているのでしょう。相手の油断に強襲するのは単純ですが良策です。相手に悟られなければですが」
企業の機密漏洩に雇い主への盗聴、未遂ではあるが襲撃の手引き、これらは完全な犯罪であるが、今すぐに警察に付きだすと、スパイの存在に気がついたことを戸井原側に教えることになってしまう。
「私におまかせください、攻めてきた所を一網打尽にしてみせなす」
緋桜の判断で鮫裏は屋敷の地下牢に軟禁する。
「この屋敷地下牢なんってあったんだな」
「古い屋敷ですからね」
「いや、古いだけで地下牢はないだろ」
珍しく雷丸の方が現実的ツッコミを入れた。
「そうですか、私の実家にもありましたが」
「緋桜、お前の実家も特殊だろうが」
忍の里の元長の家。地下牢があっても不思議はない。
「それよりも、仕掛けは大丈夫なんだな」
「はい、影に潜むのは忍のもっとも得意とする所です」
自信に満ちた表情で宣言する腹心の部下、鮫裏の供述で戸井原の襲撃計画の全容は掴んでいる。そのれに対して緋桜と清が熟考した対応計画を作成していた。ここまでくれば長にできることはただ一つ。
「すべて任せる」
「御意」
部下を信じて全てを託すことである。




