野犬
そこで不意に思考が繋がってくるのであるが、カート・ヴォネガット氏が、小説の中で「人生とはその他いろいろである」と言っていたのもそういう意味なのである。人間は「人生とはこういうものだ」と決めつけたがるが、まさにそれこそ、グルグルループする妄想の状態であり、「そうではないもの」こそ、人生の本質なのである。
なるほど。私の頭の中では、この小説では、ほとんど省略されているが、「エリちゃん。エリちゅわーん。エリッピ。エリリン」と、エリちゃんとの思い出をグルグル、グルグル、スパイラルさせている。そうではないもの、例えば、スマナサーラ師の説教とか、そういうものこそ、人生の本質なのであろう。これはとんでもなく腑に落ちる考えである。特に私は「その他」「その他」ということを考えて小説を書いている。
ジャンルも「その他」にすることが多いが、私の中でマーケティングの結果、「純文学」にしている。この「なろう」にも芥川賞狙いのハンターが沢山いるからだ。「なろう」の作者がファンタジー狂いの脳死野郎ばかりだって?実は、私はそんなことは全く考えてはいなかったりしている(笑)。あれは、そういうことを書けば耳目を惹きつけるだろうという、狡猾な戦略なのだ。ゆめ騙されてはいけない。
それで繋がってくるのが、私の他にも「なろう」の作家達と交流があったそういった人たちの殆どが、同じような思考のループを繰り返している。私はこういう人たちの生態を観察するのがメッチャ好きなので、密かに読んでは「ケケケケ」と笑っているのであるが。
「俺は賢い」マウントを繰り返す自称ハインラインの一番弟子S氏とか、間違ったオタク知識を披露して頭の良さを見せつけるF氏とか、「俺はDSに狙われている」系の陰謀論S氏とか、性加害をして引き離された初恋の女の子に語りかけている完全に頭の狂ったおっさんS氏とか、おっさんなのに自分のことを美少年の歌手だと思っていて自分のカッコよさと面白いアイドル性をブログみたいな文章で延々と自慢し続けている精神病患者A氏とか、こういう人たちはグルグルループの妄想を楽しんでいるのだろう。気持ち悪いを通り越して参考になってくる症例である。
シェイクスピアは「汚いは綺麗。綺麗は汚い」という言葉を使っているが、ひょっとすると文学とは汚いものを綺麗なものに変える魔法なのかもしれない。と、思っていると、絵に描いたような汚い野犬が近づいてきた。公園がもはや私設動物園のような賑わいになっている。




