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ニルヴァーナ -Nirvana-  作者: 夜華カナタ


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第23話 まだ私でいて

環の選択の結果は…

地上に戻った瞬間、教会全体が、地鳴りのような音とともに震えた。


「――なに、これ!」


陽が悲鳴に近い声を上げる。


祭壇の奥、崩れた十字架の隙間から、これまでとは比較にならない大きさの影が、ゆっくりと姿を現していた。輪郭は歪み、いくつもの影が寄り集まって、一つの巨大な塊になっているようだった。


〈対象を検知:フェーズ管理体、覚醒〉


システムログが、これまでで最も長い警告を表示する。


「あれが、この教会そのものの守り手ってことか」佐伯が、ナイフを構え直しながら舌打ちした。


「――やるしかないでしょう」


環が、既に構えを取っていた。その横顔には、既に覚悟が滲んでいる。


「環さん、さっき言ってましたよね。次はどうなるか分からないって」


澪が、思わず声をかけた。


「言ったわね」


環は、振り返らずに答えた。


「でも、ここで止まったら、全員やられる。だったら、迷ってる意味がない」


「限界突破――全開放!」


環の身体が、再び光に包まれる。今度の光は、これまでよりも強く、そして不安定に揺らいでいた。


環は巨大な影へと突っ込み、拳を叩き込んだ。轟音とともに、影の一部が弾け飛ぶ。だが、失われた分は、すぐに周囲の闇から補われていくように見えた。


「――終わりが、見えない!」


陽の声に、焦りが滲む。


環の攻撃が、次第に精度を欠き始めていた。同じ場所ばかりを殴り、避けるべき攻撃をまともに受け、それでも止まらない。


その表情から、完全に感情が消えていた。


「――環さん!」


澪の呼びかけにも、環は反応しなかった。


〈対象者:七瀬環。代償進行度、限界値到達〉


システムログの警告に、澪の視界が、一瞬真っ白になった。


このままでは、環は環でなくなる。


澪は、迷わず環に向かって駆け出した。共鳴読心を使う。環の暴走した感覚を、自分が肩代わりする。それしか、方法が思いつかなかった。


手を伸ばす。


環の腕に、指先が触れる寸前。


――澪が自分を犠牲にするようなことは、絶対にしないで。


環の声が、頭の中で鋭く蘇った。


澪の手が、止まった。


代わりに、澪は声の限り叫んだ。


「――環さん!あなたには、妹がいたはずです!」


巨大な影に向かって拳を振るいかけていた環の動きが、わずかに乱れた。だが、それも一瞬だった。虚ろな目は、すぐにまた影だけを映し始める。


届いていない。澪はそう思いながらも、叫ぶことをやめなかった。


「聖具室で、話してくれましたよね!病気がちな妹を守れなかったって!何もできなかった自分が、どれだけ無力か思い知ったって!」


環の拳が、影の一部を捉え損ね、体勢を崩した。それでも、目の光は戻らない。


「守れなかったから、力が欲しかったんですよね!なら、その力で今、誰も守れないまま消えていいわけがない!」


環の動きが、わずかに止まった。止まったまま、しばらく動かない。


「環さんは、守りたかったんですよね!だから力が欲しかったんですよね!なら、最後まで、自分の意思で守り抜いてください!誰かに乗っ取られたみたいに終わるなんて、あなたらしくない!」


長い、長い一瞬だった。


環の肩が、震えた。


「――澪」


掠れた声が、澪の名前を呼んだ。目の奥に、少しずつ、本当に少しずつ、光が戻っていく。


「……そうだった」


環は、自分に言い聞かせるように繰り返した。


「私は、誰かの代わりに戦ってるんじゃない。私が、守りたいと思ったから戦ってる」


環の身体を包む光が、荒々しさを失い、静かに安定していく。


「これで、最後」


環は、澪を一度だけ振り返って笑った。そして、残された全力を、巨大な影の中心へと叩き込んだ。


轟音とともに、影が輪郭を失い、粒子となって崩れていく。


〈フェーズ管理体、消滅を確認〉


〈第3フェーズ、収束条件を達成しました〉


システムログが流れる中、環はその場に膝をついた。


「――環さん!」


澪が駆け寄ると、環は荒い息をつきながら、それでもいつもの調子で笑ってみせた。


「大丈夫。ただ、力を使い果たしただけ」


だが、その直後。


〈対象者:七瀬環。固有能力「限界突破」の使用限界を確認。以後、当該能力の発動を禁止します〉


その通知に、環の表情が固まった。


「――能力、使えなくなった、ってこと?」


澪の問いに、環は自分の手のひらを見つめた。何度か力を込めるように握ってみるが、いつもの光は、もう浮かばなかった。


「……そうみたいね」


環は、それきり黙り込んだ。


拳を握っては開き、何度も確かめるように繰り返す。その手つきには、まだ信じきれていないような戸惑いがあった。


「――これで、私は」


環の声が、かすかに震えた。


「これで、私はもう、誰も守れなくなるのかな」


その問いは、澪にというより、自分自身に向けられているようだった。


澪はすぐには答えられなかった。この能力が、環にとってどれほどの意味を持っていたか、痛いほど分かっていたからだ。守れなかった過去への贖罪であり、もう一度誰かのために立てるようになった証だった力を、環は今、確かに失った。


しばらくの沈黙の後、環は自分の手のひらから目を逸らし、小さく息を吐いた。


「……でも」


その声は、まだ完全には晴れていなかったが、それでも少しずつ、いつもの環の声に戻ろうとしていた。


「力がなくても、守り方はきっと他にもある。今日、澪の言葉に救われたみたいに」


その声には、悔しさと、ほんの少しの安堵が同時に滲んでいた。


澪は、環の隣に膝をつき、静かにその手を握った。


「これで良かったんだと思います。少なくとも、環さんは環さんのままです」


「そうね」


環は、澪の手を握り返しながら、ゆっくりと頷いた。


夜空の下、崩れかけた廃教会に、久しぶりの静けさが戻ってきていた。


===== 後書き =====


第23話、いかがだったでしょうか。


環は、澪が自分を犠牲にすることなく、それでも自分の言葉で自分自身を取り戻しました。その代償として能力を失いましたが、これでようやく、環は自分の心と身体を取り戻せたのだと思います。

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