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ニルヴァーナ -Nirvana-  作者: 夜華カナタ


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第8話 巨影

特殊個体は、これまでの影とは根本的に違う存在感を放っていた。全身を覆う闇のような輪郭が、脈打つように蠢いている。その動きのひとつひとつが、地面を揺らすほどの重量を感じさせた。


「――どう見ても、正攻法じゃ無理」


環が低く呟く。だが、逃げ場はなかった。周囲を取り囲むように、通常個体の影たちもじわじわと包囲網を狭めてきている。


「役割分担しよう」


陽が声を上げた。


「環は前衛で攪乱。大和たちは後方で援護。私と澪で隙を作る。……行けるよね?」


即席の作戦だったが、誰も反論しなかった。今はただ、目の前の危機を乗り越えるしかなかった。


環は腰のナイフに一度手をかけたが、結局、鞘に収めたままにした。


「刃物より、拳の方が速い。今の私なら」


限界突破で強化された身体には、下手な得物よりも、素手のほうが力を余すことなく叩き込める。環はそう判断していた。


代わりに、陽がナイフを抜き放ち、逆手に構え直す。


戦いは、これまでのどの局面よりも過酷だった。


巨影の腕――そう呼んでいいのかも分からない、闇が束になったような付属肢――が、唸りを上げて振り下ろされる。


環はその軌道を最後の瞬間まで見極め、地面すれすれで身を捻って回避した。土埃が舞い上がり、視界が一瞬、白く濁る。


「甘い!」


環は叫びながら、着地の勢いをそのまま踏み込みに変えた。


淡い光を纏った拳が、巨影の脚部へ叩き込まれる。


手応えは重く、鈍い。骨を殴っているというより、粘土の塊を殴っているような感触だった。


だが、確かに巨影の輪郭が、その一撃で歪んだ。


「効いてる。けど、全然足りない!」


環の《限界突破》が発動し、その動きが常人離れした速度へと変化する。


だが澪は、その横顔に痛みへの反応が失われていく様を、はっきりと見て取っていた。


二撃目、三撃目と拳を叩き込むたびに、環の拳の皮膚が裂け、血の筋が浮かぶ。それでも環の表情は、眉ひとつ動かなかった。


「環、無理しないで――」


「今は、それしかない」


環の声は、これまでになく硬かった。


大和たちは、拾い集めた鉄パイプや尖らせた木の棒を構え、後方から巨影の脚元めがけて投擲を繰り返していた。


狙いは半分も当たらなかったが、それでも注意を分散させるには十分だった。


手が震え、何度も取り落としそうになりながらも、大和は次の武器を拾い上げ続けた。


澪の視界には、次々と仲間たちの感情が流れ込んできていた。


〈対象:七瀬環 感情パターン検出――消耗 78%/決意 65%〉

〈対象:大和 感情パターン検出――恐怖 80%/使命感 55%〉


情報量に押し潰されそうになりながらも、澪はそのひとつひとつを必死に選び取っていた。


誰の、どんな隙が、今もっとも必要とされているのか。


巨影が身体を反転させながら、周囲を薙ぎ払うように付属肢を振り回した。


その動きの起点――肩に相当する部分が、わずかに沈み込む。


澪はそれを見逃さなかった。


「――陽さん、左から! 今、右側ががら空きです!」


陽が地を蹴り、低い姿勢のまま懐へと滑り込む。


逆手に構えたナイフを、巨影の側面――闇の輪郭が薄く、地の色が透けて見える箇所へと突き立てた。


突き刺さった瞬間、そこだけから光が漏れるように、巨影の身体がびくりと震える。


「環さん、今なら通せる!」


澪の合図と同時に、環が跳躍した。


空中で身体を捻り、渾身の蹴りを、陽が抉った傷口めがけて叩き込む。


衝撃で巨影の巨体が大きくよろめき、地響きを立てて後退した。


澪の声が、まるで指揮者のように戦場の流れを繋いでいく。


それは、能力の代償と引き換えに得た、かけがえのない役割だった。


巨影が体勢を立て直し、怒りにも似た唸り声を上げた。


付属肢の一本が、大きく振りかぶられる。


その軌道の先には、体勢を崩したままの陽がいた。


「陽!」


小春がとっさに陽の腕を掴み、引き寄せた。


二人揃って地面に転がり込む。


頭上を唸りを上げて付属肢が通過し、二人がいた場所の地面が大きく抉れた。土と石の破片が、雨のように降り注ぐ。


「危なかった……ありがとう、小春」


「うん。無事でよかった」


小春はそう言って、安堵の笑みを浮かべた。


その笑顔を、澪は視界の端で捉えていた。


――大丈夫。まだ、みんな無事。


そう自分に言い聞かせながら、澪は再び戦場の流れへと意識を集中させていった。


環が、傷ついた側面へと再び肉薄する。


今度は拳ではなく、両腕を交差させるようにして、渾身の一撃を叩き込んだ。


巨影の輪郭が、亀裂の入ったガラスのように細かく震え始める。


「もう少し……もう少しで、崩せる!」


環の声に、全員の士気がわずかに持ち直した。


陽が追撃の姿勢を取り、大和たちも最後の武器を握り直す。


〈第一フェーズ:終了まで残り 05:12:40〉


決着まで、あと少しだった。

特殊個体「巨影」との戦いが本格的に始まりました。


環の限界突破、陽の機転、澪の観測能力、そして仲間たちの必死の援護。

それぞれが自分にできることを重ねながら、巨大な影へ立ち向かいます。


第一フェーズ終了まで残り時間は、5時間12分40秒。

この戦いの先に何が待っているのか、ぜひ次話も読んでいただけると嬉しいです。

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