第15話 分かち合う沈黙
夜になり、噴水のある広場に戻った一行は、崩れかけたアーケード街の軒下で身を寄せ合っていた。
屋根代わりの波板が、風に揺れて小さな音を立てている。
陽と佐伯が見張りに出た後、澪はふと、少し離れた場所で膝を抱えているレイに気づいた。
「……隣、いいですか」
「好きにすれば」
素っ気ない返事だったが、拒絶ではなかった。
澪は黙って、レイの隣に腰を下ろした。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
遠くで、割れたガラスが風に鳴る音だけが聞こえていた。
「あんた、さっきから私のこと、じろじろ見てる」
先に口を開いたのは、レイだった。
澪は少し慌てる。
「すみません。その……レイさんの気持ちが、視えてしまうので」
「視える、って」
「レイさんは、誰も信じないって言うけど……本当は、誰かと繋がりたいって、ずっと思ってる気がして」
レイの表情が、一瞬だけ強張った。
だが、それを誤魔化すように、小さく笑ってみせる。
「……的確で腹立つわね。その能力」
「ごめんなさい」
「別に、謝ることじゃない」
レイは膝に顔を埋めるようにして、しばらく黙り込んだ。
「昔、パーティを組んでたグループがいたの。ここに来る前の話じゃなくて……現実の方。友達、っていうか」
「何が、あったんですか」
「大したことじゃない。ただ、私が誰かを頼るたびに、迷惑がられてる気がして。それで、先に離れるようにしてた」
レイは小さく息を吐いた。
「離れれば、傷つかずに済むから」
その言葉に、澪は自分と重なる部分を感じた。
透明になることを選んだ自分。
誰よりも先に離れることを選んだレイ。
方法は違っても、根っこにあるものは似ているのかもしれなかった。
「レイさんは、今、私たちといて……どうですか」
澪が尋ねると、レイは少しの間、答えなかった。
「……悪くない。それだけは、認めてもいい」
その一言が、澪にはひどく貴重なものに思えた。
翌朝。
噴水広場に朝靄が立ち込める中、澪はレイと二人で、水の残らない噴水の縁に腰掛けていた。
「この街、なんか妙よね。壊れてるのに、どこか綺麗」
レイがぽつりと言った。
澪も、崩れたビルの隙間から差し込む光を見上げる。
錆びた鉄骨の隙間を縫うように、朝の光が幾筋にも分かれて地面に落ちていた。
「レイさんは、現実に戻ったら何がしたいですか」
澪が尋ねると、レイは意外そうな顔をした。
「……考えたことなかった。生き残ることしか、考えてなかったから」
「私も、そうでした。最近まで」
「今は?」
澪は少し考えてから、正直に答えた。
「今度はもっと、普通の場所で誰かと会いたいって思うようになりました」
小春が最後に言っていた言葉だった。
けれど今では、それは澪自身の願いにもなっていた。
レイは、その言葉をしばらく噛み締めるように黙っていた。
やがて、小さく笑う。
「じゃあ、私も何か考えてみようかな。生き残った後のこと」
その笑顔は、これまでレイが見せてきたどの表情よりも柔らかかった。
「――ねえ、澪」
レイが、珍しく澪の名を呼んだ。
「もし私がまた、『一人で離れる』って言い出したら……止めてくれる?」
その問いに、澪は驚きながらも、しっかりと頷いた。
「はい。約束します」
「調子いいこと言うわね、あんたも」
そう言いながらも、レイの声には、これまでにない安堵が滲んでいた。
〈第二フェーズ:終了まで残り 04:38:12〉
夜明けの気配もないまま、時間だけが静かに過ぎていった。
第十章 軋む均衡
残り時間が一日を切った頃、街の空気は明らかに変わっていた。
あちこちから、争うような気配が漏れ聞こえてくる。
「好意的感情の蓄積量」というルールは、時間が経つにつれ、参加者たちを追い詰め始めていた。
誰かを助ける余裕のあるグループは減り、代わりに、他者の蓄積量を奪おうとする動きが目立つようになっていた。
「奪う、って……どうやって」
陽が眉をひそめると、レイが淡々と答えた。
「単純よ。誰かを裏切って、自分だけが助けた側になればいい。仲間を囮にすればするほど、システムはそっちを『英雄的行動』として評価する」
その説明に、澪の中で何かが冷えた。
このルールは、善意すら計算の道具に変えてしまう。
「そんなやり方、するつもりないよね」
陽が念を押すように言うと、レイは肩をすくめた。
「今のところは。あんたらと組んでる方が、まだ効率いいから」
その割り切った言い方に、澪は返す言葉がなかった。
だが、レイの視界の奥に、澪の能力が拾い上げる感情は、決して打算だけではなかった。
〈対象:神崎レイ 感情パターン検出――打算 45%/孤独 82%〉
打算よりも大きい、孤独の値。
レイの言葉と、レイの内側にあるものの間には、いつも大きな隔たりがあった。
夕刻。
澪たちのグループは、崩れた駅舎のような建物に身を潜めていた。
外では、明らかに殺気立った複数のグループが、互いを牽制し合う気配がある。
「このままだと、巻き込まれる」
環が低く言った。
その声には、いつもの冷静さの下に、わずかな苛立ちが混じっていた。
「環、さっきから元気ない。まだ痛み、戻ってきてないの?」
陽が心配そうに尋ねると、環は一瞬、答えに詰まった。
「……別に。ただ、ちょっと感覚が鈍いだけ」
「それ、大丈夫なやつ?」
「知らない。使いすぎたのかも」
環はそう言って、それ以上は語らなかった。
だが澪には、環の表情から、何かがゆっくりと磨り減っていくのが見えるような気がした。
――約束、覚えてます。
澪は心の中で、そう呟いた。
まだ、その時ではないと、自分に言い聞かせながら。
外の気配が、次第にこちらへ近づいてきていた。
「来る」
佐伯が短く言った。
その顔から、いつもの軽さが消えている。
その瞬間だけ、佐伯の纏う空気が、これまでとはまったく違う、張り詰めたものに変わった。
澪は、その変化にまた小さな違和感を覚えた。
だが、考える余裕はなかった。
駅舎の外壁が、何かに強く打ち付けられる音がした。
複数の足音。
怒号。
そして、何かが崩れる轟音。
「囲まれてる。これ、ただの影相手じゃない――他の参加者も、こっちを狙ってる」
環の言葉に、全員の表情が強張った。
「システムの評価が、参加者同士の争いを誘発してるんだ。今、蓄積量が足りてないグループが、余裕のあるグループを狙ってる」
レイが冷静に状況を分析する。
だが、その声にもわずかな緊張が滲んでいた。
「……このままだと、私たちも狙われる」
〈第二フェーズ:終了まで残り 03:00:00〉
最後の三時間が、静かに、しかし確実に澪たちを飲み込もうとしていた。
レイと澪が、少しずつ互いの孤独を理解し始める回です。
同時に、第二フェーズ終盤では「善意」が評価制度によって歪められ、参加者同士の対立が本格化していきます。




