第13話 名乗る青年
拠点への帰り道、崩れたビルの陰から、争うような気配が聞こえてきた。
「――誰か、やられてる?」
陽が緊張した声で言う。
環が真っ先に駆け出し、澪たちもそれに続いた。
路地の奥では、複数の影に囲まれた一人の青年がいた。
細身の身体つきに、細く吊り上がった、狐を思わせる目。片腕に傷を負いながらも、器用に立ち回り、致命的な一撃だけは避け続けていた。
「加勢する!」
環が影の一体に飛びかかり、陽がナイフを構えて援護に入る。
澪とレイ、大和たちも、それぞれの位置から攻撃を仕掛けた。
数の利を得たことで、影の群れはものの数分で霧散していった。
「助かったわ……ほんまに、おおきに」
青年は息を整えながら、そう言って笑った。
関西弁の軽い口調が、緊迫した空気を少しだけ和らげる。
「怪我、大丈夫ですか?」
澪が声をかけると、青年は軽く手を振った。
「これくらい、平気平気。それより、助けてくれてほんまありがとうな」
「あなたは?」
環が警戒を隠さずに尋ねる。
青年は少し芝居がかった仕草で、頭を下げた。
「佐伯や。よろしゅう頼むわ」
〈対象:佐伯 感情パターン検出――安堵 40%/打算 55%〉
澪の視界に、静かに文字が浮かぶ。
安堵よりも大きい「打算」という数値に、澪の背筋がわずかに冷えた。
「一人だったんですか?」
大和が尋ねると、佐伯は少し表情を曇らせた。
「元々、グループにおったんやけどな。さっきの群れに半分やられてもうた。多分、あの群れ、今回の“ルール”に関係あるんちゃうかな」
視界に、新しい表示が浮かんだ。
〈情報:好意的感情蓄積に伴う敵性個体の出現頻度上昇を確認〉
「――やっぱり」
環が苦い顔をした。
「助け合うほど、狙われる仕組みってこと」
その解説に、誰もが息を呑んだ。
この街のルールは、優しさそのものを危険と隣り合わせにする、悪意ある設計だった。
「せやかて、こんな状況で一人は心細いやろ。よろしゅう頼むわ」
佐伯はそう言って、軽く笑ってみせた。
だがその笑い方には、どこか作られた軽さがあるように、澪には感じられた。
環は最後まで警戒を解かなかったが、陽はあっさりと受け入れた。
「別にいいんじゃない? 人手は多い方がいいし」
レイだけが佐伯を一瞥し、小さく鼻を鳴らした。
「調子いいこと言う人、一番信用できないタイプなんだけど」
「せやな。ま、ぼちぼち分かってもらえたら、それでええわ」
佐伯はそう言って、へらりと笑った。
その笑い方の下に、澪はまた、あの隠された何かを感じ取った。
こうして、澪たちのグループはまた一人、新しいメンバーを迎え入れた。
だが、その胸中に何を秘めているのか、まだ誰も正確には知らなかった。
〈第二フェーズ:終了まで残り 18:34:02〉
長い夜が、また新しい顔ぶれと共に続いていく。
第六章 感じない身体
拠点に戻った一行は、久しぶりにまとまった休息を取ることができた。
澪は片付けの合間、環の様子がどこかおかしいことに気づいた。
壁に寄りかかった環の腕には、目立たないものの、いくつもの擦り傷があった。
「環さん、その傷……」
「ああ、これ? さっきの戦闘でできたやつ。大したことない」
環は素っ気なく答えた。
だが澪には、その「大したことない」という言葉が、以前とは違う響きを持っているように感じられた。
夜になり、見張りの交代で澪と環が二人きりになった時、澪は思い切って尋ねた。
「環さんは、まだ痛みが戻らないんですか?」
環はしばらく沈黙してから、小さく頷いた。
「戻らない。むしろ、前より鈍くなってる気がする」
「怖くは、ないんですか?」
「怖い、というより……」
環は自分の手のひらを見つめた。
「便利だとは思う。痛みがないから、躊躇なく動ける。でも時々、自分の身体が自分のものじゃないみたいに感じる」
その言葉に、澪は自分自身の抱える感覚と、どこか重なるものを感じた。
「私も、似たようなことがあります。誰かの感情に触れすぎると、自分が誰なのか分からなくなる瞬間があって」
「――お互い、いい状態じゃないね」
環は自嘲するように、小さく笑った。
「環さんは、それでも力を使い続けますか?」
澪の問いに、環は少し考えてから答えた。
「使う。今はまだ、そうするしかないから」
「使い続けたら、どうなるんでしょうか?」
「分からない。……多分、いつか痛みだけじゃなくて、他の感覚も全部なくなるのかもしれない」
その言葉には、恐怖よりも諦めに近い響きがあった。
「それでも、いいんですか?」
澪の問いに、環はしばらく黙り込んだ。
「良くはない。でも、今、私が動けなくなったら、誰かが代わりに傷つく。それは、もっと嫌」
その言葉に、澪は何も返せなかった。
ただ、環の隣に静かに座り続けた。
「――澪」
環が、珍しく澪の名を呼び捨てで呼んだ。
「もし、私が本当に何も感じなくなったら。その時は、教えて」
「教えるって……」
「あんたの力で、私が“私”じゃなくなってることが分かったら、止めてほしい。私自身じゃ、多分気づけないから」
その頼みごとに、澪は驚きながらも静かに頷いた。
「――はい。約束します」
環は小さく息をついた。
その表情には、これまでにない脆さと、それでも澪を信頼しているという確かな気配が滲んでいた。
〈第二フェーズ:終了まで残り 15:02:19〉
夜は、まだ深かった。
あとがき
佐伯が合流し、グループの空気に新たな緊張感が生まれました。
一方で環は、能力の代償として痛みだけでなく、自分自身の感覚まで失い始めています。
澪と環が交わした約束が、これからどのような意味を持つのか。
次回もよろしくお願いします。




