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第26話『おたのしみ』

(お腹空いた……)

気を失う直前に見た、あの豪華な料理が脳裏に浮かぶ。

空っぽの胃袋は、今にも悲鳴を上げそうだった。

私は腹部をさすりながら、普段より少し早足で控え室へ向かう。

できることなら、出来立ての状態で味わいたかった。

とはいえ、曲がりなりにも今の私たちは軟禁状態だ、食事を与えられているだけでも、感謝するべきなのだろう。

そんなことを考えながら、扉を開いた――その時だった。

 

「…………ッ!?」

油断していた。

驚きのあまり思わず大きな声を出しそうになるのを必死に抑える。


……いる。

数メートル先。

パイプ椅子に腰掛けた、何者かの後ろ姿を。

私はこの目ではっきりと捉えた。


しまった、完全に気が緩んでいた。

寝室を出る時、七人全員が確かにあの部屋で眠っていたのを、私は確認したはず。

それなら。

——あそこにいる”あの人物”は、一体誰だ。


長い髪に比較的華奢な体格。

背格好から察するに、恐らく女性だろうか。

こちらへ背を向けているため、素顔までは確認できない。

よく見ると、テーブルに並ぶご馳走の残りを夢中で頬張っているようだ。食事に集中しすぎているのか、まだ私の存在には気づいていない。


ガツガツガツガツガツガツガツ――。

それにしても、すごい食べっぷりだ……。


ごくり。

私は慎重に、気づかれないようそっと扉を閉めた。

……いや、待て。

なんで閉めてるんだ私は。

今なら何も見なかったことにして、この場を離れるという選択肢だってあったはずなのに。


だが、それ以上に空っぽの胃袋がそれを許さなかった。

危険と飢餓を天秤にかけた結果、私の中では飢餓が勝利してしまったのである。このまま彼女の暴食を見過ごせば、烈々子(れつこ)が私のためによけておいてくれた分まで、根こそぎ平らげられてしまいかねない。


否。

もしかすると、今まさに食べられているのがそれなのでは……?

そう考えると、ここでおいそれと立ち去るわけにはいかなかった。


(私には、それを食す正当な権利がある……!)

そう自分に言い聞かせ、足音を殺しながら慎重に距離を詰めていく。


「――そこに誰かいるな?」

不意に、冷淡な声が飛んできた。

「…………ッ!」

ぎくりと心臓が跳ねる。

瞬間、私の体は石のように硬直した。


「……危うく素顔を見せるところだった」

その人物は食事の手を止めると、テーブルの上に置かれていた仮面らしきものを手に取った。そして私に背を向けたまま、それを自らの顔へゆっくりと装着していく。

やがて仮面をつけ終えると、椅子からゆらりと立ち上がり、こちらへ身体を向けた。


「ニヤニヤ。やっぱり瑠璃(キミ)だったかに」

先ほどまでの冷淡な口調は影を潜め、まるで別人のような軽薄な話し方へと一変する。そして、その人物はあっさりと自らの正体を明かした。

 

「ボクはニヤネコ。知ってる人は知ってるに」

 

✳︎ ✳︎ ✳︎


ニヤネコ。

私はその名を、今でもしっかりと脳裏に刻み込んでいる。

第二試練(ゲーム)の最中、突然現れたかと思えば、マイク越しに散々こちらを煽り、好き放題ふざけ倒した挙げ句、一方的に去っていった迷惑極まりない存在(ヤツ)だ。

(第六話『絶望カウントダウン』参照)

あの時に味わわされた屈辱を、私は決して忘れない。


「ここで何してるの。まさか、そこの食べ物に毒でも混ぜてた?」

「そんなネコ聞きの悪いこと言わないでくれに。ボクはただの傍観者。キミたちプレイヤーに迷惑はかけないから、安心するに」

ニヤネコは、悪びれた様子もなくあっけらかんと言い放つ。


……というか。

私たちの食事を勝手にむしゃむしゃ食べている時点で、すでに相応の迷惑はかかっている気がするんだけど。


「……そう。じゃあ、用がないならさっさと出ていって。私まだアンタのこと許してないから」

あえて突き放すような口調で、私はニヤネコを無視するようにテーブルの端へ腰を下ろし、手近にあった串物へ手を伸ばした。


「ニヤニヤ。せっかく会えたんだに。少しくらいお話したいに」

だが、こちらの気持ちなどお構いなしに、ニヤネコはそそくさと近寄ってくると、当然のように向かいの席へ腰を下ろした。


「嫌。私は別にしたくない」

負けじとそっぽを向き、ヤツを視界に入れないようにしながら、ぶりんぶりんのねぎまを口へと運ぶ。


——じゅわっ。

すでにだいぶ時間が経過しているはずなのに、噛んだ瞬間肉汁が口いっぱいに溢れ出した。

炭火の香ばしさと、甘辛いタレの旨味が舌を包み込む。

一口、また一口と噛み締めるたび、さっきまで胃袋が上げていた悲鳴が、少しずつ幸福のため息へと変わっていく。

嗚呼……幸福絶頂(しあわへ)。。。


「あれからずいぶん人が減ったに。キミは悲しいとか、寂しいとか、そういう感情はあったりするのかに?」

「……もぐもぐ」

「キミが一番死んでほしくないと思ってるのは誰かに?烈々子かに?百千切かに?それとも意外なところで、ミストゥビオかに?」

「……むしゃむしゃ」

「って、完全無視(フルシカト)かに!!せめてちらりとこっちを向くくらいしてくれてもよかろうに!!この薄情者ぉ!!」

ニヤネコはバタバタと身体を揺らしながら、やかましく喚き散らす。


「私、食事の時は寡黙でいたいタイプだから。静かにしてて」

「ぐににににに……ボクをそんな風に扱うなんて、後で後悔しても知らないによ……」

その後もニヤネコから何の気ない質問攻めを受け続けたが、私は一切相手にせず、華麗に無視(スルー)を決め続けた。


……そうして、お腹もだいぶ満たされてきた頃。

「あーもうっ!分かったに!それじゃあトクベツ極秘トビキリ情報を教えてあげるから、ボクの話を聞いてくれに〜!!」

ニヤネコは半ベソをかきながら懇願してくる。

……迷惑なのに変わりはないが、それでもここまで必死に頼み込まれると、さすがに少しだけ良心が痛む。


「……はぁ」

小さくため息をつき、私は仕方なくニヤネコの方へ顔を向けた。


「……なに」

「——次の第四試練(ゲーム)では、最低でも“三人”が脱落することになるに」

「……え?」

「しかも、その脱落者を選ぶのは――きっと瑠璃(キミ)自身だに」


一瞬、言葉の意味が理解できなかった。

「キミに助けたい人がいるのなら、せいぜいその人の“そばを離れない”よう、気をつけるに」

「それは、どういう意味――」

「これ以上は、始まってからのお楽しみだに〜〜!」


問いただそうとした私を遮るように、ニヤネコは勢いよくパイプ椅子から立ち上がると、そのまま出口へ向かって軽やかにスキップしていく。


「ちょ、ちょっと待って!」

慌てて呼び止める。

「私が選ぶって、どういうこと?そんな決断を下す権利なんて私にはないし……できるわけない」

「だ・か・ら、これ以上は始まってからのお楽しみだに」


「……ニヤネコ。アンタ、一体何者なの」

「ボク?」

ニヤネコは足を止めることなく、ひらひらと片手を振った。

「ボクはただの――傍観者だに」


そして最後まで振り返らないまま、扉の向こうへ姿を消していく。

「キミの活躍、楽しみにしてるに」


バタンッ――。

無情にも扉は閉ざされ、私は一人、控え室に取り残された。

結局、第四試練(ゲーム)の詳しい内容はほとんど分からずじまい。それでも、ニヤネコが残した最後の言葉は、いつまでも耳の奥にこびりついて離れない。


最低でも三人が脱落する。

その脱落者を選ぶのは――私自身。

その言葉の本当の意味を、この時の私はまだ理解していなかった。

 

✳︎ ✳︎ ✳︎


私はしばらくの間、ニヤネコが残した言葉の意味を考え続けていた。控え室に一人、ぽつんと取り残されたまま。

テーブルに突っ伏し、答えの出ない思考を延々と巡らせる。

六時間ほど眠り、食事も済ませたおかげか、頭は嫌になるほど冴えていた。今さら寝室へ戻ったところで、もう一度眠れる気もしない。


それからしばらくすると、寝室から一人、また一人と、他の参加者たちが控え室へ戻ってきた。

まだ寝起きらしい気怠さは残っていたものの、八時間ほど前と比べれば、誰もが幾分か顔色を取り戻している。

そして、全員が揃ってから少し経った頃。


ブーーーッ!!

控え室の四隅に設置されたスピーカーから、耳障りなブザー音が一斉に鳴り響いた。

次の瞬間。

扉が豪快に開け放たれ、その人物は姿を現す。


「おっまたちぇーーーーッ!!!」

破竹の勢いで現れた、小柄な体躯の幼……少女。

橙がかった長い髪を勢いよく揺らし、額には例によって、鼠を模した仮面を被っている。

その姿を見た瞬間、私は妙な既視感を覚えた。

どこかで見たような。

いや、正確には、誰かに似ているような――。

 

「び、びっくりしたぁっ!」

烈々子が飛び上がらんばかりに声を上げる。

「第四試練(ゲーム)の進行を務める――小鳥遊(たかなし)せんじゅだよ〜!あっ、言っちゃった」

鼠面の幼女は自ら名乗った直後、わざとらしく口元を両手で覆った。その名前を聞いた瞬間、先ほど覚えた既視感の正体がはっきりする。


「小鳥遊(たかなし)って……まじゅまんと同じ苗字……よね?」

私の疑問を代弁するように、ミストゥビオがぽつりと呟く。

「うん……でも、まじゅまはあの子、知(ち)らないよ?」

対するまじゅまは、本当に心当たりがないらしく、不思議そうに小首を傾げる。


「……?まーいいや!ほら、時間ないからせんじゅに早くついてきて〜」

言われるがまま、私たちは小鳥遊せんじゅと自ら名乗った少女に先導され、控え室の外へと連れ出される。

無機質な通路をしばらく歩き、やがて正面に現れた巨大な扉をくぐると、その先に広がっていたのは――。


「……なに、ここ」

思わず、そんな言葉が口から漏れる。

目の前に広がっていたのは、現代から切り離されたかのような、まさに異様な光景だった。

 

円形に大きく開けた空間。

中央には砂に覆われた広大な舞台があり、それを取り囲むように、石造りの観客席が幾重にも積み重なっている。

まるで、古代の地下闘技場。

真っ先に思い浮かんだのは、歴史の資料で見た古代ローマのコロッセウムだった。

 

そして何より目を引いたのは、その観客席を埋め尽くすほどの人、人、人。上段から最前列まで、数え切れないほどの群衆がびっしりと座り、こちらを見下ろしている。

これまでとは比べものにならないほどの大人数。

一体、どこからこれだけの人間を――。


「……あれ?」

けれど、すぐに妙な違和感を覚えた。

これだけの人数が集まっているというのに、あまりにも静かすぎる。歓声はおろか、話し声も、咳払いも、衣擦れの音すら聞こえてこない。

それどころか、誰一人として身じろぎすらしていない。


目を凝らし、最前列に座る一人の顔を注意深く見つめる。

均整の取れすぎた顔立ち。

焦点の合っていないガラス玉のような瞳。

不自然な角度で固定された口元。


……違う。

これは人間じゃない。

観客席を隙間なく埋め尽くしていたのは、どれも精巧に人間を模して造られた――無数のマネキンだった。


「いかにも――闘技場って感じの場所だね。また運動系は勘弁願いたいなぁ」

「あら?それならアタシが手取り足取り教えてあげるわよん♡」

「それは大変ありがたいと言いたいところだけど……ちょっと、近いかな。あとそのクネクネする動きも勘弁してくれ」

「あら〜♡クールぶっちゃってぇ♡イ・ケ・ズ♡」


嫌がる百千切(ちぎり)をものともせず、ミストゥビオは身体をくねらせながら、ぐいぐいと距離を詰めていく。この二人がこうして絡んでいる姿を見るのは、ほとんど初めてに近い。

私が気を失っている間に、いつの間にか打ち解けたのだろうか。


……なんだか、すごく損をした気分だ。

第二試練(ゲーム)のジグソーパズルの時もそうだった。

あの時も私だけ蚊帳の外。

皆だけが共有している時間があって、私だけそこにいない。

ほんの少しだけ胸の奥がちくりと痛んだ気がするけど、私は何も言うことなく、その感情ごと無理やり飲み込む。

 

「はーいみんなこっちこっち〜〜〜っ!」

鼠の面を被った橙髪の少女――もとい、小鳥遊(たかなし)せんじゅに導かれるまま、私たちは闘技場の中央へと集められた。

そこには古びた木製の机が一台置かれており、その上には、取っ手の付いた大小さまざまな黒い箱が、人数分きっかり七つ並べられている。

 

「それぢゃ!みんな集まったことだち……怒奇怒奇(ドキドキ)!お楽しみボックツの時間だよ〜〜!」

「お楽しみ……ボックツ?」

「うん!ここに七つの箱が置いてありまつ。中に何が入ってるかは、開けてからのおたのちみっ!」

私の問いかけに、せんじゅは机の周囲をやけに騒がしくぐるぐると回りながら答える。

今のところ、緊張感の欠片もない。

 

「運が良いとね〜"伝説のアイテム"が出るかもしれまてん!」

「伝説のアイテムゥ!?」

真っ先に食いついたのは、まじゅまだった。

「欲ちい欲ちい!伝説のアイテムってなぁに? どこでも〇ア?もちもボッ〇ス?それとも〜どく〇いスイッチ?」


「それは、開けてからのお楽ちみだよ〜」

「えーーーっ!おちえてよ〜、けちんぼーー!」

 

きゃっきゃとはしゃぐ二人を眺めていると、どこか姉妹のじゃれ合いを見ているような気分になる。

苗字も同じ”小鳥遊”。

やっぱり何かしらの関係はあるのだろうか。

……もっとも、当のまじゅま本人は「知らない」と首を傾げていたけれど。

そんなことを考えていると。


「じゃー、まじゅまはこれ!いっっちばんでっかいのっ!」

そう言ってまじゅまは、七つ並んだ箱の中でひときわ大きな一箱を勢いよく指差した。


「はい決定〜!ほらほら、早い者勝ちだよ〜?他のみんなも早く早く〜」

せんじゅに急かされるまま、私たちもそれぞれ箱を選び始める。

外見から中身を推測できるような特徴は、どの箱にも一切ない。

そもそも、これから何をさせられるのかすら説明されていないのだ。今の段階で深く考えても仕方がない……か。

私はとりあえず、自分から一番近い位置に置かれていた、比較的小さな箱を選んだ。


✳︎ ✳︎ ✳︎

 

「それぢゃあみんな、箱の取っ手を掴んで〜せーのっで開けるよ?」

言われるまま、全員が箱の取っ手に手を掛ける。


「せーのっ!」

ゆっくりと蓋を持ち上げ、中を覗き込む。

現れたのは、黒光りする冷たい金属の輪郭(シルエット)。

見間違えではないだろうか。

そう思い、私は数秒間黙ってそれを見つめていた。

やがて恐る恐る手を伸ばし持ち上げると、掌に伝わる硬質な重みと、ひやりとした感触。

そこでようやく確信する。

それは紛れもなく、一丁の拳銃だった。

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