第22話 まだ私
地下での戦闘、環の限界が近づいています。
闇の奥から、影の群れが一斉に押し寄せてきた。
数えるまでもなく、十を超える数だった。狭い通路が、逃げ場のない檻に変わる。
「――囲まれる前に、削るしかない!」
環が叫び、真っ先に前へ踏み出した。
「限界突破――全開放!」
環の全身が、薄い光に包まれる。次の瞬間、環の姿は残像を残すほどの速さで影の群れへと突っ込んでいった。
一体、二体、三体。
環の拳と蹴りが、影の輪郭を次々と霧散させていく。ただの身体能力強化とは思えない、まるで別人のような動きだった。
「――化物か、あれ」
佐伯が、思わず呟く。
だが、澪はその横顔に、違和感を覚えていた。
環の表情から、次第に感情の色が抜け落ちていく。苦痛の声も、疲労の色も、何一つ浮かばない。まるで、人形が拳を振るっているようだった。
〈対象者:七瀬環。代償進行度、危険域に接近〉
システムログの表示に、澪は息を呑んだ。
「――環さん!」
澪の声に、環はわずかに反応したが、その動きは止まらなかった。四体目、五体目と、次々に影を打ち倒していく。
だが、その目には、いつもの強い光が無くなっていた。ただ、機械的に敵を排除し続けているだけのように見える。
(――このままじゃ)
澪の脳裏に、環の言葉が蘇る。
――私が私でなくなったら、止めて。
だが、同時にもう一つの言葉も蘇った。
――澪が自分を犠牲にするようなことは、絶対にしないで。
共鳴読心を使えば、環に触れて、暴走しかけた感覚を一時的に肩代わりできるかもしれない。だが、それは澪自身の輪郭を、確実に溶かしていく行為でもある。
澪は、迷いながらも一歩を踏み出した。
「――環さん、聞こえますか!」
手を伸ばそうとした、その瞬間。
環が、ぴたりと動きを止めた。
最後の一体を殴り飛ばした拳を、ゆっくりと下ろす。
「……はぁ、っ……」
荒い息とともに、環の目に、少しずつ光が戻ってきた。
「環さん?」
澪が恐る恐る呼びかけると、環はふらつきながらも、いつもの調子で小さく笑ってみせた。
「――大丈夫。ギリギリだったけど、まだ私は私」
その言葉に、澪の中の緊張が、ようやく緩んだ。
「本当に、大丈夫なんですか」
「正直、次はどうか分からない」
環は、自分の拳を見つめながら、静かに言った。
「今日はたまたま、間に合っただけ。……ごめんね、心配かけて」
その言葉の重みに、澪は何も返せなかった。
残っていた影も、環の一撃で数を大きく減らされ、やがて散り散りに逃げていった。
「――今のうちに、地上に戻りましょう」
佐伯の声に、全員が頷いた。
狭い階段を上りながら、澪は最後にもう一度、環の背中を見た。
その足取りは、いつもよりわずかに重く見えた。
第22話、いかがだったでしょうか。
環の代償が、いよいよ危険な域に達し始めました。「まだ私は私」という言葉が、次にも同じように言えるのか――そこに、これからの緊張が集約されていくと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




