二十五の巻『戸隠峰の豪邸』
三章スタートです。
二十五の巻『戸隠峰の豪邸』
八月上旬。夏真っ盛り、朝であっても生暖かい風が道行人を平等に包み込む。
冒険者ギルド狼狐本部の玄関先で一組の男女が言い争いをしていた。
「緋桜、チェリーと名付けたことがそんなに嫌だったのか、これはその仕返しか」
「チェリーの呼び名は嫌に決まっています。ですが、それとコレは関係ありません」
男の方は冒険者ギルド狼弧のギルドマスターにして二つの忍一族を束ねる長、伊古代雷丸。
女の方は狗賀のくノ一で長直属の御側衆筆頭にして若手最強と言われる、狗賀野緋桜。
「嘘だ、絶対に根に持ってるだろ、でなきゃこんな危険物を用意するわけがない!」
昨日の約束通り、雷丸は亜雪に依頼の話を聞きにいくため戸隠峰の屋敷へ向かおうとしたのだが、ギルド本部前に停められている早籠を見た瞬間両脚がガクガクと震えだし動けなくなった。
かつての恐怖、安全バーの無い宙返りジョットコースターの方が数倍は安全に感じるほどの脅威の乗り物。
「亜雪の家は豪邸なんだぜ、ここは少しでも見栄をはって車でいかないか」
「雷丸様はいつも見栄など気にしていないではないですか」
「今日から気にすることにする」
「それはよかったです、私も常々気にして欲しいと願っていましたから、ですが車は無しです。そもそも所有していません」
冒険者ギルド狼弧の幹部以上の全員が、誰一人車どころか免許すら取得していない。最高幹部の雷丸、緋桜、清にいたっては全員が未成年で年齢すらも習得できる基準に達していない。
「タクシーを呼ぶのは」
「不経済です、お金がありません」
「だったら電車で行こう安いぞ」
「戸隠峰の屋敷は高台にあり、最寄の駅からでも登り坂を五キロは歩かなければなりません、ご存じでしょ」
亜雪の屋敷の最寄の駅名はずばり戸隠峰前駅、名前の通り戸隠峰の屋敷前と言うことで、改札を出れば見渡す限りが戸隠峰家の所有する土地なのである。
「今から電車に乗って五キロも歩く時間はありません、確実に待ち合わせに遅刻します」
もはや早籠に乗る以外の選択肢はなかった。しかしかつての恐怖が早籠に乗ることを雷丸にためらわせる。これに乗るくらいなら月光熊の群に単独で突っ込んでいった方がましだと本気で考えてしまうほどに。
雷丸は死刑台に登る死刑囚のような心境であった。もはや処刑されるしかないのかと諦めかけた時、意外なところから救いの手が差し伸べられた。
「お迎えにあがりました。伊古代様」
恭しく雷丸に頭を下げるのは、たまに亜雪の送迎で見かける鮫裏執事、彼の後ろには黒く高級な輝きを放つリムジンが駐車されていた。
「いや~助かりましたよ、鮫裏さんが迎えにきてくれて、もう少しで殺人送迎されるところだったんで」
「大げさすぎます、雷丸様が乗るからには安全は確保しています」
安堵の息をつく雷丸のすぐ隣から抗議の声がかけられる。だが、あくまで確保されているのは命の安全だけであり精神の安全は考慮されていない乗り物に違いはない。
広いリムジンの後部座席の真中に雷丸を置き、緋桜、清が左右の座席に座り小さくまとまっていた。はたから見れば乗り慣れていない貧乏人に映るかもしれないが護衛として同行している忍娘二人にとって譲れない位置取りだそうだ。
「送迎で殺人ですか、どんな物なのか少しだけ興味がわきますね」
「やめといた方がいいですよ、超コンスゥーなんで」
「コンスゥー?」
「気にせず運転に集中してください」
リムジンに乗ること数十分、戸隠峰屋敷に門に到着する。汚れ一つない白くて立派な格子の門が自動で開き大きな車体をそのまま迎え入れる。門を潜ったリムジンは雷丸たちを降ろすことなく坂道を登っていく、塀で囲まれた敷地内なのに登り坂、急勾配なため道は峠道のように大きなジグザグになっていく。
「敷地大きい」
「何度か訪れてはいますが、この桁の違いは慣れませんね」
忍娘たちは戸隠峰屋敷の敷地の広さに圧倒される。
「そうだよな、これだけ広ければ異世界も作り放題だよな、昔はここの庭でよく冒険ごっこしたもんだ」
一人圧倒されない男、雷丸。
今でこそ貧乏暮らしの普通の少年であるが、昔は戸隠峰と対等に付き合えるほどの大富豪であった。幼少のころに雷丸が住んでいた屋敷もここに負けないぐらいの広を持っていた。
「元御曹司」
ぽつりと清が今の雷丸の肩書をつぶやいた。
「そう元、今はもう関係ないな」
「後悔はない?」
表情の変化が少ない清だが、どこか申し訳なさそうな感情が雷丸に伝わってきた。
「ガキの頃のことだぜ、話を振っておいて暗い顔をするな」
うつむく清の頭をわしわしと強めになでながら話を強制的に終わらせる。
峠道が終わり屋敷に到着すると鮫裏の案内で応接間へと通された。
以前遊びに来たときは亜雪の部屋へと通されたのだが今回は仕事のため分別がつけられたのだろう。
高い天井には豪華なシャンデリア、床は踏むのを躊躇いたくなるような上質な絨毯がひかれ、ギルドの板張りとは比べるまでもない。飾られている湖の描かれた絵画や鹿のはく製の置物など一様に高級感が漂っており、ギルドホールの飾りとして雷丸が古道具屋やリサイクルショップで集めてきた、なんちゃってファンタジー風コレクションよりも異世界の品々に見えてしまう。
「お嬢様はすぐに参られます。しばらくお持ちください」
雷丸たちに紅茶を注ぐと、一礼をして鮫裏は退出していく。
雷丸たちが腰をおろした椅子も弾力があるにも関わらずお尻を沈み込ませ腰への負担がかからない。安物とはわけが違う。
「お尻に忍ばした手裏剣でキズつけるなよ、弁償なんてできないから」
「そんなところに手裏剣なんか入れません」
ツッコミ担当の緋桜が早速ツッコミを入れたのだが。
「入れてるのはクナイ」
「……清、言っといてなんですが、なんでお尻にクナイ」
重い雰囲気だったので場を和まそうと雷丸の軽い冗談だったのだが、もぞもぞと清が腰の下からクナイを取りだし懐にしまい直した。
「電車で痴漢を見た、予防策」
もし痴漢に遭遇したとき、痴漢の手が清のお尻に触ろうものならクナイの切先が愚か者の手に突き刺さる仕組み。
「銃刀法違反だからやめなさい」
「忍に触るとケガをする」
清なりの雷丸の冗談に対する返しだったのかもしれない、そうなのだと雷丸は思い込むことにした。冗談はこれくらいにして静かに亜雪を待とう、紅茶を口をつけた。
それから時計の秒針が三周ほどすると、ノックもなく応接間の扉が開かれた。
「亜雪ちゃん、例の話は考えてくれたかい」
やってきたのは亜雪ではなく、スーツの上からでもわかる筋肉質の中年男性だった。
日本人離れした体格を包むのは海外製のオーダースーツにワインレッドのシャツ、首には喜平のネックレスがぶるさがっている。マフィアのボスと言われても信じられる迫力がこの強面の中年男性にはあった。
「なんだお前たちは?」
亜雪ではないと気がついた中年が凄みを帯びた視線で雷丸たちを射ぬいてきた。カタギ人種とはとても思えない。
「あなたこそ何者です」
緋桜と清が雷丸を守るように前に進み出た。




