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私小説 2・0  作者: 角筆夫
逢引
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恋慕


 人間には恋慕の念というものがあって、とある女性にターゲットを定めて好きになるというものであるが、それが成功する確率は低く、かつ成功しても幻滅するということが起きるのは、これは本能のなせる技なのであろうが、そうにしてもエリちゃん恋しやという気持ちは変わらないのであり、それはある種の欲求不満の為せる技でもあり、では、欲求とは何だろうか。


 完璧な男女の円が出来上がることを言うのかもしれず、おそらく人間の中には異性の部分があって、その部分が完璧に充足されることを精神の栄養学として望んでいるのだろう。そこの部分の充足のために、人は推し活などをするのだろうが、私にとっては、オシカツというと、恵美忍勝を連想してしまうのだ。藤原仲麻呂であり、彼は、弓削道鏡、孝謙上皇(称徳天皇)と戦った、藤原仲麻呂の乱が有名である。


 本来なら、藤原仲麻呂はクーデターに成功するはずであったが、出鼻を挫かれて、虎の子の武将を射殺されてしまう。その流れを変えたのが、坂上苅田麻呂というから面白い。あの坂上田村麻呂の父親である。そうして、弓削道鏡の天下となる。ここで、有名な推し活という概念が出てくる。つまり、称徳天皇と道鏡というカップリングである。


 巷間伝わるところによると、道鏡の男根はとてつもなく大きいのだという。この大きさが嫉妬を呼んで、このような物語になったのか、どうかは知らないが、称徳天皇の寵愛を受けたと言われているが、真実は、道鏡はたんなる真面目な坊さんだったという説が支配的なのだとか。とんだとばっちりを受けたものである。では、流罪に遭った和気清麻呂の意味はどこにあるのか。道鏡が悪者でなかったら、たんなる誹謗中傷に乗っかっちゃったおっちょこちょいな人ということになる。今で言ったら、文春みたいなものである。こちらが立たねば、あちらが立たぬとは言ったものであるが、こう言った細かい歴史の詮議は、歴史家に任せるとしよう。今、私がやるべきは、オシカツとは何だったのかということを突き詰めることにある。


 否、恋慕の情ということであった。段々、自分でも何を書いているかわからなくなってきているが、私は道鏡みたいに巨根ではないので、誰からも嫉妬されることはない。ということは、偽りの歴史を押し付けられることもなさそうである。しかし、エリちゃんだけは、ゲットしたい。私という人間の歴史をエリちゃんと分かち合いたいのだった。


 

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