第6話『絶望カウントダウン』
小部屋の中は、外から見た印象よりもこぢんまりとしていた。天井高は二メートルと少し。
家庭用の防音室――あるいは、小さめのカラオケボックスほどの広さだろうか。
案の定、“おひとり様”の私にとっては、スペースだけならわずかに余裕がある。
天井には、照明がぽつんと一つだけ灯っていた。
頼りない明かりは室内の隅々まで届かず、部屋全体に薄暗い影を落としている。
「……閉所恐怖症にはキツいだろうな、ここ」
誰に聞かせるでもなく、私はぽつりと独り言をこぼした。幸い、私は閉所も暗所もそこまで苦手ではない。
だから問題があるとすれば――
「どう考えても、"コレ"だけか…」
溜息まじりに呟きながら、私は部屋の中央に目を向ける。
そこに置かれていたのは、この狭い空間の中でひときわ異質な存在感を放つ"異物"。
造りだけを見れば、かろうじて椅子と呼べなくもない。
だが、こちらからそんなレッテルを貼り付けること自体がおこがましく思えるほど、その椅子もどきは"異質"だった。
全体の造形は、十九世紀のレトロ映画に出てきそうな、古めかしい機械椅子を思わせる。
だがそれと同時に、何かの間違いと手違いの連続で、百年先の技術と無理やり融合してしまったような異質さも孕んでいた。
鈍い銀色の金属で組み上げられたその椅子は、見るからに無骨で重々しい。あちこちに不要としか思えない歯車やボルト、太い金属パイプのような部品が突き出し、背後には煙突めいた筒まで備えつけられている。
座面と脚部は、頑丈さだけを優先して作られたような鉄の塊。
背もたれに至っては、人が快適に寄りかかるためのものとはとても思えない。何枚もの鉄板を無理やり継ぎ接ぎしたような造りで、角張っていて、見ているだけで背中が痛くなりそうだった。
こんなものに座ることを許されるのは、それこそ見せしめとして罰を受ける罪人くらいだろう。
――とはいえ、ここまではまだ“ギリギリ常識の範囲”。
センスと倫理観が欠如した、スチームパンク愛好家が趣味全開で作っちゃいました、とでも主張されればなんとか納得できなくもない。一番の問題は、その上に取りつけられていた"違和感"だった。
背もたれの上部から、不自然にシャワーヘッドのようなものが伸びている。大きさは、人間の頭がそのまますっぽり収まってしまいそうなくらい。少なくとも、"座るため"という目的だけを果たすなら、絶対に不要な機能だ。
……なんだろう。妙な既視感がある。
少し考え、すぐに思い至った。
ああ、あれだ。
"チョウチンアンコウ"特有のアレ。
たしか正式名称は“エスカ”だったっけ。
真っ暗な深海において、獲物を誘うために頭の先からぶらさげられた怪しい発光器官。その光に惹かれて近づいた獲物たちは、待ってましたとばかりに一飲みで喰らい尽くされる。
……いや、想像したら普通に怖すぎるな。
大自然では、そんな命懸けのパン食い競争が日夜繰り広げられてると思うと、心底人間に生まれてよかったと思う。いけない。話が脱線してしまった。
肝心の自分の過去についてはろくに思い出せないくせに、こういう無駄知識だけはぽんぽん出てくる。
難儀な記憶喪失もあったものだ。
とにかく――この鉄製の椅子は危険い。
理屈ではなく感覚がそう告げていた。
椅子の正面には、同種の金属で作られたと思われる、無骨な鉄製の机が壁に沿うように配置されていた。壁面には、五十インチほどはありそうな壁掛けのモニターディスプレイが一台。今のところ画面には何も映っていない。
机の上には、ひとつだけ箱が置かれていた。
虹色にぎらついた、やけに騒がしい悪趣味な配色の箱。
見ているだけで目がちかちかしてくる。
……開けるのは、一旦やめておく。
(……よし、出よう)
心の中でそう呟いた私は、くるりと踵を返しさっき入ってきた入口の方向を振り返る――が、そこに入口はもう存在しなかった。
音も立てずに、いつの間にか壁はぴたりと閉じていた。
「……はぁ」
それにしても、なんだかここは酸素が薄い気がする。
閉所かつ密閉された空間だからだろうか。
長居していてもまず良いことはないだろう。
他の人達は、もうとっくに試練を始めているのかな。
「……やるしかない、か」
私は観念して、仰々しいスチームパンク椅子へと近付いた、その時だった。
次の瞬間――ウィウィーン、ガシャン!
シュコーッ!シュッコーッ!!
まだ何もしていないというのに、椅子は突然けたたましい駆動音を立て始める。各部の歯車がガチャガチャとぶつかり合い、背後の機関からは白煙が勢いよく噴き出した。
「ぐっ!?」
突如として、椅子の背面から飛び出してきた機械製の腕のようなものが、私の両腕を鷲掴みにする。
「いや、ちょっと!離して――」
当然、そんな抗議が聞き入れられるはずもない。
私の体は強引に引き寄せられ、背もたれへ押しつけられるようにして椅子に固定された。
ガッチャン――!
続いて、両足を何かに掴まれる感覚が走る。
反射的に足元へ視線を落とすと、椅子の足元から出現した冷たい足枷が、私の両足首を容赦なく固定していた。
「あっ…!」
咄嗟に腰を浮かせ、逃れようとする。
だが、その動きすら想定範囲かのように、今度は頭上から例の装置が勢いよく降ってきた。シャワーヘッドのように見えていたそれは、私の頭部を包み込むようにずっぽりと覆いかぶさる。
「うっ……! と、取れな……い」
両手を伸ばし、頭部を覆う装置を必死に引き剥がそうと試みるも、強烈な吸着力で、完全に固定されたようにびくともしない。
「痛ッ!」
むしろ下手に力を入れたせいで、装置の縁がこめかみをぎりぎりと締めつけ、鋭い痛みが走る。
ものの数秒のうちに、私の両足首は固定され、頭部まで逃げ場を失っていた。
椅子に座らされている、というより。
椅子そのものと、私の体が一体化していくような感覚。
抵抗も虚しく、椅子はそのままカタカタカタ……と不気味な音を立てて動き出す。レールの上を滑るトロッコのように前進し、机の正面へと無理やり押し出される。
そして、ぴたりと停止した。
「扱いが雑すぎる……」
呻くようにぼやいた、その直後。
上部のモニターが、ふっと点灯する。
私は首を少し持ち上げ、画面を覗き込んだ。
頭部を覆う装置は相変わらず外せそうにないが、首そのものまで完全に固定されているわけではないらしい。
視線を動かす程度の自由は残されていた。
点灯した画面には、一枚の絵が浮かび上がっている。
「モナ……リザ……?」
画面に映し出されていたのは、誰もが一度は見聞きしたことがあるであろう大名画の姿だった。現存する絵画の中でもっとも有名と言っても過言ではない、あの慈愛に満ちた微笑み。
あくまでモニター越し、本物が目の前にあるわけでもない。
それなのに、画面の奥からこちらを見透かされているような錯覚に陥る。薄く微笑んでいるようにも、何も考えていないようにも見えるその表情。どこに立っていても目が合うと言われる不気味な視線が、私を釘付けにして離さない。
「ごみゃごみゃ〜待ったせったに~」
「――ッ!?」
ふいに、耳元で聞き馴染みのない声が弾けた。
思わず反射的にビクッと肩が跳ねる。
慌てて辺りを見回すが、当然ここには、私以外誰もいない。
この声は、私の頭に装着された忌々しい装置から直接流されているようだった。
「あ、あんた誰……」
「ボクはニヤネコ。知ってる人は知ってるに」
ニヤネコ――自らをそう呼ぶこいつは、緊張感の欠片もない口調でそう言った。
「ボクはこの試練の発起人でもなければ、GMでも、支配人でも、ましてや管理人でも何でもないに」
「じゃあ、何なの」
「ただの傍観者だに」
「……傍観者?」
「そうそう、基本的にはただ見てるだけ。あでも。たまには嗤ったり、応援なんかもしてみたり?あとは気まぐれで、"絶望スパイス"を味付けしてみたり」
「……最悪じゃん」
「みゃみゃみゃ。褒め言葉として受け取っておくに」
いやいや、褒めてない。
断じて、一ミリたりとも褒めてないから。
「出血多量!血飛沫ぶしゃぶしゃ大サービスっ!だってキミは唯一の“一人ぼっち”だからに。可哀想に〜可哀想に〜みゃみゃみゃ。しょうがないから、一番初めにルール説明に来てやったに〜」
「……」
本当なら今すぐにでも、この忌々しい頭の装置を引き剥がして床に叩きつけてやりたい。
だが状況が状況なので、私は仕方なくニヤネコと会話を続ける。
「今のところ、全然嬉しくないよ」
「そんなこというに〜。いいからささ、そこにある“ハコ”を開けるに」
ニヤネコが言う“ハコ”とは、恐らく目の前に置かれたギランギランに輝く虹色の箱を指しているのだろう。
「ほらほら〜、早くするに〜!」
「……分かったって」
どうにか抗いたい気持ちを飲み込みながら、私は仕方なく両手を伸ばす。
――持ってみてすぐに分かった。
想像していたよりも、遥かに重い。
中身は分からないけれど、箱の中には何かがぎっしり詰まっているらしく、内側で微かにざらざらと擦れ合う感触がした。
「ひっくり返して出してみるに」
言われるがまま箱を傾けると、途端に中身が机の上へどさっと溢れ出した。現れたのは、小さなピースの山。
形はばらばら。けれど、大きさはどれもほとんど同じ。
「これ、ジグソーパズルだよね」
モニターに映るモナリザ。目の前に散らばった無数のピース。
そういえば、たしかルール説明の所に書いてあった気がする。
『二人仲良くパズルに挑戦』みたいな文言が。
となればこの状況で何をさせたいのかくらいは、おおよそ察しがついていた。
「全部で何ピースあるの?」
「ピッタリ千ピースに!」
「千……か」
目の前のピースの山を、私は静かに見下ろす。
「ニヤニヤ?驚かないに?この手の遊戯が苦手な子は、見るだけで激萎えモード突入!待ったなしなんだけどに」
ニヤネコは、少しがっかりした様子で呟いた。
「まあ、特別抵抗感はないかな。集中力と時間は持ってかれるけど、ドミノみたいに一手で全部が台無しになるわけじゃない。少しずつだけど確実に完成していくものだし」
「それは良かったに。瑠璃ちゃんがベリーハードに選ばれて万々歳歳〜!」
「……うるさい」
私はピースの山を見下ろしながら、短く息を吐く。
「で、もう始めていいの?完成させればクリアでいいんだよね。この椅子、座ってるだけでお尻痛いし」
言いながら、私は早速ピースへ手を伸ばしかける。
「まあまあ待つに。それはそうと、この部屋少し暑くないかに?」
「うん、入った時から思ってはいたけど」
「ニヤニヤ。ニヤニヤニヤ」
耳元で、ニヤネコが粘っこく、わざとらしく笑う。
「ニヤニヤじゃなくてちゃんと説明して」
「いまはまだ、少し蒸し暑いぐらいかに。でもゲームが始まったら――徐々にそうも言ってられない」
「……どういう意味?」
「制限時間は一時間。一分毎に、"この空間の室温は1℃ずつ上昇"していくに」
「い、一時間!?いくら何でも短すぎる!」
千ピースのパズルを、制限時間たったの六十分で完成させる――それはあまりにも理不尽かつ、無謀な注文だった。
一般的に、千ピースのジグソーパズルを完成させるには、初心者なら二十時間前後、手慣れた上級者でも十時間前後はかかると言われている。
それを、一時間。しかもその間ずっと室温は上がり続ける。
仮に今の室温が20℃と仮定しても、三十分後には50℃近くまで達する計算だ。
そうなれば、もはや集中力云々の話ではない。
水分補給もできず、逃げ場もない密室で、千ピースのパズルを組み続ける。
冷静に考えれば、その所業はほぼ不可能に近い。
「ニヤニヤ。パズルを完成させるのが先か、タイムオーバーで干からびるのが先か。キミの運命やいかにににに!?」
「ちょっと待って!ふざけてないでちゃんと――」
プツッ――。
そこで、ニヤネコの声はあっさりと途絶えた。
こちらの抗議など、最初から聞く耳すらもたないように。
同時に、モナリザが映るディスプレイの右上に、無機質な数字が浮かび上がる。
【60:00】
それは一秒ごとに、着々と時を消費していく。
静かに。
正確に。
容赦なく。
「あーもうっっ!!」
思わず机を叩きそうになったが、既の所でなんとか堪える。こんな身動きの取れない状況で、万が一ピースの一つでも床に落としたらその時点で詰みだ。
あとは自分の体がジリジリと焼かれていくのを、黙って待つ事しかできなくなる。
「ニヤネコ……恨んでやる……」
今すぐにでもここの運営に、この状況の不条理さを異議申し建てしたいところだが、今はその数秒すら惜しかった。
私は仕方なく、散らばったピースの山へ手を伸ばす。
まずはセオリー通り、外枠のピースを探すところからだ。
……セオリー?
一体いつから、そんなものを覚えていたんだろう。
もしかして、記憶を失う前の私は"天才パズル早組み少女"だったりしたのだろうか。
いや……ないな。さすがにそれは都合が良すぎる。
とにかく今は手は止めない。
私はモニターに表示された絵画と照らし合わせながら、関連性のあるものを片っ端に拾い上げ、集めていく。
【59:28】
【59:27】
【59:26】
絶望のカウントダウンは、すでに始まっていた。




