第5話 開戦、森が牙を剥く
〈第一フェーズ:開始まで残り 00:02:47〉
カウントダウンが進むにつれ、森の空気が変わっていくのを、澪は肌で感じた。
「ルール、まだ何も説明されてないよね」
小春が不安げに呟いた。
「多分、時間になったら勝手に出る」
環が短く答える。その声には、すでに何かを諦めたような響きがあった。
〈第一フェーズ・ルール開示〉
〈本フェーズにおける生還条件:生存欲求指数、上位30%〉
〈生存欲求指数は、心拍・脳波反応・行動選択パターンから算出されます〉
〈フェーズ終了時刻:24:00:00後〉
文字列が消えると同時に、森の奥から低い唸り声のようなものが響いた。
「――来る」
環が誰よりも早く動いた。
その瞬間、澪の視界に、これまでとは違う何かが滑り込んできた。
近くにいた陽の横顔。その一瞬の表情に、澪は自分でも説明のつかない「流れ込み」を感じた。
恐怖と、それでも仲間を守ろうとする意志。
まるで陽の感情の断片が、澪自身の中へ直接注ぎ込まれたかのようだった。
〈固有スキル「共鳴読心」が発現しました〉
見知らぬ文字列が、澪だけの視界に浮かんでいた。
考える間もなく、森の闇から黒い影が飛び出してきた。
人型でありながら、輪郭が絶えず揺らいでいる。悪夢のような何かだった。
爪が空気を裂く音が、澪の耳の奥にまで響いた。
「散れ! 固まってると的にされる!」
環の声が響き、四人は反射的に散開した。
澪は木の陰に身を隠しながら、心臓が痛いほど鳴っているのを感じた。
――怖い。
それなのに、頭のどこかは奇妙なほど冷静だった。
視界の端に、また新しい文字列が浮かぶ。
〈対象:遠野陽 感情パターン検出――恐怖 62%/決意 74%〉
陽の背中を見ているだけで、澪には彼女の内側にあるものが流れ込んでくる。
まるで陽自身の感情を、自分のものとして体験しているようだった。
その情報が流れ込んだ瞬間、澪の身体は勝手に動いていた。
陽が影に背を向け、隙ができた刹那。澪はその危機を、まるで最初から知っていたかのように察知した。
「陽さん、右!」
声を上げると同時に、自分でも驚くほど正確なタイミングだった。
陽が咄嗟に身を捩り、爪の一撃をぎりぎりでかわす。
「……今の、なに?」
陽が驚いた顔で澪を見た。
澪自身にも、うまく説明できなかった。
ただ、「陽の感情が視えた」としか言いようがなかった。
戦闘の合間、遠くで別の悲鳴が聞こえた。
獅子堂の集団がいる方角だった。
「あっちも、やられてるみたいだね……」
小春が不安げに呟く。
誰も、そちらへ向かう余裕はなかった。
森の各所で、無数の影と参加者たちの攻防が繰り広げられていた。
澪たちの拠点付近だけが特別な場所ではない。この森全体が今、生存を懸けた戦場に変わっていた。
「集中して。よそ見してる余裕、ない」
環の声に、澪は意識を引き戻した。
だが、その一瞬。澪の脳裏には、あの少年――大和の顔がよぎっていた。
無事でいてほしい。
そう思う自分に、澪は少し驚いていた。
誰かの無事を、こんなにも強く願う自分を、これまで知らなかった。
〈第一フェーズ:終了まで残り 23:12:08〉
長い夜が、今、本当の意味で始まっていた。
夜が更けるにつれ、影の数は増えていった。
澪たちは何とか連携を保ちながら、フェーズの終了時刻までもちこたえようとしていた。
森は、これまでとは違う顔を見せ始めていた。
木々の隙間から漏れる灰色の光は、変わらず均一だった。
だが地面のあちこちには、戦闘の痕跡――抉れた土、折れた木の枝、そして時折、光の粒子が尾を引くように消えていく残滓――が刻まれていく。
「澪、大丈夫?」
小春が息を切らしながら声をかけてきた。
その顔に浮かぶ疲労と、それでも仲間を気遣おうとする表情に、澪はまた小さく引き込まれそうになる。
「大丈夫、です」
そう答えながら、澪は自分の声が少しずつ自分のものではなくなっていくような感覚を、まだ誰にも話せずにいた。
戦闘の合間、澪たちは一時、崩れた大木の根元に身を寄せていた。
そこへ、複数の足音が近づいてくる気配があった。
「――獅子堂の集団だ」
環が身構える。
だが、現れたのは獅子堂本人ではなく、数人の集団だけだった。
その中に、大和の姿もあった。
「お前ら……」
大和と一緒にいた一人が、警戒するように言った。
だが、大和が慌てて割って入る。
「大丈夫。この人たちは、多分、敵じゃない」
「多分って、お前」
「昨日、俺を助けてくれた人だから」
その言葉に、集団の緊張がわずかに緩んだ。
「獅子堂さんは?」
澪が尋ねると、大和は表情を曇らせた。
「はぐれた……というか、俺たちだけ逃げてきた。獅子堂さんは、囮になって……」
その先を、大和は言葉にできなかった。
だが、澪の能力が、大和の中にある感情を静かに拾い上げていた。
〈対象:大和 感情パターン検出――罪悪感 68%/安堵 30%〉
逃げてきたことへの罪悪感と、それでも生き延びられたことへの安堵。
矛盾する二つの感情が、大和の中で綱引きをしているようだった。
「一緒に、いてもいいですか」
大和が震える声でそう言った。
環が一瞬、澪の方を見る。
答えを委ねるような視線だった。
「――もちろん」
澪がそう答えると、大和たちの表情にわずかな安堵が浮かんだ。
集団の中、一番後ろに、あの目立たない青年の姿があった。
今回も、彼は特に何かを言うでもなく、ただ静かに周囲の様子を窺っていた。
澪の視線が一瞬、その青年へ向く。
しかしすぐに、他の危機に気を取られ、意識はそちらへと逸れていった。
新しく合流したメンバーを加えて、澪たちの一団は少しだけ大きくなった。
だが、その分だけ守るべきものも増えたということだった。
森の奥から、また新たな唸り声が響いてくる。
「休んでる暇、なさそう」
環がそう言って立ち上がった。
澪たちは増えた仲間と共に、再び戦場の中へと踏み出していった。
〈第一フェーズ:終了まで残り 18:47:22〉
まだ、夜は長かった。
あとがき
第一フェーズ、開戦。
澪に発現した固有スキル「共鳴読心」と、新たに合流した大和たち。
仲間が増えるほど、生き残るために背負うものも増えていく。
次回もよろしくお願いします。




