第7話 分け合う心
挿話・回想:柚木小春
小春が「消えたい」と初めて思ったのは、中学二年の冬だった。
きっかけらしいきっかけは、実はそれほど大きなものではなかった。
仲の良かったグループで、些細な行き違いから少しずつ距離を置かれるようになった。
誰かが悪意を持って小春を除け者にしたわけではない。ただ、緩やかに、自然に、小春だけがグループの輪から外れていっただけだった。
「大丈夫、大丈夫」
小春は毎日、そう自分に言い聞かせていた。
友達なんて、また作ればいい。
そう思おうとすればするほど、家に帰ってから見る自分の描いた絵だけが、唯一「誰にも否定されない場所」になっていった。
高校でも、似たようなことが繰り返された。
仲良くなりかけても、どこかで小春は「またこうなるかもしれない」という予感に怯え、自分から距離を取ってしまう。
そうして気づけば、また一人になっている。
Nirvanaのことを知ったのは、SNSの片隅にあった鍵付きの小さなコミュニティだった。
「生きる意味を、本気で探したい人へ」
そんな、曖昧で、けれど妙に説得力のある文言が掲げられていた。
小春は、その文言に惹かれたわけではなかった。
ただ、そこに書かれていた一文――「ここでは、誰もあなたを“透明”にしない」という言葉に、抗えなかった。
参加を決めた夜、小春は久しぶりに、まっさらな紙に何かを描こうとした。
だが、結局、何も描けなかった。
描きたいものが、もう自分の中に残っていない気がした。
それでも、と小春は思った。
もし、この先で誰かと出会えたなら。
誰かに「いてくれてよかった」と思われることが、一度でもあったなら。
それだけで、じゅうぶんだった。
森の中で澪たちと出会った時、小春は素直に嬉しかった。
誰かと一緒にいることに、久しぶりに怯えずにいられた。
拠点を作り、大和たちと合流し、少しずつ大きくなっていく輪の中で、小春はこれまで感じたことのない充実を覚えていた。
「今度はもっと、普通の場所で会いたいな」
その願いは、小春にとって精一杯の本音だった。
もう一度、誰かと「これから」を思い描けたことが、小春にとっては、それだけで生きていてよかったと思える瞬間だった。
〈第一フェーズ:終了まで残り 08:22:15〉
夜が深まるにつれ、影の出現頻度は明らかに増していた。
これまでとは違う、統率されたような動きを見せる個体も現れ始めている。
「数が多すぎる。今までのペースじゃない」
環が険しい表情で言う。
石段の広場を囲むように、影の気配が徐々に近づいてきていた。
大和たちのグループの一人が、震える声で言った。
「もしかして……フェーズの終盤って、こういうものなのかな。難易度が、上がっていくとか」
その推測を、誰も否定できなかった。
澪は、増え続ける影の気配の中で、視界の端に浮かぶ文字列に気づいた。
〈対象:複数 感情パターン検出中……〉
周囲にいる仲間たち全員の感情が、次第に濃く、澪の中に流れ込んでこようとしていた。
恐怖。焦り。そして、誰にも言えない疲労。
――受け止めきれない。
澪はそう感じながらも、必死にその感覚を押し留めていた。
もし今、すべてを受け入れてしまえば、自分が誰なのか分からなくなる。
それでも、誰かを守るためには、この力を手放すわけにはいかなかった。
「澪、平気?」
小春が心配そうに近づいてくる。
澪は無理に笑ってみせた。
「大丈夫です。まだ、いけます」
その言葉がどこまで本当なのか、澪自身にも分からなかった。
戦況が徐々に悪化する中、陽が声を上げた。
「――待って、あれ」
陽が指さした方向。
木々の隙間から、これまでにない大きさの影が姿を現した。
他の個体とは明らかに違う、圧倒的な存在感。
〈警告:高密度反応個体を検出〉
〈本フェーズにおける特殊個体――撃破、または一定時間の生存で、生還条件に追加ボーナスが付与されます〉
その表示に、環が舌打ちした。
「都合よくボーナスなんて出すあたり、絶対、参加者を煽ってるだけ」
「でも……倒せたら、みんなの分の余裕ができるかもしれない」
大和が、震えながらもそう口にした。
その言葉には、これまで守られる側だった彼なりの、精一杯の覚悟が滲んでいた。
「無理はしないで。でも……」
澪は迷いながらも、覚悟を決めた表情で言った。
「みんなで、乗り越えましょう」
巨大な影が、ゆっくりとこちらへ歩みを進めてくる。
その圧力に、誰もが息を呑んだ。
〈第一フェーズ:終了まで残り 06:47:03〉
長い夜の、最も過酷な局面が、今、始まろうとしていた。
あとがき
小春の過去と、仲間たちが迎える第一フェーズ終盤の危機を描いた回です。
「誰かと普通の場所で会いたい」という小春の願いが、これからの物語の中でどのような意味を持つのか。




