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第25話『つかの間の休息』

真白と罪深の二人が試練(ゲーム)を終えて戻ってきたあと。

私たちは次の指示が与えられることもなく、控え室のような簡素な空間にしばらく放置されていた。


あるのは、硬い机と安物のパイプ椅子。

それと部屋の四隅に取り付けられたスピーカー。

見渡した限り、それ以外には何もない。

扉は二つ。

一つは第三試練(ゲーム)を終えて戻ってきた扉。

もう一つは固く閉ざされたままで、開く気配すらなかった。


だが、極限状態を潜り抜けてきた私たちからすれば、そんな殺風景な空間でさえ、今は不思議と安堵できる場所だった。

一度瞼を閉じれば、そのまま眠りの世界へ引きずり込まれてしまいそうだ。


意識がうとうとと沈みかけた、その時。

不意に、固く閉ざされていたはずの扉が開く。


一、二、三、四……五。

ボロボロの猫を模した仮面を被った人物たちが、ぞろぞろと部屋へ入ってくる。

各々がステンレス製のワゴンを押しており、その上には高級レストランで見かけるような、半球状の銀蓋(クローシュ)が乗せられていた。


ガラガラと車輪が床を転がる音。

銀蓋の隙間から漂う、ほのかに香ばしい匂い。

途端にキュッと締め付けられるような感覚が腹部を襲う。

私の胃袋が、待ってましたと言わんばかりに空腹信号を発し始めたのだ。


ついさっきまで、胃が縮こまって食欲が湧かないなどとほざいていた自分を、全力で叱責したくなる。

情けないことに、今の私の脳内は“食べる”という行為一色に染められてしまっていた。

……今なら銀蓋(クローシュ)の中身が、私の想像を遥かに下回るゲテモノ昆虫食だったとしても、反射的に飛びついてしまうかもしれない。

 

そして猫面たちが全員、部屋へ入り終えたところで。

 

「——まずはご苦労。ホントはもすこし脱落すっと思ってたが、第三試練(ゲーム)はこれで終了だ」

スピーカーから、機械加工された声が響いた。

音声こそ加工されているものの、その口調からして、先ほどの試練(ゲーム)を取り仕切っていた鼠面であることはなんとなく察する。


「以前伝えた通り、これから八時間の休息時間(インターバル)を与える。疲労困憊であっさり死なれて、試練(ゲーム)に影響が出ると困んのはこっちだからな」

八時間の休息——そのワードを聞いて、全員の表情がわずかに緩む。


「食事はそこのドブネコ共が用意した。きっちり人数分、お前ら取り合ってくだらねぇ喧嘩起こすんじゃねぇぞ」

その言葉に合わせて、猫面達は銀蓋(クローシュ)の頂点にある小さな取っ手を掴み、ゆっくりと持ち上げた途端、閉じ込められていた湯気と香ばしい匂いが、部屋中へ一気に爆散する。


現れたのは、分厚く切り分けられたローストビーフ。

黄金色に焼き上げられた鶏の丸焼き。

艶やかな米粒が魚介の旨味をたっぷりと吸い込んだパエリア。

ほかほかと湯気を立てる小籠包と、焦げ目すら愛おしい羽付き餃子。

彩り鮮やかな寿司に、失明しそうなほどバターの照りがぎらつくオマール海老。そして、宝石箱をひっくり返したような小さなデザートの数々……。

 

和食・洋食・中華はマストとして、その他にも世界各国の料理を無理やり一つのテーブルに押し込めたような、節操のないほど豪勢な食事だった。それぞれが皿の上に丁寧に盛りつけられ、ソースの一滴、ハーブの一枚に至るまで、明らかに私たちの知る“給餌”とはかけ離れている。

というか、これはもはや高級ホテルのビュッフェさながら。


ひび割れた壁。無機質な長机。硬いパイプ椅子。そんな場所に突如として現れた、陸海空を股にかける御馳走の数々。それはもはや、空腹の私たちに対するテロ行為。

廃墟のど真ん中に、一夜にして一流レストランが降臨したような

衝撃(インパクツ)は、悔しいことに、抗いがたいほど魅力的だった。

 

「うわぁ〜〜っ!!美味しそうっ〜!!」

隣の烈々子(れつこ)が、とろけるような嬌声じみた声を上げた。いまにも頬が蕩け落ちそうなほどの、恍惚とした表情で。


「わーーーい!ぽてといっぱい〜まじゅまぽてとちゅき〜!」


「マンマミィイイイイアッ!!アタシの故郷の料理まであるじゃないのよぉ!!!」

ミストゥビオは両手を頬に添え、感極まったように身をくねらせる。

「ちょっと待って、これ本当に食べていいの!?罠じゃない!? 罠だったとしても今のアタシなら喜んで飛びつくけどぉ!!」


「それにしても……すごい量だな」

「栄養補給としては申し分ないね。見る限りお酒の類もあるようだけれど、真白さんはいける口かい?」

「ああ、いや……私は遠慮しておこう」

「な〜んだ残念」

机に突っ伏していた百千切も、いつの間にか上体を起こしていた。さっきまで「埋葬は頼んだ」などと言っていた人間とは思えない復活速度である。

 

「寝床は扉を出て右に曲がったとこにある。そんじゃ、あとは勝手にやってくれ」

その言葉を最後に、これ以上の説明はなく音声はあっさりと途切れた。それを合図にするように、猫面たちは一言も喋ることなく、スタスタと扉の奥へ去っていく。


扉が閉まったその瞬間。

誰からともなく、椅子から勢いよく立ち上がる音がした。

あからさますぎるご褒美に対して湧き上がる警戒心。

毒でも入っているのではないかという疑念。

本当に食べていいのかという、拭いきれない不信感。

そんなものは、確かにまだ残っている。


残っているはずなのだが。

それらすべてを押し退けてもなお抗えない、圧倒的な"食への渇望"が、今の私たちにはあった。

 

「……いただきます」

誰かがぽつりと呟いた、次の瞬間。

私を除いた全員が、まるで飢えた獣のように目の前の料理へと一目散に駆け出していた。


「あっ」

しまった。完全に一動作(ワンテンポ)遅れてしまった私は、慌てて椅子から立ち上がり駆け出そうとしたその時だった。

不運にも、足が椅子の脚に引っかかってしまい体勢を大きく崩す。


「あ、やば――」

気づいた時にはもう遅い。

ぐらりと視界が傾き、眼前に床が急接近する。


バタンッ。

「ブハッ!?瑠璃ちゃん!?」

烈々子の声が聞こえた気がした。

けれど、その声は水の中に沈んでいくみたいに、ひどく遠い。

硬い床に身体を打ちつけた衝撃。

空腹。

疲労。

緊張。

そして、ようやく訪れた安堵。

それらが一気に押し寄せて、私の意識を根元から刈り取っていく。

ああ、まずい。

今倒れるのは、色々な意味でまずい。


嗚呼。

香ばしい匂いが、ゆっくり私から遠ざかっていく。

行かないで、わたしの餃子とオマール海老さん——。


✳︎ ✳︎ ✳︎


『記憶の断片』File.06


ひとり。

ふたり。

さん、よん。

いや、呼吸音と僅かな衣擦れ音から察するに、ざっと七人から八人程だろうか。


両手首は椅子の背に固定され、両足首もそれぞれ椅子の脚へ縛りつけられている。

目には何重にも巻かれた厚い遮光布。

耳には耳栓。鼻腔には詰め物。

舌の上には、味覚を鈍らせる薬品の苦みがまだ残っていた。


視覚。

聴覚。

嗅覚。

味覚。

触覚。

人間が外界を認識するために必要なものを、一つずつ丁寧に、完全に奪われた状態。


暗い。

どこにいるのか。

隣に誰がいるのか。

何一つ分からない。

分かるのは。

この場にいる全員が、ここへ辿り着くまでに何人もの人間を蹴落としてきたという事実だけ。


「――まずは、おめでとう」

不意に、頭蓋の内側へ直接流し込まれるように男の声が響く。


「君たちは、数々の訓練を乗り越えてきた」

何度も聞いた馴染みのある声。

いまさら驚くとも、ましてや喜びもしない。


「だが――我々が求めるのは真実のギフテッド。つまりは純然たる色(カラー)のみ」

出た。

またそれだ。

もう何度聞かされたか分からない、お決まりの謳い文句。

とくれば、この場にいる全員が、次に取るべき行動(アクション)をだいたい想像できている。

 

「君たちの正面には、鍵の外れた一枚の扉がある。向こうには、一丁の短機関銃(APC9)を用意した。装弾数は二十発。それだけあれば十分だろう」

男は淡々と説明を続ける。

「生き残った最後の一人には、"無二なる青"の称号を与える」


別に、そんな称号は欲しくない。

そう思っているのは、きっと自分だけではないだろう。

そもそも、それが何なのかを知る術すらないのだけれど。

それでも私たちは、工場のレーンを流れる作業ロボットのように、与えられたことをただ淡々と繰り返していく。

そして。


「さあ――君たちの才能を見せてくれ」

ブツン。

音声が途切れた、その直後。

ブーーーーーーーーーーーッ!!

何度も聞いた耳障りな音と共に、ソレは始まる。

一斉に全員が動きだした。


ギチッ。

ゴキッ。

ベキッ。


骨を軋ませ、関節を外す。

私たちにとって、この程度の拘束など、もはや拘束のうちに入らない。親指の関節を外し、手首を捻る。

わずかに生まれた隙間から、そのまま手を引き抜く。

ただ、それだけ。

この程度の痛みにはとうに慣れきっているからか、今さら何の感情も湧くことはない。


耳栓を外し、鼻腔に詰められた栓を抜く。

最後に目隠しを外すと、そこは薄暗い小部屋だった。

正面の鉄扉までの距離は、およそ十五メートル。

人数は、自分を含め全部で八人。

他に出口らしきものは見当たらない。

 

ガタンッ!!

続いて、ほぼ同時に八脚の椅子が倒れると、我先に、我先にと他者を押しのけて、正面の扉へと殺到する。


ダダダダダダダダダッ!!

ガチャッ!!


「退けッ!!」

「邪魔だ!!」

「寄越せぇっ!!」


ドゴッ!!

バキッ!!

ゴキンッ!!

カチャッ!


一丁しかない銃へ、七人が互いを押し潰す勢いで群がっていく。

そして遂に——誰かが銃を手に取った。

次の瞬間。


ダンッ。

一発。

ダンッダンッ。

二発。

三発。


絶叫と銃声が入り混じり、骨が砕け、肉が潰れるような音が響き渡る。何か重いものが床へばたりと倒れ伏す音が、幾度となく続き――やがて。

最後の一発を境に、すべての音がぱたりと途絶えた。

 

静寂。

ほどなくして、扉がゆっくりと開いていく。

そこに立っていたのは、全身を血に濡らした一人の男だった。

肩で荒く息をし、見るからに満身創痍。

争いの最中に負った傷なのだろう。右腕はあり得ない方向へ折れ曲がり、無事な左手には、今なお硝煙をくゆらせる銃が握られている。


――どうやら、彼が最後の一人らしい。

生き残った安堵からか。

それとも、自らの手で他の全員を仕留めたという達成感からなのか。

男はうっすらと笑みを浮かべ、そのまま扉をくぐった。

その瞬間。


バサッ――。

頭上から、何かが男に覆い被さる。

一瞬、黒いカーテンのようにも見えるそれは、よく見ると――人間だった。

 

「――うぎっ!!」

男の身体が大きくよろめく。

背後から回された両腕が、蛇のように首へ絡みつく。

さらに両脚まで胴体へ食い込むように巻きつき、完全に動きを封じていた。

 

「ぐッ……は、はな……ぜぇ……ッ!」

男は必死に身体を振り回す。背後の人間ごと壁へ叩きつけようと後退し、何度も激しく身体を打ちつける。

それでも、離れない。

まるで身体同士が一つに縫い合わされたかのように、背後の人間はぴたりと張りついたまま。

 

カチッ。

カチ、カチ、カチ、カチッ!!

握り締めた銃の引き金を、何度も何度も引く。

しかし——弾は出ない。

二十発の弾丸は、とうに使い切っている。

 

「ぐが……ッ、が……あ、が――」

締め上げられた喉から潰れた声が漏れ出すと、男の顔がみるみるうちに歪み、首筋に血管が浮かび上がる。

その直後。

グキッ――!!

男の首が、人体ではあり得ない方向へ折れ曲がる。

一瞬の出来事だった。

つい先ほどまで激しく暴れていた身体から、すべての力が抜け落ちる。握り締めていた銃が手を離れ、硬い音を立てて床を転がると、男の身体もまた、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 

パチパチ。

パチパチ、パチパチパチ。

静まり返った部屋に、拍手の音が鳴り響く。


「Congratulations!」

奥の扉から、仮面を被った男が姿を現した。

満足そうに手を叩きながら、唯一の生存者のもとへと歩み寄ってくる。

 

「やはり君だったか。——×××」

仮面の男は床に転がる死体の群れを一瞥すると、愉快そうに笑った。

「あの状況で、ただ一人だけ銃に目もくれないとはな」

「…………」


「銃は強い。だからこそ誰もが欲しがる。まして君たちほど殺しに慣れた人間ならなおさらだ。誰よりも早く奪い、誰よりも早く殺す――そのために、どう他人を出し抜くか。普通なら、まずそれを考える」

仮面の男は、床に転がる死体へ視線を落とした。


「実際、他の連中はそうした。銃を奪い、殺し合い、最後に残った一人は――自分が勝者だと思い込んだ」

「…………」

「残りの弾数。殺した人の数。ほんの少し数えれば済むことすら怠ってしまうとは」

仮面の奥で、男の口元が歪む。


「だが――それこそが人間の本質だ。人間の脳というのは、自分にとって都合のいい現実を勝手に作り上げる性質がある。ましてや、あれほどの極限状態ならなおさらだ。これで終わり、自分は生き残った。ようやく解放されるんだ――そう思い込んだ瞬間、人は自ら疑うことをやめる。……その思い込みこそが、最も致命的だとも気づかずに」

仮面の男は肩をすくめながら、愉快そうに話を続けた。

 

「ただし——×××。君だけは違った。仮にあの銃に弾が残っていたとしても、結末は変わらなかっただろう。君と彼らとでは、そもそもスタート地点から違いすぎる。出来レースだと言われれば……まあ、否定はできないがね」

そう言いながら、仮面の男はつかつかと最後の生存者のもとへ歩み寄ると、何かをその手に渡し、最後に小さく囁いた。

 

「——————」


記憶はここで途切れている。

20XX.03.02

 

✳︎ ✳︎ ✳︎


「ん……」

「良かったぁ……!急に倒れるんだもん!私、びっくりして飲んでたタピオカ鼻から吹き出しちゃったよ!」

「……あれ私、なんでこんなとこに……」

目を覚ますと、私はベッドの上に寝かされていた。

すぐ隣には、心配そうな表情を浮かべながら、私の手をぎゅっと握っている烈々子の姿がある。


「分かる?私だよっ?苛烈で可憐な情熱の赤担当!れつ——」

「烈々子さんですよね。大丈夫、忘れてません」

勢いよく始まった、もはや聞き慣れた自己紹介を途中で遮り、私はゆっくりと周囲へ視線を巡らせる。

この光景には見覚えがあった。

私が最初に目を覚ました時と、よく似ている。


ただし、あの時とは明らかに違う点が二つ。

ベッドの数が、以前の半分近くまで減っていること。

そして今、目を覚ましているのが私と烈々子だけだということ。他の五人はまだ、ぐっすりと眠っているようだった。

 

「私、どれくらいここで寝てました?」

「んー……だいたい六時間くらいかなぁ」

「ろ、六時間!?」


衝撃のあまり、一気に眠気が吹き飛ぶ。

勢いよくかけてあった布団をはがし、私は瞬時に飛び起きた。


たしか私たちは、第三試練(ゲーム)を終えたあと、控え室のような場所で豪華な食事を振る舞われていたはずだ。

それで。

私も何か食べようと席を立って――何かに躓いて。

……そこから先の記憶は曖昧だ。


「私、まだ何も食べてないっ!!」

真っ先に口から飛び出したのは、そんな一言だった。

普段の私なら、少し恥ずかしくて口にするのを躊躇うような、なんとも子供じみた叫び。

「だ、だ、大丈夫だよ!瑠璃ちゃんの分は、私がちゃんとよけておいたから!」

 

「餃子は……ある?」

「あるよ!二個!」

「オマール海老さん、は……?」

「ごめん、それは私が食べちゃった……」

「ぐはっ!!!」


あまりのショックに、そのままベッドへ倒れ込みそうになる。

「わわっ!瑠璃ちゃん!?」

慌てた烈々子が、すんでのところで私の身体を支えてくれた。


「逝かないでっ!?オマール海老さんはいないけど、他にもカニさんとか、ウシさんとか、ゆでたまごさんとか、いっぱいいるよ!」

「うぅ……ありがとう、烈々子さん」

烈々子の気遣いに、私は思わず涙しそうになるのを堪える。


「それとさ瑠璃ちゃん。ずっと敬語で話してくれてるけど、私にはタメ口でいいんだよ?」

「え。でも、一応年上ですし……」

「そんなの気にしない!私と瑠璃ちゃんの仲なんだから!これからは烈々子って呼んでっ」


「分かった……烈々子、ありがとう」

「うんっ、どういたしまして!」

烈々子は、にっこりと嬉しそうに笑った。

 

「起きたばっかりだけど、お腹空いてるでしょ?隣の部屋まで案内しよっか?」

「ううん、大丈夫。それより、烈々子あんまり寝てないでしょ」

「え?」

「次の試練(ゲーム)もあるんだし、今のうちに少しでも寝ておいた方がいいよ」

「いいの……?本当に?」

「うん」

「……わかった」

 

そうして、烈々子は自分のベッドへ戻ると、ものの数秒ですやすやと寝息を立て始めた。

……もしかして、ずっと私のそばにいてくれたのかな。

そう思うと、途端に申し訳なさが込み上げてくる。


私は烈々子を起こさないよう、そっと掛け布団をかけ直すと、安らかな寝顔をもう一度だけ見届けてから、静かに寝室を後にした。

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