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第36話『モノトーン』

「っ……あ゛あ……っ……!」

……痛い。

右肩の奥が、灼けるように熱い。

皮膚の焦げたような臭いが鼻腔を刺す。

それが自分の身体から漂っているのだと気づいて、思わず息が詰まりかける。

 

「いひひひひひ。ちょっとズレちゃったね〜あとすこちで脳天直撃だったのにひひ」

何度も聞いた、あの嘲笑じみた笑い声。

……悔しい。

せっかく掴んだ千載一遇の機会(チャンス)を、こんな形で無駄にするなんて。

これじゃ生き残っているみんなにも。

死んでしまったみんなにも、申し訳が立たない。


……沈んでいく。

視界が傾き、自分の身体がゆっくりと倒れていくのが、わかる。

けれど、手をつくことさえできない。

床へと吸い寄せられていく私を、どこか遠くから眺めている。

まるで、身体の中から魂だけが剥がれ落ちてしまったような。

そんな、ひどく不確かで、曖昧な感覚。


そのときだった。


⸺⋮⟊∴∝⊆⫶⊘⋰⟐∴∴∴⸺⫷⋮⫸⸺


声が聞こえたわけじゃない。

脳内に文字が現れてきたわけでもない。

正体不明の信号が頭の奥へ、突然入り込んできたような。

意味なんて、当然わからない。

そもそも、どこからどこまでが一つなのかさえ判然としない。


それなのに。

身体は、何かを理解したように反応していた。

背骨の奥を、電気信号じみた何かが駆け下りる。

そこから枝分かれするように、腕から脚へ、指先のつま先まで。

私の意思を確かめることもなく、身体の隅々まで行き渡っていく。


痛みも違和感もない。

それがかえって、気味が悪かった。

得体の知れない初めての感覚であるはずなのに。

なのにそれは、まるでずっと前から私の一部だったかのように、恐ろしいほど自然にすっと馴染んでいく。

 

——次の瞬間。

床に頬が触れるその寸前で、私の身体は跳ね起きた。


「いひひひひひ……ひひ?」

つま先が床を捉える。

膝が折れ、腰が捻れる。

倒れかけていた勢いを、そのまま前へ踏み込む推進力に変えて。

私は、せんじゅの懐へと正面から飛び込んでいた。

 

「アレ〜まだ動けるの?つごいつごい!」

せんじゅがこちらへ向き直る。


「でもね〜?自暴自棄(ヤケクチョ)になっちゃダメダメ」

黒光りする鉄腕が、ギチギチと軋みながら引き絞られていく。

それでも尚、私の体は勝手にせんじゅへと迫っていく。

「ふ〜ん、そんなに早く死(ち)にたいなら、順番へんこー!お望みどおりおねえちゃんから殺ちてあげる」


突き出される巨大な鉄拳。

まともに受ければそれで終わり。

掠めただけでも、ただでは済まない。

でもそれは、あくまで当たる可能性を危惧した場合の話。


……遅い。

欠伸が出るほど、遅い。

拳の進む先がわかる。

避けるために取るべき最善のアクションが、考えるより先に、まだ起きていない一連の動きと結果が脳内へ流れ込んでくる。


鉄の拳が空を切り、その下を私が潜り抜ける。

まるで、一度見た映像を再生するように。

身体は、すでにその動きをなぞっていた。

頬すれすれを、巨大な鉄の拳が通り過ぎる。


「あっ——!?」

そのまま一気にがら空きになった胸元へ。

狙いは一箇所。

せんじゅの動力源と思われる"炉心核"。

その中央で目まぐるしく回転する、エネルギーを凝縮したような球体(コア)。


私はそこへ躊躇なく手を伸ばした。

指先が触れ、そのまま鷲掴みするようにして、踏み込んだ足を支点に腰を捻り——力任せに一気に引き抜く。

 

⸺⟐⋮⊹⫶⦿⋰⌁⸺⫸∷⫷⸺


その瞬間、私の世界(しかい)から色彩が失われた。

せんじゅの肌も、橙がかった髪も。

足元に散った瓦礫の灰、その隙間に滲む血の赤でさえ。

ついさっきまで、それぞれ違う色をしていたはずなのに。

今はただ、白に近いか黒に近いか、その微妙な濃淡の違いただそれだけ。

視界の端に至るまで、すべてがモノトーンへと置き換わっていく。


⸺⋮⟊∴⌁⫶⊘⋰⟐⸺⫷⋮⫸⸺


……また"信号(コレ)"だ。

私の意思なんかまるっきり無視して、勝手に流れ込んでくる。

ひょっとして、これは謎の地球外生命体からの交信だったりするのだろうか。

もしそうなんだとしたら、今すぐにでも受信拒否に設定したい。


……それとも、記憶を失う前の私には、これが理解できていたのだろうか。こんな奇々怪怪な信号を受け取って、当たり前のように頷いていたとしたら。

過去の私は一体何者?……思い出したいはずの記憶が、急に知らないままでいい気がしてきた。


百歩、いや、十万歩譲って、受信するのは仕方ないとしても。

せめて、こちらにもわかる言語で説明してほしい。

どこの誰で、何の用なのか。

いきなり頭の中に入り込んでくるなんて、距離の詰め方がおかしい。

初対面なら、まずは名乗るところからでしょ。


……いや。

そもそも相手がいるかどうかさえ、わからないんだった。

ついさっきまで死にかけていたくせに、私は何を真剣に腹を立てているんだろう。

しかも、いるかどうかも怪しい相手に。

冷静に状況を分析しているつもりで、実は相当混乱しているのかもしれない。

こんなときこそ、少しは冷静な自分でいたいのに。

 

⸺⫷⋮⫸⌁⟊⋰⊘⫶∴⸺⟐⋮⸺


……だから、わからないってば。

答えを探そうとするたび、正体不明の信号が思考の隙間へ割り込んでくる。

ようやく掴みかけた考えが、そのたびに途切れてしまう。

これでは、自問自答すらまともにできない。

自分の頭の中でくらい、最後まで話をさせてほしい。

 

「——り……!」

聞こえる。


「る——……!!」

途切れ途切れに、誰かの声が。

分厚い壁を隔てた向こう側から、こちらへ届けようと叫んでいる。

 

「——るり……っ!」

誰——私を呼んでいるの?

はっきりと聞き覚えがある。

知っているはずなのに、声と顔がうまく結びつかない。

 

「瑠璃ッ!!」

その一声が、急に耳元で響いた。

はっと、息を呑む。

呼吸の仕方を思い出したように、空気が一気に喉へ流れ込んできた。

 

「烈々子……?」

瞼をゆっくりと持ち上げると、少し遠くの方から彼女が身を乗り出しているのが映った。

こちらへ手を伸ばし、何かを必死に叫んでいる。

その切羽詰まった表情を見た途端。

右肩を焦がすような、灼(や)けつく痛みが、どっと押し寄せた。


「っ、あ…ぐ……!」

痛い。

熱い。

息をするのすら、苦しい。

ついさっきまで遠くに感じていた自分の身体の感覚が、瞬時に蘇ってくる。


「はぁ……はぁ……か……え…ち……て……」

その時だった。

せんじゅの視線が、私の顔から手元へゆっくりと動き、か細く呟く。

 

「か……え……ちぇ……泥棒ぉ……!!」

それは次第に熱を帯びていき、か細い声に憎悪の色が滲む。

その瞳には、私に対する明確な殺意が宿っていた。

 

「せんじゅのだいぢなもの、かえちぇええええええええ!!!!!」


ガシュキン!ガシュキン!ガシュキン——!!

せんじゅの巨大な鉄の掌が開き始める。

鈍く硬い音を立て、五本の指が変形し始めると、関節の凹凸が消え、一本一本が別の生き物のように伸びていく。

太さを残したまま、先端だけが鋭く尖る。

気がつけば、それはより、殺意に満ちた五本の槍のような凶器へと姿を変えていた。

 

「——ッ!!」

殺意に満ちた切っ先が、私の眼前へと迫る。

逃げなきゃ。

足に力を込め、身体を捻ろうとする。

けれど、さっきまで自由自在に動いていた身体は、全くといっていいほどに言う事を聞いてくれなかった。

脳内へ流れ込んできたあの謎の信号も、今は全く聞こえてこない。


——間に合わない。

そう思った瞬間。

視界の端から突然、誰かの腕が伸びてきて。

ドンッ、と。

強い衝撃が身体の横から突き抜けて、両足が床を離れた。


……え?

せんじゅの顔が、横へ滑っていく。

つい今しがたまで私が立っていた場所には、入れ替わるようにして誰かが立っている。


私はその誰かに突き飛ばされて、助けられたのだと気づいた。

でも、その人は、そこにいる。

私がいた場所に。

あの鋭い五本の鉄指(てっし)がまっすぐ向かっているその場所に。


だめ。

声にしようとしたけれど、喉が引き攣って、息しか出てこない。

伸ばしかけた手のその先で。

私を押し出した手が、遠ざかっていく。


「ち……ぎりさんっ!!!」

ようやく絞り出した声に合わせて、彼がこちらへ振り向いた。

 

「君に任せて良かった。後のことは頼んだよ」

ほんの一瞬。

刹那ともいえるたった数秒に満たない時の中で。

彼が最後に呟いたその一言。

その言葉だけが、不思議なほどにはっきりと聞こえた。


彼は、微笑んでいた。

私を責めるでも、助けを求めるでもなく。

まるで、自分の役目を果たせたことに、心から安堵したように。

いやだ、そんな顔しないで。

せっかくここまでこれたのに。

後少しで、試練(ゲーム)を攻略できるのに。

これ以上は誰も、傷つけたくない、死なせたくないって誓ったのに。


✳︎ ✳︎ ✳︎

少し前——。


「瑠璃ちゃん。その拳銃、あと何発くらい残ってるかわかるかい?」

「私も確かめようとしたんですけど、弾が入ってる部分が取り出せなくて……無我夢中で撃っていたので、何発使ったかも覚えてないんです。でも、もうあまり残ってないと思います」

「……ちょっと貸してもらってもいいかい?」

「あ、はい」

 

私は百千切に拳銃を手渡した。

彼は銃口を私から逸らすと、慣れた手つきで手際良く各部を確かめていく。カチャカチャと金属音を鳴らしながら、その手捌きに一切の迷いはない。

まるでどこに何があるのか、初めから構造を知っているかのように。


……職業は、お医者さんでしたよね?

思わずそう訊きたくなるほど、拳銃を扱う姿が妙に様になっていた。

 

「なるほど、ね。弾倉(マガジン)を取り出せないようにしてあるのか。相変わらず、性格(タチ)の悪い運営だ」


百千切は私の手元へ目を落とし、それからせんじゅの方を窺った。


「まあ、どのみち好機(チャンス)は一度きり。それも、ほんの一瞬だと思ってほしい。何発も撃ち直す余裕はないだろうからね」

「一度、ですか」

「大丈夫。瑠璃ちゃんは何でもそつなくこなすから、僕はそこのところに関しては何も心配していない」

こちらの不安など知らないように、百千切はそう言い微笑んでみせた。


「そ、そんなに期待されても困ります!拳銃なんて、ここに来るまで触ったこともなかったんですよ?」

「狙いを定めて——引き金を引く。やることはそれだけさ。免許もいらないし、世の中には年端もいかない子供に銃を持たせる連中だっている。瑠璃ちゃんなら大丈夫だよ」


「いやいや、そういう問題じゃないと思いますけど……」

「おや?少しは気が楽になるかと思ったんだけどね、ハハハッ」

なるわけがない。

失敗できないと念を押された直後に、そんな雑な励まし方をされても困る。


「とにかく、僕があの子の注意を引きつける。その隙に瑠璃ちゃんは胸元を狙える位置へ気付かれずに回ってほしい」

「……狙うのは、あの光ってる玉の部分ですか?」

「ご名答。僕が合図をしたら、そこへ撃ち込んでくれ」


動き回るせんじゅに当てるだけでも難しい。

それなのに狙うのは、その胸元にある小さな一点。

これまで何度か引き金を引いたからこそわかる。

狙った場所に命中させることが、どれほど難しいことかを。

 

「……そんな簡単に言わないでくださいよ」

「簡単だとは思ってないよ。だから、君に頼んでるのさ」

軽い調子で言いながらも、その眼差しは冗談を言っているようには見えなかった。


「そこまでできれば、あとはミスティさんと烈々子ちゃんがうまいことやってくれる。ね?」

「は、はぁ……」


結局、肝心の「その後」については、詳しく教えてもらえなかった。

……本当に大丈夫なのだろうか、この作戦。

正直、曖昧な部分が多すぎて、不安は拭えない。


とはいえ、悩んでいる時間もなければ、代わりの案を出せるわけでもない。私は返された拳銃へ視線を落とし、その重みを確かめるように握り直した。

 

✳︎ ✳︎ ✳︎

 

「っがは……!」

「はぁ……はぁ……いひっ。けっきょくは、じゅんばんどおり……」


私は口を開いたまま、一言も発することができなかった。

朱。

赤。

赫。

飛び散る血が、視界を埋め尽くしていく。


彼の両腕は力なく垂れ下がり、両足は床を離れて宙に浮いていた。その身体を、五本の鉄指が支えている。

……違う、支えているんじゃない。

両腕と両脚に四本。

そして、背中から腹部にかけてもう一本。

それらが貫通して、串刺しのように彼の体を貫通しきっている。


気がつけば、肩の痛みなど忘れていた。

ついさっきまで、私を真っ直ぐに見つめていた瞳。

今はそこから生気が抜け落ち、私を通り越した先の虚空を見据えている。


「百千切さん……っ!百千切さぁあぁあああぁん!!!!!」

 

百千切(ちぎり) 究(きわむ)(27)

ギフト:???

-GAME OVER-

死因:鉄指による体幹部貫通。出血多量死。

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