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ニルヴァーナ -Nirvana-  作者: 夜華カナタ


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第6話 それぞれの理由

挿話・獅子堂猛


囮になる、と言った時、誰も反対しなかった。


当然だ、と獅子堂は思う。

反対する理由が、あいつらにあるはずもない。


――本当は、そうじゃなかった。


獅子堂がこの森で「管理人」を名乗り始めたのは、最初からそういう性分だったからではない。


参加してすぐ、統率の取れない集団がどうなるかを、嫌というほど目にしたからだった。


誰も彼もが好き勝手に動き、互いを疑う。

そして結果として、真っ先に数を減らしていったグループがあった。


だから獅子堂は決めた。


誰かが憎まれ役を引き受けてでも、集団としての形を保たなければならない。

そうしなければ、全員が早々に消えることになる。


恐怖で縛るのは、褒められたやり方じゃない。

それでも、何もしないよりはましだった。


大和のような、まだ幼さの抜けない奴らを見ていると、どうしても放っておけなかった。


妹に似ている。


そう思ったことは、誰にも言ったことがない。


現実にいる、もう何年も会っていない妹。

獅子堂がここに来た理由も、本当はその妹のためだった。


「悪いようにはしない」


そう口にするたび、獅子堂は自分でも、その言葉の不器用さに苦笑いしたくなる。


優しくする方法を、獅子堂は知らなかった。


知っていたら、きっともっと違う言い方で、大和たちを守れていただろう。


影の群れが、拠点の方角から迫ってきた時、獅子堂は迷わなかった。


「お前らは先に行け」


短く、それだけ言った。


誰も、その言葉の裏にあるものなど、気づかなくていい。


森の奥へと踏み込んでいく獅子堂の背中を、振り返る者はいなかった。


その先で獅子堂が何と対峙し、どうなったのか。


――それを知る者は、今はまだ、誰もいない。


新しく合流した大和たちを含め、一団は森の中でも比較的開けた場所へと、一時的な拠点を移していた。


そこは、かつて何かの祭壇だったらしい。

苔むした石段が残る、静かな広場だった。


戦闘の合間、澪と小春は石段の隅に並んで座っていた。


「澪、さっきから時々、辛そうな顔してるよね」


小春の言葉に、澪は少し驚いた。


「……分かりますか」


「なんとなく。ずっと見てたから」


澪は迷った末、小さく打ち明けた。


「誰かの感情に触れるたびに、私の中に、その人の何かが残っていく気がするんです」


言葉を選ぶように、澪は続ける。


「少しずつ、自分が誰なのか、分からなくなっていくみたいで」


小春はしばらく黙って、澪の言葉を受け止めていた。


「それって……すごく、怖いことだね」


「はい」


「でも」


小春は、澪の手をそっと握った。


「もし澪が、私のことも“覚えて”いってくれるなら。それって、悪いことばかりじゃない気がする」


その言葉に、澪は思わず小春を見た。


「覚えてる、って」


「うん。私の気持ちとか、考えてたこととか。澪の中に少しでも残るなら……私、それはそれで、嬉しいかもしれない」


小春の言葉は、澪がこれまで感じていた恐怖とは、まったく違う角度からのものだった。


奪うこと。

失うこと。


それだけではない。


誰かを、自分の中に留めておける。


その捉え方が、澪の中へ新しい光のように差し込んだ。


その夜、澪は久しぶりに、少しだけ心が軽くなっているのを感じた。


石段の広場には大和たちも合流し、以前より賑やかな気配が漂っていた。


誰もが疲れ切っていた。

それでも身を寄せ合うことで、わずかな安心を分け合っているようだった。


陽が、大和たちのグループの一人と、他愛のない話で笑い合っている。


環は少し離れた場所で周囲を警戒しながらも、時折その輪へ視線を向けていた。


澪は、その光景を眺めながら、ふと気づいた。


――これは、誰かに与えられた繋がりじゃない。


自分たちで、作り上げた繋がりだ。


その事実が、澪の中で、これまでにない確かな手応えとなって残っていった。


深夜。


見張りの交代で澪が起きていると、環がそっと隣に座った。


「眠れないの?」


「はい……なんとなく」


環はしばらく黙ってから、ぽつりと言った。


「さっき、小春と話してたこと、聞こえてた」


「……そうですか」


「悪いとは思ってないよ。ただ……」


環は、自分の手のひらを見つめた。


「私は、まだ怖い。誰かを“覚える”ことも、覚えられることも」


その正直な言葉に、澪は何も言えなかった。


ただ、環の隣に静かに寄り添うことしかできなかった。


「でも」


環が続ける。


「澪たちを見てると、少しだけ……それも悪くないのかもって、思えてくる」


その一言が、澪にとって何よりも大きな一歩に感じられた。


〈第一フェーズ:終了まで残り 11:03:41〉


夜は、まだ半分ほど残っていた。


だが、澪の心には、これまでとは違う、確かな温かさが灯っていた。


挿話・観測記録


薄暗い管理室に、無数のモニターが等間隔で並んでいる。


そのほとんどが、森の中で息を潜める参加者たちの視点を映し出していた。


一つの画面には、獅子堂と思われる大柄な男が、影の群れの中へ単身で踏み込んでいく様子が映っていた。


記録者らしき人物が、抑揚のない声で読み上げる。


「参加者、獅子堂猛。単独行動を開始。周辺個体数、確認できる限りで十二」


「生存欲求指数の推移は?」


白衣に近い服装をした人物が、静かに問いかけた。


「一時的に急上昇しています。ただし……行動パターンが、自己保存ではなく、他者の逃走経路確保に集中しているようです」


その報告に、白衣の人物は、わずかに興味を惹かれたような表情を見せた。


「――面白いな。自己犠牲的な行動でも、指数が上がることがあるのか」


「はい。従来のモデルでは説明のつかない挙動です」


「記録しておけ。この個体の詳細ログは、後で個別に精査する」


白衣の人物はそう言い残し、別のモニターへと視線を移した。


獅子堂を映した画面は、そのまま、しばらくの間、消えることなく残り続けていた。


視線の先には、澪たちのいる石段の広場が映っていた。


「水無瀬澪、か」


その名を呟く声には、これまでにない関心の色が混じっていた。


「彼女の周囲に、参加者が集まり始めているな」


「はい。当初、単独に近かった行動から、集団形成へと移行しています」


「――良いデータになりそうだ」


その言葉の裏にある冷たさを、記録者はあえて問い直すことはしなかった。

あとがき

獅子堂の行動には、彼なりの守り方と、誰にも見せていない理由がありました。


一方で澪たちは、「覚えること」を失うことだけではなく、誰かと繋がるための形としても受け止め始めます。


少しずつ集まり始めた仲間たち。

けれど、その様子は管理者側にも観測されていました。

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