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私小説 2・0  作者: 角筆夫
逢引
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母親


 さて、母のことを書かねばならないが、もう、五十歳くらいになってくると、怒りというものはなくなって、たんに悲しみというか、もっと違う方向性もあったろうな、という冷静な感覚だけが残っており、しかし、また、母の発狂に直面したらイライラするのだろう。


 当時、今ほど、脳の研究は進展しておらず、恐らく悪い意味でフロイト的な、毒にも薬にもならない、子供時代の親子間の歪みや、性衝動などで、片づけられており、つまり、それは道徳概念と上手い具合に張り付いた、体の良い、精神疾患者への上滑りなお説教で、終わってしまうのであり、それは封建社会では有効であろうが、民主主義の世ではなかなか難しくなってしまっている。


 それが病気を悪化させるということもないが、そもそもそういう常識を無視してしまうところに、精神疾患の意味があるのであり、枠を飛び越してしまった人間には、何を言っても難しいものがある。だから、脳内物質を操れる薬が見つかると、皆でそれを使うことにして、脳内物質の力で、社会の枠の中に何とか入り込もうとするのであろう。


 そのような人間と何人か接してみた私が感じるのは、彼らは、世界と直に繋がってしまっている。という傾向があるのだ。普通、人間というものは、他の人と交わって、その上でそう言った人の交わりから、正解をぼんやり予想する。という感じなのであろうが、彼らは直に世界と交流してしまっている。神様に繋がった巫女状態になってしまうのである。


 そうすると、それは自然に、「人の言語」ではなくて、「神の言語」になってしまう。それを余人が分析しようとすると、到底無理なことがわかるだろう。文章を書くときに、明確に、取り憑かれているのである。それは大体、狐狸の類だろう。母は、そういう低級霊に悩まされて、自己の状態も低級霊のようになってしまったのである。


 ここから、どう盛り返すかというのは、難しい。でも、一部の人間は、神電波を受け取って真っ当になるのだ。これは奇跡なのであろうか。わからないが、正気と狂気は紙一重であり、何でだかわからないが、治る人はコロリと治るのである。私はここは、奥底に、他者に対する慈悲とか、利他の念があると思っている。他人の喜ぶ顔を見るのが嬉しい人は、正の方向にもすぐ適応できるのだろう。カントは、キリストを否定したが、人間の善意は絶対的に信用した。どうも、我々の人生の肝所というか、根底にはそういうものがあるのだろう。仏教では、善根というのであるが。勿論、自分が苦しかったら他人のことはなかなか思いやれないが、それでも他人のことを思えてしまう人が助かるという例が多い気がする。


 その分岐を間違えたのが、自己憐憫の心が砕け散って痴呆老人のようになってしまった父親であり、男とどこかの地平に消えた母親との差なのであろう。

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